この夜を越えて、静寂。

桜に囚われる。


 それは、その街にだけ咲く特別な樹木だという。
 薄桃色の花弁を身にまとうそれを、彼は“サクラ”だと教えてくれた。
 この世界ローズラインの他の街とは雰囲気が異なるこの街……桜華オウカは、彼の故郷に似ている、とも。

 ふわり、と花弁が落ちる。風に乗って、その花はどこへ行くのだろう。
 ふと、前を歩く彼が振り向いた。
 琥珀色のポニーテールが、サクラと共に風に舞う。

「……黒翼はさ」

 並び立って、声をかけた。
 突然のそれに彼は少し目を見開いて、そして黙って続きを促している。


「……故郷に帰りたい、とか、思ってるのか?」


 この街でサクラを見るたびに、懐かしそうに目を細めるから。
 そう問えば、彼は静かに口を開いた。


「帰りたくない、と言えば……嘘になるが。
 だが、俺は……ヨル達がいるこの世界が好きだし……」


 言葉を選びながら話す彼の視線が、サクラからオレに移る。
 そうして彼は、滅多に変えない表情を動かした。


「この世界には、お前が……イビアが、いるから」


 微笑んで告げられたそれに、嬉しさと切なさが募る。


 故郷に帰れない、居場所がない仲間たちと違って、彼には待ってくれている家族がいるだろうに。
 サクラが咲き乱れるという故郷で、今も彼を待っているはずなのに。
 


 そっと手を引かれる。ひんやりと冷たい手が、オレの意識を彼へと向けさせる。


「イビア」


 オレの手を握ったまま、彼が歩き出す。
 釣られて足を踏み出したオレに、再びサクラの花弁が降り注いだ。


「……今度は、みんなで見に来よう」


 花びらを手に持って笑う彼は、同性とは思えないほど……綺麗で、消えてしまいそうで。


「そうだな」


 手を握り返して笑ってみせる。
 約束で、彼をここに繋ぎ止めれたらいいのに。
 ……きっと彼は、そんなことをしなくてもここにいるのに、と困ったように言うのだろうけど。


「この桜は、夜にあげよう」


 とある理由で眠り続けている仲間の一人へと持ち帰るのだと、手の中の花を大切そうに見つめる彼。
 風に飛ばされないように、ともう片方の手で蓋をする姿に、繋ぐ手を離されたオレは苦笑いをひとつ。
 仲間想いな彼らしいが、もう少しオレのことを見てくれてもいいんじゃないかなあ、なんて思う自分の浅ましさが嫌になるけれど。


 風に乗って飛んでいくサクラたち。
 その中で、オレの名前を呼びながら笑う彼に、敵わないなあ、なんて思ったりして。
 ――案外、サクラに囚われているのはオレの方なのかもしれない。