目が覚めると、深い海の中のような空間だった。
(……嗚呼、此処、は)
“あの人”に聞いたことがある。此処はきっと、《彼》の深層心理の海の中だ。
(《彼》、は……?)
視線を動かすと、直ぐに《彼》を見つけることが出来た。
蒼く長い髪をゆらゆらと水に遊ばせながら、その水底で《彼》はうずくまっていた。
(××、)
名を、呼ぶ。気付いてほしくて。逢いたくて。声が出ない。
《彼》に、届かない。
(××、××!!)
それでも、と手を伸ばす。水が邪魔をする。意識が薄れていく。目覚めの時が来てしまった。
「――……る……ッ!!」
何とか絞り出した声に、《彼》が振り返る。
泣き出しそうな蒼い瞳で、《彼》はぽつりと呟いた。
――オレは、ヒアを……――
+++
再び、目覚める。今度は心配そうな相棒の姿が、真っ先に視界に入った。
「大丈夫か、黒翼?」
頷いて身体を起こす。ぐるりと辺りを見回せば、白を基調とした家具が見える。
……どうやら、気を失ってる間に自分たちの拠点に戻ってきたようだ。
「緋灯、達は……」
「ヒアたちなら、深雪たちにバトンタッチしたから大丈夫だ。
……まったく、お前ほんと無茶しすぎ」
苦笑いの彼から、自分が庇った紅の少年が無事なのだと知る。ほっと息を吐いてから、黒翼は呟いた。
「気を失ってる間に、《彼》に逢った」
「……え」
ポカンとしている相棒を横目に、言葉を続ける。
「悲しそう、だった。また、独りで泣いていた」
《彼》はいつもそうだ。いつも……五年前から、ずっと、独りで泣いていた。
あの深い海の中で、ずっと、ずっと……――
「琥珀」
ポニーテールを解いた黒翼の頭を撫でながら、イビアが思わず、と言うように名を呼ぶ。彼にしか教えていない、自身の本当の名を。
それに構わず、黒翼は膝を抱えて頭を埋める。
想うのは、先ほど垣間見た——大切な、蒼の少年。
「……あいたいよ、××……――」
その言葉は、きっと誰よりも“あの人”が言いたいのだろうと理解しながら。
+++
「いやー、一時はどうなるかと思いましたが、まあ結果オーライですネ!」
「だよなー、なんかもうオレたちタイミング良すぎてマジ正義のヒーローみたいな?」
「あっ、良いですネ、ヒーロー! 戦隊モノでもやっちゃいましょうか!?」
……あの後、イビアさんと気を失った黒翼と別れたオレたちは、この謎のハイテンション二人組と同行してる。
イビアさんたちとはまた違ったテンションのぶっ飛び方で、オレたち現“双騎士”組はぶっちゃけ辟易していた。
(それにしても、あの深雪って先輩は何か見覚えがあるような……?)
「ヒア……あの、その……」
ぼんやりしていると、ソカルが恐る恐る声をかけてきた。大方、取り戻した“記憶”のことだろう。
「ごめん、ソカルと二人で話したいからちょっと離れるな」
了承の言葉をもらう前に、困惑しているソカルを連れて、オレはみんなから離れた。
+++
僕はヒアに連れられて、先ほどまで歩いていた道から離れた場所にあった、大きな木の下にたどり着いた。
少しの距離であるとは言え、黙ったままの彼に僕は不安が募る。……取り戻した記憶は、一番辛いものだったのだろうか……?
「ヒア、あの……」
しかし情けない声の僕が言い切る前に、ヒアが僕の肩に手を置いて俯いた。
「ヒア……?」
怖々とその頬に触れると、冷たい雫が指を濡らした。
「わかってる、あれは過去のことなんだ。
でも確かにお前は『オレ』の従者だったし、『オレ』は砂漠の国の国王候補で……。死にたがって、いたんだ」
(……そう、『君』は、全てに疲れて死を望んでいた)
(『君』と僕が出逢わなければ、どれだけ良かったのだろう……?)
「ソカル、お前は……そんな『オレ』を殺すために、あそこにいたのか?」
「それは……違う、とも言えるし、違わない、とも言える」
そう、ある意味正しいけど、『違う』。僕は……僕は、ただ……――
(ただ、『彼』……クラアトと……――)
「ヒア、泣かないで……?」
未だに溢れる彼の涙を拭うと、彼は下手くそに笑った。
「大丈夫、今は少し……混乱してるだけ。
『オレ』の……クラアトの感情と、オレ自身の感情がぐちゃぐちゃになってるだけなんだ……」
「……うん、そっか。
……あのね、ヒア……"再生"する前にも言ったけどね。
あの記憶は、全部もう終わったことなんだよ。ヒアが気にする必要はないんだよ」
そう、『終わったこと』。
本当なら、僕だけが覚えていればよかったはずのそれをヒアに思い出させてしまったのは、僕の失敗、間違い。
「……これから、僕がチカラを使う度に、きっともっと辛い記憶がヒアの中で“再生”されちゃうと思うんだ。……それでもヒアは、【神】と戦うの……?」
「当たり前だろ」
上げた顔にはもう、涙はなくて。強い眼差しに、僕は主の……クラアトの面影を、見た。
「それが、オレの使命なんだから」
「……そう、だね……」
自分で彼に“契約”を結ばせながら、悩み続けているのは僕の方だ。
もう、本当に間違っているのが何なのか、よくわからなかった。
+++
「――……【戦神】が死んだか」
「全く……あれほど勝手な行動は慎むよう申したと言うのに……」
どこかの世界。黒で包まれたその場所で、風景に紛れるほどの黒い影の呟きに、茶髪の青年……【識神】ミネルがため息を吐いた。
「でもでも、びっくりですよねぇ! 【死神】のあの子、まさかチカラ解き放っちゃうなんて!」
青い髪の少女が、からからと笑う。
そんな彼女の頭を叩いて、うるさい、と呟いたのは緑色の髪の少年だった。
じゃれ合う二人を金髪の女性が宥める姿を見て、ミネルは呆れたように眉を顰める。
「我々【十神】、只でさえ三人欠けていると言うのに……これ以上失態すれば、ゼウス様の目的を叶えることすら出来ません。
……聞いていますか、セシリア、アルティ、アーディ」
「聞いてるよぉ! もー、ミネルくんはいちいちうるさい!」
「うるさいのは……セシリアの方……」
セシリアと呼ばれた青い髪の少女が口を尖らせると、アルティと呼ばれた緑色の髪の少年が呟く。
それにミネルがまたため息を吐き、アーディと呼ばれた金髪の女性が苦笑いを零した。
「せやかてミネルくん、“双騎士”らも何とかせなあかんのちゃうの?」
アーディが首を傾げると、ミネルは何かを考えるような仕草をした後、背後にいた黒い影……【全能神】ゼウスに許可を求めた。
「セシリアを行かせようと思います。……よろしいでしょうか、ゼウス様」
「……いいだろう」
ゼウスが頷くのと同時に、セシリアがポニーテールを揺らしながら笑顔で言った。
「わっかりましたぁ! この【海神】セシリア、頑張っちゃいまぁす!!」
動き出す神々。眠り続ける【世界樹】。
目覚めるのは、神を屠る剣……。
「僕は往くよ、アズール」
交わるのは、誰の運命?
Past.22 Fin.