『大丈夫……大丈夫だよ……』
燃え盛る炎の中で、誰かが呟く。
『大丈夫……僕が君を守るから……』
泣きじゃくる子どもを抱きしめて、その誰かは虚空を睨みつけた。
――それは、『御伽噺』。
ある少女が願い、祈りを集めた……小さな小さな、フェアリーテイル。
+++
ハッと目が覚める。どうやら夢を見ていたようだ。
少年……夏瀬 繭耶は、ぐるりと辺りを見回す。
……しかし、そこには何もなかった。ただ夕陽のようなオレンジの光だけに照らされた……そんな空間に、彼はいた。
「……な……っ!?」
先ほどまで、自分は確かに学校にいたはず……。
そう困惑するマユカの耳に、聞いたことのない少女の声が聞こえた。
「貴方、御伽噺は好きかしら?」
夕焼けに反射して幻想的に輝く金の髪。
黒を基調とし、星空を映したようなエプロンが印象的な服に身を包んだ少女が、マユカの目の前に現れた。
「……御伽噺? 白雪姫、とかのか……? 興味はないな……っていうか誰だ、お前」
マユカが冷静にそう答えると、少女は笑って手に持っていた分厚い本を開いた。
「私は、【夢繋ぎ】。貴方を御伽噺の世界へ送る存在」
「セリ……ロス? 御伽噺の世界って、」
言いかけたマユカを、本から放たれた光が遮った。
「う、わああああッ!?」
「行ってらっしゃい、【異端者】」
+++
燃え盛る街。逃げ惑う人々。その中心にいる、二人の影。
その内の一人と目が合った。淡い空色の髪が、炎に照らされている。
(この御伽噺は、終わらせない……――)
+++
「――……ぃ……おいっお前!!」
不意に大声が聞こえ、マユカはぱちり、と目を開ける。
……どうやら、また眠っていたらしい。
「……大丈夫か、お前」
倒れているマユカを覗き込むように見ているのは、白い服を身に纏い、長い黒髪をポニーテールにしている青年だった。
「あ……はい」
体を起こして辺りを見ると、どこまでも続く草原にいた。遠くには立派な白亜の城が見える。
「ここ……どこだ……?」
「どこって……フェントローゼ王国だろ?」
何を言ってるんだ、と言いたげな声で、青年が答える。
マユカは再度景色を見回した。確かに、現代日本ではないのだろう。少し離れた場所では、車道があるのか馬車が何台か走っている。
更に別の場所、城に近いところには剣を携えた数名の甲冑姿が、こちらを伺っているようだった。
「フェント……ローゼ?」
「大丈夫か、お前?」
心配そうに青年が問いかけると、マユカは困惑した顔で彼を見た。
「オレ……人形みたいな綺麗な女の子に、本から光が……!」
「はあ? ちょっと落ち着けって……えーと」
パニックになるマユカに対し、青年は冷静に名を尋ねる。
「あ……マユカ、夏瀬 繭耶……です」
「うん、そうかマユカか。
オレはユナイアル・エルリス。ユナって呼んでくれ」
ユナ、と名乗った青年は、それにしても、と続けた。
「困ったな……つまりお前、行く当てがないんだろ?」
「まあ……はい」
マユカの返事にうーんと悩んでから、ユナは立ち上がった。
それに釣られてマユカも立ち上がる。
「仕方ない、連れて帰るか……。
もしかしたらリーフェやリウが何か知ってるかもしれないしな」
うん、と独り言ちて、彼はマユカを見やった。
「とりあえず、ついて来い」
言葉少なにそう言って歩き出したユナの後を、マユカは慌てて追いかけたのだった。
+++
「やっと来たわね、【異端者】」
ユナに連れられ、甲冑姿……ユナが言うには騎士団の人間らしい……と共に中世ヨーロッパのような街の奥地にそびえ立つ城へとやって来たマユカは、そこへ入るなりそう声をかけられた。
「え……エレ……ティック?」
マユカが声がした方を見ると、淡い桃色のドレスを纏った金髪の少女が、笑っていた。
「リウ。こいつを知っているのか?」
ユナが首を傾げながら彼女に尋ねる。
「まあね。初めまして、【異端者】マユカ。
私は【予言者】のリウ・リル・ラグナロク」
リウ、と名乗った少女はマユカの前まで来て、その小さな手を差し伸べた。
マユカは戸惑いながら、その手を握る。
「あの……何ですか、その“エレティック”って」
「あら、ごめんなさい。
……そうね……きっとすぐにわかることだから、今はあまり気にしないで」
あの本を持った女の子も同じことを言っていた、とマユカは怪訝そうな表情を浮かべるが、リウは穏やかに笑ってユナの方へ向き直る。
「ところでユナ、彼をどうするつもり?」
「ん? そうだな……とりあえずイオに聞いてみようかと思って」
彼女の問いに、ユナはそう答える。
「え? 何だったら私が陛下やリーフェに直訴して、ここで面倒を見させてもいいけれど……」
「いや、まあ拾ったのはオレだしな。オレが面倒見るよ」
「相変わらず真面目ね……」
呆れたように言ったリウに、ユナはそんなことないさ、と笑う。
「じゃ、イオのところ行ってくるな。マユカ、行こう」
「えっ、あ、ハイ」
呆然と二人の会話を聞いていたマユカは、ユナのその言葉に我に返り、彼に置いていかれないように歩き出した。
+++
二人が向かったのは、城の中央にある広めの庭だった。
そこには、薄い茶髪に紫色のメッシュが入った青年がいた。
「イオ!」
彼を見つけた途端、ユナは嬉しそうな顔をして青年に駆け寄る。
「ユナ、お帰り。どうだった?」
青年は自身に近付いてきたユナの顔を見てほっと息を吐きながら、そう尋ねる。
「ん、こいつがいただけだったよ」
こいつ、とユナが指差したのは、先ほどから話に流されるままになっていたマユカだった。
「……こいつが?」
「ああ。さっきリウに会ったんだけど、リウこいつのこと知ってた」
へえ、とマユカをじっと見て、青年は名乗る。
「オレはイオルド・ライト。ユナの保護者……まあ兄貴分だな。で、王国魔術師団の一員だ。
気軽にイオ、と呼んでくれ」
「あ……マユカ、です」
それに少し困惑した様子で、マユカも短く自己紹介をした。
「さっき街の外で強い力を感じてな。ユナを調査に行かせたんだが……」
「そこにいたのがお前だったってわけ」
イオとユナがマユカを見つけた経緯を説明する。
「リウ嬢がお前のこと知ってるなら……お前、もしかしたら何らかの重要人物かもな」
「はあ……」
話の展開がよく掴めないマユカは、曖昧な返事をする。
「あ、でさ、イオ! こいつ、オレたちで面倒見ていいかな?」
「……オレ“たち”?」
ぱんっと手を合わせてワクワクしたように頼むユナに、イオは怪訝そうに顔をしかめる。
「ん、オレとイオで」
「……お前、さっきのオレの話聞いてたか? リウ嬢が知ってるなら……」
「リウには許可もらった!
な? こいつ行くとこないし、知らない奴らに世話させるよりオレたちの方がいいかなって! オレが拾ったわけだし!」
イオの言葉を遮って、ユナは彼にすがりつく。
「……とか言ってお前、オレ一人に面倒見させる気だろ。
だいたい拾ったって、そんな犬猫じゃあるまいし……」
「えっ、そんなこと思ってないって!
今更一人増えても変わらないとか思ってないって!」
ユナがそう言うと、イオは深くため息を吐きながら彼の頭を乱暴に撫でた。
「仕方ねえな……」
「えっ!? 本当か!?」
バッと自身を見上げてくるユナにイオは笑う。
「次期騎士団長様直々の滅多にないワガママだからな。面倒見てやらんでもない」
「……なんだよ、それ」
不服そうにしながらも「まあいいや」と頷いてから、ユナは再び話についていけずポツンと立っていたマユカに向き直る。
「ってわけでお前は、オレとイオの保護下に入ることになったから」
よろしくな、と手を差し出し笑う彼に、マユカは戸惑った表情を浮かべながらその手を握り返した。
「えっと……よろしく、お願いします……」
何とか絞り出した声は、乾ききっていて。
もはや諦めの境地のマユカだった。
+++
マユカがフェントローゼに来て、約一週間が経った。
マユカはユナが所属している騎士団に入団し、そこの面々とそれなりに穏やかな日々を過ごしていた。
勿論剣など扱ったことはなかったが、ユナや騎士団員たちが親切丁寧に教えてくれたお陰で、なんとか構えるくらいは出来るようにはなっていた。
異世界から来たというマユカに、初めは興味津々だった騎士団員たちも、数日が過ぎる頃には好意的に接してくれるようになった。
「君がリウちゃんが予言したっていう子?」
そうしてその日も、ユナを含む騎士団員たちとの訓練をしていたマユカだったが、突如現れた緑髪の少年に声をかけられた。
「え……っと……?」
「……リーフェ様、マユカが困惑していますよ」
それにきょとんとしていると、苦笑いをしたユナが助け舟を出してくれ少年は「あ!」と頷いた。
「ごめんね! 自己紹介しなきゃだよね。
初めまして、僕はリーフェ。リーフェ・フェントローゼ。この国の王子です」
「マユカ、です……。……って、王子様!?」
少年……リーフェに倣って自己紹介をしたマユカは、彼の身分に目を開く。
確かに彼は、シンプルではあるが上質な、黒を基調とした服を身に纏っていた。
「ところでリーフェ様、御公務はどうされたんです?」
驚くマユカを横目に、ユナはリーフェをじろりと見やる。
「うっ……い、今から行くよ! ユナくんの意地悪!
今日はマユカくんに挨拶しに来ただけ!」
それじゃあね、マユカくん!
そう言ってリーフェは慌ただしく走り去って行った。
「……王子様、ねぇ……」
「ああ見えてアイツはやるときはやる奴だからな。心配だろうけど大丈夫だぞ。
むしろ色々と背負い込んで心配なくらいだ」
小さくなっていく背中を見つめ不安そうに呟いたマユカに、ユナは笑いながらそう言った。
まるで、大切な親友を自慢するかのように。
+++
訓練が終わり、マユカは一人で城内を歩いていた。
いつもはユナが傍にいるのだが、今日は騎士団と王宮魔術師団と呼ばれる組織で会議があるらしく、次期騎士団長であるユナはそれに参加しに行き不在だった。
(にしても……広いなあこの城……)
城内を歩いていると騎士や使用人、貴族といった様々な人とすれ違うが、いずれもマユカを興味深そうな瞳か、まさしく【異端者】を見るかのような瞳で見てきた。
異世界から来たという存在が珍しいのだろう。マユカはそう結論づけ納得したのだが、やはり気持ちの良いものではない。
人々の視線から逃げるように城内をさまよっていると、不意に外の空間に出た。
(外……? どこだここ……?)
そこはどうやら城の奥にある庭園のようだった。色とりどりの草花が所狭しと咲き乱れている。
更に奥には別荘のようなこじんまりとした……しかし立派な建物があった。
城の真ん中にある中庭とは違うその場所に、ちょっとした興味本位でマユカは足を踏み入れる。
……その時。
「……きみ……だあれ……?」
庭園の奥にある白亜の建物から、マユカと同年代と思わしき長い蒼髪の少年が現れた。
(人……? なんでこんなところに……)
「ねえ、きみ、だれ? なんでここにいるの?」
驚き困惑しているマユカに、少年は純粋そうな瞳で尋ねる。
「あ……オレは、マユカ。ちょっと道に迷って……」
慌ててマユカが自己紹介とここに来た経緯を話すと、少年は微笑んだ。
「マユカ。おぼえたよ。
……よるはココからでたことないからしらないけど、ココのソトってまいごになりやすいんだって」
見た目の割に幼く舌っ足らずな口調でニコニコと話す少年に、マユカは首を傾げる。
「……出たことないって……」
「よるもわかんない。きづいたらここにいたんだ」
言いながらも少年の表情は笑顔だった。……まるでその表情しか知らないかのように。
「よる、ってお前の名前?」
「うん。あさ、ひる、よるの『よる』」
よろしくね、まゆか。と笑う少年……夜に釣られて、マユカも思わず笑顔になるが。
「夜から離れろ、【異端者】!!」
突如聞こえた声に驚いて、思わず辺りを見回した。
「おにいちゃん!」
声の主を『兄』と呼んだ夜はとても嬉しそうに、自身が先ほどまでいた別荘の方に駆けていく。
その先にいたのは、夜とよく似ているが、それでいて正反対の容姿を持つ空色の髪の少年だった。
Un conte de fees. 1 終。