「はじめまして、ヒアくん、フィリくん。ぼくはルー。
【太陽神】ルー・トゥアハ・デ・ダナーンだよ」
そう言って笑う子どもは、まさしく太陽のように眩しくて。
目をそらしながらも倒れているソカルたちの分まで自己紹介を済ませると、子どもが先ほど出てきた扉が再度開いた。
「……話は終わったか」
「あっカイゼルお兄ちゃん!」
聞こえた低い声に、【太陽神】はぱっと花が咲いたような笑顔を浮かべる。
扉から出てきたのは、金髪とアイスブルーの瞳を持った、目つきの悪い青年だった。
彼はこちらをしばらく見たあと、深いため息を吐く。
「……だいたいの事情はリウから聞いてるが……」
「……すみません、カイゼルさん。私たちがついていながら……」
深雪先輩から感じるのは、自責の念。……先輩が気に病むことではないのに。
オレの弱さが、力のなさが、この事態を引き起こしたのに。
「まあ、誰も死んでねえんだ。それで十分だろ。
とりあえず、怪我人を運ぶぞ」
そう言って彼……カイゼルさんがソカルを抱き上げるのを見ながら、オレはぎゅっと手を握り締める。
……けれど、子ども特有の柔らかなてのひらがそれを阻んだ。見れば、優しげなオッドアイがオレをじっと見つめている。
「ヒアくん、だいじょうぶだよ。ヒアくんのせいでも、深雪ちゃんたちのせいでもない。
だから……自分を、責めないでね」
『ですから、どうか……ご自分を、責めないでくださいね』
『だから……自分を責めないでね』
遠い過去に失った、アメリと母と同じ言葉が降り注ぐ。
脳裏をよぎった彼女たちの声に、目の前の【太陽神】の優しい感情に……オレはぽつり、と涙が零れてしまったのだった。
+++
あれから怪我人……ソカルたちと共に大部屋へと案内されたオレたち。
慎重にベッドに寝かされていく彼らを見ていると、不意に部屋のドアが開いた。
そこから入ってきたのは、懐かしい顔ぶれだった。
ナヅキを抱えているオレンジ頭の青年……イビアさん。 夜先輩を背負っているポニーテールの少年……黒翼。
そして、マユカさんを抱えているレンさんと、【予言者】リウさん。
久しぶりだなー、と朗らかに笑うイビアさんに、少しだけ肩の力が抜ける。
そのまま彼らはナヅキたちをベッドに寝かせ、リウさんがひとりひとり丁寧に傷を癒やしていった。
「とりあえず……話はコイツらが起きてからだ。
お前らも今は休め」
レンさんがぶっきらぼうにそう言い、オレはフィリと共に簡単な治療を受けてから、先ほどよりも小さめの部屋に通された。
ぱたん、と扉が閉まって、オレとフィリのふたりきり。
……沈黙が痛い。オレは恐る恐るフィリに声をかけた。
「……フィリ、あの……その……ごめん」
「……なんでアーくんが謝るんです?」
椅子に腰掛けて膝を抱えながらも、フィリは驚くほど冷静だった。
「なんでって……だって、オレを庇ってナヅキがあんな怪我して……。オレが、弱いから……」
【太陽神】には“自分を責めるな”と言われはしたが、それでもやはりこう思ってしまうのだ。
ソカルやナヅキが怪我をしたのはオレのせいだと。
実際二人はオレを庇って怪我をしたわけだし。
……だが、フィリはゆるゆると首を横に振った。白い帽子を脱いだ緑髪が、それに合わせてパサパサと揺れる。
「ナッちゃんが怪我したの、別にアーくんのせいだなんて思ってないですよ。ナッちゃんだって、きっとそう言います。
……それに、ナッちゃんを守れなかった僕の責任でもあります」
僕はナッちゃんのパートナーなのに。
静かに語る彼の感情は、悔しさで溢れていて。
それでも彼はまっすぐに、オレを見つめた。
「……アーくん、記憶を全部取り戻したんですよね?
僕にはその記憶がどんなものだったかはわからないです……でも、アーくんが今すべきことはわかるですよ」
「……今、すべきこと?」
確かにうじうじ悩んでいる場合ではないのはわかる。
だけど、勝手に頭が考えてしまうのだ。“オレのせいだ”、“オレが弱いからだ”、“オレがもっと強ければ”……と。
フィリはそんなオレを見抜いているかのように、悔しい感情を仲間に向ける優しさで覆い隠した。
「はい。ソーくんと……ちゃんとお話してくださいね。
ソーくん、アーくんと対等になりたい……向き合いたいって言っていましたから」
ふわりと微笑む彼から告げられたソカルの想いに、オレは静かに頷く。
「……うん。ありがとうな、フィリ。ソカルが起きたら……ちゃんと、話すよ。
オレも……ソカルとは、対等でありたいから」
オレはソカルに酷いことをした。知らなかったとはいえ……助けてくれたのは、いつだって彼なのに。
だからこそ、ちゃんと話がしたい。伝えたい想いが……あるから。
そう言ったオレに、フィリは笑顔で頷いてくれたのだった。
+++
――翌日。
オレとフィリが大部屋に入ると、すでにソカルとナヅキ、朝先輩が起きていた。
どうやら亜人種である彼らは、人間であるリブラたちより怪我の治りが早く、深雪先輩とディアナから倒れたあとの話を聞いていたらしい。
未だ眠る夜先輩の傍らには、心配そうにその手を握っている黒翼と、オレたちを見て手を振ってくれたイビアさんがいる。
存外元気そうなナヅキたちの様子にほっと息を吐いたオレの隣で、フィリがボロボロと泣き出した。
「ナッちゃん~っ!! よかった、よかったです……っ!!」
「ちょ、泣かなくてもいいでしょ!? あーもう、心配かけてごめんってば……!」
泣きじゃくるフィリと、困ったようにその頭を撫でるナヅキ。
その微笑ましい光景を笑いながら見ていると、自身に向けられる感情と視線に気付く。
それらの持ち主へと向き直ると、やはり複雑そうな顔をしたソカルがこちらを見ていた。
「……ソカル」
「あ……ヒア……その……えっと……」
言葉を探しているのか、おろおろとしているソカル。
そんな彼を見かねたのか、ナヅキが盛大にため息を吐いた。
「はあ……。ソカル、アンタもう動いて大丈夫なんでしょ?
だったらちょっとヒアと二人でちゃんと話してきなさいよ」
「え、そうなのか? 結構出血酷かったように見えたけど……」
何せ【神】の魔法が直撃したのだ。いくらリウさんの回復魔法で怪我が治ったとしても、流れた血までは治らないと思うのだが。
「一応、僕も【神】だし。一晩寝たら治るよ」
驚くオレにソカルはそう説明し、ベッドから降りようとする。
けれどオレは慌ててそれを止め、寝具の上に彼を押し戻した。
「ちょ、でもほら、まだ安静にしといた方がいいって!
……話なら、ここでいいからさ」
そう言えば、彼は「大丈夫だけど、ヒアがそれでいいなら……」と頷いてくれた。
「……色々言いたいことはあるけど……とりあえず。
ごめんな、ソカル」
「……ヒア……」
清潔そうな白いベッドに腰掛けるソカルの横に座って、オレは膝の上でギュッと手を握る。
「思い出したよ、全部。……クラアトの記憶も、オレ自身の記憶も……。
ソカルがずっと、オレのことを守ってくれていたことも」
その言葉に、ソカルはひゅっと息を飲んだ。伝わる感情。不安と、動揺。
きっと……またオレが自分を拒絶することを恐れているのだろう。
だからこそ、オレは彼の目をしっかりと見つめた。赤い赤い、彼の瞳。
クラアトからすべてを奪った色。オレから家族を奪った色。
だけど大切な……大切な相棒が持つ色。
「――ありがとう、ソカル。側にいてくれて。守ってくれて。……助けて、くれて。
酷いこと言って、ごめん。嫌な思いさせてごめん。
だけど、オレは……虫がいいかもしれないけど、オレはさ……」
ひとつひとつ言葉を紡ぐたびに、ソカルの赤目からぽろぽろと涙が落ちていく。
透き通ったその雫は、まるで彼のココロのように綺麗で。
色んな出来事があったオレたちだけど……それでも、オレは。
クラアトではない、“夕良 緋灯”の願いは……たったひとつだった。
「……オレは、ずっとソカルと一緒にいたい。
だから……これからもさ、側にいてくれないかな……?」
たくさん傷つけた。 独りにさせた。また、置いて逝くことになるのかもしれない。
それでも……何も、誰も救えなかった“オレ”たちだけれど……この手の中に、たった一つ残った希望。大切なモノ。
……それが、ソカル・ジェフティという存在だった。
少し間を空けてから、彼はとうとう本格的に泣き出してしまった。
だが、それが負の感情から来る涙ではないことは伝わっている。
「うん……うん……っ!」
ボロボロと溢れ出る涙を手の甲で拭いながら、ソカルは何度も何度も首を縦に振ってくれた。
喜び。安堵。それでもほんの少しだけ見える、罪悪感と後悔。
「ぼく……僕の方こそ、辛い思いさせてごめん……っ!
でも、だけど……僕も、ヒアと一緒にいたい……。
クラアトの命令じゃなくて、クラアトの生まれ変わりだからじゃなくて……僕の意思で、他の誰でもない“夕良
緋灯”と……僕に残された希望と……っ!
今度こそ、ずっと……ずっと一緒にいたい……っ!!」
やっと見つけた、“オレ”の願い。
やっと聞けた、相棒の想い。
クラアトがソカルに託した希望。すべてを失くしたオレが手にした奇跡。
オレたちのココロは、やっとひとつになれたんだ……――
+++
しばらくして、ようやくソカルが泣き止んでくれた。
ごめんね、と謝る彼に、何で謝るんだよ、と頭を小突く。
それに痛いよ、と言いながら笑った彼にホッとして息を吐いた。……その時。
「アンタらのやり取り、見てるこっちが恥ずかしいわ……。プロポーズかっての」
呆れたような声が、オレたちに降り注ぐ。
慌てて視線を向けると、ジト目でオレとソカルを見ているナヅキと苦笑いを浮かべているフィリがいた。
さらに、いつの間に起きたのか、リブラとマユカさんも微笑ましそうにこちらを見ている。
「いやー、青春ですネェ」
心底楽しそうに笑っているのは深雪先輩だ。
……うん、よくよく考えたら確かにプロポーズとも取れる発言してたなオレたち……!?
自身の言動を思い出して、思わず顔が熱くなる。
「ちょ、誤解です!?」
「そんなに精一杯否定する辺りが余計に……」
「違いますって!!」
だめだ、完全にからかわれている。ニコニコ笑う深雪先輩には到底勝てる気がしない。
ソカルが何とも言えない顔でため息をひとつ。それから助け舟とばかりに、近くのベッドに腰掛けていたリブラへと声をかけてくれた。
「……起きて早々騒がしくてごめんね。怪我は大丈夫?」
その言葉が自身に向けられていると気付いたリブラは、申し訳無さそうな顔でこくりと頷く。
「はい、怪我はすっかり大丈夫です。……その、ご迷惑をおかけして……」
「そういうのナシ! てか、怪我したって点ではアタシもソカルもマユカさんも……あと朝さんも同じだし。
結果として、アンタが最上級魔法でみんなを回復してくれたから、【神】や天使を倒せたわけなんだから……誰が悪いとかないわよ」
でしょ? と言いながら、ナヅキはオレたちを見回した。
彼女の発言に、オレ以外のみんなが思い思いに首肯する。
それを満足げに眺めたあと、彼女は「だから」とオレに視線を合わせた。
「アンタも“自分のせいだ”なんて思わないこと!
……まあ、その顔見てたら大丈夫そうだけどね」
アンタのことだから、“自分のせい”ってうじうじしてるかと思ってたわ。
……物言いこそキツいが、ナヅキはナヅキなりにオレのことを気にかけてくれていたのだろう。
オレはこくりと首を振り、フィリを見やった。
「大丈夫だよ、ありがとう。……フィリが励ましてくれたからな」
「ふぇっ!? ぼ、僕は思ったことを言っただけなので……っ!!」
突然話を振られたフィリは、そんなことない、と両手と首を振るけれど。
間違いなく、オレは彼の言葉でソカルと向き合うと決心したのだ。
それならいいんだけど、と笑うナヅキ。リブラも深雪先輩もマユカさんも、安心したような笑顔を浮かべている。
オレたちを包む、優しくて穏やかな感情。
だから……オレは。静かに……それでいてはっきりと、声を上げた。
「……あの、さ。聞いて……くれないかな。
オレの……オレたちの、過去を。オレが思い出したすべてを……。
話すことで、整理できると思うからさ」
今まで散々心配をかけてしまったのだ。きちんと話して……そして、出来れば受け止めてほしい。
そう言えば、ナヅキたちはそれぞれ頷いてくれた。
「……オレとソカルの出逢いは、オレの前世……オレが“クラアト”と呼ばれていた頃なんだ」
オレはソカルと目を合わせ、ゆっくりと語り出す。
失くしていた記憶。思い出した大切なモノ。
輪廻と運命の、記憶の話を……――
+++
地球にある、とある砂漠の国。気が遠くなるほど、遠い昔の話。
『オレ』以外の全てが死に絶えた戦場で、『オレ』はその【死神】に出逢った。
「もう、殺したくない」
生まれ持った宿星を呪った彼を、『オレ』は従者として連れ帰った。
当然、他の兵士たちは命を落としているのにただ一人『オレ』は無事であったことや、どこの馬の骨とも知れぬ少年を連れ帰るなり従者にすると宣言したことなど、反発した者も多かった。
けれど、『オレ』付きの侍女である少女……アメリの一押しや、父であった現国王の鶴の一声で、名もない少年は『オレ』の従者となったのだった。
『オレ』は彼に“ソカル”という名を授け、アメリと三人で絆を紡いでいった。
現状に流されるままで困惑していたソカルが、やがて心からの笑顔を向けてくれるようになるまで、半年ほどの月日を要したが。
そうして出逢いから一年が経つ頃。……あの事件が起こった。
王の側近がクーデターを起こしたのだ。
王をその手にかけた側近は、『オレ』……クラアトが次期国王となることを憂い、憤り、行動を起こしたのだという。
……クラアトの血のように赤い不吉な瞳は、“異界の魔王”から授かったものだから、と。
その言葉に、一部の仲間たちが夜先輩へと視線を向ける。
ひとり眠ったままの夜先輩。彼は【神】から何度も【魔王】と呼ばれていたし……まあ当然の反応だろう。
オレはそんな仲間たちを気にせず、話を続けた。
クーデターを起こした側近の信奉者たちに追い詰められた『オレ』たちだが、なんとか燃え盛る城から脱出できた。
……アメリという、大きな犠牲を払って。
絶望に打ちひしがれる『オレ』だったが……その背後から、反クラアト派の兵士に体を貫かれてしまった。
痛みに意識が朦朧とする中、激高したソカルがその兵士の首を刎ねるのを見た。
そうして怒りに身を堕とす彼を、傷口が開くことも厭わずに引き止める。
泣きじゃくる従者に、『オレ』は微笑んでみせた。
「……ソカル。君に……頼みがある」
『オレ』は自身の生命を、【死神】である彼に預けた。
この魂が輪廻の果てに転生を果たし、再度死を迎えるまで……側にいて、守ってくれ、と。
涙で顔を濡らしながら頷いてくれたソカルに安心して、『オレ』……クラアトはその生涯を閉じたのだった。
……そして、クラアトの魂は流転し……夕良 緋灯へと生まれ変わる。
ソカルはクラアトの約束通り、オレのことをずっと見守っていてくれたようだ。
……だから、『あの日』……彼は、オレを助けに来たんだ。
なんてことない休日。遊びに行った遊園地から帰る途中、オレたちの乗る車は事故に巻き込まれた。
反対車線を走っていた車の暴走。
それに衝突され、オレたちの車は崖から転落し……燃え盛る炎の中、痛みと熱さで泣き叫ぶ幼いオレを、母親はそれでも「大丈夫」だと微笑み続けていた。
結果としてすぐさま壊れたドアが取り払われ……オレは、母の腕から引き離される。
灰色の髪と赤い瞳。それは、オレをずっと見守っていた……ソカルだった。
母はソカルにオレを託し……オレの意識はそこで途切れた。
次に目覚めたときは、病院のベッドの上だった。
やけどの治療のため入院していたが……気づけば、出される薬は精神に関するものばかりになっていた。
ひとりだけ助かったという事実が重くて……苦しくて。
何度か両親と同じところに逝こうとして……酷く、錯乱していたのだと思う。
「……まあ、実際のところその辺の記憶は曖昧なんだけどさ」
オレは苦笑いを浮かべながらひと息ついて、仲間たちを見回した。
長い話にも関わらず、みんな真剣に聞いてくれているようだ。
フィリやリブラなんかは涙まで流してくれていた。
彼らの様子にオレは救われた気持ちになる。
隣に座っているソカルは、俯いてオレの手を強く握りしめていた。
季節が過ぎ、ある秋の日。
オレの目の前に、再びソカルが現れた。
突然の面会者に、助けてくれた彼に……オレはひどい言葉を投げつけた。
「こんな思いをするくらいなら……死んだほうがマシだ!!」
けれど、その言葉にソカルがオレの頬を叩いた。
痛む頬を押さえて彼を見やれば、ソカルは大粒の涙を流していた。
「そんな……そんなこと、言わないで……!!
君の母親が、クラアトが、どんな想いで僕に君の生命を託したと思ってるんだ!!
……お願いだから、ヒア……死んだほうがマシだなんて、言わないで……お願い……っ」
涙を流して縋り付く彼に、それでも、オレは……――
「……忘れ、たい……忘れたいよ……。事故の記憶も……父さんと母さんのことも……お前のことも……っ」
こんな激情を抱えたまま生きることなんて、できない。 一人のうのうと生きるなんて……できない、から。
膝を抱えて残酷な言葉を吐いたオレに、彼は涙を拭って静かに頷いた。
黒い鎌をどこからか取り出し、ソカルが呪文を唱えると……オレの記憶は掠れていった。
遠のく母の笑顔。父の声。身を焼く熱と、恐怖……それから。
「……ごめんね……ヒア……」
大切な、助けてくれたはずのソカルの存在を……オレは、望んで手放したのだった。
+++
話し終えた後、オレたちを包んだのは……痛いほど静かな静寂だった。
それぞれが様々な表情でオレとソカルを見ている。 彼らから向けられる複雑な感情を受け止めきれず、めまいがするけれど。
(目を、心を逸らしちゃいけない。どんな罵倒でも受け入れるって……決めたから)
「……はあー……」
しかし、しばらく続いたその沈黙は、突然のため息によってかき消された。
オレはその実行者を見やる。そこには呆れたような……それでいて、どこか安堵したような表情を浮かべたナヅキがいた。
「そっか」
それだけだった。ぽつり、と静かにこぼれ落ちたのは、その言葉だけだった。
責めるでもなく、慰めるでもなく、ただ“そうか”と受け入れたのだ、ナヅキは。
隣のフィリとリブラからも、同じ感情が伝わってくる。
……それだけでよかった。どんな言葉よりも、ただ“受け止めた”という事実だけで……十分だった。
「お話してくださって……ありがとうございました、ヒアさん、ソカルさん」
「アーくんとソーくんのこと、知れてよかったです」
リブラとフィリが涙で潤んだ瞳のまま優しげに微笑み、先輩たちも優しい感情を向けてくれていて。
オレは、「ありがとう」と返すだけで精いっぱいだった。
……辛い思いをした。辛い思いをさせてしまった。
だけど……だからこそ、今度こそ。ずっとそばにいたい。 守りたい。大切にしたい。
もちろん、今ここにいるみんなのことも。
オレはソカルの白い手を取って、仲間たちを見回して……そうして心の底から笑ったんだ。
「……こんなオレたちだけど……これからも、よろしく頼むな」
+++
「……それにしても、【魔王】って……」
みんなから思い思いの言葉をもらい、しばらくして落ち着いた頃。
ぽつりと呟いたのは、マユカさんだった。
その呟きに、オレたちは一斉に眠る夜先輩へと視線を向ける。
「夜くんと……何か関係があるのでしょうか……?」
心配そうな声で、深雪先輩が首を傾げた。
……うん、さすがにそろそろ黙っているのも限界なのでは……?
とは言えオレは夜先輩が“そう”である、という事実以上のことを知らない。
つまり、詳しい話は結局彼から直接聞かないといけないのだ。
「クラアトの持つ【魔王】の瞳ってのが何だったのか、オレもよく知らないっス」
「……クラアトは……生まれつき赤い瞳だったって言ってたけど……。
【魔王】のチカラを持っていたのは事実だよ」
オレはクラアトの記憶を思い出したけれど、そもそも細かいところまで覚えているわけではない。
……しかし、相棒が冷静に落とした発言に、オレたちは今度は一斉に彼を見やった。
「そうだっけ?」
「そうだよ。クラアトの“視えないモノが視える”……つまり幽霊とかの類が視えていたアレは、【魔王】由来のチカラなわけだし。
僕の【死神】のチカラも……まあ、一応は【魔王】に関連するチカラだから、わかるよ」
あ、でもヒアにはそんなチカラないから安心してね。
そんなソカルの言葉に、オレは「そうなのか」と頷く。
「……念のため言っておくけどね。
僕の【死神】のチカラやクラアトの赤い瞳……あとディアナの【神殺し】のチカラと言った【魔王】由来のチカラ……【魔王因子】は、夜から与えられたものではないよ」
「そうなの?」
きょとん、と首を傾げたのはナヅキ。……というか、【神殺し】のチカラも【魔王】に関係するものだったのか。
うん、と頭を縦に振って答えたソカルに、オレは疑問をぶつける。
「じゃあ、ソカルたちのチカラの元……っていう表現でいいのかな。それって一体……」
けれど、それに答えたのはソカルではなく。
「それは、【神族・魔王】ヘル。……先代の【魔王】だよ」
抑揚のない声に視線を巡らせれば、夜先輩が起き上がってオレたちを見ていた。
「……話すよ。【魔王】のこと……オレのこと」
「夜……」
その言葉に、彼の隣にいた朝先輩が不安げに弟の手を握る。
けれどそんな兄に目もくれず、無表情にも見える凪いだ瞳で、夜先輩はとつとつと話し出した。
「……【魔王】ヘルは……“破壊”という性質を司っていたから。
本人の性格もなかなかに……酷くて。だから、他の神々から疎まれていたんだ」
夜先輩の話に、ソカルが同意するように頷く。
「……まあ、アレは本当に性格破綻者というか……他人の不幸に付け込むのが趣味というか……。
何にせよ僕は性格合わなかったから、同系統の【神】だけどほとんど話したことないんだけどね」
遠い目をして語るソカルに、オレはその先代【魔王】とやらの性格を想像して微妙な顔になってしまった。
そこで夜先輩はほんの少し口元に笑みを浮かべ、「でも」と続ける。
「色々あって……【魔王】ヘルは討伐された。
だけど……自身を復活させるために、彼は時空を越えて自分の魂を素質のある者たちに植え付けたんだ。
……それが、通称【魔王因子】たち。みんなが知っているヒトだと……【歌神候補】ツィールト・ザンクがそうだね」
……オレも、そう。
そう言って静かに瞳を伏せた彼に、先輩陣が辛そうに顔を歪めた。
「……結局、ヘルが復活することはなかった。
……オレが……【魔王】のチカラを継いだから」
「……それって」
先輩たちもオレたちも、各々息を呑んだり手を握りしめて……夜先輩の言葉を待つ。
夜先輩は凪いだ深海の瞳のまま、ソレを吐き出した。
……彼の存在、その結末を。
「……当代の【神族・魔王】ナイトメア。
……それが、今のオレの本当の名前」
しん、と静まり返る室内。けれど、仲間たちの……特に先輩たちの内面は、様々な感情で溢れていて……――
――ドンッ!!
突然聞こえた、壁を殴る音。予想外のような、想定内のような……その音を出したのは、朝先輩だった。
怒りと、絶望と……哀しみ。荒れ狂う感情の波に、目眩がする。
……ふと、怯えとも恐怖とも取れる感情が伝わってきた。それは、兄の行動に少なからず動揺しているらしい夜先輩のものだった。
しかし彼は……恐らく元の世界でのトラウマに関するであろう感情を閉ざして、それでもいつものように笑うこともなく、無表情を作るのが限度のようだった。
「……夜くん。本当に……あなたは……。
……なぜ、ですか? なぜ【魔王】に……!!
そんな選択をすれば、私たちが……朝くんが悲しむとわかっていたはずです!!」
次いで、いつもは穏やかな深雪先輩が声を張り上げる。
……確か、夜先輩は「【闇】に身を堕とした時、朝先輩たちが助けてくれた」と言っていた。
朝先輩たちからすると、助けたはずの彼が再び同じ【闇】に堕ちているなど……たまったものではないだろう。
ソレイユ先輩も、イビアさんと黒翼、リウさんも、不安げに……そして悲しげに、夜先輩を見つめていた。
「……みんなを……まもりたかったんだ」
ぽつり、と囁くように零れたコトバ。
堰を切ったように流れ出す、夜先輩の感情。
「まもり……たかった。みんなを傷つけることになっても……。
お兄ちゃんも、みんなも、みんなが生きるこのセカイも……まもりたかったんだ」
「……夜」
「でも……もう、これしかなかった。五年前、【魔王】のチカラを使いすぎたオレには……もう……。
死んで、ヘルに体を乗っ取られるか。生きて【魔王】のチカラを継いで……【世界樹】として世界を守るか……」
ベッドの上で膝を抱え語る彼の表情は、見えない。
だけどわかる。伝わる。先輩の後悔が、苦しみが。
「もう終わりたかった、終わらせてしまいたかった! みんなに迷惑かけたオレなんて生きてる価値なんかなくて……死んでしまったほうが楽だって……思って……生命を燃やすために戦ってた……けど。
……せめて、お兄ちゃんだけは……おにいちゃん、だけでも……まもりたくて……っ!!」
ごめんなさい、と繰り返しながら、本格的に泣き出した夜先輩に、オレたちも先輩たちも絶句する。
……特に朝先輩は強く衝撃を受けたようだ。【闇】から助け出した弟が死を望んでいて……それでも、自分を守るためにまたその身を【闇】……【魔王】に捧げたのだから。
「そんなの……そんなの僕は望んでないッ!!
君に守ってもらうほど弱くなんてない、君を犠牲にしてまで守られたくもない!!」
「……じゃあ、オレは死ねばよかった……?」
「そうじゃない……そんなこと言ってない!!」
わあわあと泣き出す双子の兄弟。
それぞれがお互いを大切に想うあまり……きっと、傷つけ合ってしまうのだろう。
辛そうな深雪先輩たちと、泣き続ける双子たちの剥き出しの感情に、オレは立っていられずしゃがみこんでしまう。
「っヒア!? 大丈夫……!?」
「感情伝染か。別の部屋に移動を……」
慌ててソカルがオレを寝具に座らせてくれて、こちらに気づいたディアナが移動を促すが。
「うるせえな。何騒いでんだよ、テメーら」
バン、と大きな音を立てて開いたドアから、薄い金髪の男性……カイゼルさんが現れた。
「わわっ! ヒアくん大丈夫!?」
カイゼルさんの背後から姿を見せた【太陽神】……ルー・トゥアハ・デ・ダナーンが、驚いた顔でオレに駆け寄る。
そんな彼と部屋の中の様子を交互に見回して、カイゼルさんは深くため息を吐いた。
「ルー。とりあえずソイツを別室に連れてけ。
で、起きて早々ケンカかお前ら兄弟は」
カイゼルさんの言葉に頷いたルーが、オレの手を握る。
子どもの暖かな体温に、オレは心が落ち着いていった。
「ヒアくん、とりあえず移動しよう。君たちも一緒に来て」
ルーに声をかけられた現“双騎士”組……そしてリブラとディアナが、オレを囲むように部屋を出る。
ドアが閉まる瞬間、心配そうなカイゼルさんの瞳がオレに向けられていた。
+++
「ヒアくん、落ち着いた?」
別室に入るなり椅子に座らされ、ルーに祈るように手を握られること数分。
子どもから伝わった穏やかな感情に、オレは幾分か体調もよくなっていた。
【太陽神】の問いかけに頷くと、ソカルたちがほっと息を吐く。
「えっと……ごめ……すみません、ご迷惑を……」
「あはは。別に敬語じゃなくてもいいよ? それに……ヒアくんにメイワクかけてるのは、ぼくの方だし」
自分よりも幼い見た目の【太陽神】への接し方がわからずにいると、彼はそう助け船を出してくれた。
ありがたくそれを受け入れることにして、オレは問い返す。
「迷惑? ルーが、オレに?」
うん、と頷いた虹彩異色の瞳が、真っ直ぐにオレを貫いた。
だけど逃げない。目をそらさない。オレは彼を見つめ返す。
「……そうだね。ヒアくんの体調も戻ったことだし、ちゃんと話そうか。
ぼくたちが持つ【神】の権限……“感情伝染”について」
語られるのは……オレが持つチカラのこと。
(……大丈夫。みんながいてくれるから……怖くなんてない)
感じるソカルたちからの感情を胸に、オレは【太陽神】の話に耳を傾けたのだった……――
Past.52 Fin.
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