Destiny×Memories

Past.51 ~絶望する星彩~


 走る彼に手を引かれ、その背を追いかける。
 その光景を横目に、『オレ』はこうなるまでを思い返していた。


 ……『その日』は、ごくごく普通の日だった。これといった行事や儀式もない、ありふれた日常になるはずだった。
 最初に異変に気づいたのは、ソカルだった。

「……何か……燃えるような、ニオイと音が……!」

 困惑したような彼に、アメリが真っ青な顔で立ち上がった。

「ま、まさか敵襲……!? クラアトさま、すぐに避難を……!!」

 彼女はそのまま扉に駆け寄り、外の様子を伺う。
 けれど、『オレ』……クラアトは、目隠しを外しながら冷静に彼らに告げた。

「……とにかく、ここにいても埒が明かない。
 アメリ、ソカル。外へ出て、他の兵士や使用人に事情を聞こう」

 何もなければそれでよし、そうでなければそのまま逃げればいい。
 そう言った彼に、アメリとソカルは各々頷いた。

 扉を開けた先の廊下には、黒い煙と燃えるニオイが充満していた。

「っクラアトさま、こちらを!」

 さっとアメリが手渡したのは、手ぬぐいだった。煙を吸わないようにそれを口元に当て、『オレ』たちは歩き出したのだった。

 +++

「殿下、ご無事でしたか!」

「ラシード」

 廊下を歩く『オレ』たちに、甲冑姿の男が駆け寄ってくる。
 その男の名は、ラシード。『オレ』ことクラアトの護衛を務めることもある兵士だった。

「ラシードさま、これは一体……!?」

 不安げなアメリが彼に問いかけると、ラシードもまた憂いを帯びた黒い瞳を伏せる。
 そうして彼は、とつとつと説明してくれた。

 ラシードが言うには、どうやら王……つまり、『オレ』の父親の側近であった男が乱心し、謀反を起こしたそうだ。
 側近の男は王を殺し、城に火を放って逃走したのだという。

「逃走!? 今も生きているのか!? その罪人を捕らえ処罰を与えるのが君たちの仕事だろう!?」

 突然もたらされた“王の崩御”という情報に、真っ青な顔になる『オレ』とアメリの隣で、ソカルがラシードを詰っていた。
 ラシードもそれに言い返せないのか、申し訳ございません、と深く頭を下げている。

「……面を上げろ、ラシード。……ともかく、今は城内からの脱出が先決だ」

 けれど、不意にそう声を上げたのは、青い顔のままのクラアトだった。
 『オレ』はそのまま矢継ぎ早にラシードへと指示を飛ばす。

「ラシード。お前は生き残っている者たちを集め、城から脱出させろ。道中の怪我人も漏れなく救助するんだ。
 また、動ける兵士たちで二、三人の隊を組み、不法者を捕らえよ。いいな?」

「は……はっ!!」

 彼は一瞬呆気にとられるも、すぐさま気を取り直し『オレ』に一礼して去っていった。
 クラアトはそのまま、アメリとソカルに「城から出よう」と促す。……だが。

「いたぞ!! “赤目の王子アフマル”だ!!」

「っ!?」

 後方から迫ってきたのは、反クラアト派の兵士たちだった。
 クラアトの持つ赤い瞳は不吉だと……更に、同じ赤目で得体のしれない少年ソカルを従者にするなど断じて許容できない、と常日頃から不満を抱いていた者たちだ。

「……これは……お前たちの仕業か?」

「そうだとしたらどうする? 陛下はお前を次期国王にしたいようだったが……お前のような不吉な存在を、我々は認めない!」

 自身の存在のせいでこのような事態が起きたのだと暗に語る兵士に、『オレ』の胸中はざわつく。
 けれどそんな素振りを見せず、クラアトは毅然とした態度で赤い瞳を彼らに向けた。

「ならば! 私一人を狙えばいいだろう!! 王を手にかけるなど言語道断、貴様らはこの国を滅ぼす気か!!」

「お前が王になるくらいなら滅びた方がマシだ!!

 その異界の【魔王】から授かった赤い瞳で王を惑わしたのだろう!!」

 クラアトの言葉に、兵士が罵倒を返す。それに対し、アメリが何か言いたげにしていたが……周囲の異変に気づいたソカルが声をあげた。

「っクラアト! 炎が……っ!!」

「……ッ」

 彼に釣られて辺りを見回せば、いつの間にか炎がすぐ近くまで迫ってきていた。
 逃げよう、と言ったソカルに頷いて、『オレ』はそばにいたアメリの手を引いて駆け出す。

「待て!!」

「逃がすか!!」

 背後からそんな兵士たちの声が聞こえるが、『オレ』たちは振り向くこともなく走り続けた――。

 +++

「……クラアト、大丈夫?」

 不意にかけられた声に、『オレ』はハッと意識を“今”に戻す。
 不安そうな顔のアメリと、心配げなソカルが『オレ』を見ていた。

「……問題ないよ」

 それに大丈夫だと微笑めば、二人は何か言いたげに口を開く。……けれど、それを遮るように遠くから『オレ』たちを探す兵士たちの怒声が聞こえてきた。

「どこだ!!」

「確かこっちに……!」

 その声に身を固くする『オレ』たち。だが、不意にアメリが口を開いた。

「……私が囮になります。ソカルはその隙にクラアト様を」

「っ!!」

「……わかった」

 突然の彼女の提案に、『オレ』は息を飲む。そうして彼女は、綺麗に笑って告げたのだった。

「クラアト様。貴方の為に死ねるなら、私は……本望です。
 彼らはあんな酷いことを言っていましたが……貴方のせいではありません、絶対に。

 ですから、どうか……ご自分を、責めないでくださいね」

「アメ、リ」

 『オレ』を安心させるようにそう語る彼女に、『オレ』は名を呼ぶことしか出来ない。
 行かないで。死なないで。これ以上、失いたくないのに……!!

「ソカル、王子を頼みます!」

「まっ……!!」

 走り去るアメリの背に、縋るように手を伸ばす『オレ』。
 ……だが、その手は届かず宙を掴んだだけだった。

「っアメリ……ッ!!」

「だめ! ……クラアト……お願いだから言うことを聞いて……!」

 彼女の名を叫ぶ『オレ』を、ソカルが懇願するような声で引き止める。
 ……わかっている。わかっていた。それが最善だと。現状『オレ』たちが取れる一手だと。
 まっすぐに自身を見つめる【死神】の紅い瞳に、『オレ』は歯を食いしばった。

 燃えていく。消えていく。『オレ』の、大切な……――
 大切な……――

 +++

 やがて、なんとか城の外へと脱出した『オレ』たち。
 未だ尽きることなく燃え続けるその建物に、『オレ』もソカルも言葉を失くしていた。
 これからのこと、これまでのこと。どうすべきか話そうと、口を開いた……瞬間だった。

「――っぐ……ッ!?」

「っクラアト!?」

 ……熱い。痛い。苦しい……!
 それでもなんとか視線を巡らせると、兵士が『オレ』の身体に剣を突き刺していた。
 おそらくここで待ち伏せをしていたのだろう。彼は狂気を孕んだ瞳で笑う。

「は……ははは、やった、やったぞ……!! “赤目アフマル”を倒した……――」

 ……だが、彼の恍惚は長くは続かなかった。
 紅い目を光らせたソカルが、その首を愛鎌で刎ねたのだ。

「――よくも……よくも、ニンゲンの分際で……クラアトを……こんな目に……ッ!! 許さない、許さない許さない許さない許さない許さない!!」

 息絶えたその兵士に、何度も何度も鎌を突き立てるソカル。彼の体は、銀の髪は、その背に現れた翼と同じように、黒く黒く染まって……。

「っソカル……!」

 痛む身体を動かして、『オレ』は従者に手を伸ばす。
 しかし、彼の足元に黒い魔法陣が展開し、術者であるソカルをも飲み込もうとしていた。

「――“終わりなき夜の果て,我が罪深き傷を以て,彼の者の魂を破壊せよ”……――」

 憎悪を以て紡がれる、暗闇の詠唱。
 『オレ』は……クラアトは、負傷した身体で精一杯叫んだ。

「ソカル――――ッ!!」

 流れる血を厭わず、闇を恐れず、クラアトは暗黒に包まれゆくその細身の体を抱きしめた。
 動きを止める、ソカル。収束していく闇の魔法陣。

「だめだよ、ソカル。そのチカラは……だめだ……。戻れなくなる……」

 意識が朦朧としながらも、ソカルを諭すクラアト。
 そんな主の様子に、ソカルは我に返ったようだった。

「あ……ああ……ックラアト、クラアト……っ!!
 ごめん、ごめんなさい、クラアト、クラアト……っ!!」

「ソカル……泣くな、ソカル……」

 縋りついて涙を流す彼の背を撫でる。もうほとんど感覚は残っていないのに、従者ソカルのぬくもりだけは届いていた。

「クラアト……いかないで……おいていかないで……っ!!」

 泣きじゃくる彼に精一杯微笑んで、『オレ』は手を彼の頬に当てる。
 泣かないでほしい。笑っていてほしい。君にも、彼女にも。
 だから『オレ』は……は君に、“最後の希望”を託した。

「……ソカル。君に……頼みがある」

「……頼み……?」

「そうだ。私を……私の生命たましいを、君に託す。
 この魂が輪廻の果てに転生を果たし、再度死を迎えるまで……側にいて、守ってあげてほしい……」

 そのの言葉に、『オレ』の心がざわつく。
 はソカルの手を握り、霞む視界のまま彼を真っ直ぐに見据えた。

「……っ」

「頼む。これは……【死神】である君にしか頼めないことなんだ……。
 生まれ変わった私は……君のことを覚えていないだろう……。

 だけど、どうか……どうか、ずっと……私の側に……ソカル……」

 掠れていく声。ゆっくり閉じる瞳。
 そんなの様子に、ソカルは何度も何度も頷いた。

「うん……うん……っ! 約束する、約束する……っ!
 ずっと側にいて、守るから……っ!!」

 彼の言葉に酷く安心して、は意識を手放す。
 真っ黒になるセカイ。何も感じない、ゆっくり溶けていく感覚の中で……涙を湛えた君の、優しい声を聞いたんだ。

「ありがとう……クラアト……」


 +++


 ――……【死神】のチカラが戻ってくる。
 あの日……クラアトが死に、ヒアの魂が生まれた日に、ヒアに施した封印が解けていく。

(……ヒア……クラアト……)

 クラアトを失ったときの哀しみは、きっと一生癒えないのだろう。
 だけど“約束”が僕を生かし……ヒアと、巡り会えたから。

「……行けるか、ソカル・ジェフティ」

「……当たり前でしょ」

 隣に並び立ったディアナの言葉に、僕は頷き鎌を手にする。
 深呼吸をひとつして……瞳を閉じた。

「――“永久なる時間の果て,暗闇に潜む光を……死に至る光を。目覚めぬ悪夢に紡ぐ死を…… ――”」

 クラアト。クラアト。
 僕が【死神】だと知っても、周りから蔑まれても、僕のそばにいてくれた、ただ一人のヒト。
 君に訣別を。どうか、良き眠りを。さよならを。
 頬を伝う一筋の涙。流れるそれはそのままに、僕はキッと【神】を睨みつけた。
 黒い線で描かれる魔法陣。僕の体内から魔力が溢れ、言霊と術式によって鎌に【神】を屠るためのチカラを宿していく。
 それに続くように、ディアナも最上級魔法を唱えた。

「――“夕凪に終焉を,やがて来たるべき未来へ。全てを屠る光よ,宿れ……”!」

 僕とは正反対の、光に満ちた魔法が展開される。
 ……同じ、【魔王】をルーツに持つチカラなのに。
 だが、そんな僕らの詠唱に気づいた【愛神あいがみ】アーディがそれを阻止しようと魔法を放った。

「最上級魔法……っ! させへんわ!
 ――“其は欲望に堕ちし魂……我が救済を以て,罪深き者よ,深き慈愛に眠れ! アーディ・フィーリアの名の下に!
 『トート・ドゥルーヒ・レーベリオン』!”」
 
 最上級魔法の術式を展開している僕らは、ここから動けない。
 眠りというを与えるアーディの最上級魔法に咄嗟の判断で反応したのは、【ユメツナギ】マユカだった。

「――“終熄しゅうそくせし幻想,覚醒せし鏡界! 以下詠唱破棄!
 “Colorless”の名の下に!! 『ミラージュファンタズマ』”!!」

 彼女の魔法を止めるため、簡略詠唱で唱えられた彼の最上級魔法。
 現れた巨大な鏡が、【愛神】の魔法を吸収していく。
 苦々しげに整った顔を歪めたアーディだったが……彼女の後を継ぐように、【識神しきがみ】ミネルがマユカへと剣を振るった。

「……っ!」

「させるか!」

 その剣撃を、銃士……ソレイユが魔法弾で阻止しようとする。
 動けないマユカの側に、歌唄い・深雪が駆けつけ、守るように短剣を構えた。

「――“深き闇に閃光を,昏き暁に雷響を! 『ライジング・レイ』”!!」

「深雪、マユカ!!」

 ソレイユから十分に距離を取ったミネルが、マユカと深雪へと雷属性の魔法を放つ。
 ソレイユが銃を撃つが、【神】の魔力を相殺できず……――

「深雪!! ……――ッ!!」

「っマユカさん!?」

 最上級魔法を放った後特有の怠さを振り払い、マユカは目の前にいた深雪を押し退けることで魔法の範囲から逃した。
 結果、ミネルの雷術はマユカ一人に直撃し、彼は声なき悲鳴をあげ地に倒れる。

「マユカッ! ……っソカル!!」

「わかってる!!」

 そんな一連の様子を見ていたディアナが、僕を呼んだ。
 いつでも撃てる、と頷いて、僕らは真名まなを含んだ最後の一文を唱える。

「――“……【死神】の名の下に!! 『シュヴァルツ・ フロイントハイン 』”!!」

「――“【神殺しディーサイド】の名の下に! 『ディオ・マタル』”!!」

 闇と光の攻撃特化型最上級魔法が、【神】を襲った。

「あっ……ああああ……ッ!!」

「っミネル様! アーディ様!!」

 夜と朝の二人と交戦していた【智天使】ヘルヴィが、神々の名を叫ぶ。
 しかし、ミネルは辛うじて僕らの最上級魔法を避けたようだ。

「っアーディ……!」

 悲鳴をあげ地に堕ちゆくアーディに手を伸ばすミネル。
 けれど彼に銃弾が襲いかかる。 ソレイユが牽制を兼ねて撃ったようだ。
 結果としてミネルは彼女に手が届くことはなく、ついに【愛神】アーディは地面に倒れ伏したのだった。


 +++


 ――暗い、昏い、海の中。
 オレは、自分と似た顔立ちをした男と向き合っていた。

「……思い、出したよ。全部……。
 結局ラシードもアメリも『オレ』も……みんな、あの炎で……生命を落としたんだ……」

 幼い頃から見ていた、燃える城の夢。
 あれは、前世の自分が死んだときの出来事だったのだ。
 誰も救えなかった。全て思い出したオレの心に残ったのは、そんな言葉だけだった。

 誰も救えなかった。誰も救えなかった。誰も救えなかった。誰も、誰も、何も、何も何も何も何も……――

『そんなことはない』

 不意に、目の前の男が口を開いた。

『そんなことはないよ、ヒア。確かに私は……誰も救えなかった。
 だけど、君は違う。君は私の生まれ変わりだけれど、私自身ではない・・・・・・・。……そうだろう?』

「それ……は、そうだけど……」

 混濁する、オレとクラアトの記憶。ゆるゆると頭を振るオレに、クラアトは笑ってみせた。

『……ならば、ヒア。君が君である所以を見せよう。
 君が忘れてしまった……君自身の記憶を。

 そして、気付くといい。君の手のひらに残った、大事なものに……——』

 すっと、彼がオレの目に手をかざすと、視界が反転していく。
 赤。一面の赤が、オレの眼前を覆って――

 +++

 在りし日の情景。笑う両親。

『遊園地、たのしかったね!』

 母と談笑する、幼い自分。父の優しい声。
 突然のクラクション。衝撃。浮遊感。
 対向車線を走っていた車が突如暴走し、オレたちの乗る車にぶつかったのだ。
 そう理解する間もなく、燃える乗用車。熱と痛みで泣き叫ぶオレと、意識のない父。オレを抱きしめる母。

『大丈夫、大丈夫よ、緋灯ひあ……』

 へしゃげて開かないドア。……だけどそれは、何者かによって壊された。

『ああ……来てくれたのね』

『……僕は……――』

『わかっているわ。貴方が何者かはわからないけれど……ずっと緋灯を見守っていてくれたのよね?
 だからお願い。緋灯を、助けて……――』

 母の願いに、その男は頷いて……燃える車内から、オレを抱き上げた。
 逆光で顔がよく見えないけれど……炎と同じ、赤い瞳。赤みがかった灰色の髪。 見知ったその色は……もしかしなくても。

(……ソカル……!?)

『……緋灯。大丈夫よ、緋灯。火は、あなたを守るわ。
 ……だから……自分を責めないでね』

 優しく笑む、母の声。薄れる意識の中、幼いオレは無意識に母に手を伸ばして……――

『……ヒア。ごめん……ごめんね……』

 ……次にオレが気がついたときには、病院のベッドの上だった。
 意識を取り戻したと聞きつけた幼なじみ……藍璃アイリが、傍らで言葉を紡ぐ。

『緋灯、貴方のご両親は……もう……』

 ――白い病室。泣きじゃくりながら残酷な現実を突き付ける少女。倒れる点滴。散らばる薬。何かを叫ぶ自分。白衣の大人たち。窓から覗く、哀しいくらいに青い空……――

『火が、燃えて、みんな死ぬんだ……みんな……』

 自分だけが助かった現実が重くて。優しい両親を喪ったことが耐えきれなくて。
 何度も何度も暴れて、何度も何度も死のうとした。
 次第に処方される薬も増えて、入院が長引いた……ある秋の日。
 再びオレの目の前に、あの灰色の髪の男が現れた。

『……ヒア。ごめんね……辛い思いをさせて……ごめん……』

『……なんで。なんで、なんでなんでなんで!! 父さんと母さんを助けなかったんだよ!! なんで……っオレ、だけ……ッ!!』

 責めるオレの声に、辛そうに顔を歪める男。
 何度も何度も「ごめん」と謝る彼に、オレは叫んだ。

『こんな思いをするくらいなら……死んだほうがマシだ!!』

 直後に脳を揺さぶった、叩かれる音と衝撃。
 痛む頬を押さえて加害者を見やれば、その男は大粒の涙を流していた。

『そんな……そんなこと、言わないで……!!
 君の母親が、クラアトが、どんな想いで僕に君の生命を託したと思ってるんだ!!
 ……お願いだから、ヒア……死んだほうがマシだなんて、言わないで……お願い……っ』

 泣きながら願う彼に、オレは言葉を失くす。
 だけど、どうしたらいいかわからなかった。生きることに疲れてしまった。だから、オレは……――

『……忘れ、たい……忘れたいよ……。事故の記憶あんなことも……父さんと母さんのことも……お前のことも……っ』

 こんな激情を抱えたまま生きることなんて、できない。一人のうのうと生きるなんて……できない、から。
 膝を抱えてそう呟いたオレに、彼は涙を拭って静かに頷いた。

『……わかった。……でも、消すわけじゃなくて……封印する、だけ……事故の記憶と僕のことを……封じるだけ、だから……』

 いつか、思い出してしまうかもしれない。
 そう言うや否や、男はどこからともなく鎌を取り出して……振りかざす。

『……ごめんね、ヒア……。
 ――“我がチカラと共に封じるは,彼の者のキオク……。我が祈りよ,亡き願いよ,想いを閉ざせ……《セーマンテリオン》!』

 謝罪と共に紡がれたのは、魔法の呪文のような言霊。
 きらきらと降り注ぐ、優しくも切ないその闇色の光に……オレはひどく安堵して、知るはずのない彼の名前を呼んだのだった。

『……ありがとう、ソカル……』

 ――やがて目を覚ましたオレは、事故の前後の記憶と男の存在を忘れていた。
 辛い出来事からココロを守るために、記憶を失くしたのだと診断され……オレは、日常に戻っていった。

 ……存在を隠し、ずっとそばで見守ってくれていた大切な彼に、気付くこともなく。

 +++

 ……意識が浮上する。
 すべてを思い出して、オレは一瞬呆然としてしまった。
 あの事故からオレを助けてくれたのは紛れもなく、クラアトの従者にしてオレの相棒である【死神】ソカルで……記憶を忘れたいと願ったのは、他の誰でもないオレ自身だったのだ。

(――その過去は、キオクは、きみが本来思い出さなくてもいい遠い昔の出来事だよ。
 思い出せば、きっときみは壊れてしまう。オレの、ように……――)

(――『夕良ゆうら 緋灯ヒア』の記憶は、思い出してはいけない記憶――)

 いつか聞いた、夜先輩の言葉が脳裏で木霊する。
 ……先輩は、知っていたんだ。オレが記憶を捨てたことを。一人だけ助かった罪悪感に耐えきれなくなったことを……――

「っヒア!!」

 ……不意に。相棒の声が耳に届いた。
 バッと顔をあげると、【智天使】ヘルヴィが詠唱を完成させたところだった。

「――“……其は闇を祓う永久の光輝!

 ヘルヴィ・エタンセルの名の下に!! 『アエテルム・グリュエール』”!!」


 最上級魔法が、光の刃と化してオレたちに襲い来る。
 咄嗟のことで動けないオレの前に……ソカルとナヅキが現れた。

「ヒア……っ!! く……ッ!!」

「ヒア……あとは……任せたわよ……ッ!!」

 最上級魔法を直接食らって、地に倒れ伏す二人。
 目の前で流れ出す、赤い赤い液体。……ああ、また、守れなかった。
 どうして。
 どうしていつもこうなってしまうのだろう?
 大切なものはいつだって、この手のひらから零れ落ちていく。……オレは――なにも、だれも、まもれない。

「ナッちゃん!! ソーくん!!」

 ディアナと共にリブラの護衛を言いつけられたのだろう、フィリが眠ったままの彼女の傍らで仲間の名を叫んだ。

『ヒア、無事!?』

 上空にいる夜先輩と朝先輩が同化した存在が、オレに問いかけながらヘルヴィへと攻撃するため剣を振り上げる。
 けれど、最上級魔法を放って動けない彼を守るように、【識神】ミネルがそれを阻止しようと詠唱した。

「させませんよ、【世界樹ユグドラシル】!
 ――“悠遠の響き,凌駕せよ! 『雷響』”!!」

『っ“《ダークエンド》”!!』

 魔力で生まれた雷は、先輩たちの無効化魔法によって霧散する。
 だけどその隙をついて、ミネルは《彼》に急接近した。

『っ!!』

「夜、朝!!」

 ソレイユ先輩が【識神】を狙い銃弾を放つが、軽々と避けられてしまう。

「先輩……っ!!」

 慌ててオレも剣を構えるが……遅すぎた。
 至近距離で展開されたミネルの魔法が、先輩たちを襲う――

「――“轟け,雷鳴! 『ブリッツ』”!!」

「っ夜……!!」

 爆発。轟音。夜先輩の名を呼ぶ、朝先輩の声。
 目を開けていられないほどの光に、オレは彼らが無効化魔法を発動させたことを祈るしかできなかった。
 ……だけど。

「……っ!!」

 空から落ちるのは、淡い空色の青年……朝先輩。
 上空に残ったままの夜先輩は、多少の怪我はあるようだが無事だった。
 ソレイユ先輩が落下する彼に駆け寄り、なんとかその体を受け止める。

「朝! しっかりしろ!!」

 倒れているソカルとナヅキから離れられないオレだが、ソレイユ先輩に呼びかけられても朝先輩が目を覚まさない様子が見えてしまった。
 深雪先輩も駆け寄り簡易的な治癒魔法を施しているが、朝先輩は動かない。

「あ……ああ……」

「……咄嗟に“同化”を解除し、弟を守りましたか。ですが……――」

 ふわりと地面に降り立ち呆然とする夜先輩。けれど、その背後からミネルが魔法を放とうと詠唱を始める。

「っ先輩……!!」

 今度こそ先輩を守ろうと、剣を携えて駆け寄るオレだが……それは、絶叫によって遮られた。

「あああああああああ――ッ!!」

 途端に流れ込む、感情の奔流。

(お兄ちゃん、お兄ちゃん、お兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃん――!!)

「お兄ちゃん、おにいちゃん、おにいちゃん……!!
 いや、やだ、いやああああ……ッ!!」

 荒れ狂う絶望と憎悪の感情に、オレは立っていられずその場にしゃがみこんでしまった。
 蒼く蒼く光る、夜先輩の瞳。真っ暗闇に包まれる、彼の体。
 ピリピリとした空気の中、地面も周囲の木々や建物までもがぱらぱらと“壊れて”いく。

「お兄ちゃんを傷つける世界なんていらない。
 お兄ちゃんを殺す世界なんて……そんな、世界なんて……――
 ……ぜんぶ、よるが、こわすから」

 夜先輩のチカラが暴走し始める。彼が愛したはずの世界を壊すために。

「っこれは……破壊衝動チカラの暴走……!? 所詮は【魔王】ですね……っ」

 呟いたミネルは、そのままヘルヴィを連れて撤退した。
 残されたのは、暴走する夜先輩とボロボロのオレたち。

「っ夜くん……!!」

 深雪先輩が彼の名を呼ぶも、真っ暗な感情に呑み込まれていく彼には届かなくて。
 ああ……けれど。手を引かれ、抱きしめられる彼の体。
 
「僕は、ここにいるよ、夜……」

 動けないはずなのに、致命傷に近い傷を負ったはずなのに。
 絶望に身を落としていくたった一人の弟を助けるためだけに、朝先輩は無理やりにでも動いたのだ。
 夜先輩の瞳から、涙が零れる。彼の身を覆っていた闇が晴れていく。
 止まらない弟の嗚咽と、大丈夫、と繰り返す兄の声が、戦場だった場所に木霊した。

「……せんぱい」

 今もなお治まらない夜先輩からの“感情伝染”に、めまいがする。
 怪我を負って動けないのは、ソカルとナヅキ、リブラとマユカさん、そして朝先輩。
 泣きじゃくる夜先輩を深雪先輩が、傷口が開いたのか血を流して再度意識を失った朝先輩をソレイユ先輩が、それぞれ支えていた。

「……大丈夫か、ヒア」

 リブラをその腕に抱きかかえたディアナが、オレに声をかける。
 それに何とか頷き返して周りを見ると、フィリが涙を堪えながらもナヅキとソカルの応急処置をしてくれていた。

(これだけの怪我人を出して……倒せたのは【愛神】と上位天使二体だけ……)

 空へ還っていく【愛神】アーディの亡骸。すっかり静かになった城下町。
 オレは様々な想いからぎゅっと手を握りしめ、夜先輩から伝わる感情ではなく、自分自身の感情に意識を向ける。

(……オレは結局、“誰も守れなかった”。前世のときも……事故のときも……そして、今も)

 胸を刺すのは後悔と絶望。いつだってオレは、何も守れず誰も救えず……そして、大切な存在ソカルを傷つけてばかりだった。
 彼はそれでもずっと、こんなオレの側にいてくれたのに。
 思い出した前世と自身の記憶が、重い。

(……だけど、オレは……今の、オレ自身の……願いは……――)

「……ヒア、ディアナ、フィリ」

 ふと、ソレイユ先輩がオレたちを呼ぶ。
 ゆるゆると彼に視線を向けると、先輩は朝先輩を支えたまま苦い顔をしていた。
 ……彼から伝わる感情もまた、オレと同じ後悔だった。だけど、先輩は次の一手を打とうとしているのだ。
 深雪先輩はと言うと、泣き疲れたのか意識を失ったらしい夜先輩の頭を膝に乗せ、座ったまま心配そうにこちらを見ていた。

「この怪我人の数だし……王都も突然の戦闘に混乱してるだろうし。
 ちょっと、場所を移動しようか」

「移動……ですか?」

 不安げに問い返したフィリに頷いて、ソレイユ先輩は銃口を地面に向けた。

「そ。この世界の片隅にある安全圏……オレたち先代“双騎士ナイト”の拠点。【太陽神】の庇護下。

 通称、“神殿”だ」

 そこで怪我人の治療と、今後の話し合いをしよう。
 そんな先輩の提案を拒否する理由もなく賛成したオレたち。それを見て、ソレイユ先輩は転移魔法を起動させた。

「じゃ、飛ぶぞ。
 ――“光よ。我らを導き給え……『ヴァンディルクシオ』”!」

 詠唱と共に足元に展開された魔法陣へ先輩が銃を撃てば、眩い光と浮遊感がオレたちを包んだ。

 やがて光が収束し着地した感覚に恐る恐る目を開けると、景色が変わっていた。
 今までいた街中ではなく、そこは天井も床も柱さえも、清楚な白で彩られた場所だった。
 柱の隙間からは青空が見え、廊下の先には荘厳な扉がある。

「ここが……“神殿”……?」

 なるほど、確かに神殿の名に相応しい内装だ。
 独り言ちたオレにソレイユ先輩と深雪先輩がそれぞれ頷く。
 すると、奥の扉が見た目に反して軽やかに開き、中から人影が現れた。
 それは、赤い長髪に白い衣服、星を模した髪留めと、赤と黄色のオッドアイを持った……小さな子どもだった。

「あれ、は……」

 穏やかな笑みを口元に湛えて、子どもはオレたちのもとへと歩いてくる。
 そうしてその子はオレたちの少し手前で立ち止まり、にこりと笑って告げたのだった。

「はじめまして、ヒアくん、フィリくん。ぼくはルー。
 【太陽神】ルー・トゥアハ・デ・ダナーンだよ」

 輝くようなその笑顔は、まさしく太陽の光のようで。
 あまりの眩しさ清らかさに、オレは直視できなくて……――


 目を、反らしてしまった。


清らかなその子どもと同じ能力を持っているだなんて、今のオレにはあまりにも……残酷すぎて)


(だって、オレは、何も誰も救えず守れずに、弱いから傷つけてばかりで……)


 全てを思い出した今、どんな顔で、ソカルと話せばいいのだろう……?



 Past.51 Fin.
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