Reversed Act.10


 ――どうして僕は存在してるんだろう?


『アンタなんて……――』

 君を罵る声がする。 ごめんなさい、と泣きじゃくる君の耳を塞ごうと手を伸ばした。
 ……けれど、僕の透けた手は、君に触れることすらできなくて。

『あの子じゃなくてアンタが××ばよかったのよ! こんな出来の悪い子、』

 あの人の声が、残響する。
 やめて、やめて、やめて!! これ以上この子を傷つけないで、苦しめないで!!

『××、ごめんね……××……』

 どうして謝るの、どうしてそんなことを言うの。
 どうして……それを、あの子に向けてくれないの?
 何度も何度も叫んでも、僕の声は誰にも届かない。

『夜……どうしてアンタなの……?』

 どうして、君が。
 ただ、生まれることができただけなのに。
 祝われるべき生命なのに!!

(生まれて来なければよかった、なんて、そんなこと、絶対にない)

 お願い、誰か……――

 あの子よるを、助けて。


 +++


 ――……ふと目を開くと、木製の天井が見えた。
 背中にふかふかとした感触と温もりを感じることから、どうやらベッドに寝かされているようだ。

「……僕……は……」

 ……確か、そう。 君と“同化”して……その後、意識を失ってしまったのか。
 体を起こして辺りを見回すと、隣のベッドで眠る君を見つけた。

「……夜……」

 そっと近づいて、頬に触れる。 悲しい夢を見ているのか、冷たい雫がその場所を濡らしていた。

「……夜、泣かないで……?」

 溢れる涙を指で拭えば、くすぐったかったのか身じろぎをする君。

(記憶を失くしてまで、悲しい夢なんて見ないで)

 柔らかな朝日が差し込む部屋で、僕は君の手を握ってそう祈ったのだった。

 +++

 やがて夕焼けが部屋を染める頃、君は目を覚ました。
 途中で心配そうに他の仲間たちも様子を見に来たけれど、君のそばを離れない僕を見てすぐに去っていった。

「……あれ……? オ、レ……」

 君の声が聞こえる。 どうやらいつの間にか僕も眠っていたようだ。
 君がいるベッドに乗せていた頭を上げ、君をぼんやりと見やる僕。

「……夜……?」

「あ。 おはよ、朝」

 体を起こして微笑む君に、僕は言いようのない感情がこみ上げた。

「……ッ!! 夜っ!!」

「うおっ」

「心配したんだよ!? 大丈夫?」

 その衝動のまま突然君に抱きつけば、君は驚いたような声を出しながらも抱きとめてくれ、更には頭まで撫でてくれた。

(その拙いながらも優しい手付きに、僕は泣きたくなった)

「ああ、もう大丈夫だぜ。 心配かけて悪かったな。 ……さんきゅ」

「……もう……無事でよかった……夜……」

「……そういや、ここどこだ? オレ、どのくらい寝てた? だいたいみんなは?」

 安堵した顔を見せた僕に君もホッとしたのか、ふと気になったことを一気に尋ねてきた。
 窓の外では、夕暮れが海沿いの街とその先の海原を染めている。

「ここはランカストっていう街の宿屋。 ……君、丸一日寝てたんだよ?」

「い、一日も!?」

 予想外に長く眠っていた、と驚く君に、僕は苦笑いを浮かべながら頷いた。

「で、みんなは……」

 そう僕が言いかけた……その時。
 下からドアを荒々しく開けたような、大きな音が聞こえた。

「――“雪うさぎ”と“目深”はいるか!!」

 ドスの利いた男の声が、階下から響く。
 その音と声に、無意識に体をびくりと揺らす君。 けれど君は、自身が怯えていることにすら気づかずに、無邪気に笑ってみせた。

「……朝。 見に行こうぜ!」

「……言うと思ったよ……」

 笑顔を向けてくる君に、ため息を吐く素振りをする。

 +++

 下の階へ行くと、そこにはリウたちが揃っていた。

「あ、夜。 起きたのね。 大丈夫?」

「ああ。 ……てか……何だコレ……?」

 リウが君に気が付いて声をかけてきたけれど、君も僕も眼前に広がる光景が気になった。
 僕たちの前で、深雪とソレイユが焦げ茶の髪の男と対峙していたのだ。

「うーん、私たちもよくわからないのよね。 二人の知り合いみたいだけど」

 知り合い、というにはどこかピリピリとした空気が彼らを包んでいる。

「……こんな所にいたとはな、“雪うさぎ”、“目深”」

「ふっ。 お前よほどヒマなんだな、ジョシュアくん?」

「全くですネ。 わざわざこちらまでご苦労様です」

 “ジョシュア”、と呼ばれた男が、どうやら先ほどの声の主らしい。
 ……一触即発。 三人のそんな雰囲気に、僕たちは誰も動けずにいた。
 ……だが、その時。

「お……おい、アレキ!! 落ち着けって!! 深雪とソレイユも!!」

「!? イ……イビア!?」

 三人の間に、イビアが割って入る。 驚いた男がイビアの名を呼んだあたり、どうやら彼とイビアは知り合いらしい。

「お前、何で……何でコイツらと一緒にいるんだ!?」

「何でって……仲間、だから……」

「仲間!? コイツらとか!?」

 男が信じられない、と言いたげな顔でイビアを見る。

「……イビア。 コイツらはマリアを殺した奴と同じ……“殺し屋”だ!!」

 男は深雪とソレイユを睨み、そう言い放った。
 その物騒な単語に、僕たちは一斉に身構える。

「イヤですネー。 害虫駆除隊と呼んで下さいヨ。 私たち、悪人しか殺してませんヨ?」

 しかし、深雪はそれにすら臆さずに笑ってみせた。 奇麗に奇麗に、後悔などないかのように。


 ――……後から聞いた話だが、“殺し屋”というのはドゥーアの街で暗躍している、悪人を倒す職業らしい。
 暗黙のルールとして、“殺し屋”は本名ではなく通り名を名乗っているそうで、深雪は“雪うさぎ”、ソレイユは帽子を目深に被っていたことから“目深”と呼ばれていたそうだ。


「それでも人殺しには変わりない!
 それに……お前らの抗争に巻き込まれて死んだ一般市民だっているんだ!! マリアだって……!!」

 男が叫び、そんな深雪に銃を向ける。 それに反応して、ソレイユも彼に銃を突きつけた。
 イビアは今度は動かなかった。 ……ただじっと、深雪たちを凝視している。

「……ころしや……マリアを……殺した……?」

 イビアが呆然と呟いた。 ……『マリア』とは、誰なのだろうか?

「……また……つみをかさねるの? みゆきちゃん……」

 泣きそうな顔でルーが俯く。 君もまた、蒼白い顔で彼らを見ていた。
 やがて君は息を吸い込み、深雪たちを呼んだ。

「……っ!! 深雪、ソレイユっ!!」

「夜……?」

「夜くん……?」

 君の突然の大声に、深雪とソレイユ……他の仲間たちも、こちらに視線を移す。

「何で……っ何で“殺し屋”なんて……っ!!」

 二人が不思議そうな顔で君を見やる。
 頭が痛むのだろう、辛そうな表情で君は叫んだ。

「人を殺して!! 何でそんな平然としてられんだよ!?
 どうして!! どうしてそんな……っ!!」

 ……思い出さないで、お願いだから。
 僕はそっと手を君の背中へと当てる。 少しでもこのぬくもりが届けばいいと……そう願って。

「夜」

「よるおにいちゃん」

 そんな僕に続くように、ルーが君の左腕にしがみついた。

「大丈夫……? 部屋に戻る?」

 僕がそう声をかけるけれど、君は首を振って、大丈夫だと告げた。

「おにいちゃん……だいじょうぶだよ。 こわくないよ、だいじょうぶ」

 ルーのあやすような優しい言葉に、君はうん、と頷く。 近くにいたレンが、黙って君を椅子に座らせてくれた。

「夜くん……すみません、私たちのせいで……。 大丈夫ですか……?」

 君を気遣う深雪の声音はとても優しい。 人を殺してきたなんて、嘘みたいだ。

「……深雪。 ……ひとつ、お願いがあるんだ」

「……何ですか?」

 俯く君に、穏やかな笑顔を浮かべた深雪が首を傾げる。

「……もう……殺さないでくれ……。 誰も、殺さないでくれ……っ」

 深雪の服をそっと掴んで、君は言った。 自身に向ける優しさが真実であると信じ、その人の心を繋ぎ止めるように。

(そんなこと……あるわけないのに)

(……どうせ、みんな……君を傷つけるだけなのに……)

「深雪だけじゃない……ソレイユも」

 君がそう言うと、ソレイユは銃をおろしてからこちらへと近づき、ぽんぽん、と君の頭を撫でた。

「……だってさ。 どうする、深雪?」

「うーん……そうですネ……。 ……まあ夜くんのお願いですしネ……。
 ……わかりました、夜くん。 ……もう、殺しませんヨ」

 深雪のその返答に、君はほっと溜め息を吐いた。
 彼らなら大丈夫なのだと、約束を守ってくれると、心の底から信じているようだ。

(……どうして? 他人を傷つけるような人たちなのに。 簡単に、信じたりなんかして)

 ……わからなかった。 わかりたくなかった。
 僕の世界に君だけがいればよくて、君以外は必要なくて、だけど君はそうではなくて。
 どうして。 どうして、どうして……?

「……ってわけだ。 コイツらはオレらが預かる。 改心もしたようだしな」

 レンが深雪たちと男の間に立ち、そう取り成す声に、僕は意識を現実に戻す。
 しかし男は訝しげな顔で僕たち全員を見回して、首を振った。

「……信用できねぇな」

「だろうな。 なんなら一緒に来てもいいぞ?」

 ニヤリとレンが笑う。
 ……これは戦力の増強でも企んでいるな、とは付き合いの浅い僕でも察しがついた。

「……いいだろう。 オレはアレキ。 アレキルドフ・ジョシュア。
 ドゥーアの街の自警団の一員だ」

「なるほど、それで“殺し屋”二人を追って来たのか」

 アレキ、と名乗った男の自己紹介に、カイゼルが納得したように頷く。
 彼が生真面目で律儀な性格なのだろう、とは一連の流れで容易に理解出来た。
 僕がそんなことを考えていると、離れた場所でずっと呆然としていたイビアが、こちらへとふらふらと歩いて来た。

「……イビア……?」

 黒翼が不安そうにイビアの名を呼ぶが、彼は深緑の瞳に暗い色を湛えて、深雪とソレイユを睨んでいた。

「“殺し屋”……マリアを……殺した……っ!」

「お、おい、待てよ。 オレたちはそのマリアって子は殺してない……」

「黙れっ!!」

 ソレイユの声を遮って、イビアは叫ぶ。
 怖いくらいに、悲しいくらいに、深く深く、絶望と痛みを解き放つように。

「マリアを奪ったのはお前らの仲間だろ!? 返せよ……っ!!
 マリアを、オレの大切な人を……返せぇぇーーッ!!」

 泣き叫ぶイビアの姿に、いつかのあの人の姿が重なる。


 ――……だけど、もう……――


(痛いだけの記憶は、思い出さないでほしくて)

(僕にはただ、願うことしかできないけど)




 Reversed Act.10…少年は、他者に恐怖した。