目の前の蒼い剣士は、冷たい瞳でオレを見る。
「……夕良緋灯。君を殺す。
……それで、《彼》に逢えるのなら……手段は、選ばない」
その言葉の鋭さに、思わず息を忘れた。
「朝っ!!」
ソレイユ先輩の声に、ハッとする。……先輩は悲しそうな顔で、銃を彼に向けていた。
「……ヒアくんは、殺させません。……彼は、“切り札”ですから」
「……“切り札”……?」
深雪先輩がオレを庇うように前へ出る。
その言葉に首を傾げると、先輩は「大丈夫ですヨ」と笑った。
「朝くん。こんなことをして、本当に《彼》が喜ぶとお思いですか?」
「……君たちに、何がわかる……!!」
剣士……朝は、オレに剣を向けた。
それから守るように、みんながオレの前に立ち得物を構えて彼をきつく睨む。
一触即発。そんな雰囲気が、オレたちを包んだ。
……のだが。
「……あー、お取り込み中のところ、申し訳ないんだけど」
不意に、場違いなほど明るい声が響く。
その声の方向に視線をやると、水を纏った青年が困ったように笑いながらオレたちを見ていた。
「……誰よ、あんた」
ナヅキが青年を睨み付ける。彼は怖い怖い、とふざけながらも、名乗り始めた。
「いやー、もうちょっと格好良く登場したかったんだがね。
……僕の名前はトリトア。……【海神】セシリア様の部下さ」
その言葉に、オレたちは一斉に構えていた武器をそいつに向ける。
「オレたちを倒しに来たのか?」
「当たり前だろ?」
オレの問いかけに、青年……トリトアは、人好きのする笑顔でにこり、と笑った。
……するとオレの背後から風のようなスピードで、蒼がトリトアに駆け寄り、剣を降り下ろした。
「うわっ!?」
トリトアがその攻撃を避けるのと同時に、蒼……朝は詠唱を始めた。
「――“其は蒼に輝きし流星群,彼の者の元へ流れ堕ちよ”」
詠唱に呼応して、彼が握っている剣が光を帯びる。
「――“『シュテルンシュヌッペ』”」
刹那。その輝く剣の先端から、眩いほどの光が放たれる。
それがとても強力な魔法だと言うのは、全く詳しくないオレでも察しがついた。
「ひえー……。えげつないね、お前」
ギリギリそれを回避したらしいトリトアに、朝は再度剣を向ける。
その様子を見て、オレは慌てて近くにいたリブラに尋ねた。
「リブラ、あいつ、【海神】の部下だって言ってたけど……つまり、【神】なのか?」
そう、問題はそこだった。
【神】であれば……今でこそ傍観者に徹することにしたらしい【神殺し】がいるけれど、ソカルの力を使うことになるのかもしれない。
それに気付いたらしい【死神】も、彼女の答えを武器を構えたまま、待っている。
「……いえ、【神】の部下というのは、つまり種族としては【天使族】に……なるはずです。
【海神】直属の部下となると、彼の地位は恐らく【大天使】……ヒトの力で倒すことは可能ですが、かなり無茶な部類かと……」
非常に言いにくそうに教えてくれたリブラに感謝を述べ、オレは蒼の剣士と対峙しているトリトアを見据えた。
「無茶な部類、って言うけど、さすがにこれだけ人数がいるんだし倒せませんかね?」
「そうですネー。……あの彼が、協力してくだされば何とかなるとは思いますけど」
深雪先輩が彼、と指差した先には、朝。……協力してくれるかはすごく微妙だけど、とにかくオレたちも動こう。
そう思って指示を出そうと、オレは深雪先輩の真横にいたソレイユ先輩を見て、固まった。彼は、既に銃をトリトアに向けていたからだ。
「ソレイユ、さん……?」
じっとトリトアを睨む彼に困惑したような声をかけたのは、ナヅキだろうか、フィリだろうか。
「ソレイユのことは、お気になさらず。それより、ヒアくんは何か思い付いたのでしょう?」
深雪先輩の言葉に、オレは先ほど考えたことを伝える。
そしてディアナと先輩方以外の仲間が、武器を手にトリトアへと駆け出した。
+++
「あなたが何を考えているのか、想像はつきますけどね。
撃つなら、さっさと撃ってくださいね」
「わかって、いる」
深雪の声に、ソレイユは静かに頷いた。
元同胞だという【大天使】に思うところが多々あるのだろう。
けれど、彼が同胞を撃つことに戸惑っているわけではない、ということくらい、深雪は知っていた。
(彼は、今更そんなことに悩むような性格ではない)
(ならば、きっと考えているのは、殺された“あの子”のこと)
トリトアを見据えて短剣を構える。視線の先では後輩たちと朝が、【大天使】に攻撃を仕掛けていた。
(ああ、もう、面倒くさいなあ)
深雪は未だに銃を構えたままの相棒をちらり、と見やる。
……彼は、ソレイユ・ソルアは、同胞の天使たちを殺害した挙げ句、地上へと堕とされた……【堕天使】だった。
+++
「アンタが何者かは知らないけど、今はこいつを倒すの手伝ってくんない?」
蒼い剣士の少し後ろに立ち、ナヅキが問う。
彼は少し考える素振りを見せた後、仕方ないと言わんばかりに剣を構えてトリトアへ向かって走り出した。
「――“光り輝く蒼穹よ,静寂を切り裂け……『レディアントレイ』”」
きらきらと眩い光を纏いながら振り下ろされた剣を再び回避して、トリトアが声を上げる。
「っその力……お前……まさか【世界樹】か!?」
「ユグドラシル……?」
その言葉に思わず首を傾げていると、朝がまた剣を振るった。
今度はトリトアに当たったのか、彼は小さく悲鳴を上げて朝から距離を取る。
「な、なんで【世界樹】がここに……。……いや、ここでこいつを倒せば、セシリア様やゼウス様のお役に立てる……?」
一通り独り言ちて納得したのか、トリトアは詠唱を始めた。
「――“水面よ,全てを飲み込む波と化せ! 『アクアウェイブ』”!!」
途端に彼の周囲の水が、巨大な波となってオレたちに襲いかかる。
避けようと辺りを見回すが、どうやら周囲全体を範囲とした魔法のようで逃げ場がない。
どうしようかと考えていると、脳裏に深いため息が響いた。
――……ヒア。……カラダを、借りるよ――
《そいつ》はいつも通り答えを聞く前に、オレの体の主導権を握った。
眼前には遅い来る波。しかし《そいつ》は怯むことなく、オレの体で一歩踏み出した。
『――“《ダークエンド》”!!』
その無詠唱の呪文が響いた瞬間、迫っていた波は全て水蒸気と化し霧散していった。
すぐに《そいつ》はオレの体から離れ、オレは主導権を取り戻す。
「なっ……無効化魔法……!?」
「……その、魔法は……ッ!!」
しかしトリトアと朝に同時に睨まれてしまい、その視線に思わず怯むが、不意に一発の銃声が場の空気を貫いた。
「……こっちの人数が圧倒的に多いってこと、ちゃんと頭に入れとけよ」
「……っソレイユ先輩!!」
銃を構えたソレイユ先輩が、何の感情も宿さない瞳でトリトアを見据える。
「……“同胞殺し”のソレイユ・ソルアか……ッ!!」
彼の存在にようやく気が付いたらしいトリトアが声を荒らげるが、すぐさまソレイユ先輩の銃撃が【大天使】を襲う。
その言葉の意味を理解するのはとりあえず後回しにして、オレはソカルとフィリに魔法を唱えるよう指示を出してからナヅキと共にトリトアに飛びかかった。
後方からは深雪先輩の歌声が聴こえる。どうやらオレたちの攻撃をサポートしてくれる魔法らしい。
「くらえーッ!!」
ジャンプした勢いのまま剣を降り下ろすが、当然ながらそれは避けられる。ナヅキの蹴り技も軽くかわされた。
だが、それらは全て想定内だ。トリトアがバランスを崩したところに、ソカルとフィリの魔法が叩き込まれる。
「――“深淵よ,その昏き闇によって彼の者を殲滅せよ! 『アップグルント』”!!」
「――“烈風よ,刃となりて全てを切り裂け! 『シュタイフェ・ブリーゼ』”!!」
深い闇の法撃と鋭い風の刃が、トリトアに見事に当たる。彼はよろけながらも何とか体勢を立て直したようだ。
やはり、なかなかにしぶとい。
しかしソレイユ先輩の魔力を込めた銃弾が、【大天使】を射抜く。
「――“天を穿つ光の雨……『レーゲンリヒト』”!」
「……ッ!! くそ……“双騎士”風情が……ッ!!」
撃たれた箇所を腕で押さえながら、トリトアがオレたちを睨む。
「――“聖なる海よ! 激流と化し森羅万象を破壊せよ!!
【大天使】トリトア・マリネの名の元にッ!! 『エアトリンケン』”ッ!!」
「……っ最上級魔法……っ!?」
フィリが慌てて防御魔法を組み上げようとするが、トリトアの最上級魔法とやらによる激しい水の流れがオレたちを飲み込む方が早いだろう。
……これを食らうと間違いなく溺死する。
その事実に恐怖を感じた瞬間、再びオレの体は勝手に動き魔法を紡いだ。
『――“破壊。消滅。流転。再生。
滞ることなく流れていけ……闇の果てへ。《ダークエンド》”!!』
「……なっ……!? 僕の最上級魔法を防いだだと……ッ!?」
手に現れた曲剣を構えて放ったそれは、再度トリトアの攻撃をかき消す。
そして彼が怯んだその隙を見て、深雪先輩が声をあげた。
「朝くん、今ですっ!!」
その言葉に自由が戻った体で思わず振り返ると、蒼い剣士……朝の腕とそれが持つ星を模した剣に、樹の枝のようなものが巻き付いていた。
「……――“ユグドラシルリンクコンプリート。目標確認……【魔剣】スターゲイザー,魔力解放。
『シューティング・コメット』”!!」
その瞬間、凄まじい地鳴りと共に目映い閃光が迸り、トリトアの絶叫が響き渡った。
「……っう、ああああああああッ!!」
やがて光が収まり静寂が訪れたのを確認して瞳を開くと、トリトアが地面に倒れ、消えかけていた。
「……くそ……こんなはずじゃ……。セシリア様ぁ……っ」
うわ言のように呟いているトリトアを見ていられなくて、オレやナヅキ、フィリとリブラはそっと視線を逸らす。
だが、そんなオレたちに目もくれず消え逝く【大天使】に近付く人がいた。
……ソレイユ先輩だ。
彼は銃の照準をぴったりとトリトアに合わせ、言葉を紡いだ。
「……【大天使】トリトア。お前たちは……【全能神】はなぜ、“あの子”を殺した?」
血を吐くような低い声。トリトアはそれに酷く怯えたような瞳で先輩を見上げた。
「し、知らない!! 僕は何も聞かされていない!!」
「しらばっくれるな!!」
怒声と共に銃声がトリトアを貫く。
オレたちは見たこともないソレイユ先輩の怒りに驚いて、その場から動けずにいた。
「……っなんで“あの子”が死ななきゃならなかった……っ!! “あの子”は……【歌神候補】は……っ!!」
『……ソレイユ』
しあわせになるべきだった、と続くはずだったであろうその叫びを遮ったのは、他ならぬオレだった。
……正確には、オレの体を借りた《あいつ》なのだが。
『ソレイユ。……これは、“あの子”からの伝言。
その身に【闇】を宿した【歌神候補】からの……最後のコトバ』
「……る……」
ソレイユ先輩が何かを呟く。
それは、オレの体を乗っ取っている《こいつ》の名前なのだろうか。
それとも……《こいつ》を介してオレに流れ込む記憶に映る、【歌神候補】と呼ばれた儚い少年の名前なのだろうか……?
『“ありがとう。だけどもう、十分だから……――”』
その想いを告げると同時に、オレは体の主導権を取り戻す。
すると、不意にソレイユ先輩がオレの右肩に顔を押し付けて……静かに涙を流した。
慌てて深雪先輩を見やると、苦笑いを浮かべたまま「ごめんなさい」と口を動かした。
ソカルたちも困ったような……それでいてどこか怪訝そうな表情を浮かべている。
ああ、これはまた後で説明をしなければ。
そもそもこの先輩をどうしようか……そう悩んでいると、ソレイユ先輩が声を発した。
「“十分”なわけ、ないだろう……ツィールト・ザンク……!!」
オレは困惑しながらも先輩の背中をそっと撫で、ふと辺りを見回す。トリトアの遺体はすでに消滅していた。
その視界の端で、不意に蒼がくるり、とオレたちに背を向けて歩き出した。
「……あっ……朝くんっ!!」
深雪先輩の声に、朝は一瞬だけ立ち止まる。
「……やはり、君を殺す。《彼》を縛り付ける、夕良緋灯……君を」
冷たいその言葉は、どこまでも広がる蒼穹へと溶けていった。
「例え《彼》に嫌われたとしても……必ず《彼》を取り戻してみせるから」
冷えきったその想いに、オレの中にいる《彼》は……昏い笑みを浮かべていた……――
Past.28 Fin.