Destiny×Memories

Past.54 ~トレモロに約束を~


「――先輩」

 星空を見渡せる廊下をソカルと共に歩いていると、夜先輩と朝先輩を見つけた。
 それぞれの青い髪が、内蔵された魔力で動くらしい魔法灯マギアライトなるもので照らされている。
 桜爛オウランさんの船にあったものとは違う形のそれを横目に、オレは彼らに声をかけた。

「ヒア。どうしたの?」

 きょとんと首を傾げる夜先輩。隣の朝先輩も訝しげだ。

「や、用というほどのことはないんスけど」

「……そういえば」

 ただ見かけたから呼んだだけ、と言いかけたオレを遮って、ソカルが口を開く。

「夜……センパイ、港町につく前に“寝起きで上手く動けないから魔力でカバーしてる”って言ってたけど」

「夜、でいいのに。……うん、それがどうしたの?」

  ソカル曰く、「“双騎士ナイト”としては一応センパイだし」ということでセンパイ呼びをしたらしいのだが、夜先輩は呼び捨てでいい、と苦笑いを浮かべた。

「……じゃあ、夜。それ、【魔王】のチカラのことだよね?」

 先輩とソカルのやりとりを微笑ましく見ていたオレだったが、相棒の発言にやっぱり、と呟く。
 港町カントスアに辿り着く前、目覚めたばかりの先輩は体をうまく動かせず、戦闘の際は魔力で補っている、と言っていた。
 その時ずいぶんと言葉を選んでいたから、【魔王】絡みのことかな、と前日にその秘密を知ってしまったオレは思っていたわけなのだが。

「そうだよ。まあ、魔力であることには変わりないんだけど……あのときは【魔王】のこと、話す勇気がなかったからね」

 ソカルいわく、普通の魔力で動かない自分の体を動かすことはできないのだそうだ。
 【魔王】、という神のチカラであるから、夜先輩は魔力を身体機能のサポートに当てることができていたらしい。

(ほんと、何でもありだなこの人……)

 その時ナヅキが漏らした独り言と同じことを、今更オレも実感する。
 困ったように笑う夜先輩に、ソカルがため息を吐いた。

「……まあ、今は使ってないみたいだしいいんだけど。
 あまり【魔王】のチカラを使いすぎると、暴走したり身体が追いつかなくなったりするから気をつけてよね。身に覚えがあるみたいだけど」

 君の暴走にヒアやみんなが巻き込まれるなんてごめんだから。
 ぶっきらぼうにそう言い放ったソカルに、夜先輩は「わかってる」と頷いた。

「だいじょうぶ。これ以上、みんなに迷惑かけるようなことはしないよ」

 どこか申し訳無さそうな先輩を見て、オレは先の戦闘を思い出す。
 朝先輩が撃墜されて、絶望のあまり暴走しかけた彼。
 結局朝先輩が無理をして止めたから事なきを得たものの……彼がいなかったら、今頃どうなっていたことか。

(……そもそも夜先輩、本当に朝先輩が死んだら本気で世界を滅ぼしそうだな……)

 過ぎった想像にゾッとしてしまい、オレはそれを振り払うように慌てて声を上げた。

「そ、そういえば!」

 しかし唐突な発言に、彼らは驚いたようにオレに視線を向けた。
 オレはたじろぎながらも、言葉を紡ぐ。

「……夜先輩は、知ってたんですね。オレの過去を」

「まあ、ね。【世界樹ユグドラシル】だから。
 ……すべてを思い出して、ヒア、君は何を思うの……?」

 先輩は、“夕良 緋灯オレの記憶は思い出してはいけない過去”だと断言していた。オレの過去を知っていたのだ。
 それを問えば彼は肯定し、逆に問い返してきた。
 凪いだ深海の瞳が、真意を見定めるように覗き込んでくる。

「……そりゃあ、確かに絶望もしましたけど……大丈夫ッスよ。
 オレにはみんながいる。だから立ち上がれる。いつだって、何度だって!」

 だからオレは、先輩を安心させるように満面の笑みでそう言い切った。
 ほっとしたような表情を浮かべた夜先輩が、「そっか」と呟く。
 そんな弟を見て同じく安堵したような朝先輩が、ふとオレとソカルへと視線を向けた。

「……君は……君たちは、強いね」

 なんの毒も裏もない、真っ直ぐで純粋な言葉。
 オレたちは顔を見合わせて、それから先輩たちへと改めて向き合った。

「そんなことないよ」

「さっきも言いましたけど……オレたちにはみんなが、先輩たちがついてますし。
 それに……」

 ……かつてオレは、自分がこの世界に召喚された意味もわからず、“双騎士ナイト”であることに自信もなかった。
 だけど、今なら胸を張って言える。自分が、何者であるかを。

「オレたちは……他の何者でもない、ただ一人の存在で……この世界を守る“双騎士”ですから!」

 みんながいるから。“双騎士”である自分を誇り、認めることができたから。
 だからオレたちは、強く在れるのだ。
 そう笑って告げたオレに、双子の【世界樹】もまた、優しく笑んでくれたのだった。


 +++


 ――翌朝。オレたちは大広間に集まっていた。
 桜華オウカにある【神の洞窟】……そこへと出発するためだ。

「桜華の近くに移動するより、離れた場所の方がこちらの目的がバレないかもしれない」

 そう提案したのは、ソレイユ先輩だった。
 どちらにしろ【神】からの妨害は受けるだろうが、その回数を少なく、なおかつ最小限に抑えよう……ということらしい。

「神々のことだ。こちらが転移ゲートを再構築することなど予測済みだろうな。
 どこに降り立っても変わらないと思うが?」

「それに関しては……できる限り、【世界樹】のチカラでこっちの動きを探知できないようにしてみるから。ある程度は大丈夫だと思うよ」

 いつもどおり冷静に話すディアナに、夜先輩がそう言ってこちらも変わらずふわりと微笑んだ。

「じゃあ、どこに降りようか」

 ルーが赤い髪を揺らして首を傾げる。
 この空中神殿から地上に戻るためには、移動魔法の着地点を決めなければならないらしい。
 桜華の近くの街や港街を候補に上げていく先輩たちを見て、オレは一つの思いから恐る恐る手を上げた。

「あの」

 思いの外響いてしまった声に、先輩たちもソカルたちも一斉にオレに視線を向ける。
 彼らの動作に内心で緊張しながらも、オレはなんとか言葉を紡いだ。

「……移動魔法の着地点ッスけど……王都は……だめですか?
 その、海を渡らなくちゃいけないし桜華まで遠いんですけど……」

 王都のある島と大陸は、海で隔てられている。
 その分当然桜華からは離れてしまうし、到着には時間がかかるだろう。

(――だけど、どうしてもオレは……)

「理由を聞いてもよろしいですか?」

 思案しているような沈黙を破ったのは、深雪先輩だった。
 オレは真っ直ぐに先輩たちを見据えて、思いを語る。

「単純に……あれから王都がどうなったのか、気になるので。
 それと……オレ個人のことで申し訳ないッスけど……女王と、話がしたいんです」

 戦火に巻き込まれた王都。結局どのくらいの被害が出たのか、オレたちは知らずにいる。
 それをきちんと確認したいのと……アリーシャ陛下が無事なのかを知りたい。

(それに……オレがすべての記憶を思い出したように、きっと藍璃アイリや女王も……)

 ぎゅっと握りしめた手に、隣に座っていたソカルの手が触れた。
 大丈夫だよ、と赤い瞳が語っている。“感情伝染”がなくてもわかるのは、彼がずっとオレの傍にいてくれたからなのだろう。
 オレは仲間たちを見回して、それから頭を下げた。

「――お願いします。王都に、行かせてください」

 しん、と静まる空間。再びの静寂を、しかし夜先輩の柔らかな声が解く。

「いいよ」

 ゆるゆると頭を上げると、先輩もみんなも微笑んでいた。

「そういう理由なら、まあ反対する意味はないよな」

「アタシも王都がどうなったか、気になるし……」

「確か日中なら高速船が出ていたはずだ。癪だが桜爛のヤツに言えば紹介くらいしてくれるだろ」

 続いて、イビアさんとナヅキが同意してくれて、カイゼルさんが助言してくれる。
 他のみんなも反対意見はないようで、朝先輩と深雪先輩、ソレイユ先輩は港町から桜華への最短ルートを地図上で確認してくれていた。

「ん。じゃあとりあえず、王都に移動しよっか」

「はい!」

 そんな仲間たちの様子を見て、夜先輩がそう纏める。
 オレたち現“双騎士ナイト”組はそれに頷いて、出発準備を整えたのだった。


 +++


 煤けた城壁。指示を出したり受けたりして走り回る兵士たち。優れた治癒術士がいるのか、怪我人こそ少ないが……城下町も王城もボロボロで、未だに混乱状態だった。

 移動魔法で降り立ったそんな王都の現状に、真っ先に動いたのはリブラだった。
 彼女は一言オレたちに、「手伝ってきます」と残して走り去っていった。
 リブラの護衛を兼ねてか、ディアナも黙って彼女についていく。
 行動力がある二人を見送ると、ナヅキとフィリ、深雪先輩とソレイユ先輩、さらに黒翼とイビアさんまでもが彼女ら同様に街を手伝いに行く、と離脱した。
 結局残ったのは、オレとソカル、夜先輩と朝先輩、ルーとカイゼルさん、そしてナヅキたちに同行しようとして夜先輩に引き止められていたマユカさんの七人だけだった。

 余談だが、【予言者】のリウさんとその守護者であるレンさんは“神殿”に残っている。
 戦う力がないから足手まといになる、とリウさんは言っていたが……リブラのように強力な治癒術を持っているのなら、いてくれた方が助かるのだが。
 そんなことを考えているうちに、先輩たちが女王への謁見手続きを済ませてくれていた。

「……ていうか、ルーこそ“神殿”に残ってた方が良かったんじゃないのか?」

 女王は戦火に飲まれた城の中で比較的被害の少ない部屋を臨時の謁見の間とし、そこで兵士や使用人たちに指示を出しているらしい。
 待機室でそんな説明を受けてから、オレはふとルーに話を振った。

「そんなことないよ。僕だって“双騎士”だし。
 最終決戦なのに、お兄ちゃんたちやヒアくんたちががんばっているのに、当事者である僕だけ安全なところで待ってるなんて……できないよ」

 ルーは【太陽神】として、【全能神】に狙われている立場だ。
 前線で共に戦うより、“神殿”にいる方が……と思ったのだが、どうやら彼にも思うところがあるらしい。

「ルーは今まで“神殿”で様子を見ててくれたんだ。……まあ、オレたちみんなが心配性だったってのもあるんだけど……」

 とは、夜先輩の談である。
 足手まといにならないようがんばるね、と微笑むルーの頭をカイゼルさんが乱暴に撫でていると、不意に部屋の扉が開いた。

「皆さま、お待たせいたしました。謁見の間へご案内しますね」

 そんな穏やかな声と共に現れたのは、先日オレたち現“双騎士”を城下町へと続く地下通路まで案内してくれた女性……キオさんだった。
 紺色の髪を揺らしながら歩く彼女の背に、オレは声をかける。

「あ、あの、アリーシャ陛下は……」

「ご無事ですよー。先日も言いましたが、優秀な護衛がいますから」

 女王の安否を気にかけるオレに、キオさんは軽やかに教えてくれた。
 そうして待機室からほど近い場所にあった扉を数回ノックする。どうやらここが臨時の謁見の間らしい。
 すぐさま開かれたシンプルなドアを潜ると、奥の椅子に女王アリーシャが、その両サイドに護衛剣士のフェリーネさんと、眼帯が特徴的な見知らぬ黄土色の髪の男性がいた。
 にこにこと微笑む女王と安堵の表情を浮かべるフェリーネさんとは対象的に、黄土色の男は苦虫を噛み潰したような顔をしている。
 ちなみにキオさんは街で復興の指揮を取っているジルヴェスター卿を手伝いに行く、と言って去ってしまった。

「――リツ」

 ふと、嬉しげな声音をした夜先輩が、オレの背後から顔を出した。
 後ろを見やれば、朝先輩とカイゼルさんもまた、微妙そうな顔をしている。ルーは相変わらずニコニコと笑い、マユカさんは不思議そうな顔をしていたが。

「皆さん、ご無事で何よりです」

「あ、えっと……アリーシャ陛下こそ」

 そんな空気を物ともせず笑う女王に、オレも慌てて言葉を返す。
 彼女も両隣の剣士たちも特に怪我をしてないようで、ほっと息を吐いた。

「うふふ、ありがとう。フェリーネやリツが守ってくれましたから。
 ……ああ、ヒアさんたちはリツとは初対面なのよね。ほら、リツ、ご挨拶は?」

「ガキ扱いやめろよ!?」

 楽しげな声で黄土色の剣士……リツさんに自己紹介を促す女王に彼は嫌そうに抗議し、フェリーネさんは困ったように視線をうろうろさせている。

「リツさん、って確か……女王陛下の弟君の……」

「リッゼル・アスクトだ。
 たまたま姉貴を助けたらそのままなし崩し的に騎士の真似事をさせられて……っておい、笑うな夜!」

 以前聞いた話を思い出して呟くと、リツさんが自己紹介をしてくれる。が、彼の怒声に後ろを向くと、口元に手を当てて肩を震わせている夜先輩が見えた。
 彼はそのまま「ごめん」と謝罪するが、未だにどことなく楽しそうである。

「だってリツ、なんだかんだでお姉さんのこと心配だったんだなあって」

「別に心配とかじゃねえけど! まあちょっと……放っておけなかったというか……寝覚めが悪いというか……。
 ってオレのことはいいだろ!? なんか話に来たんじゃねえのか!?」

 くすくす笑う先輩の追撃に、彼は真っ赤になりながらオレたちに話を振った。
 楽しげな夜先輩に呆然としていたオレは、ハッと我に返り女王を見やる。

「あ、ええと……その……」

「――わかっています、ヒアさん。記憶のこと、ですよね」

 だが、何と言っていいのかわからずに口ごもってしまった。女王はそれまでのにこやかな雰囲気を消し、真剣な目で見つめてくる。

「……はい。オレは……前世の、クラアトの記憶を全て思い出しました。
 だから……貴女や藍璃もそうなんじゃないかと……思って」

 話すオレの手には、自然と力が入っていた。
 最期のとき、『オレ』たちと別れたとき……アメリは何を思っていたのだろう。
 緊張からか身を固くするオレに、女王は深呼吸をひとつ。
 それからこくり、と頷いた。

「――ええ。私もアイリも……『アメリ』と呼ばれていた頃の記憶を、全て思い出しました」

「――ッ!!」

 彼女の告白に、オレとソカルは思わず息を呑む。
 けれど、それ以上に言葉が見つからない。
 黙りこくってしまったオレたちを見かねてか、不意に夜先輩が声を上げた。

「聞きたいこと、確認したいことがあるんでしょ? ……だったら、直接聞くべきだよ。
 ――マユカ、おねがい」

「オレを引き止めたのはこのためか。しょうがないな……。
 ――“共鳴せし夢幻の空間よ,彼の者たちのユメを繋げ……『イリューゾニア』”!」

 そんな二人の会話のあと、短い詠唱と共に軽く背中を押される。
 うわ、とよろめきながらも後ろを見やると、にっこり笑った夜先輩と困ったように微笑むマユカさんが見えて……――

 ぷつり、と意識が途絶えた。


 +++


「……ここ、は……――」

 目を覚ますと、そこは夕焼けの世界……オレの精神世界だった。
 きょろきょろと辺りを見回すが、クラアトの姿は見えない。
 何が何だか、と途方に暮れるオレだったが……突然、名を呼ばれた。

緋灯ひあ

 懐かしい声。それは、ソカルと同じくずっとオレの傍にいてくれた……大切な存在。

「あ……藍璃……!?」

 篠波 藍璃ささなみ アイリ。オレの幼なじみで、アメリのもうひとりの生まれ変わりの少女が、振り返った視線の先で微笑んでいた。

「藍璃、なんで……!?」

 慌てて彼女に駆け寄るが、あと少しで触れられる、というところで薄いガラスのような障壁に手が当たる。

「な……っなんだよ、このガラスみたいなの……!!」

『たぶん、私と緋灯を隔てる世界の壁……みたいなものなんじゃないかな。あるいはココロの壁。
 ……って、アリーシャが言ってたんだけど』

 困ったように笑う藍璃の背後には、オレの精神世界とは違う光景……現代日本の町並みが広がっていた。
 ……オレは知っている。そこがどこであるのかを。

「……お前のいるところ、お前の家の前にある高台か?」

 幼い頃からよく彼女に連れて行かれた、街を一望できる高台。
 昇る朝日を、落ちる夕陽を、煌めく夜景を、藍璃と二人で見ていた。

『そう。私たちの、想い出が詰まった場所。
 それが私の精神世界なんだって、アリーシャから聞いたの』

 って、私アリーシャからの受け売りばっかりね。
 そう言いながら、藍璃は真剣な瞳でオレの顔を覗き込んだ。

『緋灯がソカルくんと異世界にいること、そこで頑張ってること。アリーシャから聞いたわ。
 ……私たちの、前世のことも……思い出した』

「――ッ」

 息を呑むオレに、藍璃が近づく。
 そうしてオレたちを隔てるガラスの壁に手を触れて、彼女は俯いた。

『ごめんね。沢山言いたいことがあったはずなんだけど……緋灯の顔を見たら、どうでも良くなっちゃった。
 だって、緋灯は生きてる。生きて……そこにいる。
 私にはそれだけで、十分すぎるくらいだわ』

 顔を上げた藍璃は、瑠璃色の瞳に涙を湛えていて。
 釣られて溢れそうになるそれを必死に耐え、オレはうん、と頷いた。

「オレも。藍璃やアリーシャ陛下に聞きたいことがあったけど……二人が生きてくれてるなら、それでいいよ」

 聞きたかった。最期の瞬間何を思ったのか。『オレ』に……クラアトに仕えて、後悔はしなかったのか。
 彼女はきっともっと幸せになれたはずなのに、彼女を幸せにできたはずなのに、迎えてしまった結末はあんな悲惨なものになってしまった。
 そのことが後悔として、『オレ』とオレの心に今も積もっている。
 だけど……きっと、それに囚われてしまってはいけないから。

「藍璃」

 ガラス越しに、彼女の手に触れる。
 近くて遠い距離。世界を隔てる境界線。それをも超える、想い。


「ありがとう。生きていてくれて。
 ずっと……オレの傍に、いてくれて」

 物心がついたときから傍にいてくれた彼女。
 事故の後、毎日のように病院に来てくれた彼女。
 退院したあとも何かと世話を焼いてくれた、彼女。

「……事故のこと、全部思い出したよ。藍璃がずっと見舞いに来てくれてたのも……オレのために泣いてくれたのも。
 ごめんな、心配かけて」

『……っ緋灯……!』

「退院したあと、あちこち連れ回してくれたのも……オレを心配してのことだったんだよな。
 今思うと、藍璃のそんな強引さというか……変わらなさに、救われてたんだなって」

 学校に通う以外は引きこもりがちだった、退院後のオレ。
 それを彼女はいつもどおりの強引さで、変わらない笑顔で、買い物や遊びに連れ出してくれていた。

『やっ……やっと気づいたの!? ほんっと世話が焼けるんだから……!』

「うん……ごめん。
 ……藍璃。オレ、もう大丈夫だからさ。藍璃やみんながいたから……立ち上がれたんだ」

 涙を隠すように声を張り上げた藍璃にそう告げると、彼女は驚いたように目を見開いて、確かめるようにオレをまじまじと見つめた。

「もう逃げない。向き合うよ、自分とも……みんなとも」

 真っ直ぐに彼女の瞳を見てそう宣言する。
 やがて彼女は軽く息を吐き、それからふわりと微笑んだ。

『……そう。それが聞けて、よかったわ』

「藍璃……」

『……緋灯。ひとつ、約束してくれる?』

 穏やかな表情でそう切り出した藍璃に、オレは首を傾げる。
 彼女の瞳からはらはらと落ちていく雫を、きれいだと感じながら。

『ちゃんと帰ってきてね。私、ここで待ってるから。
 アンタが世界を救うとか、正直未だに嘘みたいだけど……でも、やることやって、使命を果たして、ちゃんと帰ってきなさいよね』

 それはオレの心を救う、願いだった。
 オレの居場所は、存在を望んでくれる人は、故郷にもいたのだと……はっきりと、伝わったから。
 だからオレは、溢れる涙はそのままに、彼女に向かって笑ってみせる。

「ああ、必ず!」

 オレと藍璃を繋ぐ、ひとつの約束。
 安心したように目を細めた彼女に、オレもまた安堵したのだった。


 +++


 ふ、と意識が浮上する。ひっそりと煤のついた天井が、視界に入った。

(……オレ、は……)

 身を起こすと、滑らかな肌触りの毛布がぱさりと床に落ちる。
 慌ててそれを拾ってから、オレは辺りを見回した。
 自分が寝かされていたふかふかのソファと、元は手入れが行き届いていたのだろう、煤けながらもきれいな絨毯。シンプルながらも高級さが伺えるシャンデリアと、落ち着いた色合いの調度品。
 ……どうやら、城の一室のようだ。それも先ほどまでいた仮の謁見の間ではなく、客室なのだろう。
 そう理解すると同時に、部屋のドアが開いた。

「……ヒア!」

 オレの名を呼びながらそこから現れたのは、見慣れた灰色の髪……ソカルだった。 後ろには先輩たちもいる。

「よかった、目が覚めたんだね」

「ああ。……あの、さっきのは一体?」

 ホッとしたような顔のソカルに頷いてから、オレは夜先輩とマユカさんを見やる。

「オレの【ユメツナギ】としてのチカラで、お前と藍璃って子の夢を繋いだんだ。
 ぶっつけ本番だったけど……その様子だと、うまく行ったみたいだな」

 肩の力を抜いてゆるく笑むマユカさんに、オレはなるほど、と頷いた。
 アリーシャ陛下というもうひとりのアメリの生まれ変わりや、【世界樹】である夜先輩と朝先輩がいたからできたことだと説明されたが……魔術に疎いオレにはいまいち理解できなかった。
 けれど、そんなものか、と無理やり自身を納得させて、マユカさんにお礼を言うことにする。

「ありがとうございます、マユカさん。
 おかげで……藍璃とちゃんと、話せました」

「いやいや、礼を言われるようなことじゃないって」

 頭を下げたオレに、彼は慌てたような声をあげる。
 そんなオレたちのやりとりを楽しそうに見ながら、ルーが「さて」と切り出した。

「じゃあ、ヒアくんも起きたしそろそろ行こっか」

 そう言ってドアを指し示すルーに同意して立ち上がる。
 ……と、突然再びその扉が開き、朗らかな声が室内に響いた。

「あら、もう行ってしまわれるんです?」

 藍の髪を揺らして現れたのは、リツさんを連れたアリーシャ陛下だった。
 はい、と首を振ったオレたちに、彼女は残念そうな顔をする。

「もう少しお話したかったのだけど……」

「コイツらにはコイツらのやることがあるんだし、仕方ねえだろ。
 ……けどまあ、生きて帰ってこなかったら承知しねーからな」

 名残惜しそうな姉をぶっきらぼうに宥めながら、リツさんはオレたちに激励を送ってくれた。
 もちろんだよ、と夜先輩が微笑むと、その海色の頭部をぽんぽんと軽く叩き、ニッと笑いかける彼。
 楽しげな弟とその友人のやりとりを心底嬉しそうに眺めてから、女王はオレとソカルに向き合った。

「……最後に……お二人に、『アメリ』から伝言です」

 アメリの名を出され、オレたちは思わず身を固くする。
 けれど彼女はそんな緊張感を解すようにふわりと笑み、オレとソカルの手を取った。

「……『出逢ってくれて、ありがとう。哀しい想いをさせて、ごめんなさい』」

「――ッ!」

 アメリの声で紡がれたその言霊に、オレは息が詰まってしまう。
 『彼女』はそのまま、コトバを重ねる。

『愛してくれて、ありがとう。最期まで傍にいられず、ごめんなさい。
 ……生きていてくれて、ありがとう。どうか幸せに……』

「アメリ……っ!!」

 名を呼んだのは、ソカルだった。
 泣き出しそうな彼の声に、『彼女』は笑んだまま困ったように眉を下げた。

『私たちの願いと祈りが、きっと、貴方たちを護ります。
 二人の行く末が、希望で満ちていますように……――』

 手が離れる。それと同時に消えていく、『彼女』の気配。
 ……きっと、クラアトと同じで、藍璃と女王のココロから旅立ったのだろう。
 遠い場所へ。記憶の先へ。夢の果てへ。

(そこで、クラアトと再会できたらいいな)

 悼むように、祈るように一度目を閉じ、また開く。
 目の前にいるのは、紛れもなく……藍璃でも、アメリでもない、アリーシャ・ロマネーナその人だった。

「……ありがとうございます、陛下」

「いいえ。お礼を言うのは私たちの方です。
 ――ありがとう、ヒアさん。過去に、アメリに向き合ってくれて。立ち上がってくれて」

 そう言って花が綻ぶような笑みを見せた女王に笑い返す。
 行くぞ、とカイゼルさんに促され、扉へと向かうオレたち。

「大変な道のりでしょうが……どうか、この世界をお願いしますね」

「死ぬんじゃねえぞー」

 背後で祈るアリーシャ陛下とゆるく手を振るリツさんに、くるりと振り返る。
 『彼女』にさよならを。待つ人たちに、一時の別れを。
 だから。

「――行ってきます!」

 生きていれば、きっとまた逢えるから。
 そう信じて、オレは仲間と共に王城を後にする。


 彼女たちが願う未来は、希望で満ち溢れている。
 それを実現するためにも……オレたちは、歩き続けるんだ。



 Past.54 Fin.
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