Destiny×Memories

Past.31 ~果てなき絶望~


「……アメリ」


(……藍璃アイリ……!?)


 『オレ』の目の前にいた彼女は、髪型や肌の色以外は幼なじみの少女……藍璃にそっくりだった。
 呆然とするオレを余所に、『オレ』は彼女に近づく。
 前回とは違い目隠しをしていない分、窓の外に広がる砂漠を反射して届く夕焼けの光が、なぜだが痛く感じていた。

「やあ、アメリ。私に何か用かい?」

「あっ、いいえ……! ……ただ、ぼんやりとしてらっしゃったので、お体の具合でも悪いのかと」

 藍色の髪を揺らしながら、彼女……アメリは困ったように笑っている。

(……アメリ。そう、彼女は……アメリ)

 『オレ』……クラアトの幼なじみで、この王宮で働く女の子で、『オレ』の身の回りの世話をしてくれている従者。
 ……そして、紅い瞳を気にする『オレ』の唯一の理解者でもある。

(……そうか、藍璃は彼女の……)

「大丈夫だよ。心配をかけて悪かったね」

「いえ……。最近は……その、色々とありましたから……お疲れでしょう。ゆっくり休んでくださいね」

 突如として様々なことを思い出していくオレを置いて、クラアトとアメリはほのぼのとした会話を続けている。
 色々。そう、例えば……『オレ』の存在を快く思わない奴らに命を狙われたり嫌がらせをされたり、そんな感じのことがこの時は多発していた。
 ……本当は、それらにひどく疲れていた。
 だけど心優しい彼女に心配をかけたくなくて、『オレ』はただ「大丈夫だよ」と微笑むだけだった。

(まあ、彼女は勘が鋭いから、きっと無意味なのだろうけど)

 それでもアメリと過ごす時間は、穏やかで心が休まる一時だった。……この時間がいつまでも続けばいい、と柄になく思うくらいには。
 それくらい、彼女の傍は温かかった。

(それは失くしたくない……大事なぬくもりだった……――)


 +++


 がさり、がさり、と僕は足元に広がる草花を踏み潰す。
 がさり。乾いた音を立ててそれらは無惨な姿へと変わる。
 がさり、がさり、と前へ歩く。
 前方に見据えるのは、未だ仲間たちと先輩、そして蒼の剣士と対峙する……【海神うみがみ】セシリア。
 傍らでは、【神殺しディーサイド】が【神剣】を構えている。
 僕の中に【死神】の力が戻ってくる。きっと、君の記憶も一緒に。
 横たえたヒアの顔を見やれば、悲しそうな……それでもまだ絶望はしていない表情で、心底安心してしまった。

(その記憶がどうか、君にとって安らかなものでありますように)

 そう願う僕は……愚かだろうか……?

「――“永久なる時間の果て,暗闇に潜む光を……死に至る光を。
 目覚めぬ悪夢に紡ぐ死を…… 。【死神】の名の下に”」

 ぶわり、と真っ黒な魔法陣が僕を中心に展開していく。
 【死神】の力を、驚いた顔の【海神】へと解き放つ。

「……っ【死神】の最上級魔法……っ!? まさか、なんで……ッ!!」

「しんで、【海神】。我が主クラアトの名の下に……。
 ――“『シュヴァルツ・ フロイントハイン 』”!!」

 鎌に纏わせた【死神】の力を、全魔力を込めて【海神】にぶつける。
 それまでの戦闘で随分ダメージを食らっていたらしい彼女に、それは見事にぶつかった。

「あっ……ああ……ッああああああああああああッ!!」

 痛みに耐えきれず叫ぶ彼女に、僕はそっと近づく。猫耳娘たちはセシリアから目を逸らしていた。

「……【海神】、それが……“ぼくたち”の痛みだ。大事な人を喪い続ける……痛みだ」

「し……し、らない、しらないわよぉそんなことぉ!! いたい、いたい、やだ、あたし……しぬの……!?」

 起き上がることさえ出来ずに涙をこぼす彼女に、僕はそうだと頷いた。助けるなんてことはしない。 敵であるから。

(……ヒアを傷つけるものは、全て、この僕が)

「……――“夕凪に終焉を,やがて来たるべき未来へ”」

 静かな詠唱が、僕の昏い思考を遮る。【神殺し】が、その力を発動しようとしていた。

「――“全てを屠る光よ,宿れ! 【神殺し】の名の下に! 『ディオ・マタル』”!!」

 僕のものとは全く違う、神々しくて……息を飲むほどに綺麗な魔法陣が、【神殺し】を包む。
 その手に握る【神剣】デイブレイクを、彼は【海神】セシリアに突き刺した。

「ひっ……や、いやああああああッ!! ……やだ……ぜうす、さ、ま……」

 ぱしゃり、と水しぶきを上げて、【海神】はその悲鳴と共に空へ消えていく。
 淡い陽の光を浴びてきらきらと反射する水滴が、やけに綺麗だと思った。


 +++


「そうだ、クラアト様」


 不意にアメリが声をあげた。『オレ』は彼女へ視線を向ける。

「これ……庭園で摘んだんです。庭師が言うには、疲れが取れる香りだとか」

 そう言って彼女が差し出したのは、眩しいほどの白い花束だった。

「後で部屋に飾っておきますね」

 優しく微笑むアメリの手の中で咲き誇るその花からは、林檎のような甘い香りが漂っている。
 草花に詳しくないオレだが、その匂いはなぜだかひどく落ち着いた。

「……アメリ」

 ふと『オレ』は何かを思い立ったように彼女が抱える花束から一輪を抜き取り、アメリの藍色の髪の耳元へそっと挿した。

「くっクラアト様っ!?」

「……うん、綺麗な藍色に白はよく映えるね。とても似合っているよ、アメリ」

 真っ赤になって慌てふためくアメリに、クラアトは心底嬉しそうな笑みを浮かべた。……天然なのか、こいつは。

「あ、う……ありがとう、ございます……。もったいないお言葉です」

「……アメリ、私は」

「あっ、わ、私、まだ仕事がありますのでもう行きますね!

 それではクラアト様、また後で……!」

 朱色の頬のまま、アメリは慌てて部屋を出ていってしまった。
 残された『オレ』は、彼女に伸ばそうとした手を呆然と見つめる。

「……私、は……ただ、王子と従者ではなく、ただの幼なじみとして接してほしいだけなんだ……アメリ……」

 音に乗せた言葉は、彼女に届くことはなく。
 『オレ』はただ、アメリとの関係がかつての『ただの幼なじみ』から変わっていってしまっていることが、悲しかった。
 ……それを口にすれば、きっとアメリは困った顔で笑うのだと、わかっていながら。


 +++


「……倒し、たの……?」


 【海神】が遺した水溜まりが、水蒸気へと変わり曇り空へ昇っていく頃になってから、猫耳娘がぽつりと呟いた。
 辺りを見回せば、【神殺し】や先輩二人、それから蒼の剣士も各々の武器を片付けていた。

「……みたい、ですね……」

 やはり後味が悪いのか、顔色が良くないリブラが彼女に答えた。 魔術師もホッとしたように息をついている。
 僕は未だに眠ったままのヒアへと視線を移す。
 少しだけこぼれた涙を拭ってやれば、彼はくすぐったそうに身動ぎをした。

「どうしようか、そいつ」

 背後からかけられた声に、僕はそちらを振り向く。銃士の先輩が、困ったような笑みで僕たちを見ていた。

「まだ起きないみたいですし……ホワイヴの街へ連れていきましょうか」

「そうだな。お前らもそれでいいな?」

 歌唄いの先輩の言葉に銃士が同意して、僕たちも問題ないと答える。
 曇った空からは、ふわりと雪が降り始めていた。

「……朝、お前も来い」

 【神殺し】が蒼の剣士を見やりそう言った。……彼は真っ直ぐにヒアを睨んでいる。
 その視線から庇うように、僕は相棒を背負った。

「そうですネ。一緒に行きましょう、朝くん」

「……っでも、深雪!! あいつは……ッ!!」

 泣き出しそうな声音だ、と思った。声を荒らげた剣士に、歌唄いは落ち着くよう宥めている。

「《彼》のことを本当に想うのであれば、ヒアくんに手出しするのはやめてください。
 ……それに、ヒアくんたちと共に在れば、きっと《彼》にも会えるはずです」

「……僕、僕は……それでも、《彼》に嫌われても、僕はッ!!」

「いい加減にしろよ、朝」

 平行線を辿る歌唄いと剣士の会話に割り込んだのは、銃士だった。
 怒っているような……それでいてどこか悲しそうな顔で、彼は剣士を見つめる。

「お前、ちょっと周り見えてなさすぎ。《あいつ》だけじゃなくてお前にまで病まれたらこっちが困るんだよ。
 だいたいヒアを殺してほんとに《あいつ》が起きるのか? もしかしたらショックを受けて余計目覚めなくなるかもしれないだろ。
 そうなったら困るのは誰だ? ……お前だろ、朝」

「でも……でも……っ!」

「ていうか、ヒアに死なれたらオレたちも困る。つまりみんな困るんだよ。ってこれ最初に説明されたよな?
 ……ほんとにさ、しっかりしろよお前。《あいつ》が起きたときお前がそんなんじゃ、《あいつ》心配するだろ」

 淡々とした銃士の発言にすぐに言い返すことが出来なかったのか、剣士はその紅い瞳に涙を湛え、一呼吸置いてから叫んだ。

「そんなの……そんなのわかってるよ!!
 でも……でももう、どうしたらいいのかわからないんだよ……っ!!
 五年待った! ずっと待つって決めた!!
 でも怖いんだ僕は、起きなかったらどうしようとか、何で僕には会ってくれないのにそいつには会うんだとか、僕は必要とされてないんじゃないのかとか……っ!!」

「そんなことは」

「あるかもしれない!
 そんなことばかり考えて……考えて……もう、もう、嫌だ……嫌なんだ……。
 どうしたらいいのか……もう、わからない……わからないよぉ……っ」

 歌唄いは銃士に言い過ぎだと咎めてから、蹲って泣き始めてしまった剣士を慰めた。
 銃士は僕の隣に来て、困惑した表情で頭を掻いている。

「……あーあ。騒がしくて悪ぃな、ソカル。
 ……とりあえず、こいつ同行させるな。放っとくと何をしでかすかわかったもんじゃねーし」

「……別に。ヒアに何かしようとしたら……僕が殺すから」

 背中の温もりを感じなから銃士にそう答えれば、彼は疲れたようにゆるく笑った。
 遠巻きに僕らを見ていた猫耳娘たちに行くよ、と促して歩き出す。
 今はとにかく、ヒアの方が何よりも心配だった。


 +++


「……セシリアちゃん?」


 黒い世界で、アーディは金の髪を靡かせながらくるりと振り返った。
 彼女が立つ回廊は、暗闇に包まれて先が見えない。……嫌な予感が彼女を襲う。


「アーディ!」


 不意にバタバタと騒がしい足音が聞こえ、そちらを向くと焦ったような顔をしたミネルが現れた。

「ミネルくん。どないしたん?」

「……セシリアが……“双騎士ナイト”に、倒されました……っ!」

「……っ!!」

 彼の報告に、アーディは思わず息を飲む。
 先ほどの予感の正体はこれだったのか、と手を握りしめた。

「“双騎士”だけではなく……【神殺し】や片翼の【世界樹ユグドラシル】もいたそうですが……」

「……ははっ……。なんやなんや、多勢に無勢すぎるやん……?
 せこいわあ、そんな奴らにセシリアちゃん倒されてもたんやなあ……」

 真っ黒な天井を見上げ、もはや乾いた笑いしか出てこなかった。
 泣いたところで妹分は帰ってこない。
 ……そんなことは、“もう一人の妹分”を失ったときからわかりきっている。

「アルティが『次は自分が行く』と……。とにかく、一度会議をします。
 ……最悪の場合は……人間たちを巻き添えにするしかないかと」

「……せやろなあ。さすがにもうゼウス様かて見逃せへんやろうし……。
 わたしらだけで無関係な人間を巻き込まんようにするんはもう無理やん?」

「……アーディ……」

 そう、無関係な人間たちを巻き込みたくはなかった。
 今まではアーディが無理を承知でゼウスや他の【十神】に進言して、そうして彼らの努力で何とか叶っていたことだった。

(そんなことも知らんと、ええご身分やわ、“双騎士”って)

(……ごめんなあ、アリアちゃん……。 お姉ちゃん、ちょっとアリアちゃんのお願い叶えられそうにないわ……)


『おねがい、おねえさま。人間たちに危害を加えないで……』


 それは、亡くした“もう一人の妹分”……【想神おもいがみ】アリアの遺言だった。
 ……人間の友人が出来た彼女は、救えなかったどころか【全能神】の臣下として彼女たちと敵対したアーディを責めるでもなく、死にゆく定めを嘆くでもなく、ただそう願って……【歌神候補】と共に命を落とした。


「……どうして……こんなことになってもたんやろなあ……?」


 泣き笑いを浮かべた彼女……【愛神】アーディの言葉に、ミネルはただ褐色の瞳をきつく閉じただけだった。



(まるで終わりのない夜のようだった)

(僕はずっと、暗い闇の中を歩いているような……そんな“絶望”を抱いていた)

(……きっとそれは、今にして思えば神々も同じだったのだろう……――)



「……僕はもう、片翼だけでは飛べないよ……《よる》……――」



 Past.31 Fin.

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