「……さっきから黙って聞いてれば、ごちゃごちゃと……」
思わず停止してしまったオレの思考を動かしたのは、他の誰でもなく……大切な、相棒だった。
「ソカル……?」
「惑わされないで、ヒア。確かに始まりは【魔王】だったかもしれないけど。
そもそもコイツがアズールを恨んでローズラインに攻撃したのが今の戦いの発端でしょ」
心底苛立たしそうに吐き捨てたソカルに、オレは頭を動かす。
【魔王】が何を思って天界を壊そうとしたかはわからない。
けれど、壊されかけたから壊そうとするゼウスの心理はわからなくもないし……同時に、負の連鎖だ、とも感じた。
「……【死神】。与えてやった役割も果たさず、人間に入れ込んだ愚か者か」
「愚か者はそっちだろ。いつまでも昔のことを引きずって、女々しいにも程がある。
【魔王】に世界を壊されかけて、アズールに取引を持ちかけたけど断られて、眠らされて、【全能神】ともあろう存在が無様だね」
「って、ちょ、ソカル!?」
だが、相当腹が立っていたのか容赦なく辛辣な言葉を重ねるソカルに、オレは慌ててしまう。
案の定【全能神】は絶対零度の目でソカルを睨みつけた。
「【死神】タナトス。“死”という概念である貴様が、【魔王】を殺す役割すら果たせなかった貴様が、我を愚弄するか」
「【魔王】退治? ……そう言えばそんなこと言ってたね。昔のことすぎて忘れてたよ、どうでもいいし」
色々と問い質したい情報が飛び交っているが、オレは口を挟めずにいる。
どうしよう、と視線を先輩たちへ向けると、離れた場所でカイゼルさんを治療しているルーと何かの詠唱をしている双子が見えた。
瞬間、理解する。ソカルはわざと【全能神】に喧嘩を売り、自分に関心を向けさせて時間稼ぎをしているのだと。
……いや、半分くらいは本気で怒っているのだろうけれど。
「……ほう。ではまずは貴様から倒すとしよう、出来損ないの【死神】め」
「誰が出来損ないだ。“死という概念”に“僕”という人格を与えたのは、他ならないお前だろ【全能神】。
――双子!」
そう言い切ったソカルは、背後にいた双子の先輩たちを呼ぶ。
「うん、いくよ!
――“我は世界を統べる宵闇の終極”」
「――“我は世界を祷る黎明の極点”」
二人の足元の陣が広がり、やがて一つに重なる。
何か気づいたらしい【全能神】が動くも、ソカルとオレがそれぞれ得物を振るって彼を止めた。
『――“重なるは夜空,降り注げ星の息吹! 《星屑の二重奏》!!”』
夜先輩の闇の魔法と朝先輩の光の魔法が合わさり、星の魔法となる。
重なった二人の声によって、夜空となった天井から星屑の雨が流れ落ちていった。
【全能神】の頭上へと降り注いだそれは、大きな爆発音を立てる。
発動の瞬間、ソカル共々咄嗟に【全能神】から離れたオレは、その眩い光が収まるのを警戒したまま待つ。
……だが。
「――思い上がるな、【死神】……そして【魔王】よ」
止まぬ光の中から、地を這うような低い声が響いた。
そして、彼は。
「――ぐっ、ああ……ッ!!」
光を集め、それをオレへと放ったのだった。
「っヒア――ッ!!」
遠のく相棒の悲鳴。
ああ、確かに。【死神】の弱点は、紛れもなくオレなのだろう。
痛みは感じない。ただ、意識が……――
+++
「――はあッ!!」
何度目かのディアナの剣撃が、【識神】ミネルを掠める。
血と汗が混ざった液体が、彼の額から流れ落ちた。
「息が上がっていますよ、【神殺し】」
嘲笑うミネルを、ディアナはキッと睨みつける。
ダメージは確実に与えられている。しかし、決定打に欠ける上にミネルは無尽蔵に現れる天使たちを吸収することで魔力も体力も回復していた。
「ったく……!! 倒しても倒しても現れるとか、ズルいにも程があるんだけど!?」
「本当にな。……フィリ、大丈夫か?」
天使たちと戦うナヅキの悪態に、マユカが同意しフィリに声をかける。
この小一時間の戦闘の間、ナヅキたちはもちろんのことフィリも随分と魔力を消費していた。
彼は震える声で何とか大丈夫だと頷き返す。
「でも……このままじゃ……」
小さく呟いた相棒の不安に感化されたのか、ナヅキも顔をしかめた。
「せめて天使たちだけでも何とかできたら……!」
彼女の言葉に、フィリはぎゅっと魔導書を抱え直す。
そうして深呼吸を一つして、キッと顔を上げた。
「――最上級魔法を使います」
「えっ!? で、でも……!!」
フィリの提案を、ナヅキは首を振って拒絶する。
「最上級魔法を使ってこいつらをどうにかしても、また……!」
「大丈夫ですよ。さっきから見てたですけど、再出現までには時間がかかるはず。
今ここにいる天使たちを一掃すれば……時間は稼げます」
そう言い切ったフィリに、天使たちを見やるナヅキ。
一見すると数は減っていないように見えるが……。
「元々の数が多いから減ってる気はしなかったけど。
こっちが手間取ってる間にちょっとずつ増えてたってことね」
呆れたように言葉を吐き出した彼女に、【識神】から離れたディアナが頷く。
「そのようだ。……フィリ、頼めるか」
「っはい!」
ディアナからの信頼に、フィリは大きく首を振った。
そのままディアナはミネルと交戦していたマユカに軽く状況を伝え、同じくミネルへと剣を振るう。
そんな仲間の背を、天使と格闘する相棒の姿を見て、フィリは深呼吸をした。
(……大丈夫。僕なら……きっと)
自分に自信がなく、いつも俯いて暮らしていた。
そんな自分を変えたのは、太陽のような色をした暖かで明るい彼女。
彼女に並び立てる自分でいたい。彼女のチカラになりたい。
彼女だけではなく……旅で出逢った、たくさんの仲間たち。炎のように輝く少年と、彼を支える銀の死神。
彼らのようになりたい。二人のようになりたい。みんなが信じてくれる、自分でいたい。
(だから……僕は!)
詠唱を始める。真名を必要とする、その呪文を。
「――“元素は常に我にあり。我が血,我が魂は全を識る。
古の盟約によりて,我が声に応えよ。汝,幽世を統べる精霊王!”」
足元に展開される、虹色に輝く魔法陣。
先祖から受け継がれた血筋に秘められた、最高峰の魔術。
最古の魔術師。精霊に選ばれ、初代の“双騎士”となった――その始祖の名は。
「――“フィリディリア・クルス=グリモワールの名の下に!!
『ビブリオ・マギアス・アニムス=エスピリアルクス』”!!」
精霊から魔術を与えられた、創世歴の魔術師――ロゼル・グリモワール。
それが、フィリの祖先だった。
詠唱と共に現れた色とりどりの閃光が、天使たちを焼き尽くしていく。
「っグリモワール……! 初代“双騎士”の子孫ですか!」
そう舌打ちをしたミネルに、ナヅキが飛びかかった。
「――“『光蹴撃破』”!!」
光属性の魔力を込めた脚撃を、ミネルは難なく躱す。
そうして彼女と距離を取った彼は、手早く呪文を唱えた。
「――“我が魂は雷火を燈し,我が心音は雷鳴へと昇華する!
平伏せよ! 我は天空の覇者,雷神なり! 愚者を穿け,雷霆よ!
ミネル・シュトラールの名の下に! 『アストレラン・サジェ』”!!」
放たれたのは、雷属性の最上級魔法。
広い廊下を、剣を模した無数の雷電が矢のように迸る。けれど……――
「――“終熄せし幻想,覚醒せし鏡界! 幻と現の狭間に呑まれよ!
【Colorless】の名の下に!! 『ミラージュファンタズマ』”!!」
それを予期したマユカが最上級魔法を展開し、雷矢は巨大な鏡へと吸収されていった。
「っ【異端者】め……ッ!!」
忌々しげにマユカを見やる【識神】。
最上級魔法を放った直後ゆえに動きが鈍くなった彼に、追討ちがかけられる。
「ナッちゃん!」
「任せなさい!
――“我が謳うは生命の賛歌! 我が祈るは生命の煌めき!
光よ! 未来を運ぶ翼となれ!”」
フィリの声に合わせ、詠唱するナヅキ。
在りし日の情景。彼女の人生が変わった日。
窓辺から見た、戦乱の終末。
――一人の、金糸の髪の天使の姿が目に浮かぶ。
(アタシも……あの子のように。
ヒアのように。フィリのように。強く、高く、飛んでみせる――!!)
ナヅキの父の所業を否定し、立ち向かった天使。
過去を乗り越えた仲間。旅を通して強くなった相棒。
彼らを想えば、できないことなど何もない。
その背に輝く翼を携え、ナヅキは高く、高く、飛び上がった。
「――“【Prism】の名の下に!! 悪しきを貫け!
『ルフレール・オラシオン』”!!」
最後の一文を唱えると同時に、少女は【識神】を目指し高速度で落下する一つの弾丸と化す。
その最大級の魔力を込めた足技は、見事ミネルへと炸裂した。
「っぐ、ああ――ッ!!」
ナヅキの重い蹴りに、遂に膝をつく【識神】ミネル。
その隙を、ディアナは逃さなかった。
「終わりだ、【識神】ミネル!!
――“夕凪に終焉を,やがて来たるべき未来へ。全てを屠る光よ,宿れ! 【神殺し】の名の下に!
……『ディオ・マタル』”!!」
「――ッ!!」
厳かに紡がれた、【神殺し】の最上級魔法。
それに貫かれたミネルが、地に倒れ伏す。
「おのれ……“双騎士”……おのれ……【神殺し】……ッ!!
おのれえええ――ッ!!」
呪詛の如き断末魔を上げながら、【神殺し】へと手を伸ばす【識神】。
しかしその手が届く前に……彼の体は光を帯び、粒子となって空中へと溶けていった。
「たお……したの……?」
一瞬の静寂の後、息を整えながらナヅキが呆然と呟く。
辺りをぐるりと見回しながら、ディアナがそれに頷いた。
「……そのようだ。天使たちの再出現もない。
……僕たちは僕たちの役目を果たせた、というわけだな」
彼の言葉に、一同はそれぞれ安堵のため息を吐く。
フィリは腰が抜けたのか、床に座り込んでしまった。
「皆さん!! ご無事ですか!?」
……と、結界から出たリブラがナヅキたちに駆け寄り、目についた怪我に治癒魔法を施していく。
「……それにしても、グリモワール……とはな」
そうして一息ついた後、ナヅキとリブラが談笑をしているのを横目で見ながら、ディアナがフィリへとそう話しかけた。
フィリは困ったような顔で彼を見上げる。
「ええと……その。別に、黙ってるつもりではなかったんですけど……」
「グリモワールって、確か最初の“双騎士”で最初の魔術師……とかだっけ?
だからフィリ、精霊魔法なんてすごいものが使えるんだな」
マユカからの裏のない称賛に、フィリは擽ったそうに身をよじった。
「そう……ですね。
……ずっと、グリモワールの名が重荷だったです。偉大な魔術師の末裔なんて、僕にはとても……」
周囲からの期待も、落胆も。羨望も、憎悪でさえも。
全てが少年を傷つけ、苦しめていた。
……それでも。
「……でも、今は……胸を張って言えるです。
僕は、フィリディリア・クルス・グリモワール。グリモワールの末裔にして、“双騎士”の一人。
ナヅキちゃんの、“契約者”だと!」
顔を上げて笑ったフィリには、もう弱気な面影はない。
一人の少女と仲間たちとの出逢いと冒険が、彼を強くしたのだ。
「ええ! アンタはアタシの、最高の相棒よ、フィリ!」
笑い合う二人。穏やかな雰囲気に釣られて、リブラたちも柔らかに笑んだ。
――その時だった。
「ヒア――ッ!!」
「!?」
耳を劈くような、【死神】の悲鳴が聞こえたのは。
+++
(……つめたい)
沈んでいく感覚に、目を開けた。
焼け付く夕陽が、頭上の水面に揺れている。
(たしか、おれは……)
記憶を遡る。……ああ、そうだ。確か、【全能神】の攻撃を受けて。
(しんだ、のかな……?)
手も足も冷たい。思考の先に、微笑む両親の顔が見えた。
眠くて眠くて、瞳を閉じそうになる。……でも。
(……ソカル)
脳裏を過ぎるのは、大切な相棒の泣きそうな顔。
きっと、過去のトラウマを思い出してしまったのだろう。
大丈夫だと言いたい。側にいると約束しただろ、と笑いたい。
「……生きたい」
口から漏れた願望に、空気が泡となって水中へと溶ける。
冷え切った手を伸ばす。
生きたい。生きたい。そうだ、だって、藍璃とも約束をした。
こんなところで……終わるわけにはいかない!
「その言葉を、待っていたよ、ヒア」
不意に響いた声と共に、手を掴まれる。
浮上する意識に、目が眩む。
「な、んだ……!?」
強すぎる光に、目蓋を閉じ……再び開いたオレの視界に現れたのは、見惚れるような蒼穹だった。
足元を見れば、色とりどりの花が咲き乱れている。
大地はさして広くはなく、宙に浮かんでいるからか、空中庭園という印象を受けた。
「ここ、は……」
「ここは、私の精神空間。ようこそ、ヒア」
先ほどの声が背後から聞こえ、オレは慌てて振り向く。
「誰……?」
「私はアズール。アズール・ローゼリア。……【創造神】だよ」
空色の髪と、薔薇をあしらった衣服を身に纏った上品な女性。微笑む彼女の名に、目を見開いた。
「アズール……ローゼリア……!?」
ローズラインの【創造神】。女神アズール・ローゼリア。
(先代【魔王】ヘルの、お姉さん……)
「驚かせてごめんね。ゼウスに見つかると、色々厄介だからさ」
そう言いながら、彼女は穏やかな笑みを崩すこともなく。
オレはゆるゆると頭を振り、「ええと」と口を開いた。
「【創造神】アズール。オレは……死んだんッスか?」
彼女はここが精神世界だと言った。ということはつまり、オレはもう……。
恐る恐る尋ねるオレに、しかしアズールは首を横に振る。
「ううん。きみはまだ、生きてるよ。……なんとかね。
目を覚ませば、大丈夫。……でも、その前に」
彼女の言葉にホッと息を吐いたのも束の間、真剣な色を帯びたワインレッドの瞳に、オレは居住まいを正した。
「作戦会議、しよっか」
「……作戦会議、ッスか?」
今の今まで事の当事者でありながら表に出てこなかった【神】の突拍子もない発言に、眉を顰めてしまう。
けれど彼女は気にした素振りも見せず、ひとつ頷いただけだった。
「そう。ゼウス、強いでしょ? 私も眠らせて逃げるのが精一杯だったもの。
加えて……彼、天界の【世界樹】だからね。そのまま倒してしまうと……」
「……天界も崩壊する、と」
以前夜先輩たちから聞いた、【世界樹】と世界の関係を思い出す。
世界の要たる【世界樹】が倒されたら……その世界も、滅びると。
「ゼウスの性格上、自分と世界を切り離す……なんてことはしないだろうし。
そもそも、多分切り離せない。ゼウスと天界は一蓮托生……そういう運命だもの」
淡々と告げる女神に、絶句する。
「じゃあ……オレたちが【全能神】を倒したら、天界は本当に……――」
「滅びるね」
「――ッ!!」
息を呑んだオレは、先ほどの【全能神】の言葉を思い出す。
『我というこの世界の【世界樹】を倒すということは、この世界を破壊すると同義。
我はそれを阻止し、この世界を守る……それは貴様らと何が違う?』
ローズラインを守るために、天界を滅ぼす。
それは、果たして正しいことなのか――?
俯いたオレに、女神は微笑んだ。
「そんな顔しないで、ヒア。何も手がないわけじゃないもの」
バッと顔を上げたオレの頬に、彼女は手を添える。
温度を感じないそれに眉を顰めるも、続けられた言葉に目を見開いた。
「――ゼウスの運命を、捻じ曲げるよ」
覚悟はいい? ヒア……――
+++
――その、少し前。
「ヒア……!? ヒア、ヒア――ッ!!」
【全能神】の攻撃を受け、倒れ伏したヒア。
広がる血の海に錯乱する彼の相棒とヒアを守るように、オレたちは立ち位置を変えた。
ヒアの治療はルーが行い、オレとお兄ちゃん、カイゼルは二人を守りつつ【全能神】と交戦している。
「なんで……なんで……っ!!」
相棒の手を握り泣きじゃくるソカルに、胸が痛む。
隣に降り立ったカイゼルが、彼を叱咤していた。
「しっかりしろ! まだ息はある。死んじゃいねえだろ」
「でも……けど……ッ」
ルーが治癒魔法を展開しながら、カイゼルを窘める。
オレは【魔剣】を握り直し、深呼吸をした。
(……まずいな。オレたちの時間もないし、ソカルの暴走も……――)
けれど、思考を遮るように……懸念していた事態が起きてしまった。
「ああああああ――ッ!!」
黒い闇を纏い、絶叫する【死神】。
そうだ。大切な存在の生命が脅かされて……平然としていられるわけなど、ないのだ。
(オレと彼は、そういうところ、よく似てるから)
共感して瞳を閉じたオレとは真逆に、【全能神】は嘲笑う。
「唯一無二を亡くし、暴走するか【死神】よ。
そうだ。所詮貴様は何も救えぬ『死の概念』そのもの」
「……黙れ……」
「貴様に出来ることは殺戮のみ。そこの【魔王】と同じ、な。
――誰かを救うことなど、共に生きることなど……不可能だ」
「……っ」
こちらを横目で見て語る【全能神】に、オレは息を呑んだ。
……そんなことはない。オレも、ソカルも、誰かと生きていける。
張り付いた喉を動かしてそう否定しようとした……けれど。
「黙れ、黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ――ッ!!」
彼の悲鳴じみた叫びが、部屋の中に木霊する。
「――“終わりなき夜の果て,我が罪深き傷を以て,彼の者の魂を破壊せよ”!!」
「……ッ」
叩きつけるような彼の詠唱。
それに込められた深い深い絶望と憎悪に、“感情伝染”を持つルーが制御できずに膝をついた。
そんな【太陽神】を経由して、オレへとも伝わるソカルの感情。
「そか、る……ッ!!」
兄に支えられながら、ソカルの名を呼ぶ。
真っ黒に染まりゆく、彼の髪と体。
【死神】……『死という概念』として、その心と引き換えに全てに死を齎す……彼の、もう一つの最上級魔法。
「――“紡ぐは憎悪! 万物に与えし呪いなり!
【神族・死神】タナトスの名の下に――”!!」
手を伸ばす。せめて、【魔王】としてのチカラで少しは抑えられたら。
……けれど、彼の魔法は発動しなかった。
目が眩むような、赤いあの子が……彼の震える背を、抱きしめたから。
+++
――意識が現実に浮上して真っ先に聞こえたのは、相棒であるソカルの絶叫だった。
膝をついてその荒れ狂う感情に耐えるルーと夜先輩が、視界に映る。
(そかる)
視線を動かして、【全能神】と対峙する相棒を目に映す。
真っ暗闇に堕ちていくような、彼の姿。
見覚えのあるそれは、【権天使】タリアと戦ったときと同じで。
(だめだ、ソカル。だめだ……)
痛む体を動かして、起き上がる。
ヒアくん、と心配そうなルーに微笑んで、オレはソカルを真っ直ぐ見据えた。
「――“紡ぐは憎悪! 万物に与えし呪いなり!
【神族・死神】タナトスの名の下に――”!!」
その詠唱が、最後の一文を唱えきる前に。
暗闇で泣きじゃくる彼を、照らすように。
「――ソカル」
「……ッ!!」
迷子のような背中を、抱きしめた。
(タリアのときは、クラアトがソカルを救っていたけど。今のオレなら、きっと……!)
「ソカル。オレは、大丈夫だ。ここにいる。
……約束、しただろ?」
「ひ、あ……っ!」
一緒に生きよう、今度こそ。……オレたちは、そう約束したのだ。
彼の体から闇が消えていく。嗚咽を漏らす彼の頭を撫で、床に座らせた。
「心配かけてごめん。……オレは、大丈夫だ」
涙を流しながら見上げてくる彼に笑いかけて、オレは立ち上がる。
冷めた目でこちらを見る【全能神】を、すっと見据えた。
「……ほう。生きているとはな」
「ルーの治療のおかげだ。それに……こんなところで、死ねないからな」
右手を前に突き出す。炎と共に現れた【炎剣】トワイライトを、しっかりと構えた。
「……先輩。フォロー、お願いします」
「ヒア……!」
何か言いたげな先輩たちとソカルを背後に、オレは走り出す。
すぐさま我に返ったらしいカイゼルさんが、オレの後を追って走り出したようだ。
「――はあああ!!」
掛け声と共に振り下ろした剣は、やはり結界に阻まれてしまう。
けれど、直後に羽を広げて飛んできた夜先輩がそれを壊し、カイゼルさんが間髪入れずに【全能神】を殴り飛ばした。
「ぐっ……!!」
「詠唱、行くよ!
――“其は蒼に輝きし流星群,彼の者の元へ流れ堕ちよ! 『シュテルンシュヌッペ』”!!」
次いで響いた朝先輩の詠唱に、【全能神】は再度結界を展開しようとするが。
「無駄だよ。――“『ダークエンド』”!!」
夜先輩の無効化魔法により、結界はかき消える。
その隙を突いて、朝先輩の光の魔法が彼に突き刺さった。
「ぐあ……ッ!!」
短く悲鳴をあげ、よろめく彼。
(もう一息だよ)
脳裏に響いた彼女に頷いて、オレは先輩たちに声をかけた。
「――先輩たち! 最上級魔法を!」
彼女……【創造神】アズール・ローゼリアが言うには、先輩たちの最上級魔法を叩き込み……そのあとに、彼の運命を捻じ曲げる、らしい。
「……! わかった!
――“天照らすは現し世なり! 万物を満たすは光輝なり!”」
「――“我が心,我が拳は光となりて,仇なす全てに罰を与えん!”」
何かに気づいたらしいルーとカイゼルさんが、それぞれ最上級魔法の詠唱を始める。
「無駄だ、愚かな“双騎士”共!!」
【全能神】がそれを止めようと同じく魔法陣を展開した。
だけど……――
『無駄かどうかは、やってみないとわからない!
――“《ダークエンド》”!!』
重なった声にそちらを見やると、夜先輩と朝先輩が“同化”した姿で宙を浮いていた。
【全能神】の魔法を無効化した“彼”のフォローを受け、ルーとカイゼルさんの最上級魔法が叩き込まれる。
「――“【神族・太陽神】……【Light】の名の下に!!
闇を祓い,悪しきを穿け! 『ヴェルフ・エフェ・ブリューナク』”!!」
「――“……カイゼル・ビョルネの名の下に!!
ぶち抜け! 『ヘリオスグヌス』”!!」
ルーの魔力が太陽を模した槍と化し、【全能神】目掛けて投げられた。
それを追うように駆け出したカイゼルさんの拳が光を纏い、槍と共に【全能神】を貫いた。
「ぐ、ああああ――ッ!!」
『――“我らは双星。セカイを統べる星の煌めき!
生きとし生ける生命に祝福を! 闇夜を照らす朝焼けを! 【世界樹】の名の下に!!』
続けて展開される、夜先輩と朝先輩の最上級魔法。
『――“《ルキシア・オルニュクス》”!!』
星々を模した双剣から放たれる暁光が、室内を照らす。
それを確認して、オレは側にいたソカルを呼んだ。
「ソカル、最上級魔法を!」
「わ、わかった!
――“永久なる時間の果て,暗闇に潜む光を……死に至る光を! 目覚めぬ悪夢に紡ぐ死を! 【死神】の名の下に!」
指示に慌てて頷いた彼が始めた詠唱に合わせるように、オレは――“彼女”を呼ぶ。
「――アズール様!」
「っ!?」
その名と同時に現れた空色の髪の女神の姿に、ソカルや先輩たちはもちろん【全能神】までもが目を見開いた。
『……終わりだよ、ゼウス』
彼女がオレの肩に手を乗せ、チカラを送る。
オレは剣を構えて……【全能神】を睨んだ。
「っアズール・ローゼリア……! “双騎士”よ、やはりこの世界を滅ぼすか!
我が死ねばこの世界は……!!」
「天界は、滅ぼさない。でも……お前は、倒す!」
オレの声に呼応して、手の中にあった【炎剣】が炎と化し……次の瞬間には、夕焼けを彩った弓へと変化した。
「――“……生れ出づるは蝶の羽撃き! 打ち砕くは捻じれし運命! 汝,運命を司りし歯車なり!”」
詠唱と共に弓に番えられる光の矢。
魔力が全身を駆け巡る。たくさんの思い出と、一緒に。
(オレは……この世界に来て、本当に良かった。
大切なモノを、たくさん……たくさん手に入れることができたから)
例え“全ての記憶と引き換えに”なったとしても――
「――ソカル!」
「うん、行くよ!
――“『シュヴァルツ・ フロイントハイン』”!!」
ソカルが解き放った闇属性の最上級魔法に合わせ、オレも呪文の最後の一文を唱え上げる。
……それは、新しいイノチ。オレの“記憶”と引き換えに“運命”を変える……精霊魔法。
「――“精霊魔法――運命輪廻”!!」
放たれた光の矢が人の姿を象り、ソカルの魔法を受けよろめいた【全能神】へと取りついた。
「精霊……魔法……! 我の、運命を……変えるというのか……!!」
『そうだよ、ゼウス。これは、私とヒアのチカラ。
【創造神】の魔力と、【太陽神】の後継者であるヒアの運命力を引き換えに生まれたモノ。
きみの、【世界樹】としての運命を引き剥がす精霊……ううん、新たな神。
名付けるならば、【運命神】ミラ・リィンカーネーションだよ』
膝をつき血を吐く【全能神】に、アズールがそう説明する。
それを聞いて驚いたのは、当然ソカルたちだった。
「運命力を……引き換えに……!?」
「ヒア……ねえ、ヒア、どういうことなの!?」
夜先輩とソカルの言葉に、オレは振り向いて微笑んでみせる。
生きてて良かった。何もかも失くしてしまっても……きっと。
「――オレたちの絆は、消えない。きっと……」
「っヒア……!?」
弓を再び【全能神】へと構える。
オレが、最上級魔法を放てば……全てが終わる。
(みんなを、ローズラインを守れるなら、それでいい。
ソカルや藍璃を……悲しませることになるとは思うけど)
死ぬわけではないのだ。記憶だけで、全て守れるなら……安いものだと思う。
だから。
「……これで、終わりだ。【全能神】ゼウス。
――“其は黄昏,緋色の残映! 灯火よ! 光焔となりて世界を照らせ! 我が道に希望を,絆に誓いを!”」
「まって、待ってヒア! やめて、やめてよ!!
そんなの……そんなの、僕は望んでない!!」
オレの記憶が、運命が、夕焼けが……きっと世界を照らすから。
息を呑む仲間たち。悲鳴を上げるソカルを背に、オレは。
「――“【Blaze】の名の下に! 『エスポワール=アーベントレーテ』”!!」
【全能神】のイノチを終わらせるための、【創造神】の魔力を含んだ最後の一撃を放った。
「あ……ああああ――ッ!!」
夕焼けの矢を受け、断末魔を上げる【全能神】。
きらきらと光を放ちながら、大きく崩れた壁の向こうに見える夕空へと消えつつある。
「……お前を縛る【世界樹】の鎖は、断ち切った。
だから……」
一歩、また一歩とオレは【全能神】へと近づいた。
厳密には、彼の側に控える薄紫の髪の子供に。
「……ミラ、ありがとう。だから、オレの記憶を……」
「待ってヒア!!」
言いかけたオレの言葉を、相棒の声が遮る。
振り返れば、涙を湛えた彼がオレを見ていた。
「……ありがとう、ソカル」
出逢えて良かった。思い出せて良かった。
共に戦えて良かった。本当に……良かった。
だからオレは、精一杯の笑顔を彼に見せた。
「……ッ!!」
きっとこれがオレの、“運命”なんだ。
『……ヒア』
ミラが手を伸ばす。オレはその幼く白い指に、触れ……――
光が、溢れた。
「ヒア――ッ!!」
耳を劈くような、相棒の悲鳴。
駆けつけたナヅキたちの気配。
全てが、白く、白く……――
+++
『何と言うか、本末転倒な選択をするね、君は』
聞こえた声にふと目を開く。
そこは夕焼けの世界。……オレの、精神世界だった。
『私がなんの為に君にソカルを託したと思っているんだ……全く』
再度聞こえた声に振り向くと、呆れたような怒ったような表情を浮かべた前世の自分……クラアトが立っていた。
「……クラアト? どうして……」
彼は消えたのでは。眉を顰めたオレに、クラアトは深くため息を吐いた。
『消えるつもりだったさ。でも……嫌な予感がしてね。
結果はこの通りだ、この馬鹿者』
「ば、馬鹿者って……」
あんまりな言い草に、オレは辟易する。
しかし彼は構わず、辛辣な言葉を重ねた。
『ソカルやアメリの転生者と約束したのだろう? 共に生きる、ちゃんと帰ると。
それがどうして“記憶と引き換えに世界を救う”という選択になるのか……』
「だっ……て、それしか方法がなかった! ローズラインも天界も救うなら、それしか……!
オレの記憶で済むなら、それで……!」
『だから君は馬鹿者だと言っている!』
こちらの一大決心をこき下ろす彼に反論すれば、大声で罵倒された。
「なっ……」
『君の記憶が消えれば、後に残ったモノは最早君ではないだろう!
普通の記憶喪失とは違う……永遠に戻らぬモノだ!
下手をすれば人格すら変わる……それは本当に、ソカルが“共に生きたい”と願った君なのか!?
アメリの転生者が帰りを待つ“夕良 緋灯”なのか!?』
「……ッ!!」
……そうだ、本当はわかっていた。
記憶がなくなれば、それはもう“オレ”ではなくなるということくらい。
クラアトと自分のように、別々の存在となることくらい……わかっていた。
わからない振りをしていたのは、世界のためという大義名分を振りかざして……痛みから、逃げるためだった。
「……はは。そうだな。そうだよな……。
確かに馬鹿者だ、オレは。……逃げないって、決めたのにな」
『全くだ、この愚か者め。
……還りなさい、君には未来がある。ソカルたちと共に歩む、未来が』
打って変わって柔らかに笑むクラアトに、オレは「でも」と言い募る。
「オレの記憶を引き換えにしないと、天界は……」
『私という存在が、君の代わりになろう』
そう彼は事も無げに言い放つと、オレの肩を掴みくるりと反対に向けた。
『だから行きなさい。……ほら、迎えが来たよ』
「いや、代わりって……。ってソカル?」
困惑するオレだったが、視線の先にキョトンとした顔のソカルを見つけて首を傾げる。
やがて相棒はオレとクラアトの姿を認識したようで、驚いたような……そして安堵したような表情を浮かべた。
「ヒア!! それに……クラアトも……!!」
『ソカル。私がヒアの代わりに代償となろう。
だから……この危なっかしい子を、よろしく頼むよ』
そう言ってオレの背をトン、と押すクラアト。
うわ、とよろめいたオレだが、ソカルが支えてくれたことにより倒れるのはなんとか防げた。
「クラアト……」
『……本当に、永遠にさよならだ、ソカル。
ありがとう、私の大切な従者。愛しき友人よ。
君に逢えて……本当に、本当に、良かった』
淡い光を放ちながら、夕焼けに消えていくクラアトの姿。
ソカルはオレを掴んだまま、涙を堪えて頷いた。
「うん……うん。僕も、君に逢えて良かったよ、クラアト。
何もなかった僕に、名前をくれて……温もりを、優しさを教えてくれて、ありがとう」
耐えきれず零れた涙が、夕陽に煌めく。
「……さよなら。さよなら、クラアト。
君の眠りが、魂の船旅が、安息に満ちた良きものでありますように……」
ソカルの祈りを受けて、クラアトはきらきらと夕空へと還っていく。
最後に見た彼は、満ち足りた顔で笑っていた。
「……オレたちも帰ろう、ソカル。みんなのもとへ」
「……うん」
相棒と手を繋いで、目を閉じる。
光が溢れる。
それは、暖かくも切なくなるような、残映だった。
(ありがとう、クラアト……――)
Past.60 Fin.
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