この夜を越えて、静寂。

選ぶ道は


 僕の手の中に残ったのは、絶望だった。


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 たったひとりの大切な弟。……と言っても、血の繋がりはないのだけれど。
 彼を傷つけるだけの世界から彼を連れ出して、剣と魔法が存在する世界で共に過ごして。
 けれど彼は、紆余曲折を経て……人間ヒトであることを辞めてしまった。

「オレは……【魔王】のチカラを継いだんだ。
 当代の【神族:魔王】ナイトメア……それが、今のオレの本当の名前」

 そう言って悲しげに笑った弟。
 守りたかった。助けたかった。だからこそこの異世界ローズラインに連れてきて、ずっと一緒にいられたらと願った。
 ……それが、そんな。【魔王】だなんて……どうして。

(僕は君にそんな選択をさせるために、この世界に連れてきたわけじゃないのに!!)

 絶望する。世界に、君の選択に、君に“それ”を選ばせた僕たちに。
 ああ……だから。

「お、兄ちゃん……ど、して……?」

 驚愕で彩られた弟の顔。
 どうして? だって、仕方ない。……仕方ないんだよ、夜。
 仲間たちがそれぞれ武器を僕に向ける。
 手に伝わるぬくもり。温かな……弟の血液。

「……君を救うためだよ、夜」

 彼のカラダを貫いた剣を、一気に引き抜く。短い悲鳴を上げて倒れる弟。
 ……赦してくれなんて言わない。僕は僕のエゴでこの道を選択したのだから。

 ――パンッ

 銃弾が腕を掠める。視線を向ければ、狙撃手……ソレイユが、悲しげな……それでいて怒りに満ちた表情を浮かべていた。

「朝、お前……ッ!! 自分が何をしたかわかってるのか!?」

「わかってるよ」

 ……そう、“わかってる”。
 僕は弟を……夜を殺すことで、彼を【魔王】の役割から解放しようとした。
 浅い息を繰り返す弟に、アルビノの歌唄い……深雪が回復魔法をかけている。
 向けられる明確な殺意。仲間の一人である吸血鬼……黒翼こくよくは、僕を敵だと認識したようだ。

(……彼は夜によく懐いていたから、当然か)

 けれど……どうしてみんなわかってくれないのだろう?
 夜を助けるためには……彼を殺して、世界も壊さないといけないのに。

「……朝。これ以上夜を傷つけるなら……!」

「……別に、傷つけてなんていないよ。ただ夜が……【魔王】になんてなっているから。
 助けるために、殺すんだ」

 刀を構えて睨みつけてくる黒翼にそう返すと、他の仲間たちが息を呑んだ。
 ……けれど。

「や、めて……みんな……」

 夜が、声を上げる。
 深雪に支えてもらいながら立ち上がって、彼は凪いだ瞳で穏やかに笑ってみせた。

「……お兄ちゃん」

 おいで、と両手を広げる夜。どうして。……どうして?

「……ごめん……ね、そんな選択を……させて」

 ぜんぶ、オレよるのせい。
 ぽろり、と彼の深海の瞳から零れ落ちる涙。
 僕の凶行を受け止めて、受け入れて、“救済”されようとしている。

「お兄ちゃん」

 朝焼けを映した剣モルゲンレーテを振り上げる僕。
 悲鳴を上げる仲間たち。……そして。

「だいすきだよ、お兄ちゃん」

 全てを赦すように、あまくあまく笑う……おとうと

 +++

「……――“ユグドラシルリンク……スタート。
 宣言……『《朝》は【世界樹ユグドラシル】の機能を破棄する』。
 ……リンク、シャットダウン”」

 倒れ伏す仲間たちと、腕に抱えた動かない弟と、燃えて壊れていく世界。
 世界の要たる【世界樹】の権限を全て破棄して、僕は弟の亡骸と共に歩き出す。
 遠くから聞こえる悲鳴も、泣き声も、僕にはもう関係のないことだ。

 ……しばらくしてたどり着いたのは、眼下に海が広がる崖だった。
 深海の色を持つ僕たちには、この結末が相応しい。
 ……不意に。
 ぴたり、と首筋に冷たくて硬い何かが当てられる。
 ……いや、何かなんてわかっていた。この選択をしたときから……ずっと。

「……僕を殺しに来たの、【神殺しディーサイド】」

「朝……ッ」

 悲しげな、苦しげな声で僕を呼ぶ【神殺し】ディアナ。
 ああ、だけど、遅すぎた。

「……止めるなら、もっと早く止めてくれたら良かったのに。
 僕が深雪たちを殺す前に。……夜を、殺す前に」

 その前に、僕を殺してくれていたら……どんなに良かっただろう。

「……でも、ごめんね。僕は君に殺されない。
 さよなら、ディアナ」

「っ待て、朝……ッ!!」

 焦ったようなディアナの声。変なの。……この期に及んで、僕を救うつもりだったのだろうか。
 落下する僕と弟。怖くない、夜がいるから。
 スローモーションで流れる景色。青い空。青い海。
 走馬灯。仲間と笑い合った日々。絆を紡いだ時間。
 温かくて優しい世界だった。壊したのは、僕の意思。
 ……だけど、どうしてだろう。
 どうして僕は……泣いているのだろう……?

 大きな音と水しぶきを上げて、僕と弟は海へと堕ちた。
 見上げた水中は、光を反射して……きれいで……――


 +++


『……これは、ひとつの選択の物語。
 不器用なふたりの決断の結末』

 空色の髪の女神は、空を見上げて呟いた。

『……彼らは幸せだったのか。それはもう、誰にもわからない……――』

 彼女はただ静かに、祈り、願うだけ。
 彼らにとって、世界が幸せであり続けるようにと……――



 ramification:02 「選ぶ道は」 Fin.