……深い海の中で、その人に出逢った。
――きみを、死なせはしないよ――
「……だ、れ……?」
その人は蒼い髪を水中で遊ばせ、ふわりと笑った。
――きっときみは、目が覚めたら忘れてしまうけれど。……オレは、遠い未来の存在――
そう言われると確かに、《彼》によく似ている。哀しみと優しさを宿したその声は、聴いていて酷く安心する。
――今ここに存在すること自体がイレギュラーなんだ。だから、この時代のきみと話すのもこれが最初で最後――
随分と大人びた笑みを浮かべたその人に、俺は首を傾げた。
「どうして……」
――きみがイビアを助けたかったように、オレもきみを助けたかった、それだけだよ――
まあ、きみの治癒力ならオレの助けはいらなかったかも、とその人が独り言ちたのを聞きながら、意識が遠退いていく。
――おやすみ、黒翼。……過去を、よろしくね――
深海の色を湛えた瞳。俺は夢の中で、眠りについた。
(その夢の意味を知るのは、思い出したのは、ずっと後になってからだった)
+++
負傷した黒翼を連れて、ラン率いる“黒き救世主”との戦いから離脱した僕たちは、先ほどの戦場から少し離れた森の中で手当てをしていた。
「姫……」
「大丈夫……回復魔法もかけたし、安静にしていたら良くなるわ」
心配そうなイビアに、リウが優しく笑いかける。
黒翼の傷は出血の割に深くはなかったようで、本人の治癒力の高さもあり、今も眠ってはいるけどすぐに良くなるらしい。
それを聞いたイビアは、安心したように息を吐いた。
「よかった……」
「……イビア、さっき……マリアを殺したって……」
そんな彼に、アレキが言いづらそうに問いかける。
そうだ、さっき彼は確かにランにそう叫んでいた。
「ああ……。あいつ……あいつが、ランがマリアを殺したんだ……」
俯いてぎゅっと、拳を握りしめるイビア。
「マリアは、あいつに殺されたんだ……思い出したんだ、あいつの顔……」
「イビア……」
泣きそうなイビアの声。僕たちはかける言葉もなく、彼の名前を呼ぶしかできなかった。
「……あの、バカ兄が……ッ」
「そ……んな……。あいつ……レンたちの故郷だけじゃなくて……マリアまで……!! マリア……なんで……ッ!!」
ぐっと歯を噛み締めてレンが唸るように呟き、マリアの兄であるアレキも辛そうに拳を握る。ひどく重たい空気が、僕たちを包み込んだ。
「……イビアさんとアレキさんは、敵討ちをしたいのですか?」
しばらくしてその空気を破ったのは、深雪だった。
「……え……?」
突然のことで困惑するイビアに、深雪は更に問いを重ねる。
「マリアさんを殺したのが、ランさんだと判明して……なら、そのマリアさんのためにランさんを殺したいのですか?」
首を傾げる歌唄いに、アレキが声を荒らげた。
「当たり前だ!! あいつのせいで……あいつのせいで、マリアは……妹はッ!!」
しかしイビアは黙ったまま俯いて、何かを考えているようだった。
「それはそれでいいんだけど……ちょっと、落ち着けよ」
ふう、とため息を吐いて、ソレイユがアレキを宥める。
「落ち着けって……!! 落ち着けるかよ! あいつが……!!」
「でしたら、黒翼さんはどうなるのです?」
激昂するアレキに対して、深雪が冷静に彼を見つめる。
「え……?」
「イビアさんを守ろうと、身を挺してまでイビアさんを助けた黒翼さんは……どうなるのです?」
深雪たちの視線が、横たわったまま目を覚まさない黒翼に移る。
「……イビア、アレキ。何で黒翼がイビアを庇ったか……わかる?」
それまで成り行きを黙って見ていたリウが、そっと二人に尋ねた。
「……それ、は……」
「契約条件」
思い当たることがあったのか、苦々しく顔を歪めたイビアに彼女が答えを示す。
「イビア、あなたと黒翼の契約条件は『お互いや他者を護る』こと。
……あなたに、死んで欲しくない……あなたを護りたい、そう思って黒翼は咄嗟に行動した……そうよね、ルー?」
リウはそう言って、隣にいた赤毛の子供に同意を求める。
「うん。リウおねえちゃんのいうとおりだよ」
【太陽神】は全てを慈しむように、ふわりと優しく微笑んだ。
「復讐なんてしたところで何もならない。……きっと、虚しさしか残らない。
イビアおにいちゃんたちはそれで気持ちが晴れるとしても、だれも救われない……きっと。
黒翼おにいちゃんは、イビアおにいちゃんにそんなことしてほしくない……ただ、生きて欲しいって思って庇ったんだよ」
「生きて……欲しい……」
他人の感情がわかるルーの言葉を受け、イビアは呆然と呟くとそのままそっと眠る黒翼の傍に座り込む。
「……これからもきっと黒翼は、イビアが敵討ちをしようとする度に阻止したり、庇ったりするよ。……その命をかけてでも」
凪いだ海のような静かな声で夜が諭すと、イビアが深く頷いた。
「……そう、だよな……。ごめん……姫……。オレ、何もわかってなかった……自分のことばっかり考えてた。
……オレは、ひとりじゃない……姫が、いてくれたのに……」
「イビア……」
その様子を見ていたアレキが、驚いたように彼の名を呼んだ。
「……アレキ。オレ……マリアのことを忘れるわけじゃ、ない。あいつのことも……許せない、けど……。
でも……復讐とか、恨むのとか……もう、やめようと思う」
真っ直ぐなエメラルドグリーンの瞳で、イビアはアレキを見つめる。それはきっと、ずっと考え続けてきた過去への結論。
「オレのこと庇ってこんな怪我をした友達がいるんだ。
もう……こいつを悲しませたくない。嫌な思い、させたくない。
……失いたく、ないんだ……守りたいんだ、今度こそ」
「イビア……。……そうか」
その静かだけどはっきりとした言葉を受けて、アレキは静かに瞳を閉じた。
「……お前がそうしたいなら、そうすればいい……」
「アレキ……!」
そう言った彼に、イビアが大きく目を見開く。
「他人のことまでごちゃごちゃ言えないしな……。確かにアイツは許せないし、殺したいほどに憎い。
けど……オレも、考え直した方がいいのかもな……」
そっと自嘲気味に笑うアレキ。それを見たイビアは、黙って微笑んだ。
――その時。
「……う……」
ふと、うめき声が聴こえた。
僕たちがその方向を見ると、黒翼が目を覚ましていた。
「姫!」
「黒翼!!」
イビアと僕たちが、彼の名を呼ぶ。
「姫……ごめん。オレのせいで……!!」
「イビア……俺は、大丈夫。怪我……無い……?」
優しく微笑む黒翼。イビアはその表情を見て、泣きそうな顔で笑った。
「オレも、大丈夫だ。ごめんな……ありがとう。
……姫……オレが守るから。今度は、絶対に。……だから」
途中で言葉を区切って、イビアは黒翼の手を取り、続けた。
「だから、こんな無茶……しないでくれ……。
黒翼」
過去を超えた先に見つけた、大切なたからものを教えるような声音。
その呼び名を聞いた黒翼は一瞬驚いた表情をして……そして次に、綺麗に笑って、頷いた。
木々の隙間からそんな彼らを見守っていた山吹色の髪の少女が、嬉しそうな……安心した笑顔で、空へと消えていく。
(イビア、どうか、しあわせに……)
お互いがお互いを想う優しい気持ちが、二人の過去を溶かしていった。
それは、どこまでも純粋な……――
――……未来はこれ以上、干渉出来ないよ――
「……うん、大丈夫。ありがとう」
揺らいだのは、誰か。
Chapter26.Fin.
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