I'll -アイル-

Act.10 星夜の憂い


「みっくん、ここにいたのね」

 中庭で佇んでいたミカエルの背中に、少女の声が掛けられる。
 それにくるりと振り向けば、そこには藤色の髪をツインテールにした少女・ラズカと、茶髪のショートヘアの少女・ヒメキがいた。
 彼女たちは、紫紺の髪を持つエルフ・ヒュライ率いる“I'll”四番隊のメンバーだ。
 そんな彼女たちが何の用だろう? とミカエルは首を傾げる。

「あ、ごめんね急に。キリクから、カルマが目を覚ましたって聞いて……」

「あんまり大勢で押しかけるのも悪いしってことで、僕たちミカのこと探してたんだ」

 そう言ったラズカとヒメキに「そうなんですね」と相づちを打ち、二人の少女に自分を探していた理由を尋ねたミカエル。
 すると、ヒメキがその答えを教えてくれた。

「たいしたことじゃないんだけどさ。……ミカ、落ち込んでないかなって」

「落ち込む……?」

「大丈夫ならいいの。
 ……ほら、カルマ、みっくんを庇って怪我したでしょう?
 それで……その、キリクが気にかけてやってほしい、って言うものだから……」

 ヒメキの言葉を不思議そうな顔で受け止めた天使に、ラズカが言いづらそうに補足する。
 それになるほど、と頷いて、ミカエルはふわりと微笑んだ。

「僕は大丈夫……というと嘘になりますけど……。
 でも、平気です。……自分がやるべきこと、できることをやろうと……思うから」

 その綺麗な微笑の中に、痛みが見える。ラズカとヒメキは思わず眉をひそめた。

「……みっくん、無理はしないで。
 ただでさえ貴方は……実のお兄さんと戦うことになってしまって……」

「ラズカさん」

 気遣わしげに言葉を紡ぐラズカを、彼女の名を呼ぶことで遮るミカエル。
 そうして今度はにっこりと笑って、天使は告げた。

「ありがとうございます」

 その穏やかな笑顔に、ラズカとヒメキはそれ以上何も言うことができず。二人は心配そうな表情で、視線を交わす。
 ……けれど、そんな三人にふと男の声が降りかかった。

「おーい、そろそろメシだってさ」

「ラトリ」

 それは三番隊に属する金髪の少年、ラトリだった。隣にはキリクもいる。
 ラトリはミカエルを視界に入れると、おもむろに彼に近づきその頭をわしゃわしゃとかき混ぜるように撫でた。

「わ、わ!?」

「よかったな、ミカ。カルマが目を覚まして」

 キリクからミカがめちゃくちゃ心配してたって聞いてたからさ。そう言ってあっけらかんと笑うラトリに、ミカエルもこくりと頷く。

「今日は一日おとなしくしてるようミライさんに言われてたけど、まあ明日には動けるだろ」

 ラトリの言葉にミカエルはホッとした表情を浮かべた。
 すると、ラズカがはあ、と深いため息を吐く。

「……ラズカ?」

「……なんでみんな、そんなに無茶ばっかりするのかしら」

 首を傾げたキリクに、ラズカはぽつりと呟いた。
 その静かな声は、しかし狭い中庭にいた全員の耳に届く。
 ミカエルたちも視線を彼女へと向け、じっと続きを促した。

「……だってそうじゃない。……無茶をして死んでしまったら……意味ないじゃない……」

 そんなの、誰も救われないわ。
 俯く少女に、誰も声をかけられなかった。
 沈黙がその場を支配する。……けれど、男性の声がそれを破った。

「……そうだろうか」

「……キリクさん……?」

 それはキリクの声だった。凪いだような青い瞳は、どこか遠くを見つめている。
 しかし、不安げに自身を見つめているミカエルたちに気がついたのか、彼はすぐさま「なんでもない」と首を横に振ったのだった。

「……キリク、私……。……私は、貴方にもみんなにも、死んでほしくない……ここに、いてほしいの……」

 お願い、と俯く彼女の頭を優しく撫でるキリクは、無言のままで。
 その異様な雰囲気に、ミカエルは心配そうな瞳で彼らを見守ることしかできなくて。
 近くにいるヒメキやラトリに視線を巡らせるが、二人とも複雑そうに目を伏せるだけだった。

 +++

 夕飯のあと、ミカエルはアジトの中をうろうろと歩いていた。先ほどのキリクとラズカの様子が気になったからだ。
 しかし、見つけたのはヒメキとヒサメ、ゼノンだった。
 普段から仲がいいという女の子三人に捕まるように、ミカエルは気づけば彼女たちの会話の輪に入れられていた。

「みっくんってば、誰か探してたの?」

 ヒサメの問いに、ミカエルは「ええと」と困ったように眉を下げる。

「……先ほどの……キリクさんとラズカさんの様子が気になって……」

 その言葉に、ヒメキがああ、と手を合わせて頷いた。

「キリクが何を考えているかは……僕らは知らないけどさ。
 ラズカは少なくとも、みんなに……特にキリクに死んでほしくないってだけなんだよ」

「ラズカちゃん、キリクくんのこと好きだもんねえ」

 ヒメキの後を継ぐように、ゼノンが笑顔でそう語る。
 そうなんですか、と目を丸くするミカエルに、女子三人は楽しそうに頷いた。
 特定の誰かに特別な好意を抱く心理は、ミカエルにはわからない。
 けれど……他者を大切に思う気持ちは痛いほどにわかるのだ。

(ラズカさんの願い通り……キリクさんも、みんなも、誰一人として死ななければいいのに)

 談笑するヒメキとヒサメ、ゼノンを見ながら祈るミカエルを、夜風が撫でる。
 けれど、見上げた夜空から降り注ぐ星明かりに、天使はなぜか切なさを覚えたのだった。

 +++

 階下にある中庭を一望できる大きめの窓。その枠に腰掛けて、カルマは空を見つめていた。
 先ほどまで中庭でミカエルたちが談笑をしていたからか、静寂が耳に痛い。
 瞬く星々は死んだ者の命なのだと、遠い昔に母が語っていたのを思い出す。

 ――……不意に、ドアが開く音が聞こえた。
 そちらへと視線を移すと、不機嫌そうに眉を寄せた同室の親友……ジョーカーが、食器を乗せた盆を手に立っていた。

「ちょっと、カルマ! ちゃんと寝てないと駄目じゃない!」

「……もう平気だ。ミライ姉さんたちが過保護なだけだし……」

 はあ、とため息をひとつ零したカルマに、ジョーカーは大股で近づいてくる。
 盆をベッドサイドのテーブルに置き、そのまま窓枠に座っていた彼の手を引いて、ジョーカーはカルマをベッドに座らせた。

「過保護って言うけどねえ。君、ほんっと目を覚まさないし、みっくん泣きそうだし……そりゃ心配するでしょ」

「……ミカには申し訳ないことをした」

 俯くカルマの隣に腰を下ろし、金髪を揺らしながら顔を覗き込むジョーカー。
 その蘇芳色の瞳は、驚愕に染まっていた。

「……なんだ」

「んーん。いやあ、君って案外みっくんのこと大事にしてるんだなあって思っただけ!」

 怪訝そうに首を傾けたカルマに、ジョーカーはにっこりと微笑む。

(……きっと、僕がいなくても……――)

「あのな」

 暗い思考の波に飲まれかけたジョーカーを、カルマの声がすくい上げた。
 視線を彼に合わせると、呆れたような虹彩異色オッドアイがジョーカーを真っ直ぐに貫く。

「……オレは、ミカ以外も大事にしている……つもりだ。
 桜散サチも、兄さんも、ミライ姉さんたちも……お前のこともだ、ジョーカー」

 蒼空を写したような、元々の青い瞳。夕焼けを切り取ったような、三年前に現れた紅い瞳。
 そのどちらもが、目を見開いてぽかんとしているジョーカーを映していた。

「……君さあ……そう言うなら、そののことちゃんと教えなよね……」

「……悪い」

 信じられない、と言いたげな声音で呟いた親友に、カルマは律儀に頭を下げる。
 それにふう、と息を吐き出して、ジョーカーは彼の頭を軽く叩いた。

「……そう謝るくせに、肝心のことは話さないんでしょ?」

 責めるような言葉に、ぐっと押し黙るカルマ。
 けれど、ジョーカーはふっと表情を緩めて今度はその叩いた頭を優しく撫でる。

「まあいいけど。……君の気持ちが知れてよかったよ。
 じゃ、僕はみんなのとこに戻るから。あ、そのご飯ちゃんと食べてね」

 盆の上の食器に入った粥を指差しながらそう言って、ジョーカーは立ち上がった。
 ……が、その紫暗を基調とした服の裾を突然掴まれ、よろけてしまう。
 彼はすぐさまその犯人……カルマを見やり、もう、と銀糸の頭髪を突っついた。

「急に引っ張ったら危ないじゃん。
 ……なに、どうしたの? 一人だと寂しい? 怖い夢でも見たの?」

「……っすまない。
 ……そう、だな。あまり……夢見は良くなかった。だから……その。もう少し、だけ……」

 ぱっと手を離して俯くカルマ。その言動から、無意識の行動だったのだとジョーカーは知る。
 親友のその困惑しながらも控えめな仕草に、ジョーカーは頬を緩めて寝具に座り直した。

(……案外寂しがりやなところは、三年前から変わってないんだよねえ)

「仕方ないなあ。じゃあご飯食べ終わるまで……いや、寝付くまで、そばにいるよ」

 そう朗らかに笑う彼に、カルマは再度ため息をつく。しかし、その表情は穏やかで。
 寂しがりやなくせに独りになりたがる自分と彼を繋ぎ止める、お互いの存在。
 お互いに“唯一無二”と決め、親友以上の想いを抱き、受け入れたふたり。

「病人扱いするな。というか、ここはお前の部屋でもあるだろ……」

「あはは、バレたかー」

 照れ隠しのように言葉を紡ぐ親友に、ジョーカーはへらへらと笑ってみせる。
 それに何度目かの嘆息をもらし、カルマは先ほどまで座っていた窓を見やった。
 輝く星々と、不気味なまでに静かな夜。

(ジョーカーも、みんなもいる。なのにどうしてこんなにも……胸騒ぎがするのだろう……?)

 色違いの瞳を不安げに揺らし、ぎゅっと膝の上で手を握りしめる。
 その様子に気づいたジョーカーは、カルマの不健康な色合いをした手を自身の手で広げた。

「なんて顔してんの。……大丈夫だよ、君はひとりじゃない。
 僕もみんなも、君のそばにいるよ。……ずっとね」

 柔らかな陽射しのような微笑みで、ジョーカーがカルマに告げる。
 それに安堵したように、カルマは口元を動かして薄く笑んだ。


 ……けれど、その胸に刺さった不穏な予感が消えることはなく……――


 Act.10:終。