「この御伽噺は、終わらせはしない……【異端者】ッ!!」
朝がそう叫ぶと、彼の背後に黒い影が発生した。
そこから現れたのは。
「ま、魔物……っ!?」
大量の魔物の群れだった。
マユカが驚くのと同時に、ユナたちが武器を構える。
「マユカはリウと深雪の傍にいろ!」
イオのその指示に従って、マユカは後方にいたリウたちの傍に行こうとするが、それは魔物によって阻まれた。
「う、わぁぁ!?」
魔物が放った攻撃をとっさに避けたマユカだったが、盛大に転けてしまった。
「マユカ!」
「逃がさない、【異端者】……お前さえ、お前さえいなけばッ!!」
朝の罵声に反応した魔物たちが、マユカに向かって飛んでくる。
(う、嘘だろ!? オレだって好きでこんな世界にいるわけじゃないのに!!)
「っマユカ――ッ!!」
思わず目を瞑ったマユカに、彼の名を呼ぶユナたちの声が聞こえ……やがて、静寂が訪れた。
「……あれ……?」
恐れていた衝撃がいつまで経っても来ず、思わず開けたマユカの視界に映ったのは――紅だった。
「情けないな、【異端者】」
ユナやイオたちのようなこの世界で出逢った人たちとは違う声。
ひんやりとした、無機質な響き。
「だ……誰、だ?」
「僕は……【神殺し】」
「でぃ、“ディーサイド”……?」
視界に映った紅は、【神殺し】と名乗った少年のマントだった。
彼は月を模した変わった形の剣を構えて、朝を睨んでいる。
「……あれ……魔物たちは……?」
ふと周囲を見回すと、あれほど大量にいた魔物たちがいない。
「僕が倒した」
「え、倒したって……あの数を一人で!?」
事も無げにさらりと答える少年に、マユカは驚愕する。
「な……何なんだお前はッ!!」
不意に、朝の怒鳴り声が聞こえた。どうやら彼も突然の乱入者に驚いているようだ。
「さっきも言ったはずだ。……【神殺し】だと」
彼は剣の切先を朝に向ける。
そこでマユカは、周りが静かなままであることに気が付いた。
「……あれ……? ユナ? イオさん……?」
マユカの呼び掛けに答えるものは、誰もいない。
いつの間にか灰色の空に包まれたこの荒れた庭園には、マユカと朝と夜……そして【神殺し】しかいなくなっていた。
「なんで……みんな、どこに……!?」
「【本】の“登場人物”たちには邪魔だから消えてもらった。
……どうせ閉じる世界だ、いつ消えようと変わりはない」
呆然とするマユカに、淡々とした口調で【神殺し】が答える。
「え、ちょ! き、消えるとか閉じるとか……!」
何を言っているんだと続けようとした言葉は、彼によって遮られた。
「この世界は、【夢繋ぎ】が創った幻想だ。
……“登場人物”たちは本来の魂の欠片を元に織られた存在。
早くこの世界を壊さないと、【本】はお前たちの魂を飲み込んでしまう」
「の……飲み込まれたらどうなるんだ……?」
「元の世界へ還れなくなり……一生、この世界に縛れる」
あくまでも冷淡な彼に、マユカは思考が停止しかける。
かえれなくなる。元の世界には、大切な両親や弟がいる。……きっと、今も自分の帰りを待っていて……――
「かえれなくなる……? 父さんや母さん……歩耶に……会えなくなる……?
……いっ嫌だ……! 冗談じゃない、どうすればいいんだよ!?」
「落ち着け。……まずはあの馬鹿を止める。
そうすれば【夢繋ぎ】が表に出てくるだろう。
……それを僕が斬る」
「させない、そんなこと!!」
どこまでも冷たい彼の声に、馬鹿と称された朝が割り込む。
「この世界は壊させないッ!!」
「お前も弟も、【本】に取り込まれるんだぞ?」
先ほどからぼんやりとやり取りを見ている夜に視線を移しながら、【神殺し】は言う。
「お前たちの元の存在にも影響を与えるぞ」
「何の話だ!」
激昂する朝に対してぞっとするほど冷静な彼は、ふ、と笑った。
「……まあお前は“登場人物”だからな……知らなくて当然か」
「……?」
彼を睨みつつも訝しげに首を傾げる朝。【神殺し】はそんな彼を見やり、まあいい、と呟いた。
「ともかく、お前と弟にはここで消えてもらう」
「ちょ……!」
「……まって」
剣を振り上げた【神殺し】に、マユカは思わず待て、と言いかける。
……しかしそれを遮ったのは、夜だった。
「……夜……っ!?」
驚く朝の前に立ちふさがった夜は、兄を真っ直ぐに見つめた。
「もう……いいよ、おにいちゃん」
「え……」
「もう、いいよ。よるのためにおにいちゃんがこんなことするひつようないよ」
泣きそうな拙い声で、夜は必死に訴える。
「だ……だけど、夜っ!!」
弟の細い手を握って、朝は続ける。
「ここは安全なんだよ、ここにいたら君はもう傷つかなくていいんだよ!?」
その言葉に、夜は静かに首を振った。
「でも、ここは“ちがう”。よるたちやみんながいていいセカイじゃない。
……セカイですら、ないのだから」
「や、やめて……」
どこか遠くを見つめる蒼の瞳。それを見て、朝は顔を青くする。
「ここはみんなにとってよくないって、よるわかるよ。
よるだけシアワセでも、それはよくないって」
一度言葉を切って、夜は続けた。
『だから……よるは、やる』
「! また……二重に聞こえた……!」
二重に響いた彼の声にマユカがそう呟くと、前方にいた【神殺し】が教えてくれた。
「元の世界の存在と共鳴しているんだ。……あいつは、特殊だからな」
その言葉の意味は全く理解出来なかったが、夜が普通の存在ではないということはマユカにもわかった。
「やめて、やめて夜、お願い……っ!!
壊さないで、ここにいて、お願い、お願い……ッ!!」
「……ごめんね、ありがとう。
でも……もうおわろう、おにいちゃん……ううん。
……【夢繋ぎ】」
そう夜が微笑んだ瞬間、錯乱していた朝が倒れ、双子の身体は淡い光を放ちながら消え始めた。
「夜、朝!?」
「……物語の“登場人物”が、作者の名を知ることは本来ならあってはならない。
その名を紡ぐことは、“登場人物”の消滅を意味する。
……特に【夢繋ぎ】の幻想世界では……それが、世界崩壊のキッカケとなる」
驚くマユカに【神殺し】は相変わらず淡々と答える。
そんな彼らに、意識を失った兄を支えている夜が柔らかに笑んだ。
――たすけてくれてありがとう、【神殺し】……。
……ごめんね。ばいばい、まゆか……――
閃光。
思わず閉じた目を開くと、最初にマユカが【夢繋ぎ】と出逢った夕陽が照らすだけの空間に彼らは立っていた。
「出て来い、【夢繋ぎ】。
……こんな茶番は終わりだ!」
【夢繋ぎ】を呼ぶ【神殺し】。その決意は、揺るがない。
そして彼の声に、【夢繋ぎ】……セリロスが姿を現す。
「……【神殺し】……!」
ギッと【神殺し】を睨む【夢繋ぎ】。
だがそんな彼女の視線に怯むことなく、【神殺し】は【神剣】を向けた。
「後はお前が死んだら全て終わりだ、【夢繋ぎ】」
「……そんなこと、させないわ!」
抱いていた紅い本をぎゅっときつく抱きしめ、少女はマユカを見る。
「もう一度、“御伽噺”の世界へ……っ!」
「無駄だ」
本を開こうとした【夢繋ぎ】に、【神殺し】が制止をかける。
「お前はしばらくの間、幻想世界を創れないはずだ」
「……ッ!!」
その言葉に、【夢繋ぎ】がたじろいだ。呆然と流れに流されていたマユカは、訳がわからず彼にそっと尋ねる。
「な、なんで?」
「……夜の力だ」
剣を構えたまま、彼はマユカに説明をしてくれた。
「夜が【夢繋ぎ】の名を口にしたことで、あいつの能力は一時的に封印された。
……もっとも、もうすぐ夜の本来の存在が深い眠りについてしまう。
そうなった場合、その封印は解けてしまうが……その前に倒せば問題はない」
「眠りにって……なんで……?」
「それはこちらには関係のないことだ」
マユカの疑問をピシャリと切り捨て、彼は【夢繋ぎ】を睨み、走り出した。
「能力が使えないお前など、ただの無力な存在にすぎない!!」
「!! や、やめ……っ!!」
大きく剣を振りかざした【神殺し】を、マユカは思わず止めようとする。
だがその【神を屠る剣】は、無情にも【夢繋ぎ】を貫いた。
「セリロス!!」
彼女の名を呼び、マユカは金の髪を散らしながら倒れゆく【夢繋ぎ】の元へと駆け寄った。
「どうして……」
「え?」
流れる血も気に止めず呟いた少女に、マユカは聞き返す。
「どうしてみんな、 幻想よりも……現実を選ぶの……?」
ぎゅっと、マユカの服を握りしめる【夢繋ぎ】。その力はひどく弱々しい。
マユカは彼女の小さな手を、そっと握り返した。
「それは……なんていうか、結局幻想は幻想でしかなくて……『本物』じゃないから、かな」
「『本物』じゃ……ない……」
「夢を見るのも楽しいけど……現実を見て、歩かないと。
……オレたちは、生きてるんだから」
あくまでオレの意見だけど、と苦笑しながら告げたマユカは、【夢繋ぎ】の宝石のような赤い瞳を見つめた。
「……セリロス。なんでオレを幻想世界へ連れて行ったんだ?」
「それは……」
ずっと気になっていたことを尋ねると、【夢繋ぎ】は俯いて黙ってしまった。
「教えてよ、セリロス。何か理由があったんだろ?」
出来るだけ優しく笑って、マユカは彼女を促す。
「……一緒にいたかったの」
やがて、彼女はぽつりと呟いた。それはまるで、懺悔のように。
「……最初は私の一目惚れだったわ。貴方を見守れたらそれだけでいいって思ってたの……。
……でも……っ! でも、貴方は現実世界で……事故に遭ってしまって……っ!!」
「じ、こ?」
そこでマユカは、自分がこの世界に来る前……現実世界でのことをようやく思い出した。
学校帰り。通学路。
交通事故。意識を失って……――
「意識不明の重体って知って……私、貴方が死んじゃうと思ったの!! だから……っ」
「だから……死なないように、この世界へ連れてきた?」
途切れた言葉を継いだマユカに、彼女は首を振った。
「……いいえ、違うわ。ただの私のエゴよ……。
……死んじゃったら一緒にいられない。私、マユカと一緒にいたい……。
だから貴方の魂を連れてきたの。……他のみんなの魂の欠片と同じように」
でも、と少女は続ける。
「……この世界はみんなの願い……祈りで織られている。
ユナなら“誰からも蔑まれない世界”を、朝なら“夜が傷付かない世界”を。
……だけど、あの子は……夜は、この世界を願わなかった」
「夜……?」
聞き返したマユカに、【夢繋ぎ】は悲しげに微笑んだ。
「貴方を【異端者】と呼んだけれど……本当に異端者なのは夜の方ね」
「……っセリロス、オレ……っ!!」
その切ない笑顔に、マユカは思わず口を開く。
「幻想だったけど、現実じゃなかったけどっ!! あの世界に、フェントローゼにいられて楽しかった……!!
きっと、絶対……忘れないから……っ!!」
「……ありがとう、マユカ」
マユカの言葉に一瞬驚いてから、【夢繋ぎ】セリロスは見惚れるほどの綺麗な笑みを浮かべた。
「……話は済んだか?」
「……っディーサイド……」
冷えた声で穏やかな空気になりつつあった二人を遮る【神殺し】。
マユカは咄嗟に【夢繋ぎ】を庇うように立ち上がった。
……しかし。
「いいの、マユカ」
彼女がそれを制して、【神殺し】をじっと見つめた。
「……夢も物語も、いつかは終わるもの。……私がここで死ねば、マユカは元の世界に戻れるわ」
一命を取り留めるかは貴方次第だけど、と【夢繋ぎ】は柔らかに笑んだ。
「……終わりにしましょう、【神殺し】」
「……――“夕凪に終焉を,やがて来たるべき未来へ。全てを屠る光よ,宿れ! 【神殺し】の名の下に!
『ディオ・マタル』”!!」
微笑んだ【夢繋ぎ】に、【神殺し】の【神剣】が深く突き刺さる。
すると、マユカたちを眩い光が包み込んだ。
「っセリロス……セリロスーーッ!!」
――ありがとう、マユカ。大好きよ……――
+++
「……ゆか……繭耶っ!!」
「兄さんっ!!」
名を呼ばれて、ハッと目を覚ます。
機械音。覗き込む白衣の大人たち。
泣きそうな顔の……両親と弟。
「帰って、きた……?」
薬品の匂いが漂う病室。纏う真っ白な包帯。痛む身体。
それが夢ではないのだと、繭耶は実感した。
+++
「――……神がまた一人消えたか」
どこかの世界で、黒い影が呟く。
「【創造神】アズールめ!
【神殺し】を送り込むとはなッ!!」
ダンッと壁を力強く叩いて、紅い髪の青年が声を荒らげた。
「それよりも 蛹海 夜でしょー。 “御伽噺”に吸収されたらよかったのに。
どうするんですか、このままじゃあの子たち【世界樹】として覚醒しちゃいますよぉー?」
青髪をポニーテールにした少女が、内容とは裏腹にひどく軽い口調で問いかける。
「ふっ……【世界樹】が覚醒しようとしまいと関係ない。
【太陽神】を亡き者にする……それは変わりないことだ」
最初の影……白髪の男性がニヤリと笑った。
「【創造神】アズール・ローゼリア……全ては貴様への復讐の為にッ!!」
+++
「……この本……」
繭耶の視線の先には、窓際に置かれた一冊の深紅の表紙の絵本。
……【夢繋ぎ】のそれと、よく似た本だった。
「これ? あなたが気に入ってた御伽噺の絵本よ」
そう言って母は、本を繭耶に手渡す。
「あなたが小さかった頃にね……買って買ってって、駄々をこねたんだから。
今まで本なんて興味なかったのに、『絵本さんが「買って」って言ってる』なんて言ってね」
優しく笑う母の声を聞きながら、繭耶はパラパラとページを捲る。
優しい色使いで描かれた、子ども向けの『御伽噺』。
その、最後のページには。
「……セリロス……」
笑顔の【夢繋ぎ】とマユカが、描かれていた。
Un conte de fees.
Fin.