Un conte de fees.

3.閉じるセカイ


「この御伽噺は、終わらせはしない……【異端者エレティック】ッ!!」

 朝がそう叫ぶと、彼の背後に黒い影が発生した。
 そこから現れたのは。

「ま、魔物……っ!?」

 大量の魔物の群れだった。
 マユカが驚くのと同時に、ユナたちが武器を構える。

「マユカはリウと深雪の傍にいろ!」

 イオのその指示に従って、マユカは後方にいたリウたちの傍に行こうとするが、それは魔物によって阻まれた。

「う、わぁぁ!?」

 魔物が放った攻撃をとっさに避けたマユカだったが、盛大に転けてしまった。

「マユカ!」

「逃がさない、【異端者エレティック】……お前さえ、お前さえいなけばッ!!」

 朝の罵声に反応した魔物たちが、マユカに向かって飛んでくる。

(う、嘘だろ!? オレだって好きでこんな世界にいるわけじゃないのに!!)

「っマユカ――ッ!!」

 思わず目を瞑ったマユカに、彼の名を呼ぶユナたちの声が聞こえ……やがて、静寂が訪れた。

「……あれ……?」

 恐れていた衝撃がいつまで経っても来ず、思わず開けたマユカの視界に映ったのは――紅だった。

「情けないな、【異端者エレティック】」

 ユナやイオたちのようなこの世界で出逢った人たちとは違う声。
 ひんやりとした、無機質な響き。

「だ……誰、だ?」

「僕は……【神殺しディーサイド】」

「でぃ、“ディーサイド”……?」

 視界に映った紅は、【神殺しディーサイド】と名乗った少年のマントだった。
 彼は月を模した変わった形の剣を構えて、朝を睨んでいる。

「……あれ……魔物たちは……?」

 ふと周囲を見回すと、あれほど大量にいた魔物たちがいない。

「僕が倒した」

「え、倒したって……あの数を一人で!?」

 事も無げにさらりと答える少年に、マユカは驚愕する。

「な……何なんだお前はッ!!」

 不意に、朝の怒鳴り声が聞こえた。どうやら彼も突然の乱入者に驚いているようだ。

「さっきも言ったはずだ。……【神殺しディーサイド】だと」

 彼は剣の切先を朝に向ける。
 そこでマユカは、周りが静かなままであることに気が付いた。

「……あれ……? ユナ? イオさん……?」

 マユカの呼び掛けに答えるものは、誰もいない。
 いつの間にか灰色の空に包まれたこの荒れた庭園には、マユカと朝と夜……そして【神殺しディーサイド】しかいなくなっていた。

「なんで……みんな、どこに……!?」

「【本】の“登場人物”たちには邪魔だから消えてもらった。
 ……どうせ閉じる世界だ、いつ消えようと変わりはない」

 呆然とするマユカに、淡々とした口調で【神殺しディーサイド】が答える。

「え、ちょ! き、消えるとか閉じるとか……!」

 何を言っているんだと続けようとした言葉は、彼によって遮られた。

「この世界は、【夢繋ぎセリロス】が創った幻想だ。
 ……“登場人物”たちは本来の魂の欠片を元に織られた存在。
 早くこの世界を壊さないと、【本】はお前たちの魂を飲み込んでしまう」

「の……飲み込まれたらどうなるんだ……?」

「元の世界へ還れなくなり……一生、この世界に縛れる」

 あくまでも冷淡な彼に、マユカは思考が停止しかける。
 かえれなくなる。元の世界には、大切な両親や弟がいる。……きっと、今も自分の帰りを待っていて……――

「かえれなくなる……? 父さんや母さん……歩耶あゆかに……会えなくなる……?
 ……いっ嫌だ……! 冗談じゃない、どうすればいいんだよ!?」

「落ち着け。……まずはあの馬鹿を止める。
 そうすれば【夢繋ぎセリロス】が表に出てくるだろう。
 ……それを僕が斬る」

「させない、そんなこと!!」

 どこまでも冷たい彼の声に、馬鹿と称された朝が割り込む。

「この世界は壊させないッ!!」

「お前も弟も、【本】に取り込まれるんだぞ?」

 先ほどからぼんやりとやり取りを見ている夜に視線を移しながら、【神殺しディーサイド】は言う。

「お前たちの元の存在にも影響を与えるぞ」

「何の話だ!」

 激昂する朝に対してぞっとするほど冷静な彼は、ふ、と笑った。

「……まあお前は“登場人物”だからな……知らなくて当然か」

「……?」

 彼を睨みつつも訝しげに首を傾げる朝。【神殺しディーサイド】はそんな彼を見やり、まあいい、と呟いた。

「ともかく、お前と弟にはここで消えてもらう」

「ちょ……!」

「……まって」

 剣を振り上げた【神殺しディーサイド】に、マユカは思わず待て、と言いかける。
 ……しかしそれを遮ったのは、夜だった。

「……夜……っ!?」

 驚く朝の前に立ちふさがった夜は、兄を真っ直ぐに見つめた。

「もう……いいよ、おにいちゃん」

「え……」

「もう、いいよ。よるのためにおにいちゃんがこんなことするひつようないよ」

 泣きそうな拙い声で、夜は必死に訴える。

「だ……だけど、夜っ!!」

 弟の細い手を握って、朝は続ける。

「ここは安全なんだよ、ここにいたら君はもう傷つかなくていいんだよ!?」

 その言葉に、夜は静かに首を振った。

「でも、ここは“ちがう”。よるたちやみんながいていいセカイじゃない。
 ……セカイですら、ないのだから」

「や、やめて……」

 どこか遠くを見つめる蒼の瞳。それを見て、朝は顔を青くする。

「ここはみんなにとってよくないって、よるわかるよ。
 よるだけシアワセでも、それはよくないって」

 一度言葉を切って、夜は続けた。

『だから……よるは、やる』

「! また……二重に聞こえた……!」

 二重に響いた彼の声にマユカがそう呟くと、前方にいた【神殺しディーサイド】が教えてくれた。

「元の世界の存在と共鳴しているんだ。……あいつは、特殊だからな」

 その言葉の意味は全く理解出来なかったが、夜が普通の存在ではないということはマユカにもわかった。

「やめて、やめて夜、お願い……っ!!
 壊さないで、ここにいて、お願い、お願い……ッ!!」

「……ごめんね、ありがとう。
 でも……もうおわろう、おにいちゃん……ううん。
 ……【夢繋ぎセリロス】」

 そう夜が微笑んだ瞬間、錯乱していた朝が倒れ、双子の身体は淡い光を放ちながら消え始めた。

「夜、朝!?」

「……物語の“登場人物”が、作者の名を知ることは本来ならあってはならない。
 その名を紡ぐことは、“登場人物”の消滅を意味する。
 ……特に【夢繋ぎセリロス】の幻想世界では……それが、世界崩壊のキッカケとなる」

 驚くマユカに【神殺しディーサイド】は相変わらず淡々と答える。
 そんな彼らに、意識を失った兄を支えている夜が柔らかに笑んだ。

 ――たすけてくれてありがとう、【神殺しディーサイド】……。
 ……ごめんね。ばいばい、まゆか……――

 閃光。
 思わず閉じた目を開くと、最初にマユカが【夢繋ぎセリロス】と出逢った夕陽が照らすだけの空間に彼らは立っていた。

「出て来い、【夢繋ぎセリロス】。
 ……こんな茶番は終わりだ!」

 【夢繋ぎセリロス】を呼ぶ【神殺しディーサイド】。その決意は、揺るがない。
 そして彼の声に、【夢繋ぎ】……セリロスが姿を現す。

「……【神殺しディーサイド】……!」

 ギッと【神殺しディーサイド】を睨む【夢繋ぎセリロス】。
 だがそんな彼女の視線に怯むことなく、【神殺しディーサイド】は【神剣】を向けた。

「後はお前が死んだら全て終わりだ、【夢繋ぎセリロス】」

「……そんなこと、させないわ!」

 抱いていた紅い本をぎゅっときつく抱きしめ、少女はマユカを見る。

「もう一度、“御伽噺”の世界へ……っ!」

「無駄だ」

 本を開こうとした【夢繋ぎセリロス】に、【神殺しディーサイド】が制止をかける。

「お前はしばらくの間、幻想世界を創れないはずだ」

「……ッ!!」

 その言葉に、【夢繋ぎセリロス】がたじろいだ。呆然と流れに流されていたマユカは、訳がわからず彼にそっと尋ねる。

「な、なんで?」

「……夜の力だ」

 剣を構えたまま、彼はマユカに説明をしてくれた。

「夜が【夢繋ぎセリロス】の名を口にしたことで、あいつの能力は一時的に封印された。
 ……もっとも、もうすぐ夜の本来の存在が深い眠りについてしまう。
 そうなった場合、その封印は解けてしまうが……その前に倒せば問題はない」

「眠りにって……なんで……?」

「それはこちらには関係のないことだ」

 マユカの疑問をピシャリと切り捨て、彼は【夢繋ぎセリロス】を睨み、走り出した。

「能力が使えないお前など、ただの無力な存在にすぎない!!」

「!! や、やめ……っ!!」

 大きく剣を振りかざした【神殺しディーサイド】を、マユカは思わず止めようとする。
 だがその【神を屠る剣】は、無情にも【夢繋ぎセリロス】を貫いた。

「セリロス!!」

 彼女の名を呼び、マユカは金の髪を散らしながら倒れゆく【夢繋ぎセリロス】の元へと駆け寄った。

「どうして……」

「え?」

 流れる血も気に止めず呟いた少女に、マユカは聞き返す。

「どうしてみんな、 幻想ゆめよりも……現実を選ぶの……?」

 ぎゅっと、マユカの服を握りしめる【夢繋ぎセリロス】。その力はひどく弱々しい。
 マユカは彼女の小さな手を、そっと握り返した。

「それは……なんていうか、結局幻想は幻想でしかなくて……『本物』じゃないから、かな」

「『本物』じゃ……ない……」

「夢を見るのも楽しいけど……現実を見て、歩かないと。
 ……オレたちは、生きてるんだから」

 あくまでオレの意見だけど、と苦笑しながら告げたマユカは、【夢繋ぎセリロス】の宝石のような赤い瞳を見つめた。

「……セリロス。なんでオレを幻想世界フェントローゼへ連れて行ったんだ?」

「それは……」

 ずっと気になっていたことを尋ねると、【夢繋ぎセリロス】は俯いて黙ってしまった。

「教えてよ、セリロス。何か理由があったんだろ?」

 出来るだけ優しく笑って、マユカは彼女を促す。

「……一緒にいたかったの」

 やがて、彼女はぽつりと呟いた。それはまるで、懺悔のように。

「……最初は私の一目惚れだったわ。貴方を見守れたらそれだけでいいって思ってたの……。
 ……でも……っ! でも、貴方は現実世界で……事故に遭ってしまって……っ!!」

「じ、こ?」

 そこでマユカは、自分がこの世界に来る前……現実世界でのことをようやく思い出した。

 学校帰り。通学路。
 交通事故。意識を失って……――

「意識不明の重体って知って……私、貴方が死んじゃうと思ったの!! だから……っ」

「だから……死なないように、この世界へ連れてきた?」

 途切れた言葉を継いだマユカに、彼女は首を振った。

「……いいえ、違うわ。ただの私のエゴよ……。
 ……死んじゃったら一緒にいられない。私、マユカと一緒にいたい……。
 だから貴方の魂を連れてきたの。……他のみんなの魂の欠片と同じように」

 でも、と少女は続ける。

「……この世界はみんなの願い……祈りで織られている。
 ユナなら“誰からも蔑まれない世界”を、朝なら“夜が傷付かない世界”を。
 ……だけど、あの子は……夜は、この世界を願わなかった」

「夜……?」

 聞き返したマユカに、【夢繋ぎセリロス】は悲しげに微笑んだ。

「貴方を【異端者エレティック】と呼んだけれど……本当に異端者なのは夜の方ね」

「……っセリロス、オレ……っ!!」

 その切ない笑顔に、マユカは思わず口を開く。

「幻想だったけど、現実じゃなかったけどっ!! あの世界に、フェントローゼにいられて楽しかった……!!
 きっと、絶対……忘れないから……っ!!」

「……ありがとう、マユカ」

 マユカの言葉に一瞬驚いてから、【夢繋ぎ】セリロスは見惚れるほどの綺麗な笑みを浮かべた。

「……話は済んだか?」

「……っディーサイド……」

 冷えた声で穏やかな空気になりつつあった二人を遮る【神殺しディーサイド】。
 マユカは咄嗟に【夢繋ぎセリロス】を庇うように立ち上がった。
 ……しかし。

「いいの、マユカ」

 彼女がそれを制して、【神殺しディーサイド】をじっと見つめた。

「……夢も物語も、いつかは終わるもの。……私がここで死ねば、マユカは元の世界に戻れるわ」

 一命を取り留めるかは貴方次第だけど、と【夢繋ぎセリロス】は柔らかに笑んだ。

「……終わりにしましょう、【神殺しディーサイド】」

「……――“夕凪に終焉を,やがて来たるべき未来へ。全てを屠る光よ,宿れ! 【神殺しディーサイド】の名の下に!
 『ディオ・マタル』”!!」

 微笑んだ【夢繋ぎセリロス】に、【神殺しディーサイド】の【神剣】が深く突き刺さる。
 すると、マユカたちを眩い光が包み込んだ。

「っセリロス……セリロスーーッ!!」


 ――ありがとう、マユカ。大好きよ……――


 +++


「……ゆか……繭耶まゆかっ!!」

「兄さんっ!!」


 名を呼ばれて、ハッと目を覚ます。
 機械音。覗き込む白衣の大人たち。
 泣きそうな顔の……両親と弟。

「帰って、きた……?」

 薬品の匂いが漂う病室。纏う真っ白な包帯。痛む身体。
 それが夢ではないのだと、繭耶まゆかは実感した。


 +++


「――……神がまた一人消えたか」

 どこかの世界で、黒い影が呟く。

「【創造神】アズールめ!
 【神殺しディーサイド】を送り込むとはなッ!!」

 ダンッと壁を力強く叩いて、紅い髪の青年が声を荒らげた。

「それよりも 蛹海 夜さなうみ ヨルでしょー。 “御伽噺”に吸収されたらよかったのに。
 どうするんですか、このままじゃあの子たち【世界樹ユグドラシル】として覚醒しちゃいますよぉー?」

 青髪をポニーテールにした少女が、内容とは裏腹にひどく軽い口調で問いかける。

「ふっ……【世界樹ユグドラシル】が覚醒しようとしまいと関係ない。
 【太陽神】を亡き者にする……それは変わりないことだ」

 最初の影……白髪の男性がニヤリと笑った。

「【創造神】アズール・ローゼリア……全ては貴様への復讐の為にッ!!」


 +++


「……この本……」

 繭耶まゆかの視線の先には、窓際に置かれた一冊の深紅の表紙の絵本。
 ……【夢繋ぎセリロス】のそれと、よく似た本だった。

「これ? あなたが気に入ってた御伽噺の絵本よ」

 そう言って母は、本を繭耶に手渡す。

「あなたが小さかった頃にね……買って買ってって、駄々をこねたんだから。
 今まで本なんて興味なかったのに、『絵本さんが「買って」って言ってる』なんて言ってね」

 優しく笑う母の声を聞きながら、繭耶はパラパラとページを捲る。
 優しい色使いで描かれた、子ども向けの『御伽噺』。
 その、最後のページには。

「……セリロス……」

 笑顔の【夢繋ぎセリロス】とマユカが、えがかれていた。



 Un conte de fees.
 Fin.