運命のひと。


 “赤い糸が見える”、なんて言うと、君はどんな顔をするのだろうか。

 小指に巻き付くそれに気づいたのは、ほんの2、3日前。 赤く染まったその糸が行き着いた先には、あろうことか自分の愛弟がいて。
 更には誰にも見えていないらしいソレに、ほんの少しばかり辟易していた。

「赤い糸、ですか」

 そしてとうとうぽろっと零した相手は、お祭り好きな歌唄い。
 しかしてっきり面白がるのかと思った僕の予想とは裏腹に、深雪は真剣な顔で話を聞いてくれたのだった。

「……その糸、夜くんに繋がっているんですよね?」

「うん」

 歌唄いの問いかけにこくりと頷けば、彼女(あるいは彼)は「ふむ」とその白魚のような指を顎に当てて何かを考える素振りをした。

「……赤い糸、と言えば、運命の赤い糸を思い出しますが……」

「だよね……」

 深雪の言葉に同意して、僕はこの指に絡まる糸を見つめてみる。
 ……これが本当に“運命の赤い糸”なのだとしたら。

「朝くんの運命の相手は夜くん、ということ……でしょうか?」

「まあ……あながち間違いではないんだけど」

 僕は夜のために生まれ、存在しているようなものだから。

「で、朝は何に困ってんだよ。 別に害があるわけじゃないんだろ?」

 不意に降りかかる、男性の声。
 顔を上げれば、ソレイユがマグカップを器用にみっつも持って立っていた。
 それを僕と深雪の前にひとつずつ置いて、残ったマグカップを自分の前に置きながら椅子に腰掛ける彼を見ながら、僕は「そうなんだけど」と返答する。

「なんで急にこんなものが見えるようになったのかなって……。
 また夜に……何かあったのかなとか思って……」

「別段変わったところはなさそうだったけどな、夜」

 今は後輩たちの相手をしているらしい夜の様子は、確かに普段どおりで。
 ソレイユが持ってきてくれたあたたかい紅茶を、お礼を言ってからひと口飲んでみる。 ……ほんのり甘い。

「そういや、ローズラインでも似たような逸話があってさ。
 “薔薇のように赤い糸で結ばれた二人は、魂が繋がった伴侶である”、みたいな感じの」

「は、伴侶……?」

 僕と夜は、実際魂が繋がってる、と言っても過言ではないけれど。
 思わぬ言葉に赤面した僕を見て、面白そうに深雪が笑った。

「いっそ、夜くんに伝えてみてはいかがです? “好きです”と」

「いっ……いやいやそれは無理!! だ、だって僕たち兄弟だし……夜を困らせたくないし……」

 夜は優しいから、僕のこんな邪な想いすら受け入れてしまうのだろう。 そんなことはさせたくないし、大事だから大切にしたい。
 そう言うと、深雪は「深い愛ですネェ」と微笑み、ソレイユは「夜はちゃんと考えてくれそうだけどな」と苦笑を零した。

 ……僕が夜のことを“そういう意味”で好きだということは、この二人には伝えていて。
 なぜかいつの間にか、夜以外の先代“双騎士ナイト”メンバーとリウやレン、桜爛オウランとアレキにまでバレていたけれど……みんな、僕たちを優しく見守ってくれている。

「……運命の相手、か……」

 夜にとってのそれが、本当に僕なのだとしたら……とても嬉しい。

「……言葉にしなければ伝わらない想いもありますよ、朝くん」

「男は度胸だろ? いけるいける!」

 真摯な深雪の発言と、なんとも無責任なソレイユの励ましに背を押され、僕は深くため息を吐いたのだった。


 +++


「赤い糸?」

 その後、善は急げと言わんばかりに深雪とソレイユの手によって、二人きりの部屋に押し込まれた夜と僕。
 去り際にちゃっかり「朝くんから大事なお話があるんだそうですヨ」なんて深雪が言い放ったばっかりに、夜に問い詰められて仕方なく白状し……きょとん、と首を傾げられた。

「……なんでオレに相談してくれなかったの?」

「え、いやだって……夜に心配かけたくないっていうか……」

 一拍置いたあとで、夜はジト目で僕を睨む。
 けれど両手をぶんぶんと振って答えれば、「まあいいけど……」と気を取り直してくれた。

「……それって……“運命のなんとか”ってやつ?」

「うん、たぶん……そうじゃないかって……」

 その問いかけに肯定すれば、弟はサッと顔色が悪くなる。
 夜? と声をかければ、彼はいつになく動揺した表情で僕の肩を掴んできた。

「あっ……相手は誰なの!? わかるんだよね!? あ、いや、やっぱり聞きたくない……っ」

「ちょ、夜! 落ち着いて!?」

 早口で捲し立てる弟が意外で、僕はびっくりしながらも肩を揺さぶるその青白い手をそっと引き離す。
 ごめん、と謝るその顔色は、血の気が引いたように青いままで。 大丈夫? と問えば、こくりと頷かれた。

「……お、お兄ちゃんが誰としあわせになっても……応援するから……」

「……え、ちょっとまって……なんの話!?」

 一人で納得して、全然大丈夫ではなさそうな顔で言われても。
 慌ててその手を掴めば、夜は「だって」と目線を床に向けて話し出す。

「“運命の赤い糸”……って、つまり……そういうことだよね……?
 お兄ちゃん……誰かと……結ばれるんだよね……?」

 そこで自分と、という発想が出てこない辺り、自己否定感の強い夜らしいというか、意外と常識的というか……。
 今にも泣き出しそうな顔の弟に、僕は呆れ半分、嬉しさ半分で、掴んだままの指同士を絡ませた。

「……あのね、夜。 この糸の先にいるのはね……」

 聞きたくない、と言わんばかりに首を横に振る弟に、笑みがこぼれる。
 ああ、僕は自惚れてもいいのだろうか。

「夜。 君なんだよ」

「……っ」

 息を呑む音。 深海のように青い瞳が大きく開かれて……そして、青白かった顔は、途端に真っ赤に染まった。

「な、え……!?」

「あはは。 夜、顔まっか。 かわいい」

 その衝動のままに抱きつけば、「かっからかわないでよ!」と抗議の声が上がったけれど。

「からかってないよ」

 抱き締めたまま、抱えていた想いを吐き出す。
 ……どうか、心から受け止めてくれますように。

「好きだよ、夜。 世界で一番、好きだよ。 兄弟だけど、男同士だけど……それでも」

「……っう、そ」

「嘘じゃないよ。 夜……愛してるよ」

 体を離して真っ直ぐにその目を見て告げれば、真っ赤な彼の頬に一筋の涙が流れた。

「……よるで、いいの? お兄ちゃんにひどいことした……こんな、よるで……いいの……?」

「夜じゃなきゃ嫌なんだよ」

 思わず素の一人称に戻るほど心が揺さぶられている弟に、早まりすぎたか、と後悔するものの、今更なかったことにはできなくて。

「……お兄ちゃん」

 潤んだ青の瞳、赤く染まった頬。 愛おしくて……可愛くて。

「っ!?」

 そっと、その薄い唇に自身の唇を重ねた。
 けれど軽く触れただけのそれに、弟は驚いたのか僕から素早く離れてしまった。

「……だめ?」

「っ」

 紅潮する頬のまま口を押さえる彼に尋ねれば、彼はゆるゆると首を横に振る。
 それが嬉しくて、一歩、また一歩と夜に近付く僕。

「……夜」

「まっ……まって!」

 しかし、思わぬ静止の声に僕はピタリと足を止めた。
 人がひとり入れるくらいの距離で立ち止まった僕に、夜は「ご、ごめん……」と項垂れる。

「えっと……その……よっ……オレのはなし、聞いて……ほしくて……」

「……話?」

 わざわざ“オレ”と言い直す弟が可愛くて、けれども顔には出さず不思議そうな表情を作って僕は首を傾げた。

「その……オレ……好きとか、そういうの……よくわかんなくて。
 みんなのことは好きだけど、そうじゃない“好き”は……わかんなくて……」

 一生懸命言葉を選びながら話す彼に、うん、と相槌を打って続きを促す。

「でも……その……お兄ちゃんとなら……いいっていうか……。 きっ……キス、とかも……お兄ちゃんじゃなきゃ……嫌……だなって……」

 言いながら再び真っ赤になるその顔に、僕も頬が熱くなった。
 ……それは、つまり……!

「……っ夜!!」

「ひゃっ!?」

 細い身体を目いっぱい抱き締める。 だけど苦しいよ、と訴えた弟に謝ってそっと力を弱めると、きゅっとたどたどしく抱き返してくれた。

「~~~~っあーもうっ!! なんでそんな可愛いことするの!?」

「か、かわいくないし……っ」

 僕の肩に顔を埋めながら抗議する夜。 ああ、そんな仕草も愛おしい。

「……夜。 これからはいっぱい幸せにしてあげるからね」

「……っ! うん……!」

 手に触れるぬくもりや肌の柔らかささえも、今僕の手の中にあることが全て奇跡のようで。
 取り戻せた夜という存在に、僕は最高の幸せを噛み締めている。
 だから今度は……つらい過去を一人背負わせてしまった彼を、この命をかけてでも幸せにしてみせると、僕は心の中で固く誓ったのだった。

「……あ」

「……?」

 気づくと、指から赤い糸が消えていた。
 きょとん、と首を傾げた弟に、「赤い糸、見えなくなっちゃった」と苦笑いを返してみせると、彼は途端に不安げな表情を浮かべた。

「……切れちゃった……?」

「そんなことないよ! きっと……そう、赤い糸が見えなくても大丈夫になったんだ、僕たち」

 慌ててそう言って安心させるように微笑むと、彼は「そっか」と納得してくれた。
 咄嗟に言い繕ったわけだけど、案外本当にそうかもしれないな、なんて内心で独り言ちる。
 それに、本来見えないものがまた見えなくなっただけなのだ。

「……心配しなくても、赤い糸が見えなくても……僕たちの絆は、ちゃんと繋がってるから」

「そう、だね」

 不安がることなんて、なにもないよ。 そう言えば、夜は優しく笑ってくれた。
 この笑顔を、ずっと見ていたい。
 そう思いながら再び重ねた唇は、今度は離されることはなかった。


 赤い糸の先に、君がいてくれてよかった。
 君と笑い会える日がきて……本当に、よかった。
 この手に抱えた幸せを、もう二度と手放さないと……僕は夜を、強く強く抱き締めたのだった。