Destiny×Memories

Past.58 ~希望の翼~


 開いた扉の先にあったのは、草原だった。
 爽やかな草花の匂い。穏やかで、静かな空間。心地の良い風が、木々を揺らしている。

「ここが……天界?」

 確かに天界……神々が住まう国、あるいは天国と言われても納得はする幻想的な風景だ。
 それに頷いたのは、ソレイユ先輩だった。

「そうだ。ここが【神】が君臨し、天使を兵とする世界……“天界エル・エクノリアムス”で……」

 一度言葉を区切った彼は、そのまますっと空間の奥を指差した。

「――そして、あの奥に見えるのが神々の城……“エクノリティア宮”」

 ソレイユ先輩の指と視線の先を追うと、確かに霞むほど遠くではあるが空に浮かぶ立派な城が見える。
 思わず感嘆の声を漏らしたオレの背後で、リブラとナヅキが疑問を口にした。

「エクノリアム……創世歴の頃使われた言語、古代トゥーリアン語で“天上の”、または“神なるもの”を意味する言葉ですね。
 でも……」

「あそこまでどうやって行くの?」

 じっと二人が見つめる先にあるかの城への道筋は、辺りを見回しても見つからない。そもそも宙に浮かんでいるのだ。
 何よりあそこまで辿り着く前に、夜先輩と朝先輩の“制限時間”はあっという間に超えてしまうだろう。

「転移魔法陣を築くか?」

「いや、連中に気づかれて妨害されるだろう」

 イビアさんの言葉に、ディアナが首を振る。
 オレはちらりとソレイユ先輩に視線を向けた。それに気づいた彼は、困ったように微笑む。

「正規の手順を踏めば、簡単に辿り着けるんだけどな。
 まあディアナの言うとおり妨害されるだろうから……ちょっと強引かつ邪道で行こうか」

「邪道……ッスか?」

 その言葉に首を傾げたオレに、彼は草原の先を指差した。

「あはは。とりあえず時間も惜しいし先に進もうか」

 詳しい話は歩きながら。そう言ったソレイユ先輩に困惑しながらも、オレたちは頷いたのだった。


 +++


「――遺跡?」

「そう。地下にある遺跡の奥に、転移陣があってな。
 まあ古いものだし辺鄙な場所にあるもんだから、基本的に誰も使わないんだよな」

 ソレイユ先輩の先導で、オレたちは森の中を歩いていた。
 その道中、先輩曰く「強引かつ邪道な方法」だと言う移動方法が、遺跡奥の転移陣であると教えてもらう。

「なんでそんなものが?」

「さあな。オレも遺跡の存在は知ってるけど、転移陣の件は人伝に聞いた話だし、動くかどうかもわからないけど……試す価値はあるだろ?」

 マユカさんの問いに、ソレイユ先輩はあっけらかんと笑ってみせた。
 まあ……他に方法はないわけだし、仕方ない。
 みんなも同じ意見なようで、それぞれ呆れたような、諦めたような顔で頷いた。

「――……あれが、その遺跡?」

 しばらく歩いたあと、ソカルが指差したのは石造りの建造物だった。
 元は綺麗な円柱だったのだろう、ところどころ朽ち果てたように欠けた柱と、散らばった瓦礫がなんとも物悲しげだ。

「お、そうそう。入ってすぐに階段があるから、落ちないよう気をつけろよ」

 そんな忠告を受けながら遺跡の中へと足を踏み入れると、ひんやりとした冷気が身を襲った。

「……この遺跡、入って大丈夫なの?」

 石造りの階段を降りて寒そうに身を縮めるナヅキが、ソレイユ先輩に問う。
 けれど、それに答えたのはソカルだった。

「……大丈夫、だとは思うよ。この冷気は【冥界神】ハデスのものなんだけど……彼は【十神】じゃないし、そもそも……不在みたい……?」

  突然出てきた新たな【神】の名に、オレは眉を顰めてしまう。

「【冥界神】?」

「【冥界神】というのは、言うなれば“死者の国の管理者”ですね。
 ローズラインでは良きものも悪しきものも、亡くなると【冥界神】が管理する“死者の国”へと招待される……と言われています。
 ……ですが、不在とは……?」

 すかさず説明してくれたリブラだが、ソカルの言葉に首を傾げた。
 彼はそれに頷いて、辺りをぐるりと見回す。

「この遺跡内には気配がないからね。多分、ここより更に地下にある冥界に引きこもってるんじゃない?
 そもそもが引きこもりがちな奴だしね」

「【冥界神】……“死者の国の管理者”とか言うなら、やっぱりアンタの仲間なの?」

 随分と親しげにその【冥界神】とやらを語るソカルに、ナヅキがそう問いかけた。
 だが、当の本人は「まさか」と頭を振る。

「一応同じ【魔王】の系統の神だから、顔見知りではあるけど。
 あっちが“死者の国の管理者”なら、僕は“死という概念そのもの”だからね。……でもまあ、お互い仲間意識なんてないし、むしろ同族嫌悪っていうか……」

 苦々しい顔で語るソカルに、オレたちは顔を見合わせて苦笑いを零す。
 そもそも、彼はあまり他の神々との交流がないらしい。
 唯一、彼の話を聞いたリブラが思案げに指を口元に当てていた。

「……“死という概念そのもの”? ということは、つまりソカルさんの本当のお名前は……」

「僕はソカルだよ。“ソカル・ジェフティ”。それ以外の何者でもない」

 けれど彼女の声を遮って、ソカルはそう断言する。
 強い【死神】の言葉に、リブラは一瞬目を見開いて……それからふわりと笑んだ。

「……はい。そうですね」

 二人の間で解決したらしい問題に、オレたちは顔を見合わせて首を傾げる。

「ま、話を戻すとその【冥界神】とやらが不在なら、今のうちに進ませてもらおうぜ!」

 だが、不意にそう言ってオレの肩を押したのは、イビアさんだった。
 彼のそんな前向きさには、いつもハッとさせられる。

「……そっスね。よし、行こう!」

 そう意気込んで止まっていた足を再度動かそうとしたオレだったが、眼前の光景に困惑してしまった。

「ていうか暗っ!」

「まあ地下だしねえ」

 灯り一つない神殿内部に思わず声を上げてしまったオレに、ルーがくすくすと笑う。
 それから彼は手を一振りした。途端に逃げるように去りゆく暗闇。
 照明器具を使うことなく先の通路が見えるほど明るくなった地下内は、先ほどまでの冷気も消え去りどことなく温かい。
 おお、と感嘆の声を漏らしたオレたちに、【太陽神】は事もなさげに微笑んだ。

「まあ、光の神だしこれくらいはね」

 そうして歩き出した彼の長い赤髪を、オレは慌てて追いかけたのだった。


 +++

 光に釣られて現れたのか、襲ってくる魔物たち……ソレイユ先輩曰く【神】に仕える獣、すなわち“聖獣”らしい……を倒しながら、オレたちは歩く。
 地下遺跡は思いの外複雑な構造をしているようで、双子の【世界樹ユグドラシル】やソレイユ先輩の探知能力を活用させてもらって何とか迷うことなく進めていた。

「――“焔よ,踊れ! 『テア』”!!」

 短く詠唱して、オレは目の前の聖獣……ユニコーンへと火を放つ。
 悲鳴を上げるその生命に、胸が痛む。

(そもそも、聖獣って倒して大丈夫なのかなあ……)

 ふと、最初に聖獣と戦闘したとき、リブラが真っ青な顔になっていたことを思い出した。
 けれど、相手が出会うや否や襲いかかってきたわけで、とオレは心の中で言い訳をしてみる。
 そんな雑念を頭を振り払って霧散させ、仲間たちに視線を向けた。
 それぞれ獣たちがいなくなったことで警戒を解き、怪我の有無を確認している。

「ヒア、大丈夫?」

「ああ、怪我とかも特にないよ」

 自身の側に駆け寄ってきたソカルにそう答えて、オレは通路の先を見やった。
 この遺跡に入ってから、すでに三十分以上経っているはずだ。それでも一向に見えない転移陣とやらに、焦燥感が募る。
 ……だが、オレの焦りに気付いたらしいソレイユ先輩が、肩をぽん、と叩いてきた。

「ヒーア、リラックスリラックス! 心配しなくても、転移陣までもうすぐだって」

「……ほんとッスか?」

 一瞬オレを落ち着かせるために適当なことを言っているのかと思ったが、彼は案内人でもあるのだ、と思い直す。
 ソレイユ先輩は、真剣な顔で仲間たちを見た。

「……この先に、転移陣がある。……けど……」

「……天使が待ち受けてる、か」

 言い淀んだ【堕天使】の後を継いで、ディアナが言い放った言葉に、オレたちは一瞬ざわついてしまう。
 けれど。

「……これだけ聖獣を倒してるんだ。気づかれない方がおかしいだろうね」

「むしろ望むところだわ」

 ソカルが何でもないことのようにそう言い、ナヅキが好戦的にニヤリと笑った。
 二人の言うとおり、これだけ騒いでいたら普通は気付くだろう。
 大丈夫です、とソレイユ先輩に笑ってみせると、彼もわかったとばかりに頷いてくれた。

「この先の角を曲がれば、転移陣だ。……行くぞ!」

 先輩の号令に、オレたちは一斉に走り出す。
 そうして通路の角を曲がった、その先には……――

「【智天使】ヘルヴィ……!」

「……と、【熾天使】セラフィか」

 奥にある、石造りの鳥かごのような装置……恐らくあれが転移陣なのだろう……を塞ぐように立つ、二体の天使。
 片方は見慣れてしまった【智天使】ヘルヴィだが、もう一体は見たことのない天使だった。
 だがソレイユ先輩の発言で、中間地点で聞いた後衛組の話を思い出し……理解する。

「【熾天使】セラフィ……。【全能神】の配下の上位天使……!」

「ほう、私を知っているとは。……いや、そこの汚らわしい【堕天使】にでも聞いたか?」

 スッと、セラフィの冷めた瞳がオレたちを射貫く。
 クリーム色の長髪に、切れ長のセピア色の眼。隠すことのない殺気に、オレたちは武器を構えた。

「そこを通してもらうぞ、【熾天使】!」

 そう叫んで、オレは彼らへと駆け出す。それを合図に、仲間たちもそれぞれ行動を開始した。

「――“深淵よ,その業を以て彼の者を貫け! 『アビスドゥーイヒ』”!!」

「――“我が刃となりし烈風,あらゆる事象を切り裂け! 『アネモス』”!!」

 ソカルとフィリの魔法が、二体の天使を襲う。
 闇と風の魔法を躱した天使のうち、セラフィへとオレは剣を振り下ろした。

「はあっ! ……っ!?」

「無駄だ」

 しかしあと少しで彼に届くかという瞬間、セラフィが無造作に腕を振るった。
 なんてことのない、ただそれだけの動作。だが――

「ぐっ……!!」

「ヒア!!」

 どしゃ、と大きな音を立てて、オレはソカルの側へと弾き飛ばされてしまった。
 相棒の悲鳴を耳に入れながら、痛みを堪えて立ち上がる。
 セラフィにはマユカさんと夜先輩、ディアナが、ヘルヴィにはナヅキと黒翼、そしてカイゼルさん、朝先輩がそれぞれ攻撃をしていた。
 駆け寄ってきたリブラに治癒魔法をかけてもらい、オレは二体の天使を睨んだ。

(腕をたった一振りしただけで、人を吹き飛ばすとか……そんなの有りか?)

 弱気な思いが心を掠めるが、慌てて首を振る。それから、深呼吸をひとつ。
 足元に魔法陣を描き、【熾天使】セラフィを見据えた。

「――“其は生まれ出づる紅星,燃え盛るは刹那の煌めき! 『イスタンテ・ノヴァ』”!!」

 燃え盛る炎属性の魔法が、セラフィへと迸る。
 けれど、彼はやはり腕を一振りしただけで、オレの攻撃を消し去ってしまった。

(無効化……? いや、でも、それとは違うような)

「夜、ヒア」

 ふと、後方で銃撃によるフォローを行っていたソレイユ先輩が、オレの隣へと着地した夜先輩とオレに声をかけてきた。
 思考の渦から脱したオレは、目線で先輩に続きを促す。

「ここはオレたちが引き受ける。これ以上、上位天使に時間を割くのは得策じゃない」

「っでも、そんなの……!」

 そうして齎された提案に、反射的に否定しかけるオレ。
 だが、夜先輩は変わらず凪いだ瞳でソレイユ先輩を見やった。

「だいじょうぶなの?」

「……ああ。約束する」

 天使たちを真っ直ぐ見据えて頷いた【堕天使】に、夜先輩も「わかった」と首肯する。
 ソレイユ先輩と深雪先輩、そして黒翼とイビアさんがこの場に残り、オレたちは隙を突いて転移陣へと突入するのだと、先輩たちは短くやりとりをした。

「……信じてるからね」

「こっちこそ。【全能神】をぶっ叩いて来てくれよな。……オレの分までさ」

 【歌神候補】のこともあり、一番【全能神】を倒したいのはソレイユ先輩なのだろう。
 けれども短い金髪を揺らして笑ってみせたソレイユ先輩に、オレも夜先輩のように彼を信じよう、と前を見る。

「よし、突破口を開くぞ!
 ――“幽玄なる天の光よ,蒼穹を疾れ!! 『スカイレイ』”!!」

 ソレイユ先輩がセラフィへと光属性の魔法弾を放った。
 それも弾かれてしまう、というオレの予想に反して、銃弾はセラフィの腕を掠める。

「っ!!」

「当たった!?」

 忌々しげに先輩を見やるセラフィに、オレは思わず声を上げた。

「【熾天使】セラフィ。【全能神】配下の上位天使。
 ヒト種の攻撃害意は無効にするが、【神】……そして同種、即ち“天使族”の攻撃は受けるのが、お前の弱点だ」

 言いながら、先輩はどんどん銃を撃ちセラフィを追い詰めていく。

「っ【堕天使】……!!
 堕ちた身でありながら、“天使族われら”と同等であろうとするか!! 何たる不遜、何たる侮辱、何たる傲慢!!」

「うるさいな。オレはもう“天から堕ちた天使”じゃない。
 ……深雪を、【太陽神ルー】を、【世界樹夜と朝】を、みんなを護る“ローズラインの天使”だ!!」

 吠えるように叫ぶセラフィに、ソレイユ先輩は言い返す。
 そのまま彼は銃を天に掲げ、詠唱した。

「――“光溢るるは常世の理! 汝,ソラと地を繋ぎし者! 現し世を照らし出す光の精!”」

「っさせるか!!
 ――“天満ちし威光よ,彼の者を貫け! 『グリューエルア』”!!」

 ソレイユ先輩が放った、独特な詠唱。フィリのもので聞き覚えのあるオレは、それが“精霊魔法ビブリオ・マギアス”であることに気付く。
 現に、近くにいたフィリ本人も驚いた表情を浮かべていた。
 だが、先輩の詠唱を妨害しようとセラフィもまた呪文を放つ。

「ソレイユっ! ――“『ダークエンド』”!!」

 咄嗟に二人の間に割って入った夜先輩が魔法無効化魔法を展開し、それによってセラフィの光の槍は掻き消えた。
 その隙に、精霊魔法を完成させたソレイユ先輩が最後の一文を唱え、叫ぶ。

「サンキュ、夜! 行くぜ!
 “――『ビブリオ・マギアス=ヘイムダル』”!!」

 彼が銃を放つと、銃口に展開した魔法陣から光を纏った金色の男が現れ……【熾天使】と【智天使】を巨大なかいなで拘束した。

「今だ、行け――!!」

 先輩の号令に、頷いた深雪先輩と黒翼、イビアさんに、オレたちは一斉に走り出す。

「くっ……“双騎士ナイト”め……ッ!!」

 身動きの取れない二体の上位天使の側を通り抜け、オレたちはついに転移陣へと辿り着いた。
 全員が石造りの装置の中に入ったことを確認し、ソカルが手早くそれを起動させた。

「転移装置、起動! 認識コード――“Θάνατος”!!」

 彼が中央に設置された台座に手を翳しそう詠唱すると、みるみるうちに光が溢れていく。

「……っ先輩! 信じてますから……!!」

 ああ、祈るようなオレの声は、彼らに届いたのだろうか……――

 +++

 ――光が収束したあと。ソレイユは、糸が切れたようにがくんと膝をついた。

「っソレイユ!」

 慌てて深雪が駆け寄り、彼を守るように立ち塞がる。

「大丈夫ですか? 全く、精霊魔法なんて無茶をして……!」

「はは、さすがに魔力を結構食うな、アレ。……フィリのやつ、すげえな」

 背中越しに声をかけてきた深雪に、ソレイユは疲れた顔でへにゃりと笑った。
 ため息を吐いた深雪は、手の中の短剣をくるりと回し、光の精が消えたことによりその束縛から逃れた上位天使たちを睨みつける。

「おのれ……【堕天使】、そして“双騎士”め……!」

 キッと深雪たちを睨み返すセラフィとヘルヴィ。
 黒翼とイビアもそれぞれ武器を構え直し、深雪たちの側へ寄った。

「たった四人で何ができると?」

「何でも出来るさ。……“双騎士”だからな」

 ヘルヴィの言葉に、イビアが不敵に笑う。
 それを機に、黒翼がヘルヴィに向かって走り出した。

「――“『炎舞連斬』”!!」

「っ――“光よ集え! 『ルクス』”!!」

 飛び上がり放たれた炎の連撃を、ヘルヴィは短く詠唱することで相殺する。
 着地した黒翼の背後から、イビアが魔力を宿した呪符を放った。

「――“『グレウル』”!!」

「甘い!」

 咄嗟にセラフィがヘルヴィの前に躍り出て、その札を無効にする。だが、すぐさま飛んできた弾丸が、彼の頬を掠めた。

「おっと、お前の相手はオレたちだぜ」

「ソレイユ・ソルア……!」

 チッと舌打ちをし、セラフィは手を上へ掲げる。
 集束する魔力。彼は高らかに呪文を唱えた。

「ならば、もろとも吹き飛ばすまで!
 ――“黎明の閃光,大いなる威光,粛清を齎せ! 『オーバーレイン』”!!」

「――“『桜花守護陣』”!!」

 降り注ぐ天の矢に、黒翼が防御結界を張る。
 ――けれど。

「結界など!
 ――“天満るは極光なり! 融解せよ,『フォンドゥアウルラ』”!!」

 ヘルヴィが素早く詠唱し、その言霊通りに出現した極光オーロラが、黒翼の結界を溶かしていった。

「っ……!」

「黒翼ッ!
 ――“彼の者を切り裂く光よ,宿れ! 『ライジングシュニット』”!!」

 そのまま黒翼へと魔力を込めた矢を放つヘルヴィに、イビアが光の呪符を投げそれを防ぐ。
 だが、ソレイユたちの攻撃を躱しながら、セラフィが彼らに魔法を撃った。

「――“光纏いし時雨よ,彼の者たちへと降り注げ! 『レグルクシア』”!!」

 四人全員を対象にした光の雨が、降り籠める。
 深雪たちはそれぞれの得物を手に弾き返していくが、そうしてセラフィの魔法に気を取られている隙に……ヘルヴィの詠唱が、完了した。

「――“清浄なる光よ,我らを導く祈りの光矢よ! 悪しき生命を浄化し,救いを齎さん!
 ヘルヴィ・エタンセルの名の下に! 『サジッタラティオ』”!!」

「――ッ!!」

 それは最上級魔法。詠唱と共に膨らんだ魔力が弾けるように解き放たれ、無数の光矢が“双騎士”たちを貫いていく。

「……威勢の割には他愛ないな、“双騎士”」

「ぐッ……!!」

 血を流し倒れ伏す彼らに、セラフィが近付く。
 【熾天使】は冷たい眼差しで、ソレイユの頭を踏みつけた。

「汚らわしい、穢らわしい【堕天使】。
 私の唯一の汚点だ、貴様は」

「……っはは。そこまで憎むほど記憶に残れて光栄だよ、【熾天使】サマ」

 踏みつけられてもなお反抗的に笑ってみせるソレイユに、セラフィは不快そうに眉を顰める。

「ソレイユ・ソルア。次代の【熾天使】として選ばれながら、【全能神】や私に反旗を翻した“同胞殺し”め……!
 この私に泥を塗ったこと、地の底で後悔するといい!!」

「ぐあ……っ!!」

「ソレイユ!!」

 叫ぶや否やセラフィが蹴り飛ばしたソレイユに、深雪は悲鳴を上げた。
 そうして彼の元へ駆け寄り、両手を広げて相棒を庇う。

「退け。退かぬなら、貴様から殺してやる」

「……退きません。それに……それに、ソレイユは穢らわしくなんてないです!!」

 きつく【熾天使】を睨む紅い瞳。
 その濁りのない眼差しに、セラフィの怒りは一層増した。

「ならば死ね!
 ――“光輝よ,生命を斬り裂け! 『グランツナイデン』”!!」

「――っ!!」

「深雪!!」

 至近距離で魔力で編まれた光の剣を受け倒れた深雪の名を、仲間たちが呼ぶ。
 白く長かった髪は煤け、肩ほどまで刻まれて――けれど。

「人間風情が。【堕天使】を庇うなど、酔狂な……」

「そうやっていつまでも見下しているから、“人間風情”に足元を掬われるんですよ」

 吐き捨てたセラフィに返された、冷ややかな声。
 息を呑んだソレイユたちに目もくれず、深雪はすっと【熾天使】を見上げた。
 ……その手に、ソレイユの銃を握りしめて。

「その銃で、私を撃つ気か? 起き上がる気力があるのは褒めてやるが……だが、私は人間には倒せない」

「深雪、逃げろ!!」

 セラフィの足元に浮かんだ魔法陣に、ソレイユが叫ぶ。
 だが、深雪は静かに首を振った。

「いいえ。私は逃げも隠れもしません。
 ……ねえ、【熾天使】さん。私が本当に“ただの人間”だと……思っています?」

 銃を構え、【熾天使】を見据える歌唄い――否。

「戯言を!
 ――“貫け,光波よ! 『シーセリト』”!!」

「残念。見抜けなかった間抜けな自分を呪ってね。
 ――“朝焼けに願いを,夜空に祈りを! 我は理を唄う者! 紡ぐは雪華の旋律なり!”」

 深雪の足元と、銃口に展開される魔法陣。
 青く輝くそれに、仲間たちが目を見開いた。
 ……次いで告げられた、その“真名”と共に。

「……――“【歌神】スノウ・ミュジカの名の下に……世界に響け!! 『シンフォニック・ネージュ』”!!」

 セラフィの魔法を跳ね返したのは、深雪の……【歌神】の最上級魔法だった。
 相棒の武器ソレイユの銃を媒体にして発動されたそれは、音属性の弾丸となってセラフィを貫いた。

「ぐ、あ……ッ!!
 なっ……馬鹿な……【歌神】、だと……?」

「うふふ。案外誰も気づかないものですね。
 私は【歌神】スノウ・ミュジカ。……まあ、慣れないので“深雪”でいいですけど」

 驚く仲間を含めた全員に、深雪はにこりと笑ってみせる。
 そしてきらきらと光を放ちながら消え行く、倒れ伏した【熾天使】に近付いて……その銃口を、今一度彼へ向けた。

「セラフィ!」

「行かせるか!」

 同胞の危機に、ヘルヴィが声を荒らげ近づこうとする。
 だが、黒翼が刀を振るいその行動を妨害した。

「【熾天使】セラフィ。ソレイユはね、私にとっての光なんです。
 全て壊して血塗れで一人彷徨っていた私を見つけて救ってくれた、希望なんです」

 流れる血もそのままに語る深雪に、誰も口を挟めない。
 ねえ、と、深雪は続けた。

「セラフィ、貴方は彼の何を知っているの?
 汚くなんてない、穢らわしくなんてない。翼なんか無くったって……ソレイユは、ちゃんと空を飛べるよ。
 ずっとずっと……あの子を、【歌神候補】を救えなかったと悔やんでいたけど……私はソレイユに、救われたんだよ……!
 貴方や他の誰もが彼を赦さなくても、私は……私だけは、ソレイユを赦してるんだ……!!」

 肩を震わせて告げた深雪の言葉本音に、ソレイユはヒュッと息を呑む。

(……ああ、そうか、オレは……――)

「だから、だから私は貴方を、【熾天使】セラフィを赦さない……っ!」

「深雪」

 立ち上がり、そっと背後から深雪を抱き締めるソレイユ。
 首だけで振り返った深雪は、珍しくボロボロと大きな涙を流していた。

「……ありがとう、深雪。……オレの罪を、過去を……赦してくれて。
 ありがとう……ずっと、信じてくれて。傍に、いてくれて……」

 それから、と、ソレイユはセラフィへと視線を向ける。

「【熾天使】……いや、天使長。世話になったアンタに迷惑かけたとは……流石に思ってるけど。
 オレは自分の行いを、後悔してない。あの子の……【歌神候補】の無念を晴らしたかったオレの想いエゴは、深雪によって赦されたから」

 どこまでも穏やかに笑んで語ったソレイユに、【熾天使】は呆れたように深く息を吐いた。

「愚か者、が……。……いや。そんなにも真っ直ぐだからこそ……私はお前を……次代の【熾天使】に……天界の要に……――」

 瞳を閉じ、静かに囁くセラフィ。
 その言葉を最期に遺し消えていった彼に、ヘルヴィがその名を叫んだ。

「っセラフィ!!」

「おっと。次はお前だ、【智天使】!」

 だが、黒翼に動きを止められていた彼に、イビアがそう告げる。
 ヘルヴィは忌々しそうに二人へ舌打ちをした。

「けれど、最上級魔法を放った直後ならともかく……今の満身創痍な貴様らが、私を倒せるとでも?」

「倒せるさ。深雪があんなに頑張ってくれたんだ。
 後はオレたちに任せろってな」

 膨大な魔力を消費する最上級魔法を使用した直後は、天使や【神】であっても戦闘を続行するのは難しい。
 しかし時間を置けば問題はなく、優れた魔術師であれば立ち直りも早いという。
 【智天使】ヘルヴィが蔑んだ眼差しでイビアを見やるが、彼は不敵に微笑んでみせた。

「――だよな、黒翼!」

「ああ。
 ――“常夜照らす陽光よ,桜花乱れし神風よ! 我が声に応えよ!
 【Wing】の名の下に!!”」

 相棒の言葉に頷いたのは、彼がヘルヴィと対話している間に詠唱を済ませていた黒翼だった。
 真名を用いる魔力の奔流に、吹き荒れる火風に、ヘルヴィは二人と距離を取る。

「くっ……最上級魔法! しかし、その程度で私を倒せると……!」

「――“極夜照らす暁光よ,目醒し光芒よ! 我が祈りに応えよ!
 イビア・レイル・フィレーネの名の下に!!”」

 だが、畳み掛けるようなイビアの詠唱に……そして、その魔力の流れる先に気づいたヘルヴィは目を見開いた。

「……っまさか!」

「そのまさかだ!」

「――ソレイユ! 受け取れ――!!」

 風火が、閃光が、詠唱中のソレイユの銃へと集まっていく。
 彼は閉じていた瞳を開き、最後の一文を唱えた。

「任せろ!
 ――“我が神に捧ぐは希望の弾! 星海を飛翔せよ,祈りの翼! ソレイユ・ソルアの名の下に!!”」

 三人分の最上級魔法を乗せた銃口が、ヘルヴィへと向けられる。
 周りの壁や天井を巻き込みながら膨張するそれに、ヘルヴィは叫んだ。

「翼……っ!? だが、そんなもの……ッ!!
 それにこの場が崩壊すれば、貴様らも……!!」

 膨大な魔力を集めたソレイユの背に現れたのは――純白の翼。天界を追放された時に剥奪された、彼が“天使”である故の、証。

(……翼なんかなくても飛べるって、深雪は言ってくれたけど。
 それでも、深雪やみんなを、未来へと運びたいから……――)

「――きれい」

 ふわりと笑んだ深雪の言葉を受け、ソレイユは笑い返して……宣言した。

「承知の上だ!! お前諸共、この遺跡の転移陣を破壊する!!
 ――“『エスペランシア・プリエール』”!!」」

 他の天使や神々が、遺跡の転移陣を使用してヒアたちを追わないように。その為なら、自分たちなど――
 覚悟と共に放たれた弾丸は、彼の言葉通り【智天使】ヘルヴィを貫き……そして、その背後にあった転移陣を破壊した。

「ぐ、ああああ――ッ!!」

 断末魔をあげて消え去るヘルヴィに、ソレイユたちは顔を見合わせて集まる。
 そうして天井が落下し、ヘルヴィの姿が見えなくなった途端、彼らは各々座り込んでしまった。

「……あーあ。流石に疲れたなー」

「……全くだ。あんな土壇場ぎりぎりの作戦、もう二度とやらないからな、ソレイユ」

 のんびりと笑うイビアと、ソレイユを睨む黒翼。
 崩壊する場に似合わない雰囲気いつもどおりの彼らに、ソレイユも笑う。

「あはは、ごめんごめん。……でも、合わせてくれて助かったよ。
 ……あー、だめだ。流石に魔力も空っぽだな」

「……精霊魔法に最上級魔法。それだけ使えばそうなりますよ。
 ……まあ私も人のことは言えませんけど」

 正直、眠たいです。そう言って相棒にもたれかかる深雪に、彼らはわあ、と慌て出した。

「いやいや深雪、寝るのはまずいってー!」

「というかお前、何故この期に及んで隠し事などしていたんだ。
 夜や朝のことを“秘密主義者”だとか言っておいて、【歌神】とは何だ【歌神】とは」

「聞こえませーん。わかりませーん。敵を騙すには何とやらってやつですー」

 賑やかに騒ぎ出した深雪たちに、ソレイユは苦笑いと共にため息を零す。

(ま、オレたちはやることやったし。後は任せたぜ、ヒア、夜……――)

 ガラガラと崩れる遺跡の中、彼は先へと進んだ仲間たちへ想いを馳せたのだった――



 Past.58 Fin.
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