Destiny×Memories

Past.33 ~あの日の空と、同じ色をした~


 ……夢を見ていた。ずっとずっと昔の、かなしい夢だった。
 私は真っ白な病室で、壊れた彼を抱き締めていた。大丈夫だよって、何度も何度も声をかけながら。涙はとっくに枯れ果てていた。

 点滴が落ちる。彼が暴れて、白い包帯が赤く滲む。大人たちが慌てて病室へ駆け込んできて、私は彼の側から引き離される。
 点滴が倒れる。彼が叫ぶ。扉が閉まる。伸ばしたまま行き場を無くした私の手は、なぜだかみみず腫のような傷が浮かんでいる。
 大人が私に声をかける。だけど私は扉の前から動けなくて。

 音は無かった。静寂の中で、私は幼い私を見ていた。
 彼の包帯の白と赤と、悲しくなるほどに澄み渡った青い空が、痛みと化して私の心を抉っていった。


(……ああ、私……怖かったんだ)


 彼が彼でなくなっていくのが。
 日に日に彼が飲む薬の量は増えて、だけど日に日に彼では無くなっていってしまうような錯覚を覚えて。
 私の声が届かなくて、だから。

(すべて忘れてしまった彼に、安堵したんだ)

 消毒液の匂いが充満したあの病室も、包帯も、点滴も……そうなった出来事の、前後の記憶さえも。
 彼は全て忘れ去って、私の知る“彼”に戻ったんだ。……それで、良かったと……私は、思って、いた。


「……でも、ほんとうにそうなのかな?
 自分のことを忘れるのが、ほんとうにしあわせなことなのかな……」

「……それはわたしにもわかりません。
 ですが……わたしが彼ならば、きっと忘れたいと願ったと……思います」

「……そっか。そうだよね、あんな目に……あったんだもんね……」

 目の前にいる、私そっくりな彼女は悲しげに笑みを作る。
 ああ、わたしもあと数年も経てば彼女のようになれるのだろうか。無意味で無関係なことを考える。

 いくら似ていても、私と彼女……アリーシャは他人だからだ。

 私は彼女をよく知らない。彼女もきっとそう。知りたいとは思わない。なぜなら、これは……――


「……あ、そろそろ起きなきゃ……。行ってくるね、アリーシャ」

「……そうですね。お気をつけて……アイリ」


 夢を見ていた。私そっくりな女性と、とりとめのない話をするだけの……夢だった。
 最後に見た夢の景色は、あの日の空のように青く輝いていて……私はそれに、ひどく絶望したのだった。

(彼が消えたこの世界で、私は……――)


 +++


 雪降る街を後にしたオレたちは、いつものごとく次の街を目指して草原を歩いていた。
 草原、と言っても街道らしく道が整備されていて、思いの外歩きやすい。……雪の影響でぬかるんでさえいなければ。

 朝先輩はと言えば、何だか死にそうな顔で黙々とオレたちに着いてきている。朝食も抜いていたようだし、大丈夫なのだろうか、あの人。

 ソカルはともかくとして、ナヅキたちも彼にどう接すればいいのかわからず戸惑っているようだ。
 現に朝先輩に話しかけているのは深雪先輩とソレイユ先輩だけだし。ディアナは相変わらず無言を貫いている。

 そうして進んでいくと、不意に目の前に大きな川が見えた。

「……渡れるの、これ?」

 不安げなナヅキの声に、オレは辺りを見回す。川の流れは随分激しく、橋がなければ渡れなさそうだ。

「……あそこに誰かいるね」

「なんでこんなところに人が……?」

 ソカルが指を差した先を見れば、川の前でぼんやりと佇んでいる女の子がいた。
 不思議そうなソレイユ先輩を横目に、ナヅキがその子に話しかける。

「ねえ! ちょっと聞きたいんだけど、この川を渡る橋ってないの?」

 彼女に声をかけられた女の子が、くるりと振り向く。黒にも紫にも見えるゆるいおさげ髪と、真っ黒なワンピースが印象的だった。
 後ろにいたディアナが、その姿を見てはっと息を飲んだことに首を傾げていると、彼女が口を開いた。

「……橋、ですか。この先に行けば、ありますけど……」

 女の子が川沿いの道の先を見やるが、霧が出ていて何があるのか見えない。
 彼女は再びこちらを向いて、にこりと笑った。

「……貴方たちに恨みはありませんが……ここを通れたら、の話ですよね」

「……っ!?」

 瞬間、鋭利な刃と化した色鮮やかな花弁がオレたちを襲う。
 皮膚が切れる痛みに耐えていると、ディアナが声をあげた。

「……っやめろ、ユカリ!! どうして……どうして……!!」

「……久し振りね、来夏らな……! ああ、こんな、こんな再会じゃなければ、幸せだったのに!」

 それに反応してか、花弁は勢いをなくし地面に落ちる。その隙に、先ほどの傷をリブラが治してくれた。
 オレはディアナと、彼が“ユカリ”と呼んだ女の子を交互に見る。二人とも、酷く辛そうな顔をしていた。

「……ディアナと知り合い、なのか?」

「知り合い? ……そうですね、私は……」

 ユカリにそう尋ねれば、彼女は複雑そうな笑顔で言い淀む。
 なぜディアナに……オレたちに攻撃をしたんだ。
 更に問おうとすると、唐突に新たな声が降り注いだ。

「あらあらぁ、ユカリぃ。何を遊んでいるのかしらぁ?」

「っヘカトさま……!!」

 現れたのは、宙に浮かぶ漆黒の髪の女性。
 彼女は警戒するオレたちをぐるりと見回して、にやりと口角を上げた。

「初めましてぇ、“双騎士ナイト”の皆様ぁ。
 アタクシはヘカト。冥界の魔女ヘカトよぉ」

「ヘカト……まさか、【森神もりがみ】アルティの部下の……!?」

 ヘカトと名乗った女性に、リブラが反応する。

 冥界の魔女ヘカト。
 その名の通り、冥界に住まう魔女で、死した魂たちを自分の手駒にしてしまう恐ろしい能力を持つとリブラは説明した。

 ヘカトはそれを肯定して、ユカリに視線を移す。

「アタクシとアタクシの可愛いお人形を倒すことが出来れば、ここを通してあげても宜しくってよぉ。
 ……まあ、不可能でしょうけどぉ!」

「……ごめん、ごめんなさい、来夏……っ! 私は、私は!!」

 ヘカトの高笑いが響くと同時に、ユカリが放った花弁の剣が再びオレたちに飛んでくる。
 ソレイユ先輩が銃でそれを撃ち落とし、オレとソカルもそれぞれ得物を構えて駆け出した。
 事情がまったくわからないけど、【神】の部下ということは間違いなくオレたちに敵意を抱いているはず。
 茫然としているディアナの傍に、深雪先輩が駆け寄って声をかけていた。

「ディアナさん、しっかり!」

「紫……紫、どうして……どうして!!
 紫はあのとき死んだはずだ、それなのに……それなのに……っ!!」

 錯乱状態に陥っている【神殺しディーサイド】 を見て、ヘカトは笑みを深くする。

「……うふふ……その顔、ステキよぉ【神殺し】。いいわぁ、教えてあげるぅ。
 ユカリはねぇ、死んだあとアタクシに捕まってぇ……アタクシの支配下に置かれちゃったのぉ。
 【神殺し】、アナタを再起不能にするためにねぇ! あははははっ!!」

 けたけたと笑い続ける魔女に、オレは剣を降り下ろす。
 しかし彼女の前に見えない結界のようなものがあり、攻撃は届くことなく弾き返された。

「う、わあっ!?」

「っヒア、大丈夫!?」

「っいたた……。だ、大丈夫大丈夫。
 ……それより、どうしたもんかな……」

 なんとか着地してから心配そうなソカルに頷き、周囲を見回す。
 膝をつくディアナと彼に声をかけている深雪先輩、二人を守るソレイユ先輩。
 いつでも魔法を放てるように詠唱を始めているフィリと、困惑しているリブラと彼女を守るように傍らに立つナヅキ。
 ……そして相変わらずの無表情で【魔剣】を構える、朝先輩。

「……ディアナの知り合いなら、あの子に攻撃するわけにもいかないよな……」

「……そうだね、あの子が幻覚や幻想魔法の類いなら問題はなかったんだけど……本物の魂だしね……」

 【死神】である相棒の言葉に「だよな」と返事をしてから、オレはユカリを見やる。
 彼女もまた酷く傷付いた顔で、それでも魔女の命令に抗えないのか、花弁の剣をもう一度発動させようとしていた。

「……ユカリ、だっけ。あの子、何とか助けられないかな」

「……可能性としては、彼女を支配している魔女ヘカトを倒せば、或いは……。
 でも、そうすると彼女の魂が消滅してしまうかも……」

 事実上の人質、というわけだ。
 正に万事休す。オレは剣を魔女に向ける。

「……あらぁ? 作戦会議は終了かしら、可愛い“双騎士”さん。
 それじゃあユカリ、やっちゃってぇ!」

 魔女の指示に、ユカリが花弁を放つ。……ディアナを狙って。
 先ほど同様にソレイユ先輩が応戦しているが、限度というものがある。

「……夕良 緋灯ゆうら ヒア

 それまでじっと魔女を睨んでいた朝先輩が、不意にオレに話しかけてきた。
 ちらりと視線をそちらへ向けると、彼は魔女を見据えたまま言葉を続けた。

「僕の【世界樹ユグドラシル】の力で魔女を倒す。……君たちは、時間稼ぎを。
 深雪とソレイユはそのまま【神殺し】の傍に」

「……わかりました、朝くん」

「ちょ、ちょっと待ってください!! 魔女を倒すとあの子まで……っ!!」

 頷いた深雪先輩に、オレは思わず声をあげる。
 今もなお立てずにいるディアナが、ユカリを目の前で失えばどうなるのか……。
 そんな柄にもないことを考えてしまったからだ。
 しかし魔女側の沈黙を破って、ユカリが叫んだ。

「私のことは構いません……っ! 私はすでに死んだ身ですから……だから……っ!!」

「けどっ!!」

 だからと言って、そのまま見殺しにするなんて。
 躊躇するオレに降り注いだのは、魔女ヘカトの嘲笑だった。

「あははははっ!! いいわぁ、その顔!!
 そうよぉ、アタクシを倒したらユカリもまた死んじゃうわぁ!! あっははは……」

「“――果てなき光よ,我が魂を以て彼の者を貫く鎖となれ……『カテナディルーチェ』”!!」

 だが、魔女の笑い声を遮るように、魔法が発動した。
 振り返ると、ディアナが【神剣】を携えて立っていた。その青い瞳は、深く暗い色をしている。

 ……憎悪。

 今の彼を支配しているのは、まさにその感情だった。

(……なぜ、他人の感情が狂いなく理解できるかなど、このときのオレは全く考えることもなく)

「……っ!! 【神殺し】……っ!!」

 ディアナの魔法……光の鎖が左腕を貫いたのか、そこを反対の手で押さえながら彼女は【神殺し】をきつく睨む。
 その視線に怯むことなく、ディアナは再度剣を振りかざした。
 ……どうやら、オレたちが迷っている場合ではなさそうだ。
 ソカルと頷き合って、オレも剣を握り直し魔女へと駆け出す。

「っ“――昏き深淵よ,宵を纏て光を穿て! 『ヴェスペレサジッタ』”!!」

 ところが、魔女はそんなオレに向かって闇を宿した魔法を放つ。
 矢を模したそれをなんとか回避すれば、フィリが水の魔法を詠唱し、鎌を構えたソカルが彼女に斬りかかっていた。
 オレは剣を握り直して、相棒に続こうと走り出す。
 ちらりとユカリを見れば、彼女はまた花弁をディアナたちへと向けていた。
 そちらは先輩たちがいるから大丈夫だろう。

「うおおおおおっ!!」

 勢いをつけて魔女へと飛び上がる。
 先ほどのディアナの攻撃で結界が消えたのか、今度は切先が彼女の頬を掠めた。

「“双騎士”ぉっ!! よくも、よくもぉぉぉ!!
 “――晦冥よ! 光ある世界に宵闇を! 永久なる眠りを! 黎明を壊し,暗黒の世界へ誘え!
 ヘカト・トリウィアの名の下にぃ!! ”」

 魔女の詠唱に、周囲の空気が闇へと変貌していく。
 いや……光が、彼女が放つ闇に覆われていっているんだ。
 これはもしかしなくても、最上級魔法……!?

「っ皆さん、避けて……!!」

「遅いわぁ!! “――『オブスキュア・エリニュエス』”!!」

 深雪先輩の声に被さるように、魔女の魔法が発動する。瞬間、周囲が漆黒の闇に包まれてしまった。
 何も見えない中、剣のような何かがオレに突き刺さる。

「……っああああッ!?」

 焼けるような痛みに叫び声が漏れる。
 ……他のみんなは、大丈夫だろうか……?
 必死に途切れそうな意識を繋ぎながら、オレは相棒たちのことを考える。


「その程度の闇など、僕には無意味だ」


 不意に、どこまでも冷たい音が響いた。
 朝先輩だ。光が闇を覆い隠していく。

「……――“ユグドラシルリンクコンプリート。
 目標確認……【魔剣】スターゲイザー,魔力解放。『シューティング・コメット』”!!」

 朝先輩の腕と剣に草木が巻き付き、その剣先から目が眩むほどの光が迸る。
 それは闇を塗りつぶし、魔女ヘカトの体を貫いた。

「っきゃあああああああッ!?」

 魔女の断末魔がきらきらと輝く光の中で木霊する。
 彼女が煌めきと共に消滅していくのを、オレは霞む視界ではっきりと見届けた。

「来夏」

「……っ紫……!!」

 魔女が消え、支配から解き放たれたのか、穏やかな声音のユカリがディアナを呼んだ。彼はユカリへと手を伸ばす。
 しかし彼女は涙を湛えた深緑の瞳で、ふわりと破顔しただけだった。

(そう言えば、なぜ彼女はディアナのことを『ラナ』と呼ぶのだろうか?)

「来夏、ごめんね。……ありがとう。どうか、私の分まで……生きて……」

 彼女は最期にオレたちに向かって、綺麗な笑みを浮かべた。
 溢れだした涙が、光に反射しながらひとつ、またひとつと落ちていく。

「私を魔女の支配から解放してくれて、ありがとうございました。
 来夏……いいえ、ディアナのこと……よろしくお願いしますね」

 そう言うと、ユカリのからだは紫色の花びらとなって、どこまでも澄み渡った青い空へと溶けていった。

 ……最期は安らかな笑顔だった。
 それがオレにとっては、救いだった。


「紫……紫、紫ぃぃぃぃッ!!」

 ディアナの絶叫が鼓膜を震わせる中、オレの意識はぷつりと途切れた。

 最後に見た空は、いつかの『あの日』と同じ色をしていて……オレはなぜだかそれに、ひどく絶望したのだった。


緋灯ひあ……?』


 遠い世界にいるはずの彼女の声が、揺蕩う心に反響した気が……した。


「あ、いり……」



 Past.33 Fin.

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