Destiny×Memories

Past.45 ~感情伝染~


「……なるほど。だから天使たちが一斉に撤退したわけね」

 船着き場近くで合流したナヅキは、納得したように頷いた。

 彼女はフィリと共に、天使の攻撃から街の人たちを守っていたが、その天使たちが突然撤退していったのだと語った。
 それを聞いたオレたちはこちらで起きた出来事を説明し、街はとりあえず大丈夫そうだからひとまず王都へ行こう、と話がついた……わけだが。

「でも、さっき街の人に聞きましたけど……ゴタゴタしてて人手不足だし、何よりもうじき日が沈むから今からでは船は出せないそうですよ?」

 不安げな表情で魔導書をぎゅっと握りしめながら、フィリがいつの間にか集めてくれた情報を話す。
 そんな彼に、すでに自己紹介を済ませた桜爛オウランさんが朗らかに笑ってみせた。

「大丈夫大丈夫、王都までだろ? アタシの船で送ってってやるよ」

「船……ですか?」

 きょとんと首を傾げたリブラに、停泊していた一隻の船を得意げに指差す桜爛さん。
 それは、純白の船体を夕陽に晒す小型のフェリー……のような船だった。そこまで大きくはないものの、無事に全員乗れそうだ。

 ……ほんと、すごい人と知り合いだな、先輩たち……。

 そうして桜爛さんの船に乗り込んだところで、ふいに背後から声がかけられる。

「皆様! 待ってください!」

 振り返った先にいたのは、茶色の髪をお団子にし、鎧を身に纏った女性兵士だった。

「……あ、さっきの」

 ぽつりと呟いたオレに、女性はええ、と頷く。
 先ほどの戦いで、マユカさんと出会う直前に戦っていた天使。 彼が襲っていた親子を、安全な場所まで連れて行ってくれたのが彼女だった。

「先ほどの襲撃では助かりました、お礼を言わせてください。
 貴方たちが来てくれていなければ、この街はどうなっていたことか……」

「あ……いや……元々はオレたちの責任と言うか……」

 きっちりとした角度で頭を下げる女性に、オレはあたふたとしてしまう。
 元はと言えば、オレたちが【神】と戦っているせいでこの街は巻き込まれたわけだし……。

「……頭を上げてください。それで、我々になんの御用でしょう?」

 おろおろしていたオレに代わって、後方から深雪先輩が女性に声をかけた。
 それに頭を上げた女性は、ビシッと綺麗な敬礼を決めて、名乗りを上げる。

「はっ! 私はロザリア騎士団所属、フェリーネ・キュラスと申します。
 現在は僭越ながら、アリーシャ女王陛下の護衛騎士を務めさせて頂いております。以後、お見知りおきを」

「あ、はい、よろしくお願いします……。
 って、アリーシャ陛下の……護衛騎士?」

 その真面目な勢いに圧されて、オレは気の利いた返事もできず呆然と言葉を返してしまった。
 けれど女性……フェリーネさんは気にすることなく、オレの疑問に答えてくれる。

「はい、その……今は陛下より、内密で港町の視察に赴けとのご命令がありまして。
 まさか天使たちに襲撃されるとは思いませんでしたが……」

 疲れたような顔でため息を吐いた彼女。……もしかしてこのお姉さん、相当な苦労人なのでは……。
 まだ見ぬ女王の性格を想像しなんとも言えない気持ちになるオレをよそ目に、フェリーネさんは気を取り直すように首を振り、話を続けた。

「それより、皆様はこれから王都へ向かわれるのですよね?
 ……大変申し訳ないのですが、私も同行してよろしいでしょうか?」

 聞けば、街のことを現地の騎士団員に任せ王都へ報告に戻ろうとしたが、先のごたごたで船を出せないと言われ途方に暮れていたという。
 その頼みを快諾したオレたち、そしてフェリーネさんを乗せて、桜爛さんの船は夕暮れの港町を出発したのだった。

 +++

「ところで」

 港を経って小一時間ほど経った頃。
 思い思いの場所で休んでいたオレたちに、フェリーネさんがきらきらとした眼差しで話しかけてきた。

「皆様はもしかして……“双騎士ナイト”ですか?」

 なんとなく近くに固まっていたオレたち現“双騎士”組は、その問いかけに思わず顔を見合わせる。
 ……ソカル以外のみんなから伝わるのは、不安や恐怖といった感情。オレもそうだが、きっとグラウミールの街での出来事が軽いトラウマになっているのだろう。
 領主であるジークヴァルトさんの優しさに多少は救われたけれど、まだ胸を刺すような痛みは残っていた。
 しかしずっと黙っているわけにはいかず、オレはこくりと頷いた。

「そう……ですけど」

「ああ、やはり! 女王陛下より貴方がた“双騎士”のお話は聞いておりました。
 特に“召喚者”の皆様は、別の世界からいらっしゃったにも関わらず、この世界のために尽力していらっしゃるとか。
 本当に……本当に、ありがとうございます」

 真っ直ぐな瞳で語られたその言葉に、オレたちは思わず固まってしまう。

「いや……でも、オレたちのせいで……グラウミールやカントスアに天使たちが……」

「ですが、皆様が来てくださらなかったら……この世界は、【神】により滅んでいたと聞きます。
 むしろ、異世界の方の力を借りなければ自らの世界を守ることすら儘ならない我々こそ恥じるべきです。
 ……皆様はもっと、己の使命を、存在する意味を信ずるべきです」

 温かな声音に、オレたちの心に刺さっていた何かが溶ける。
 ……いや、溶けはしない。忘れもしないけれど……赦された、ような気持ちになる。
 現にフィリと、そしてリブラは涙を拭っているし、ナヅキから伝わる感情も、胸につっかえていたモヤモヤが取れたような安堵感だった。

 ジークヴァルトさんやフェリーネさんは、オレたちのことを信じてくれている。
 ……オレたち自身が信じきれなくなった、自分たちの行動を、存在する意味を。
 だから。

「オレも……オレたちも、信じたいです。自分たちの戦いを」

 その薄い桃色の瞳を真っ直ぐ見つめて告げた言葉に、フェリーネさんは嬉しそうに笑ってくれたのだった。

 +++

 念のために見回りをしてきます、と去っていった彼女を見送ってから、オレはぐっと背伸びをする。
 桜爛さんが言うには、夕方に港を経ったから王都に着くのは明日の朝になるとのことだった。
 少し休もうかな、と足を踏み出したオレの耳に、甲板の辺りからふと聞き慣れた声が届く。


「どういうつもりだ、夏瀬 繭耶なつせ マユカ!!」


 それは【神殺しディーサイド】……ディアナの怒声だった。
 怒られているのはマユカさんらしい。隣にいた相棒や仲間たちに視線を巡らせてから、オレたちは興味本位でそちらへと向かった。

 そこにいたのは当事者であるディアナとマユカさん……そして夜先輩と朝先輩だった。

「あ、ヒアたちだ」

「……えーっと……なんか……大きな声が聞こえたんスけど……?」

 なんとも気の抜ける声音でオレたちの名を呼んだ夜先輩に、何があったのかと問いかける。

「えっと、それが……」

 珍しく言い淀む彼に、オレは首を傾げた……が。

「夜、お前もお前だ! なぜマユカをここへ連れてきた!
 僕は……なんの為に……っ!!」

 ディアナの怒りの矛先が、夜先輩へと向く。
 先輩は困ったような笑顔で、「だって」と話し始めた。

「マユカ、あのまま元の世界に戻ったら……また同じように別の異世界へと連れて行かれちゃうし」

 マユカは特異体質だからね、と言い放った夜先輩に、ディアナは深くため息を吐く。
 状況が飲めずにいるオレたちと朝先輩に、話の中心人物であるマユカさんが「長くなるけど」、と説明をしてくれた。

 マユカさんが言うには、彼は過去にローズラインとは別の異世界に飛ばされたことがあったそうだ。
 その世界は本人たちが知らないうちに夜先輩たち先代“双騎士”をも巻き込もうとしていて……放置しておくと、先輩たちを取り込んでしまう可能性があったとか。
 そうなると困る、ということで、その異世界……フェントローゼに、【創造神】アズール・ローゼリアが【神殺し】ディアナを送り込んだ。
 結果として、フェントローゼを創った神はディアナに殺され、フェントローゼは崩壊したそうだ。
 けれど……マユカさんは、その神……【夢神ゆめがみ】セリロスの魂を、自身の魂に取り込んだ。

「……なるほど、だから君は【夢神】のチカラを使えるのか」

「そ。別の異世界で言われたのは、オレは生まれつき“他者の能力をコピーできる”らしいんだ。そういう体質なんだって。
 だから【異端者エレティック】なんて呼ばれてたりしたんだけど」

 ソカルの言葉に、マユカさんはこくりと頷く。

 更にマユカさんは、一度元の世界に戻ったものの再度別の異世界に召喚されてしまい、夜先輩から救援要請を受けたディアナがまた助けにいくことになったそうだ。
 そうしてその別の異世界も崩壊し、夜先輩はマユカさんに問いかけた。


 “今なら……この世界が崩れ、きみが世界を超えるこのタイミングなら、オレの【世界樹】としてのチカラで、きみをオレたちの世界へ連れていける”


 元の世界へ戻って、元の生活に戻るか。別の異世界……ローズラインへ来るか。


 “きみは【異端者】。元の生活に戻ることもできるけど……また今回みたいなことが起こるかもしれない。
 ……きみの中に、【夢神】の存在がある限り。
 今回はオレが【神殺し】に助けを求めたから良かったものの……次があるとは限らないよ――”


「……それ、ほぼ脅迫じゃないッスか」

 二度もマユカさんを助けたというディアナからすれば、確かにたまったものじゃないだろう。

「そうだ。それに……コイツをここへ連れてくることで、コイツの故郷で何が起きたと思う?」

 激しい怒りや虚無感を抱くディアナとは対象的に、夜先輩の心は相変わらず凪いでいた。
 感情の見えない穏やかな笑顔で、先輩はディアナの怒りも朝先輩やオレたちの困惑も、さらりと受け止めている。

「……マユカの弟のこと?」

「えっ……弟って……歩耶アユカ? 夜、歩耶がどうしたんだ!?」

 夜先輩の肩を掴んで詰め寄るマユカさん。
 それを「いたいよ」、と彼の手をそっと離して、先輩はマユカさんの顔をじっと見つめた。

「アユカはね、地球の【世界樹ユグドラシル】に……なったんだ。
 マユカ、きみが【ユメツナギ】になったから」

「ユグドラシル……【世界樹】? 歩耶が……!?」

 驚愕に目を見開くマユカさん。
 【世界樹】というと、つまり夜先輩たちと同じような存在ということだけれど。
 話が見えないオレたちは、首を傾げるしか出来ない。

「それで……ディアナが怒ってるのはそこなのか?」

 オレの問いかけに、彼は静かに首を振った。

「違う。それだけならまだしも……夜は、コイツは、マユカの弟を殺そうとした」

『……えっ!?』

 ディアナから齎された情報に、マユカさんを含むオレたちは揃って声をあげ、夜先輩を見やる。
 朝先輩も驚いたようで、彼の横顔を不審げに見ていた。

「……そうだね。でも、言い訳をするなら、あれはオレのカケラ。
 ヒアの精神にいたのと同じモノ。……その、暴走例」

「暴走例……?」

 聞き返したオレに、夜先輩は海に視線を移す。
 夜の帳が下り始めたそこは、オレンジや紫が織りなす幻想的なグラデーションがかかっていた。

「オレは……地球にはいい思い出が何一つとしてないからね。
 そこへ送り込んだカケラが、嫌なことをいっぱい思い出して……地球を壊そうと画策した」

 【世界樹】を破壊すれば、その世界は崩壊する。
 異世界に連れて行かれたマユカさん、それと連鎖するように、彼の身内であるアユカさんは本人の知らない間に【世界樹】になってしまい。
 暴走したカケラは、“失踪した兄”マユカさんをエサにアユカさんを非日常へ誘い、殺そうとしたのだと、夜先輩は語った。

「……まあ、結果として失敗に終わったわけだけどね。
 【世界樹】を守るための、いわば世界の自己防衛機能が働いて、アユカを守ったから」

 オレたちに背を向けている先輩の表情は、見えない。感情も、何一つとして伝わってこない。

「……でも……アユカを危険な目に合わせたのには変わりない。
 暴走したカケラとは言え、“オレ”という存在がマユカとアユカを傷つけたのには……変わりない」

 くるり、と夜先輩が振り向いた。
 宵闇に包まれた船内を、魔法で灯した明かりが照らす。
 ぽろり、と溢れたひとつの感情。それは。

「……ごめんね、マユカ。謝って許されることじゃないけど……本当に、ごめんなさい……っ」

 一筋だけ流れたその涙から、痛いほどの後悔が伝わる。
 オレたちも、マユカさんもディアナも朝先輩も、それ以上何も言葉を紡ぐことができずにいた。


 +++

 少し考える時間がほしい、とマユカさんは言った。
 そのままその場は解散となり、オレたちは明日に備えて休もうと、それぞれ思い思いの場所へ散っていった。

 そこまで広くないとはいえ一応船室があるらしく、フェリーネさんを含む女性陣にそこを使わせることにした。
 フェリーネさんは「自分は軍人ですから」と断りはしたが、深雪先輩が有無を言わさず船室に押し込んだらしい。
 残った男性陣は、適当な場所で休んでいる。

 オレはというと、夜先輩と話をしてくる、と不安げなソカルと別れて船内を歩き回っていた。
 朝先輩たちがいるから大丈夫だとは思うが、先ほどの夜先輩が何だか心配だった。

 しばらく歩くと、件の先輩はあっさりと見つかった。
 予想に反して一人ぽつんと佇んでいる彼に、一瞬かける言葉を見失う。
 月と星だけが照らす暗い海を、先輩はぼんやりと眺めていた。

「……ヒア?」

 不意に、彼が振り向いた。気配で分かったのだろうか、オレがここにいることに驚く素振りも見せない。

「どうしたの?」

「あー……ちょっと、夜先輩のことが心配で」

 きょとんとしている先輩にそう答えれば、彼は困ったように微笑んだ。

「……さっきのこと? 大丈夫だよ。……心配してくれて、ありがとう」

「……ほんとに大丈夫なんですか?」

 いつもと変わらない笑顔の彼に、オレは思わずそんな言葉をかけていた。
 え、と呟いた先輩に、一歩近づく。手を伸ばせば触れられる距離。困惑する彼の瞳に、眉間にシワを寄せたオレの顔が映っていた。

「先輩……なんで感情を隠しているんですか」

「……」

 夜先輩は昨夜から感情を隠してしまった。原因があるとすれば、オレが余計なことを言ってしまったからか。

「……オレが、昨日言ったことのせいですか。だからオレに伝わらないように感情を隠して……距離を置いてるんですか」

「……ちがうよ。ただ……必要以上に感情を伝えると、ヒアの負担になるから……」

「負担がなんですか!!」

 首を横に振る先輩に、思わず大きな声を出してしまう。
 ああ、本当に、この人は。

「感情隠される方が不安になります! 心配になります!!
 今更……ずっと人の心の中にいて、今更オレの負担とか気にするんですかアンタは!!」

「……ッ!」

「オレには逃げるなとか言っといて、自分は逃げるんですか!?
 オレから……自分自身から!!」

 バタバタと複数の足音が聞こえる。焦ったような、驚いたような感情が流れてくる。
 大声に気づいたらしいソカルたちが、ここへ向かっているようだ。
 夜先輩に再び視線を合わせると、彼は悲しげな顔でオレを見ていた。

「……先輩」

「ヒアの言うとおりだ。オレは……自分を愛することも、許すこともできなくて……逃げてるんだ、何もかもから。
 ヒアにひどいこと言っといて、自分はこのザマなんだから……きみが怒るのも、ディアナたちが怒るのも、よくわかるよ」

 よるは、いつもそう。
 呟いた彼の深海の双眸に、涙が溜まる。
 それから漏れて伝わる想い。怖くて、苦しくて、辛くて、悲しくて……――

「……おねがい、ヒア。これ以上は見ないで……」

「せんぱい」

「戻れなくなるよ。ヒトじゃ、なくなってしまうよ」

 両の手で顔を覆い、夜先輩はそう言った。
 この期に及んでまだ人の心配をする彼に、やるせなさからため息を吐く。……と同時に、フェリーネさんを含む仲間たちがやって来た。

「っ夜!?」

 案の定というか、真っ先に夜先輩に駆け寄ったのは朝先輩だった。
 大丈夫、と震えた声で返す夜先輩を見て、深雪先輩と定位置であるオレの隣にやってきたソカルがオレに視線を向ける。

「……何があったのか、説明できますか?」

 困ったような顔の深雪先輩に、うるさくしてすみません、と頭を下げてから、オレは事情を掻い摘んで話した。

「……なるほど、感情を隠す夜くんが心配で……」

「はい……。えっと……つい言い過ぎたな、とは思ってるんですけど……」

 どこか落ち着いた場所に、と夜先輩を連れて行く朝先輩と、心配そうな顔でそれを誘導するフェリーネさんとソレイユ先輩。
 そしてマユカさんとディアナも着いていき、この場に残ったのはオレたち現“双騎士”組と深雪先輩だけだった。
 
「さて。ヒアくんには一つ、知っておいて頂きたいことがあるのですが……ヒアくん、そういえば皆さんに能力のことはお話しましたか?」

「あ」

 全員を見回しながら放たれた深雪先輩の問いに、オレは間抜けな声を出してしまう。

「能力……です?」

「……ヒア、アンタまた何か隠し事してたの?」

 きょとんとしたフィリとリブラ、それから呆れたような眼差しを送ってくるナヅキに、オレは慌てて弁明する。

「い、いやいや、別に隠してたわけじゃないんだって!!
 ……ただ……オレもこのチカラの詳細は最近知ったわけだし……ほら、ゴタゴタしてたしさ……。
 ……うう、ごめん……」

 しかし、段々とフィリやリブラまでもジト目でオレを見てくるものだから、つい謝ってしまった。
 ……まあ、黙っていたことには変わりないしな……。

「まあまあ、ヒアくんも悪気があったわけではないですし。
 では、改めて。これは我々も先ほどの襲撃のさなか把握した事柄なのですが……ヒアくんには、【太陽神】と同じチカラ、“他者の感情が分かり得るチカラ”が宿っています」

「……えっ!?」

 さらっとした先輩の説明に、ナヅキたちは驚いた顔で一斉にオレを見つめる。

「えーっと……あはは。なんか、そうみたい。
 ……ごめん、別にワザとみんなの感情読んでるわけじゃなくて……制御できるらしいけど、今はできなくて……その。
 気持ち悪い、よな。ほんとごめん……」

 先ほどはあれこれ言い訳をしたが、結局のところオレはナヅキたちに避けられたり嫌われたりするのが怖かった。
 けれど……ごめん、と下げた頭に、軽い衝撃が走る。

「バッカじゃないの!?」

 顔を上げると、ナヅキが拳を握って目の前に立っていた。
 いつもならそんな彼女の暴挙を止めるはずのフィリやリブラも、彼女に同意しているようだ。
 呆然とするオレに、ナヅキがさらに言葉を紡ぐ。

「アンタがワザとそんなことするわけないくらい、わかってるわよ! 別に感情が読まれたって、今更気にしないわよ!!
 黙ってたのも言いづらかったってのもわかる!
 そのチカラを、アンタが悪用したいわけでも望んだわけでもないことも、わかるわよ!!」

「……その上で言うですよ、アーくん。
 僕は確かに頼りないかもしれない……。
 でも、アーくん。僕たち……そんなに信用ないですか……っ!?」

「ヒアさんは私に、困ったら助けてあげたい……それが“仲間”だと、仰ってくださいました。
 だから私は、ヒアさんたちを信じようと……仲間だと認めてくれた皆さんを信じようと決めたのです。
 ……ヒアさんも、信じてください。私たち“仲間”のことを」

 ナヅキが、フィリが、そしてリブラが、思いの丈をぶつけてくる。
 息が詰まる。ああ、オレは、こんなにも。

(大切に、思われていたんだ)

「ヒア」

 優しげな瞳で、感情で、ソカルがオレの手を握った。あたたかい。
 そのぬくもりから伝える、オレを心配するような焦燥感や不安感。けれどそれすら飲み込んで、相棒は微笑んだ。

(……そうか、港で感じた感情は、ソカルの……――)

「君は君だよ。他の誰でも……クラアトでもない。
 それは、君が君自身であるという証のチカラ。……どうか、否定しないであげて」

「……っ!!」

「……ごめんね。僕が言えたことじゃないのは分かってる。
 ……アイツに……夜に言われて、やっと分かったんだ。本当は前から理解してたのに……。
 ヒアはヒアだって。クラアトとは違うんだって……ごめんね、ヒア……」

 ぽつり、ぽつりと手に雫が落ちていく。
 泣き笑いの表情で、ソカルはそれを告げた。

 ……オレが、ずっと欲しかったことばを。

「……っ」

 視界がぼやける。急いで下を向いて、涙を見せないように隠した。

「ご、めん……オレ……みんなのこと、信用してないとかじゃなくて……。
 ただ、怖くて……ずっと、怖くて……!!」

 声が震える。それでもソカルたちは、黙って聞いてくれた。

「ごめんなさい……!!」

 心配かけて。迷惑かけて。不信な思いを抱かせて。それでも……そばに、いてくれて。

「ありがとう……っ」


 +++

「……落ち着きましたか?」

 数分後。
 結局涙を見せまいと頑張ったオレの努力は無駄に終わり、みんなの前で散々泣くという醜態を晒したあと、頃合いを見計らって深雪先輩が話しかけてきた。

「うう……大丈夫ッス……。すみません、お恥ずかしいところを……」

「いえいえ、ヒアくんがそうして皆さんと和解できたのならいいことですヨ」

 青春ですネ~、と笑う先輩は、言葉とは裏腹に優しい感情を宿している。
 ありがとうございます、と返してから、オレはそういえば、と首を傾げた。

「……先輩、オレに知ってて欲しいことがあるとか言ってませんでした?」

「ええ。貴方のチカラと、夜くんのことなのですが……」

 不意に真面目な顔つきになった先輩に、オレたちも居住まいを正す。
 そうして深雪先輩は、「これは以前、【太陽神】から聞いた話なのですが」と前置きしてから話し出した。

「あの子は……夜くんは、【太陽神】やヒアくんの能力……『感情伝染かんじょうでんせん』の影響を受けやすい体質なのだそうです。
 具体的に言えば、『感情伝染』を介して他者の感情……特に負の感情を受け取ってしまうのだとか」

 本来、【太陽神】のチカラ……『感情伝染』は一方通行なのだそうだ。能力保有者が、周りの感情を受け取るだけの。
 けれど、夜先輩は能力保有者が受け取った感情を、本人の意思に関わらず更に受け取ってしまう。
 それゆえに【太陽神】がそのチカラを制御できるようになるまで、夜先輩は仲間の負の感情を受け取り錯乱してしまうなど、色々と大変だったらしい。

「ですので、夜くんが感情を隠すのは……恐らく、ただの自己防衛でしょう。
 ヒアくんのチカラを通じて、自分の感情が自分へと返ってくる……そんな無限ループを防ぐための」

「なるほど……なかなか難儀な体質ですね、夜先輩。
 でも、先輩はオレの負担になるからとか言ってましたけど……?」

 深雪先輩の説明に、納得した、と頷きかけて……先ほどの本人の言葉を思い出す。
 それを伝えると、深雪先輩は「ええ」と話を続けた。

「【神】である【太陽神】ならともかく……普通の人間であるヒアくんにとって、『感情伝染』のチカラは、貴方が思っている以上に負担になっているはずです。
 なにせ、普通はわからない他人の感情がわかりますからね。
 今は親しい方の感情がわかるだけで済んでいますが……いずれ、無関係な人の感情までも伝わるようになってしまうかと……」

 悲しげに目を伏せる深雪先輩に、ひとつ理解したことがあった。

「ああ……だから夜先輩は、戻れなくなるって……」

「そうですね……。今はただの“特別なチカラ”止まりですが……これ以上となると……ヒアくんは、ヒトではなくなってしまいます」

「っ!!」

 夜先輩は、自分の感情を読もうとしたオレに向かって「戻れなくなる、ヒトではなくなってしまう」と言った。
 つまり……オレは、【太陽神】に近い存在になるのだろうか?
 息を呑んだ仲間たち。そしてソカルが、声を上げた。

「なんで……もっと早く……!! ……いや、どうにか出来ないの!? ヒアは……ヒアだけは……っ!!」

「落ち着いてください、ソカルくん。
 とにかく、制御方法を習得すれば大丈夫らしいのですが……こればかりは、ルーくん……【太陽神】に会わないことには……」

 夜風になびく白い髪を押さえながら、深雪先輩は申し訳なさそうに眉を下げる。

「なら!! その【太陽神】に早く会わせてよ!!」

「ソカル」

 そんな先輩にソカルがなおも食い下がるが、オレはそっと彼の腕を引いた。
 相棒が、仲間たちが、オレのために怒ってくれるのは嬉しい。けれど、何事にも優先順位はあるのだ。

「まずは王都に行こう。ジークヴァルトさんからの手紙、女王陛下に渡さないと。
 オレのことは、その後で構わないからさ」

 依頼されたことを終わらせて、それからでも構わないだろう。 それくらいの猶予はあるはずだ。……たぶん。
 そう伝えると、ソカルもナヅキたちも微妙そうな顔をした。

「……アンタなら絶対そう言うと思ったわ……」

「あはは……でも、アーくんらしいですよ」

「でも、辛くなったらいつでも言ってくださいね!」

 ナヅキが呆れた声音でため息を吐き、フィリは困ったように笑って、リブラは心配そうに両手を胸元で握っている。

「……ヒア。お願い、無理だけはしないで。何かあったらすぐに言って。……もっと、僕を頼ってよ……」

 腕を引いた手を握り返して、ソカルにそう懇願されてしまった。

「……みんな心配性だな。
 ……でも、ありがとう。頼りにしてるよ、みんなも……ソカルも、先輩たちも」

 ナヅキを、フィリを、リブラを、ソカルを……そして深雪先輩へ、順に視線を巡らせてそう言えば、みんなは嬉しそうに笑ってくれた。
 その笑顔に、伝わる穏やかな感情に、心が軽くなる。

 ……大丈夫。信じてる。
 みんながいればきっと……過去を、乗り越えていけるんだ。


 あたたかな空気と共に、船は夜の海を渡る。
 若き女王が治める王都・ロマネーナ……そして、運命の時は、すぐそこに。




 Past.45 Fin.
 Next⇒