あれからしばらくして桜華に到着した頃には、空はすっかり闇に覆われていた。
けれど、街は魔法灯による明かりに包まれていて、星すら見えないくらいに眩しい。
「今日のところはひとまず休んで、翌朝すぐに“神の洞窟”へ向かいましょう」
そう提案した深雪先輩に断る理由もなく、オレたちは頷く。
そうしてそれぞれに割り振られた部屋で、オレはベッドで横になっていたのだが。
(……ね、寝れない……)
早朝に出発なのだから、と早めに寝るつもりが、全くもって眠れずにいた。
ふと隣のベッドを見やると、そこにいたはずのソカルが忽然と姿を消していた。
備え付けのバスルームにいる気配もない。
(……外、か?)
だとすると、いつの間に出ていったのだろう。
オレは布団から出てソファの背もたれにかけてあった上着を被り、部屋の扉を押したのだった。
+++
「――おや、ヒアくん」
「どうした? 眠れないのか?」
階下に降りれば、広間の椅子に座り談笑をしていた深雪先輩とソレイユ先輩に声をかけられた。
「あはは……まあ」
「わかるわかる、緊張するよなー」
それに首肯すれば、ソレイユ先輩が緊張感の欠片もない声音で同意してくれる。
「全然説得力ありませんヨ、ソレイユ。
……眠れないのなら、少しお話していきませんか?」
呆れたような瞳でソレイユ先輩を見やったあと、深雪先輩はオレにそう声をかけてきた。
ソカルを探していたオレは一瞬躊躇するが、少しだけなら、と頷いた。
「思えば、ヒアくんとこうしてゆっくりお話する機会はなかなかありませんでしたネ」
「確かに。 だいたいソカルや他の後輩たちも一緒だったしなあ」
のほほんと微笑む先輩二人に苦笑いを零しながら、オレは空いている椅子に腰掛ける。
「……ヒアくんは、本当に強くなりましたね」
「……そう、ッスか?」
オレが着席したことを確認してから、ふと深雪先輩がそう言葉を紡いだ。
それに首を傾げると、アルビノの先輩は赤い目を優しげに細めて、「はい」と微笑んだ。
「辛い過去も逃げずに立ち向かい、ソカルくんたちにもきちんと向き合った……そんな貴方の心の強さに、私は敬意を示します」
「物理的にも強くなったよな。 ちゃんと戦えるようになってるし。
正直、すごく頼もしいぜ」
先輩たちからの手放しの称賛が、擽ったい。
そんなことないですよ、とオレは言葉を返す。
「先輩たちに比べれば、まだまだッス」
仲間のため、【太陽神】やこの世界のためにずっと戦ってきた彼らに比べると、自分なんて全然だ。
そう言うと、ソレイユ先輩が「謙遜するなよ」と微笑んだ。
「【太陽神】の守護者、なんて言われたりもするが、別にオレたちはそんな大層なものになったつもりはないんだ。
ただ、大切な友だちを守りたいっていう、それだけ。……それはお前も同じだろ?」
優しい彼の言葉に、オレはハッと顔を上げる。
オレも……ただ、みんなを守りたいだけ。 大切な、友だちを。
(……そっか、先輩たちも同じなんだ。 だから……強く、なれるんだ)
「……オレが強いなら……それはきっと、みんながいてくれたからです。
先輩たちも、ソカルたちも、こんなオレのそばにずっといて……一緒に戦ってくれて、色んなことを教えてくれて、たくさんの景色を見せてくれたから」
だから、と笑う。 心の底から、想いを伝えるために。
「ありがとうございます、先輩」
告げた言葉に、深雪先輩とソレイユ先輩も笑みを返してくれたのだった。
+++
先輩二人と別れて、オレは宿の外に出る。
夜遅くにも関わらず、街は未だにネオンライトに照らされていた。
(……もしかして、一日中灯りがついてるのかな)
ぼんやりとその灯りを見上げながら歩いていたオレだが、ふと前方に人影があることに気が付いた。
ベンチに腰掛けて、オレと同じように魔法灯を見ているのは。
「……マユカさん?」
「……お。 どうした、ヒア?」
その声に振り向いたのは、つり目がちな青年……マユカさんだった。
特徴的な薄茶色の髪が、オレンジの灯りを受けて輝いて見える。
「いえ、マユカさんこそ。 こんなとこで何してるんスか?」
「いやー、なんか眠れなくてさ。 ……色々、考えてた」
ゆらゆらと揺らめく灯りに視線を戻して話す彼は、どこか寂しげで。
……ああ、そうか。 確か彼は……元の世界に、帰れないんだった。
「……ご家族のこと、とかですか?」
「うん、まあ」
問いかけたオレに、彼は力なく微笑んだ。
異能のチカラを持ってしまった彼は、家族を巻き込まないためにこの世界に来た。
帰る場所があるオレとも、帰る場所のないナヅキとも違って、彼は帰りたいけど帰れないのだ。
大切な、家族のために。
「……でも」
思考の渦に沈みかけたオレを、マユカさんは引き上げる。
……その顔は、どこかスッキリとしていた。
「話したんだ、弟と。 お前が王都で藍璃ちゃんと話してる間にさ」
語られた内容に、オレは目を見開く。
聞けば、オレが精神世界で藍璃と話していた時、彼もまた夜先輩と自身のチカラで地球に残してきた弟と話をしていたらしい。
「……弟は……歩耶は大変な目に遭いながら、オレのことを探してくれていた。 オレを、忘れないでいてくれた。
それだけで、よかった。 ……応援してる、とまで言われたしな」
そう言って微笑むマユカさんに、オレも釣られて笑い返す。
「……じゃあ、頑張んないとですね」
「ああ。 元の世界には帰れないけどさ……歩耶も頑張ってるし、オレもホント、ホームシックとかになってる場合じゃないよな」
離れていても、かっこいい兄貴でいたいからな。
話しながら、マユカさんはベンチから立ち上がった。
「ありがとな、ヒア。 なんかお前と話したらスッキリしたよ」
「そっスか? ただ話聞いてただけッスけど……。 まあ、お役に立てたなら何よりです」
そのまま彼は宿の方へと足を踏み出す。 どうやら部屋に戻るようだ。
「オレはもう寝るけど……夜更しはほどほどにな?」
振り返ってニッと笑ったマユカさんに頷く。
(オレは一人っ子だけど……マユカさんみたいな兄貴、なんかいいな)
付かず離れず、みんなを見守る優しい彼。
心なしか大きく見えるその背を、オレは見送った。
+++
――なんでこうなった!?
オレは目の前の刀を自身の剣で受け止めながら、心の中でそう叫んだ。
――事の発端は数分前。
ソカルを探しながら、メインストリートではなくなんとなく路地裏を歩いていると、どこからか話し声が聞こえてきた。
聞き覚えのある声にふらふらと引き寄せられると、黒翼とイビアさんが空き地で談笑していた。
「お、ヒアじゃん」
邪魔しちゃ悪いかな、と踵を返そうとしたオレだったが、目敏くイビアさんに見つかってしまった。
そのまま彼に引きずられるように会話の輪に加わったのはいいのだが……不意に、刀を抜きオレの鼻先に突き付けて、黒翼がこう言ったのだ。
「緋灯、剣を構えろ」
……と。
「考え事か。 余裕だな」
キン、とオレの剣身を弾き飛ばし、黒翼がじっとオレを見つめる。
オレはふるふると頭を振り、剣を構え直した。
「考え事というか……この状況、何なんだよって思ってただけなんだけど」
オレの発言に、黒翼はしばらく無言でオレを見ていたが……やがて、盛大にため息を吐いた。
「……はあ……」
「な、なんだよ!?」
「……特訓」
呆れたようなその態度に声を荒らげると、彼はぽつりとそう呟く。
え? と聞き返したオレに、黒翼は再度刀をオレに突き付けて言い放った。
「特訓だ。 以前、お前が俺に頼んできただろう。
……結局、俺が負傷して戦線を離脱した為に中途半端になってしまったが」
なるほど、とオレは手を叩く。
――それは確かに、以前海辺の街にてオレが彼に頼んだことだった。
足手まといになりたくなくて、みんなと一緒に戦えるようになりたくて、オレは黒翼に剣の特訓を頼み込んだのだ。
「深雪達は、お前が強くなったと言う。 ならばその強さ、俺に見せてみろ」
「そういうことか」
納得した、と頷いて、オレは走り出す。
これは、きっと彼なりの……言うなれば、試験なのだろう。
夕空を映した【炎剣】を、黒翼の桜が散りばめられた刀へと振り下ろす。
それはすぐさま受け止められたが……想定内だ。
「――“焔よ,踊れ! 『テア』”!!」
短く詠唱し、剣から生まれた炎で黒翼の【妖刀】を弾き返す。
ちょっと卑怯だが、これもオレのチカラだということで許してもらおう。
彼は咄嗟に防御魔法を編み上げたようで、怪我一つない。 もちろん、怪我をさせるつもりなどないのだが。
防御魔法の残滓なのか、桜の花弁がひらひらと辺りを舞う。
「……なるほど。 過去を乗り越えた、と言うのは事実のようだな」
ふっと口元に微かな笑みを浮かべて、黒翼は刀を仕舞う。
その言動に拍子抜けして、オレはぽかんと口を開けた。
「えっ……と?」
「……態々決戦前に、必要以上に余計な体力を使わせる訳が無いだろう。
過去を乗り越え、魔力を扱え、その剣を振るう事が出来る。 それが分かれば十分だ」
ええと、つまり。 これは特訓というか……。
「要は確認、あるいはお前の覚悟を見せろー! みたいなやつだな。
黒翼お前、言葉少ないにも程がありすぎ」
もしものときは止めるつもりだったけどさあ。
そうのんびりと声を上げたのは、静観していたイビアさんだった。
やっぱり、とオレはため息を吐く。
「いきなり刀を向けられたから、正直びっくりしたけど……。
でもまあ、ありがとう、黒翼。 オレのこと、心配してくれたんだよな?」
そんなオレの発言に、黒翼は一瞬目を見開いた。
けれど、すぐに表情を戻し、オレの頭を軽く叩く。
「心配……と言う程の物でも無いが。 しかし余計な世話だった様だな」
「そうでもないよ。 黒翼がオレの特訓のこと、覚えててくれたのは嬉しかったし」
ぶっきらぼうに見えてとても仲間想いな彼が、オレとの約束を覚えていてくれた。
オレも仲間だと認められたようで、胸がいっぱいになる。
「……約束は守る主義だからな。 ……明日は頼りにしてるぞ、緋灯」
柔らかな……今まで見たことのないくらい柔らかで優しい笑顔で、黒翼はオレの頭を今度はわしゃわしゃと撫でた。
「ま、ほどほどに頑張ろうぜ。 そんでみんなで笑ってハッピーエンドだ!」
先輩二人の言葉に、「うん」と首を振る。
黒翼の期待に、イビアさんの願いに答えたい。
決意を胸に、二人に頭を下げたオレは、その場を後にしたのだった。
+++
ふんふん、と歌が聴こえる。 聞き覚えのない旋律と、聞いたことのない言語。
歌といえば深雪先輩だが、あの人は宿にいるはずなので、この歌声の主ではないだろう。
そもそも、声が違う。 とはいえ聞き覚えのある声だ。 幼さを含んだそれに、もしかして、と歩を進める。
「――あ、ヒアくんだあ」
「こんな夜中に一人で何してんだ、お前は」
やがて前方から歩いてきたのは、案の定子どもの姿をした【太陽神】……ルーと、その保護者のカイゼルさんだった。
どこか嬉しそうに笑うルーとは正反対に、眉を寄せたカイゼルさんに、オレは説明をする。
「いや、その……眠れなくて。 ソカルも部屋にいなかったので……」
睨むように細まった切れ長の目に、しどろもどろな返答になってしまった。
「ソカルくん? うーん、ぼくたちも見かけてないなあ」
子ども特有の柔らかな指を口元に当てて、ルーは首を傾げる。
カイゼルさんもソカルを見かけていないようで、子どもの言葉に同意していた。
「そっスか……。 まあ、地道に探してみるよ」
幸か不幸か、まだ眠気は訪れない。 この街を散策するのも思いの外楽しいし、と言えば、カイゼルさんがおもむろにオレの頭を乱暴に撫でた。
黒翼といい彼といい、なぜ人の頭を撫でてくるのだろうか。
「な、なんスか!!」
ボサボサになった頭を直しながら問いかけると、カイゼルさんは呆れたような表情を浮かべていた。
「ちゃんと休め。 明日体が持たなくても知らねえぞ」
「う……や、休みます! ……ソカルを探してから」
彼は彼なりに、オレを心配してくれているのだろう。
そういえば、この街に着く前に深雪先輩も夜先輩も彼のことを「優しい人」だと説明してくれていたことを思い出した。
確かにその通りなのだろう。 戦闘中もその後も、そして今も。 彼は周りを気にかけ、フォローし、助けてくれる。
ぶっきらぼうで言葉遣いも荒いが、優しくて仲間想いな青年なのだ、カイゼルさんは。
無茶をした自覚があるオレが言うのも何だが、無茶ばかりする仲間を持つと自然とそうなるのかもしれない。
そんなことを考えていると、不意にカイゼルさんが軽くため息を吐き、オレの背中を押した。
「わっ!?」
突然強い力で押され、オレはバランスを崩しかける。 けれどどうにか立て直し、彼へと振り返った。
「な、なんスか急に!」
「行くならとっとと探しに行け。 ……宿に帰ってるかもしれねえがな」
素っ気なく言い放たれたその言葉に、オレは目を丸くする。 てっきり、「とっとと寝ろ」と言われるものだとばかり思っていたのだが。
「ふふ。 ヒアくん、カイゼルお兄ちゃんの気が変わらない内に行くといいよ」
至極楽しげに笑うルーに慌てて頷いて、オレは歩き出した。
いってらっしゃい、と優しく響く【太陽神】の声を背に。
+++
「――よかった」
ヒアが立ち去ったあと、見えなくなるまでその背を眺めていたルーはぽつりと呟いた。
カイゼルがその顔を覗き込むと、子どもはほっとした表情を浮かべている。
「ヒアくん、ほんとに大丈夫そう。 ……強いね、彼は」
「……同感だな。 どこかの誰とは大違いだ」
感心したような自身に同意した青年が漏らした言葉に、ルーは「もう」とその腕を引っ張った。
「そんなこと言わないの。 夜お兄ちゃんだって、強くなったよ?」
「……そうだな」
二人の脳裏に浮かぶのは、青い髪の彼。
人一倍傷つきやすい彼だが……それでも、この旅で随分と強くなったようだ。
「……帰るぞ」
「はあい」
歩き出した保護者の後を追いかけながら、ルーはくるりと振り返る。
満天の星空の下、迷いなく歩くヒアの背に思いを馳せ……安心したように微笑んだのだった。
+++
きらびやかなネオンライトに、まるで故郷にいるかのような錯覚を覚える。
当然、看板などに書かれた文字はこの世界のものなのだが……それも相まって、知ってるような光景なのに知らない世界という、不思議で不安定なふわふわとした気持ちになってしまう。
逸る気持ちを抑えつけて、オレはいつもどおりのペースで歩いて行った。
そうして、静かな公園に辿り着く。 街中とは打って変わって街灯の光が頼りなく灯るだけのその場所は、子どもの遊び場らしくたくさんの遊具が鎮座していた。
(ソカル……は、いないか)
入り口に立ってぐるりと中を見回してみるが、目的の人物は見当たらない。
別の場所を探すか、と踵を返したその時、耳に馴染んだ声が入ってきた。
内容は聞こえてこないが、どうやら彼らは二人で何かを話しているようだ。 先輩たちらしいな、と微笑み、もう一度辺りを見る。
(……あ、いた)
件の二人は、街灯の光が届かないような公園の隅に置かれたベンチに座っていた。
二人の青い髪が闇に溶け込んでいるから、見つかりにくかったのだろう。
空を見上げて何か話している彼らに釣られて、オレも頭上を仰ぐ。
すると、目に飛び込んできたのは眩いほどの星々だった。
なるほど、街の灯りから離れた場所だから、こんなに星が見えるのか。
視線を二人に戻すと、寄り添う双子……夜先輩と朝先輩は、穏やかに笑い合っていた。
(うーん、これは……邪魔しちゃ悪いな)
ただでさえ長い間会話ができなかった二人なのだ。 他人のオレが割って入るより、兄弟水入らずで談笑をしてほしい。
(でも、結界魔法はまだ貼ってるんだよな……)
神々に動きを悟られないための結界魔法。 【世界樹】である彼らは、未だにそれを展開しているはずだ。
なにより、明日の双子には“転移ゲート”の再構築という大仕事が待っている。
休まなくて大丈夫なのだろうか。 オレは自分を棚に上げてそう思考する。
声をかけるべきか、否か。 入り口に突っ立ったまましばし悩んでいると、不意に視線を感じた。
「……あ」
顔を上げると、夜先輩がオレを見ていた。 更に目が合うと、彼はにっこり微笑んで手を振ってきた。
オレは苦笑いを浮かべて挨拶代わりに片手を上げる。
隣に座る朝先輩はと言うと、先程までの和やかな雰囲気はどこへやら。 案の定しかめっ面でオレを見ていた。
オレは慌てて頭を下げて、くるりと方向転換をして歩き出す。
後ろから夜先輩の声が聞こえたが、朝先輩が怖いので申し訳ないが聞かなかったことにさせてもらおう。
+++
「はあ……」
逃げるように双子から離れたオレは、ふらふらと歩いていた。
朝先輩の弟への執着心は、正直時々ちょっとだけ、恐怖を感じる。
「――ヒアさん?」
ため息を吐くオレに、突如かけられた声。
俯いていた頭を戻すと、ディアナを連れたリブラが心配そうな顔でオレを見ていた。
「どうかされましたか? 具合でも……?」
「だ、大丈夫! なんでもないなんでもない!」
不安そうな彼女に慌てて首を振り、オレは「それより」と話しかける。
「こんな時間に、二人は何してたんだ?」
「あ、ええと……その。 眠れなくて……ナヅキさんとお散歩をしていたのですが、途中でディアナさんと出会いまして」
「……その後、ナヅキは用事ができたなどと言って、去っていった」
二人の説明に、オレはなるほど、と納得した。
ナヅキはナヅキで、二人に気を遣ったのだろう。 オレも同じ立場ならそうする。
「それで、ディアナさんと少しだけお話して……今から宿に帰るのですが。
それはそれとして、ヒアさんもお散歩ですか?」
「まあ、そんなところ」
リブラの問いに軽く頷いて、オレはそっとディアナを見やる。
いつもながら無表情な彼は、視線に気付くと眉を寄せた。
「……なんだ」
「いや、リブラとちゃんと話せたのかな、と」
王都での戦闘の際、知り得た彼の感情。
あの時オレは自分で伝えろ、とは言ったのだが……果たしてどうなったのか、単純に気になるのだ。
するとディアナはオレの思惑に気が付いたのか、思いっきりしかめっ面をした。
「お前には関係ないだろ」
「えー……。 まあそうだけどさあ」
最もな返答をされ思わず口を尖らせてしまったオレに、事情を知らないリブラがおっとりと微笑む。
「ふふ。 ディアナさん、私に『絶対に守るから』と約束してくださったんですよ。 綺麗なブレスレットまでくれて……」
「っリブラ!!」
薄紫色の宝石が飾られたブレスレットを掲げながら落とされた爆弾に、珍しく顔を赤くして彼女の名を呼ぶディアナ。
見ているこちらが恥ずかしくなるやり取りに、オレは「ごちそうさま」と呟いた。
「ディアナが意外と奥手なのはわかった」
「殴るぞお前。 ……別に、僕は僕のやり方があるだけだ」
もう、喪いたくないから。
オレにしか聞こえないほどの声量で呟いた彼に、オレは息を飲む。
(……そっか。 ディアナは大切な人を二人も亡くしたから……)
幼いディアナを迫害から庇い、命を落とした少女。
ディアナと共に運命に抗おうとしたものの……結局彼に殺されることとなった【龍神】。
大切だった二人を亡くした彼が、心惹かれる少女に対して慎重になるのは当然で。
いっそ臆病すぎるほどのそれは、彼なりの過去との向き合い方なのだろう。
茶化してしまった自分を恥じつつ、オレは彼の肩に手を置いた。
「――そっか、茶化してごめん。 応援してるから!」
「お前な……」
謝罪と共に心からのエールを送れば、彼は脱力したようにため息を吐く。
そんな男二人のやり取りに、リブラはきょとんと首を傾げていた。
+++
仲睦まじく宿に帰って行った二人を見送り、オレはまた歩き出す。
ローズラインの中でも港町に匹敵するくらい大きな街だというこの中華風な街は、未だに眠らず。
大通りを歩けば、旅人たちをもてなそうとあらゆる屋台や店舗から威勢のいい声が飛んでいた。
旅人も住人も、楽しげに夜の街を謳歌している。 それがこの街の日常なのだろう。
(そんな日常を、守りたいな)
どんな理由があれど、こうして無害に生きる人々の命を奪ってはいけないのだ。 例え、【神】であっても。
そうして静かに気合いを入れ直していたオレの耳に、前方から言い争う声が聞こえてきた。
「だから! ぶつかってきたのはアンタでしょうが!」
……なんだこのデジャヴ。
思わず頭を押さえてそう声に出してしまったが、喧騒の中では誰にも聞こえなかったようだ。
オレは野次馬と化している人混みを掻き分けて、目的の人物に近付いた。
(あの時は……立ち去ろうとしたオレとソカルを、フィリが引き止めたんだっけ)
嫌々ながらも喧嘩の仲裁……というよりは彼女に加担することになったオレたち。
けれどそれが縁となって、こうして一緒に旅をすることになるなど……不思議な気持ちだ。
感傷に浸りながらも野次馬を潜り抜けたオレの目に飛び込んできたのは、案の定猫耳がトレードマークの少女……ナヅキだった。
相棒であるフィリはと言うと、過去と違ってナヅキの隣で相手と対峙している。
(フィリも成長したなあ)
気弱で俯きがちだった彼が、いつの間にかしっかりと前を向けるようになっている事実に、オレは親戚のお兄さんよろしく感動を覚えていた。
だが、すぐに首を横に振って、現状を把握する。
二人が向き合っているのは、目つきの悪い男性だった。 先ほどのナヅキの言葉からして、どうやら彼らはぶつかったのだろう。
一触即発。 気の短いナヅキが、尚も文句を放つ男性に脚技をお見舞いしようと構えたのを見て、オレは慌てて三人の間に割って入った。
「ナヅキ、ストップストップ!」
「何よ……ってヒア! アンタなんで邪魔するのよ!」
彼女の発言に、オレは苦笑いを浮かべる。
以前のオレなら見て見ぬ振りをしただろう。 だけど。
「だって、ほっとけないだろ?
あー、それと、オジサン」
「あ!?」
仲間であるナヅキとフィリを放っておけない。
突然の乱入者にぽかんと口を開けていた男にそう声をかけると、彼はオレをキツく睨んだ。
「なんだテメー。 そこの女の仲間か? だったら……」
「ああ、仲間ッス。 そもそもこんな人混みの中で、誰かにぶつからずに移動とか無理でしょ。
だいたい、子ども相手に大人げなくないッスか?」
ただでさえこの店が建ち並ぶメインストリートは人がごった返しているのだ。 誰かとぶつかるなんて、よくあることだろう。
まして、相手は成人もしてない子どもである。 オレの指摘に、野次馬たちもそうだそうだと声を上げ始めた。
「……あと、ナヅキとフィリにも言えることだけど。
こんなに人が多いんだから、どっちが先にぶつかったとかわかんないだろ。
そういう時はお互いさま、どっちもごめんなさい、でいいじゃん」
わざとぶつかられたなら話は別だが、とりあえずヒートアップしているナヅキを宥めるためにそう話せば、彼女は「うぐう」と苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
納得してない顔のナヅキの頭を押さえつけて男性に謝罪し、オレは二人を連れてそそくさとその場を離れる。
こういう場合は、とにかく民衆を味方につけるべきである。 どちらが悪いかはともかく、『子ども』であるオレたちが先に謝罪したのだ。
先の指摘も相まって、野次馬は男を非難するはず。
「……アンタ、なんか狡賢くなってない?」
「ははは。 前世時代の知恵だよ」
大通りから離れた場所でそう語ったオレに、ナヅキは冷ややかな視線を向けた。
クラアトの処世術は現代でも役に立つ。 そう笑ってみせると、今度はため息を吐かれてしまったが。
「まあ、いいけど。 ……それに比べて、アタシはダメね。
フィリもヒアも成長してんのに、全然成長できてない」
「え、僕は別に……!」
突如話を振られたフィリは、驚いたように否定をする。
オレはナヅキに同意して、「そうだな」と頷いた。
「フィリ、今回は逃げずにナヅキの側にいたじゃん。 それってすごいことだと思うよ。
……それに、ナヅキも」
「……アタシ?」
帽子を被ったフィリの頭をぽんぽんと叩きながら猫耳少女の名を呼ぶと、彼女は戸惑ったように首を傾げた。
「ナヅキだって、ちゃんと過去に向き合えただろ? 大衆の中で声を上げれてたし」
「あれは……まあ、とっさのことだったし。 だいたい、アンタたちと初めて会ったときもそうだったでしょ」
「それはそうだけど……ちゃんと、自分のために怒れるんだなって。 うまく言えないけどさ」
要領を得ないオレの言葉に、フィリもうんうんと頷いている。
過去のトラウマにも負けず、自分の正義を貫く彼女はとても格好いい。 それも、誰かのためではなく自分自身のためにも怒れるようになれたのだ。
真っ直ぐで、勇敢で、正義感の強い彼女。 それに触発されたように、立ち向かう強さを手に入れた少年。
擽ったそうに笑う二人は、とても眩しかった。
+++
「ソカルなら、高台にいたわよ?」
別れ際にナヅキからそう教えてもらい、オレは高台へと歩いていく。
流石にこんな夜中の……それも、先ほどとは打って変わって人通りの少ない道は風が冷たく、ほんの少しだけ身震いをした。
やがて辿り着いたその場所は、街を一望できる広場になっていて。
その最奥で、目的の人物は手摺に寄りかかり夜空を見上げていた。
「……ソカル」
オレは彼に近づいて、名を呼ぶ。 長い銀髪が揺れて、彼が振り向いた。
「……ヒア? どうしたの、こんな時間に」
「いや、それはこっちのセリフだし」
目を丸く見開いた相棒の横に並んで、オレは眼下に広がる街並みを見る。
色とりどりの灯りが、幻想的に揺れていた。
「なんか、落ち着かなくて」
「そっか。 オレもだよ」
交わす言葉はとても短い。 だけど、それでも良かった。 気持ちは十分に伝わっているから。
だから彼に話すのは……未来の話。
「なあ、ソカル」
隣に立つ彼の顔に視線を向ける。 光を反射する紅い瞳が、不思議そうにオレを見返した。
「全部、終わったらさ……ソカルはどうするんだ?」
「……今更、それ聞くの?」
顔を見合わせたオレたちは、どちらからともなく笑い出す。
そうだな。 答えなんて……わかりきっていることだ。
「地球に帰るよ、ヒアと一緒に」
僕の居場所は、君の隣だから。
ひとしきり笑ったあと、彼はそう言って微笑んだ。
「――ありがとう、ソカル」
隣にいてくれて。 これからも、いてくれることを誓ってくれて。
眩い魔法灯の光が、オレたち二人を照らす。
この先の道行きを、祝うように。
「明日は頑張ろうね、ヒア」
「ああ!」
差し出された手を躊躇なく握り、オレたちは夜景に背を向け歩き出した。
みんなが生きる“明日”を守るために。
Past.56 Fin.
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