あれから次の街・カスファニーに到着したオレたち。ソレイユ先輩は相変わらず黙ったままだった。
いつも通り宿を確保して、その一室に集まる。何とも言えない空気が、この場を支配していた。
「……色々聞きたいことはあるけど……まずその【歌神候補】ってなんなのよ?」
誰もがどう切り出すか悩んでいたところに落とされたのは、ナヅキの問いかけ。
それに少しだけ微笑んで、ソレイユ先輩は宿の木目調の天井を見上げながら語りだした。
【歌神候補】……ツィールト・ザンクは、この世界とは違う世界……神々の住まう世界、『神界』の神様だった。
いや、厳密には神様にはなれなかったのだが。
彼はその身に【闇】……オレの中にいる《彼》曰く【魔王因子】というものを宿し、【全能神】たちにその存在の抹消を望まれ、味方である仲間たちと共に逃亡していたそうだ。
【全能神】たちはそんな【歌神候補】と仲間たちを追い詰め、やがて仲間たちを殺した。
仲間たちによって逃げることに成功した【歌神候補】だが、彼らの死に耐えきれず……現れた【神殺し】に殺してくれ、と頼んだという。
先輩の説明に、オレたちは思わず【神殺し】……ディアナを見る。彼は何かに耐えるように俯いていた。
「……別に、ディアナを責めたいわけじゃないんだ。オレは【歌神候補】と直接関わりがあったわけじゃないし……」
ただ一度だけ見たその儚い少年を追い詰め、自分を含む配下の天使たちに事実を語ろうとしなかった【全能神】に対して不信感を抱いているだけだ、とソレイユ先輩は語る。
「ところで」
ふと疑問が沸き上がったオレの声が、一瞬の静寂に包まれた空気を破った。
「その【全能神】……って、つまりカミサマッスか?」
その言葉に、ナヅキたちも先輩たちを見つめる。
答えをくれたのは、それまで黙って聞いていたリブラだった。
「……はい、そうです。
【全能神】……ゼウス様は、数多の天使と神々を束ねる、いわば神々の王。
その二つ名の通り、全知全能の力を持つとされる威厳ある神……のはずです……」
しかし連日の戦いや先ほどのソレイユ先輩の話が堪えているのだろう、後半は曖昧な声音になっていた。
そんな彼女に感謝を述べてから、オレは今度は深雪先輩に視線を向ける。
「……深雪先輩、この前自分のことを【ウタガミ】と言ってたけど……何か関係があるんスか?」
「たいしたものではありませんヨ。
ただ、その【歌神候補】さんのお力を受け継いだというだけですから。
厳密には【神】ではないんです。その辺、ややこしいですからネ」
確か【海神】セシリアと逢ったときにそのようなことを言っていたはずだ、と思い出し問いかければ、思いの外あっさりと返事が返ってきた。
まだ少し疑問点はあるが、まあオレが気になることはこの辺かな……と口を閉じた時だった。
「……あの、蒼い剣士……」
ぽつりと声が漏れる。隣に座っていたソカルだ。
「……ヒアを、殺すって……言った」
「そ、そうよ!! なんなのアイツ!! 初対面でいきなり宣戦布告とか何様のつもり!?」
ソカルとナヅキの剣幕に、折角考えないようにしてたのになあ、と苦笑いを溢す。
フィリとリブラも先輩たちをじっと見つめている。
「……あの人、深雪さんたちの知り合いですか?」
尋ねたフィリに、先輩たちはそうだと頷く。
「……彼の名前は、朝。
……我々と同じ……“双騎士”です」
「“双騎士”……!? あんな奴がっ!?」
そっと深紅の瞳を閉じて答えた深雪先輩を、ソカルがきつく睨んだ。
オレとしても、殺すと言ってきた相手が自分たちと同じ……そして恐らく先輩に当たるであろう“双騎士”だということに、少なからずショックを受けている。
なぜ、そんな殺意を受けなければならないのか。
問えば、先輩たちは苦々しい表情を浮かべた。
「……それは……」
「……前に、イビアさんたちが『ヒアの中に自分たちの最終兵器が憑依してる』って言ってたけど、もしかしてそれ?
だとしたら、随分と傍迷惑な最終兵器ね。
今までヒアが特に何も言わなかったから、あえて触れずにいたけどさ!」
まるで自分のことのように怒ってくれているナヅキとそれに同意するように頷くソカルたちを見て、説明が面倒くさくてあえて黙っていた《彼》に関することで、仲間たちにずいぶん心配をかけていたことに今更気付いてしまった。
(ああ、そんな顔をさせたいわけじゃなかったのになあ)
「……そうですネ。彼……朝くんがヒアくんの命を奪うと宣言した理由としては……我々が《彼》と呼ぶ存在がヒアくんの中にいるからです」
「……一体どうして、アーくんの中にいるです……?」
不安げな顔でフィリが首を傾げれば、深雪先輩は「そこまではわからない」と俯いてしまった。
「なぜ《彼》がヒアくんの中にいるのか……なぜ、ヒアくんでなければいけなかったのか……我々もわからないのです。
……《彼》は、私たちですら……避けているようですから」
悲しそうな笑顔を浮かべる先輩に、オレは思わず中で聞いているであろう当人に心の中で話しかけた。
(……お前、お前の話題出てるけど……なんか言うことないのか?)
しかし《彼》からは返事がなく、心にはただ静寂が広がるばかりだった。
「ヒア。アンタは何か知ってんの? 当事者なわけだし」
ナヅキの問いかけに、オレは答えを持ち合わせていない。首を横に振ってから、静かに口を開く。
「……オレだって、《あいつ》のこと知ってるわけじゃない。
いつもオレのピンチに助けてくれるくらいだし……」
言いかけて、ふと目の前にいる先輩たちを見る。この人たちは、《彼》の正体や名前を……知っているのではないか?
「……《あいつ》は……何者なんですか? 先輩たち、知ってるんですよね?」
《彼》のことも、あの朝という名前の蒼い剣士のことも。
だが、それに答えたのは先ほどまで黙したままだった話題の人物だった。
――おねがい、ヒア。……なにも、きかないで――
舌っ足らずで泣き出しそうなその声に、口を噤んでしまう。
しかしそんなオレに気が付いたのか、俯いたままだったディアナがこちらを真っ直ぐに見つめてきた。
「……今、《彼》から何か言われたのか」
「え、あ……うん……。『何も聞くな』って……」
そう素直に言葉を返せば、ディアナと先輩たちが複雑そうな表情でため息を吐いた。
「……まあ、《彼》がそう言うのでしたら……我々は何もお教えすることはできませんネ……」
「……っそうやって!! そうやってまた何も説明せずに、そうしてヒアに嫌な思いをさせたり傷付けたりするのか、お前らはっ!!」
あくまでも静かに語っていた深雪先輩に、ソカルが激昂する。
まあ彼にしては随分と平静を保った方だな、とどこか他人事のように考えながら、オレはそっと彼の腕を引いた。
「ソカル、いいんだ」
「いいって、何が!! 全然よくないよ!!」
「……それでもオレは、いつも助けてくれる《あいつ》のことを信じてる。
たとえそれで……あの剣士に、命を狙われているとしても」
辛そうなソカルを横目にそう言い切れば、その場にいた全員が息を飲んだ。
(そう、命を狙われるなんて慣れっこだ)
(“あの時”……前世のときから、ずっと……――)
涙を湛えた相棒には、気が付けずに。
+++
「あああああっ!! トリトア!! トリトアがぁっ!!」
黒に包まれた、どこかの世界。青い髪の少女……【海神】セシリアが悲痛そうな声をあげた。
「ミネルくぅん!! あたし、あたしの部下がやられたよー!!」
「……“双騎士”……いえ、あの【世界樹】が……まさか」
ポニーテールを揺らしながら自身に泣きつくセシリアをそのままに、【識神】ミネルは手を口元に当てて独り言ちている。
その様子を見ながら、緑髪の少年……アルティがぽつりと呟いた。
「部下を……殺されたのなら、セシリアが……“双騎士”たちを直接……倒せば、いいんじゃない……?」
「……はっ! ……そうね、そうよね!!
てかあたし、前にあいつらに『絶対倒す』って言ったし!!」
彼の発言に気を取り直したのか、セシリアはパッと顔をあげてうんうん、と頷き背の高いミネルを見上げた。
「てわけでミネルくん、あたしちょっと行ってくるねー!!」
やられたらやり返すのが基本だよね! と明るく言い放ち、彼女はそのまま駆け出してしまった。
呆然とするミネルに、傍で静かに彼らの会話を聞いていた金髪の女性……アーディが苦笑いを浮かべる。
「セシリアちゃん行かせてもてよかったん、ミネルくん?」
「……まあ、問題はない……はずです。色々と、不安ではありますが」
ミネルは呆れたようにため息を吐き、【全能神】ゼウスに報告をする、と言って踵を返した。
焚き付けた張本人であるアルティを引き摺るように連れていきながら。
「……セシリアちゃん、相手は“双騎士”だけやあらへん……【世界樹】もおるみたいやから、どうか気ぃ付けてな……?」
彼らの後ろ姿を見送りながら、アーディは妹分に思いを馳せる。
見上げた天井は、闇を映したかのようにどこまでも深く……【全能神】の憎しみを、嫌でも彼女に思い知らさせた。
(きっと、全部、アズールちゃんのせいなんや)
(わたしもミネルくんたちも、そう思わんと……耐えれへんかった)
想いは、すれ違ったままに。
Past.29 Fin.