ヒアたちと別れ、僕は来た道をとぼとぼと引き返していた。
……ヒアも女王も篠波さんまでも、みんな過去の記憶を取り戻すことに覚悟を決めていた。
(迷っているのは僕だけ。ヒアはどんどん前を向いて……覚悟を決めているのに)
手を握り締める。血の気が引く。
“あの日”を思い出して……目眩が、する。
「ちょっと、ソカル! 大丈夫!?」
女の子の声が聞こえる。ゆるゆると顔を上げると、そこには心配そうな顔のナヅキとフィリ、リブラがいた。
「わ、ソカルさん、顔色悪いですよ!? 早くお部屋に……!!」
「ソーくん大丈夫です? アーくんは一緒じゃないんです?」
矢継ぎ早に繰り出されるリブラとフィリの会話に辟易していると、ナヅキが彼女らの頭をぐっと押さえた。
「アンタら、ちょっと静かにしなさい! ソカル、アンタもそんな情けない顔しないの!」
猫耳娘の叱責に、リブラとフィリは慌てて自身の口を塞ぐ。
それを見ながらため息を吐いて、ナヅキは改めて僕を見やった。
「……大方ヒアのことでしょ? アンタ、わかりやすすぎ」
「……そうかな」
そんな彼女の指摘が少し気恥ずかしくて、目をそらす僕。
けれどナヅキはこちらのことなどお構いなしに、言葉を紡いだ。
「アンタとヒアの間に何があったか、どれだけのことがあったかなんて、アタシたちは詳しく知らない。
……でもね、ソカル。だからこそ、これだけは言わせてもらうわ」
そこで一度言葉を切り、真っ直ぐに僕を見つめてくるナヅキ。
フィリやリブラも、彼女につられてこちらに視線を向けた。
「アンタ、もっとヒアを信じてあげなさいよ」
どこまでも透き通ったその声に、僕はひゅっと息を呑む。
……信じてる。それは確かなのに、喉が張り付いたように乾いて反論ができない。
「ぼ……くは……っ!」
信じてる。彼の決意を、信念を、想いを、存在その全てを。
……でも、どうして。どうして、こんなにも……。
「……不安、なんですよね? ソカルさんは……」
不意に降り注いだ、リブラの柔らかな声。
ハッと俯いていた顔を上げ、僕は彼女を見た。
「ヒアさんが傷つくことが。ヒアさんが……自分を嫌いになるかもしれないことが」
「っ!!」
「……どういうこと?」
全てを赦すような表情で告げられたそれに動揺してしまった僕とは裏腹に、ナヅキとフィリは不思議そうにシスターへと首を傾げる。
「えっと……私の憶測、なのですが。
ソカルさん、きっとヒアさんにまだ秘密にしていることがあって……それをヒアさんが知ったら、と思うと、怖くて不安なのではないのかと思ったんです」
「ひ……みつ、って」
「何かはわかりません。でも、私だってずっと皆さんを、ソカルさんとヒアさんを見てきたんです。
……わかりますよ、それくらいは」
さあ、と青ざめる僕は、やはりわかりやすいのだろう。
きちんと周りを見ている彼女に、全てを見透かされている錯覚に陥る。
「私は別に、ソカルさんを責めたいわけじゃないんです。
ただ……ヒアさんを信じてあげてください。ヒアさんはきっと、ソカルさんを嫌いになったりしませんよ」
暖かな手が、僕の震える手を握る。
そのぬくもりに、ぽつり、ぽつりと感情が溢れていった。
「ぼく……怖くて……ヒアが、記憶を取り戻して……また、また……“あの日”のヒアみたいになったらどうしようって……。
あんなヒア、もう二度と見たくない……見たくないのに……っ!!」
思い出す、遠い記憶。
白い病室。泣きじゃくりながら残酷な現実を突き付ける少女。倒れる点滴。散らばる薬。何かを叫ぶ彼。白衣の大人たち。窓から覗く、哀しいくらいに青い空……――
「ソカルさん」
記憶の波に囚われた僕を呼ぶ、リブラの声。
恐る恐る視線を向ければ、彼女は穏やかな瞳で僕を見ていた。
「……ソカルさんは、ヒアさんのことがとても大切なんですね」
改めてわかりました。そう微笑むリブラに続いて、今度はナヅキが言葉をかけてくる。
「でも、大切だからって過保護にしてるだけじゃダメだと思うけどね。
ヒアは子どもじゃないんだし、ちゃんと自分の足で歩いていけるわよ」
「だから……ソーくんは、アーくんと対等に、向き合ってあげてくださいです。
きっと、アーくんもそれを望んでいるはずですよ」
更にはフィリにまでそう言われ、僕はそっと目を閉じた。
わかってる。……わかっていた、つもりだった。
大切な大切な存在。傷つけたくなんてなくて、クラアトのような結末を迎えてほしくなくて、“あの日”のようなヒアに戻ってほしくなくて。
過保護だという自覚も、本人や周囲からそう思われている自覚もあった。それでも良かった。ヒアを守れるのなら、なんだってよかった。
……思い出すのは、ヒアの真っ直ぐな瞳。前を向こうと、過去と向き合おうと、覚悟を決めた……強い強い、瞳だった。
「……強くなったね、ヒアは……」
途端に胸に広がる寂寥感。僕がこうして立ち止まっている間にも、彼はどんどん前へと進んでいたんだ。
でも、それでも。
「僕は……彼の隣に相応しい存在になりたい。……対等な……相棒として」
だからこそ、僕も前へ進まなければいけない。
ヒアの横に、これからも居続けるために。
(クラアトに頼まれたからじゃなく、これは僕の願い。 ヒアとずっと一緒にいたいという……僕自身の、本心)
「……ありがとう、みんな。こんな僕の背を押してくれて。
おかげで……腹を括れたよ」
彼女たち一人一人の顔を見ながらそう締めくくると、みんなは安心したような……それでいて嬉しそうな笑顔を浮かべてくれた。
「そ。……もう大丈夫そうね? 全く、手がかかるんだから」
「ふふ。困ったときはお互い様、です!」
「ソーくん、いい顔です!」
ナヅキ、リブラ、フィリ。それぞれが思い思いの言葉を僕にかけてくる。
……ああ、もう、本当に、彼女たちは。
「……君たち、ほんっとお節介だよね!」
なんて笑いながら言えば、ナヅキが「アンタもね!」と頭を軽く叩いてきて、リブラは「今更ですね」と微笑み、フィリも楽しげに笑って。
……僕もヒアも、本当にいい仲間に恵まれた。
何だかんだで先輩たちも僕らを心配してくれているのはわかるし、お人好しばかりの集団だ。
だけど……案外悪い気はしなくて。
(きっと、僕らは大丈夫。挫けても……辛い過去を思い出しても。
みんながいれば、また立ち上がれる……そんな気がするから)
ここから、君と……みんなと、前へ進もう。
談笑をしながら部屋へ戻るナヅキたちを見て、僕はそんな決意を抱いたのだった。
Fin.