「――先輩」
星空を見渡せる廊下をソカルと共に歩いていると、夜先輩と朝先輩を見つけた。
それぞれの青い髪が、内蔵された魔力で動くらしい魔法灯なるもので照らされている。
桜爛さんの船にあったものとは違う形のそれを横目に、オレは彼らに声をかけた。
「ヒア。どうしたの?」
きょとんと首を傾げる夜先輩。隣の朝先輩も訝しげだ。
「や、用というほどのことはないんスけど」
「……そういえば」
ただ見かけたから呼んだだけ、と言いかけたオレを遮って、ソカルが口を開く。
「夜……センパイ、港町につく前に“寝起きで上手く動けないから魔力でカバーしてる”って言ってたけど」
「夜、でいいのに。……うん、それがどうしたの?」
ソカル曰く、「“双騎士”としては一応センパイだし」ということでセンパイ呼びをしたらしいのだが、夜先輩は呼び捨てでいい、と苦笑いを浮かべた。
「……じゃあ、夜。それ、【魔王】のチカラのことだよね?」
先輩とソカルのやりとりを微笑ましく見ていたオレだったが、相棒の発言にやっぱり、と呟く。
港町カントスアに辿り着く前、目覚めたばかりの先輩は体をうまく動かせず、戦闘の際は魔力で補っている、と言っていた。
その時ずいぶんと言葉を選んでいたから、【魔王】絡みのことかな、と前日にその秘密を知ってしまったオレは思っていたわけなのだが。
「そうだよ。まあ、魔力であることには変わりないんだけど……あのときは【魔王】のこと、話す勇気がなかったからね」
ソカルいわく、普通の魔力で動かない自分の体を動かすことはできないのだそうだ。
【魔王】、という神のチカラであるから、夜先輩は魔力を身体機能のサポートに当てることができていたらしい。
(ほんと、何でもありだなこの人……)
その時ナヅキが漏らした独り言と同じことを、今更オレも実感する。
困ったように笑う夜先輩に、ソカルがため息を吐いた。
「……まあ、今は使ってないみたいだしいいんだけど。
あまり【魔王】のチカラを使いすぎると、暴走したり身体が追いつかなくなったりするから気をつけてよね。身に覚えがあるみたいだけど」
君の暴走にヒアやみんなが巻き込まれるなんてごめんだから。
ぶっきらぼうにそう言い放ったソカルに、夜先輩は「わかってる」と頷いた。
「だいじょうぶ。これ以上、みんなに迷惑かけるようなことはしないよ」
どこか申し訳無さそうな先輩を見て、オレは先の戦闘を思い出す。
朝先輩が撃墜されて、絶望のあまり暴走しかけた彼。
結局朝先輩が無理をして止めたから事なきを得たものの……彼がいなかったら、今頃どうなっていたことか。
(……そもそも夜先輩、本当に朝先輩が死んだら本気で世界を滅ぼしそうだな……)
過ぎった想像にゾッとしてしまい、オレはそれを振り払うように慌てて声を上げた。
「そ、そういえば!」
しかし唐突な発言に、彼らは驚いたようにオレに視線を向けた。
オレはたじろぎながらも、言葉を紡ぐ。
「……夜先輩は、知ってたんですね。オレの過去を」
「まあ、ね。【世界樹】だから。
……すべてを思い出して、ヒア、君は何を思うの……?」
先輩は、“夕良 緋灯の記憶は思い出してはいけない過去”だと断言していた。オレの過去を知っていたのだ。
それを問えば彼は肯定し、逆に問い返してきた。
凪いだ深海の瞳が、真意を見定めるように覗き込んでくる。
「……そりゃあ、確かに絶望もしましたけど……大丈夫ッスよ。
オレにはみんながいる。だから立ち上がれる。いつだって、何度だって!」
だからオレは、先輩を安心させるように満面の笑みでそう言い切った。
ほっとしたような表情を浮かべた夜先輩が、「そっか」と呟く。
そんな弟を見て同じく安堵したような朝先輩が、ふとオレとソカルへと視線を向けた。
「……君は……君たちは、強いね」
なんの毒も裏もない、真っ直ぐで純粋な言葉。
オレたちは顔を見合わせて、それから先輩たちへと改めて向き合った。
「そんなことないよ」
「さっきも言いましたけど……オレたちにはみんなが、先輩たちがついてますし。
それに……」
……かつてオレは、自分がこの世界に召喚された意味もわからず、“双騎士”であることに自信もなかった。
だけど、今なら胸を張って言える。自分が、何者であるかを。
「オレたちは……他の何者でもない、ただ一人の存在で……この世界を守る“双騎士”ですから!」
みんながいるから。“双騎士”である自分を誇り、認めることができたから。
だからオレたちは、強く在れるのだ。
そう笑って告げたオレに、双子の【世界樹】もまた、優しく笑んでくれたのだった。
+++
――翌朝。オレたちは大広間に集まっていた。
桜華にある【神の洞窟】……そこへと出発するためだ。
「桜華の近くに移動するより、離れた場所の方がこちらの目的がバレないかもしれない」
そう提案したのは、ソレイユ先輩だった。
どちらにしろ【神】からの妨害は受けるだろうが、その回数を少なく、なおかつ最小限に抑えよう……ということらしい。
「神々のことだ。こちらが転移ゲートを再構築することなど予測済みだろうな。
どこに降り立っても変わらないと思うが?」
「それに関しては……できる限り、【世界樹】のチカラでこっちの動きを探知できないようにしてみるから。ある程度は大丈夫だと思うよ」
いつもどおり冷静に話すディアナに、夜先輩がそう言ってこちらも変わらずふわりと微笑んだ。
「じゃあ、どこに降りようか」
ルーが赤い髪を揺らして首を傾げる。
この空中神殿から地上に戻るためには、移動魔法の着地点を決めなければならないらしい。
桜華の近くの街や港街を候補に上げていく先輩たちを見て、オレは一つの思いから恐る恐る手を上げた。
「あの」
思いの外響いてしまった声に、先輩たちもソカルたちも一斉にオレに視線を向ける。
彼らの動作に内心で緊張しながらも、オレはなんとか言葉を紡いだ。
「……移動魔法の着地点ッスけど……王都は……だめですか?
その、海を渡らなくちゃいけないし桜華まで遠いんですけど……」
王都のある島と大陸は、海で隔てられている。
その分当然桜華からは離れてしまうし、到着には時間がかかるだろう。
「ありがとう。生きていてくれて。
ずっと……オレの傍に、いてくれて」
物心がついたときから傍にいてくれた彼女。
事故の後、毎日のように病院に来てくれた彼女。
退院したあとも何かと世話を焼いてくれた、彼女。
「……事故のこと、全部思い出したよ。藍璃がずっと見舞いに来てくれてたのも……オレのために泣いてくれたのも。
ごめんな、心配かけて」
『……っ緋灯……!』
「退院したあと、あちこち連れ回してくれたのも……オレを心配してのことだったんだよな。
今思うと、藍璃のそんな強引さというか……変わらなさに、救われてたんだなって」
学校に通う以外は引きこもりがちだった、退院後のオレ。
それを彼女はいつもどおりの強引さで、変わらない笑顔で、買い物や遊びに連れ出してくれていた。
『やっ……やっと気づいたの!? ほんっと世話が焼けるんだから……!』
「うん……ごめん。
……藍璃。オレ、もう大丈夫だからさ。藍璃やみんながいたから……立ち上がれたんだ」
涙を隠すように声を張り上げた藍璃にそう告げると、彼女は驚いたように目を見開いて、確かめるようにオレをまじまじと見つめた。
「もう逃げない。向き合うよ、自分とも……みんなとも」
真っ直ぐに彼女の瞳を見てそう宣言する。
やがて彼女は軽く息を吐き、それからふわりと微笑んだ。
『……そう。それが聞けて、よかったわ』
「藍璃……」
『……緋灯。ひとつ、約束してくれる?』
穏やかな表情でそう切り出した藍璃に、オレは首を傾げる。
彼女の瞳からはらはらと落ちていく雫を、きれいだと感じながら。
『ちゃんと帰ってきてね。私、ここで待ってるから。
アンタが世界を救うとか、正直未だに嘘みたいだけど……でも、やることやって、使命を果たして、ちゃんと帰ってきなさいよね』
それはオレの心を救う、願いだった。
オレの居場所は、存在を望んでくれる人は、故郷にもいたのだと……はっきりと、伝わったから。
だからオレは、溢れる涙はそのままに、彼女に向かって笑ってみせる。
「ああ、必ず!」
オレと藍璃を繋ぐ、ひとつの約束。
安心したように目を細めた彼女に、オレもまた安堵したのだった。
+++
ふ、と意識が浮上する。ひっそりと煤のついた天井が、視界に入った。
(……オレ、は……)
身を起こすと、滑らかな肌触りの毛布がぱさりと床に落ちる。
慌ててそれを拾ってから、オレは辺りを見回した。
自分が寝かされていたふかふかのソファと、元は手入れが行き届いていたのだろう、煤けながらもきれいな絨毯。シンプルながらも高級さが伺えるシャンデリアと、落ち着いた色合いの調度品。
……どうやら、城の一室のようだ。それも先ほどまでいた仮の謁見の間ではなく、客室なのだろう。
そう理解すると同時に、部屋のドアが開いた。
「……ヒア!」
オレの名を呼びながらそこから現れたのは、見慣れた灰色の髪……ソカルだった。 後ろには先輩たちもいる。
「よかった、目が覚めたんだね」
「ああ。……あの、さっきのは一体?」
ホッとしたような顔のソカルに頷いてから、オレは夜先輩とマユカさんを見やる。
「オレの【ユメツナギ】としてのチカラで、お前と藍璃って子の夢を繋いだんだ。
ぶっつけ本番だったけど……その様子だと、うまく行ったみたいだな」
肩の力を抜いてゆるく笑むマユカさんに、オレはなるほど、と頷いた。
アリーシャ陛下というもうひとりのアメリの生まれ変わりや、【世界樹】である夜先輩と朝先輩がいたからできたことだと説明されたが……魔術に疎いオレにはいまいち理解できなかった。
けれど、そんなものか、と無理やり自身を納得させて、マユカさんにお礼を言うことにする。
「ありがとうございます、マユカさん。
おかげで……藍璃とちゃんと、話せました」
「いやいや、礼を言われるようなことじゃないって」
頭を下げたオレに、彼は慌てたような声をあげる。
そんなオレたちのやりとりを楽しそうに見ながら、ルーが「さて」と切り出した。
「じゃあ、ヒアくんも起きたしそろそろ行こっか」
そう言ってドアを指し示すルーに同意して立ち上がる。
……と、突然再びその扉が開き、朗らかな声が室内に響いた。
「あら、もう行ってしまわれるんです?」
藍の髪を揺らして現れたのは、リツさんを連れたアリーシャ陛下だった。
はい、と首を振ったオレたちに、彼女は残念そうな顔をする。
「もう少しお話したかったのだけど……」
「コイツらにはコイツらのやることがあるんだし、仕方ねえだろ。
……けどまあ、生きて帰ってこなかったら承知しねーからな」
名残惜しそうな姉をぶっきらぼうに宥めながら、リツさんはオレたちに激励を送ってくれた。
もちろんだよ、と夜先輩が微笑むと、その海色の頭部をぽんぽんと軽く叩き、ニッと笑いかける彼。
楽しげな弟とその友人のやりとりを心底嬉しそうに眺めてから、女王はオレとソカルに向き合った。
「……最後に……お二人に、『アメリ』から伝言です」
アメリの名を出され、オレたちは思わず身を固くする。
けれど彼女はそんな緊張感を解すようにふわりと笑み、オレとソカルの手を取った。
「……『出逢ってくれて、ありがとう。哀しい想いをさせて、ごめんなさい』」
「――ッ!」
アメリの声で紡がれたその言霊に、オレは息が詰まってしまう。
『彼女』はそのまま、コトバを重ねる。
『愛してくれて、ありがとう。最期まで傍にいられず、ごめんなさい。
……生きていてくれて、ありがとう。どうか幸せに……』
「アメリ……っ!!」
名を呼んだのは、ソカルだった。
泣き出しそうな彼の声に、『彼女』は笑んだまま困ったように眉を下げた。
『私たちの願いと祈りが、きっと、貴方たちを護ります。
二人の行く末が、希望で満ちていますように……――』
手が離れる。それと同時に消えていく、『彼女』の気配。
……きっと、クラアトと同じで、藍璃と女王のココロから旅立ったのだろう。
遠い場所へ。記憶の先へ。夢の果てへ。
(そこで、クラアトと再会できたらいいな)
悼むように、祈るように一度目を閉じ、また開く。
目の前にいるのは、紛れもなく……藍璃でも、アメリでもない、アリーシャ・ロマネーナその人だった。
「……ありがとうございます、陛下」
「いいえ。お礼を言うのは私たちの方です。
――ありがとう、ヒアさん。過去に、アメリに向き合ってくれて。立ち上がってくれて」
そう言って花が綻ぶような笑みを見せた女王に笑い返す。
行くぞ、とカイゼルさんに促され、扉へと向かうオレたち。
「大変な道のりでしょうが……どうか、この世界をお願いしますね」
「死ぬんじゃねえぞー」
背後で祈るアリーシャ陛下とゆるく手を振るリツさんに、くるりと振り返る。
『彼女』にさよならを。待つ人たちに、一時の別れを。
だから。
「――行ってきます!」
生きていれば、きっとまた逢えるから。
そう信じて、オレは仲間と共に王城を後にする。
彼女たちが願う未来は、希望で満ち溢れている。
それを実現するためにも……オレたちは、歩き続けるんだ。
Past.54 Fin.
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