この夜を越えて、静寂。

いのちの答え。


 何度目だろうか。 少年は目の前で、安らかな笑顔を浮かべて眠りにつく幼なじみを見つめた。

 もう、何回“繰り返した”だろうか。 今にも目覚め動き出しそうな彼は、しかしそのからだから血を流して倒れ伏していた。

 

(ああ、オレはまた、自分のこころに負けてしまった)

 

 泣くだけの涙は残っていなかった。 痛み悼むこころも、すでに磨り減っていた。

 何度繰り返しても変わらないこの結末。 どんな選択肢を選んでも、“ここ”に辿り着いてしまう。

 それでも少年は、繰り返し続けた。 彼の意思に関係なく、世界は巻き戻されていくのだ。

 

 ……彼のこころだけが。

 

 

 

 

「メモリア、おはよう」

 

 物語の始まりは、いつだってそうして笑う幼なじみの挨拶からだった。

 柔らかな朝の日射しが酷く眩しい。 ゆめの中にいるような、幻想的な光であった。

 幼なじみの彼と、家族たちと、朝食を取る。 これも幾度となく繰り返した光景だった。

 笑う家族は未来で命を落としてしまう。 助けた回もありはしたが、壊れて自ら死を選ぶ者も、事故で死ぬ者もいた。

 幼なじみもきっとそうなのだろう。 繰り返しが十を越える頃悟った少年は、惰性で繰り返すことを続けた。

 つまり、諦めてしまったのだ。

 

(もう、いやだよ)

 

 どんなに泣いても、どんなに家族に警告しても、未来の話をしても、無意味だった。 今回こそは、と甘い期待を抱いては打ち砕かれた。 自分以外に繰り返しているヒトを探したこともあった。 誰一人としていなかったが。

 

「メモリア、ご飯食べないの?」

 

 少年は彼らの行く末を知っている。 日常のやりとりでさえも、もう記憶してしまった。

 心配そうに顔を覗き込む幼なじみに泣きつくのは、何回目でやめたっけ。

 濁りきった少年の瞳に気付かず、幼なじみは家族との談笑を再開してしまった。

 

 家族、とは言うが、全員に血の繋がりはなく、少年と幼なじみを含めて彼らはみな身寄りのない孤児であった。 いや、遠い昔には全員親と暮らしていたのだが、何かしらの理由で彼らは命を落としてしまった。

 少年の繰り返しにはその頃の出来事は含まれない。 物語はいつも、少年の両親が死んでしまった後から始まるのだから。

 

 生きていくために働きに出た家族を見送って、少年はぼんやりと空を見上げた。 好きなはずだったその色は、いつからか灰色にしか見えなくなっていた。

 疲弊していた。 親しい者が、最愛の者が命を喪う世界に。

 自ら命を絶つことも幾度か行おうとしたが、傷が増えるばかりで死ぬことは出来なかった。

 なぜ繰り返すのか、それもわからなかった。 抗うことを諦めた少年には、何かもかもがどうでもよかった。

 

 

 ……はずで、あった。

 

 

 何回目かの繰り返しの始まりから数年経ったある日、少年は街の外れにあるお気に入りの丘へと足を運んだ。

 街の喧騒から離れて、そっと息を吐く。 切ることも億劫になった長い銀の髪が、歩調に合わせて揺れている。

 それすらも最早日課であった。 繰り返す日々の中の、ありふれた一頁。

 

 しかし、その日は違った。 結論から言えば、“イレギュラー”が起こったのだ。

 彼の目の前には、金髪と赤いマントを風に遊ばせている少年が、背筋をピンと伸ばして佇んでいた。 穏やかなその場の空気にそぐわない、張り詰めた雰囲気を纏うそのイレギュラーに、少年は思わず声をかける。

 

「お前……何者だ」

 

 すると彼はくるりと振り返った。 少年より少し年上のように見えるそのイレギュラーは、深い青の瞳を少年へと向ける。

 

「……僕は……【神殺し(ディーサイド)】。 ……なるほど、お前が【魔王】のカケラか」

 

「……何の話だ」

 

 警戒心を露にして彼を睨む少年に、イレギュラーは訝しげに首を傾ける。

 

「……自覚がないのか? ……まあいい。 さっさとこの繰り返しから脱出するぞ」

 

「……脱出……? この世界のことを知っているのか?」

 

 驚愕に目を見開いた少年が問う。 それに静かに頷いてから、イレギュラーは「話せば長くなるが」と律儀にも説明を始めた。

 

「事は半年ほど前、【魔王】が討伐されたことから始まる。

 しかし奴は死んでいなかった。 奴の力……魂のカケラを埋め込んだ者の体を依代に、復活を目論んでいる」

 

 それが、お前だ。 イレギュラーが指した指の先にいた少年は、動揺することなくその視線を受け止めていた。

 【魔王】の魂、依代。 それ自体には心当たりはあった。 少年は【魔王】の力を使い、両親の仇を討ったのだから。

 しかしそれとこの“繰り返し”が何の関係があるのか。 目線だけで訴えれば、イレギュラーは再度口を開いた。

 

「【魔王】は“一番最悪だった時”にお前を何度も戻して、精神を崩壊させようとしている。

 そうしてこころが壊れたお前の体を乗っ取るというわけだ」

 

「……お前は、何をしに来たんだ」

 

 少年とイレギュラーは初対面で、一切関係はないはずだ。

 そう問えば、彼は空を見上げて答えてくれた。

 

「とある人物に頼まれたんだ。 お前を助けてやってくれと。

 あいつは【魔王】と反りが合わないらしく、【魔王】に狙われているやつを片っ端から助けていっている。

 次代の【魔王】になるのは……その咎を背負うのは、自分だけでじゅうぶんだと」

 

 ひどく傲慢な人だと思った。 見ず知らずの自分を助けるために、他人を寄越してくるなんて。

 嫌なやつだな、そう呟けば、イレギュラーも同感だな、と頷いた。

 

「だけどあいつは、どこまでも真っ直ぐなやつなんだ」

 

 だから放っておけないのだと、頼みを聞いてしまうのだと、イレギュラーは呆れたような……それでいて、頼られて嬉しいと言いたげな笑みを浮かべた。

 

「……だったら、どうしたらいい?」

 

「簡単だ。 お前の中にいる【魔王】のカケラを倒せばいい。

 それがお前に“繰り返し”の力を与えているのだから」

 

 その何とも単純な解決法に、少年は【魔王】を探すべく辺りを見回した。 しかしいつもと変わらぬ景色が広がるだけで、目の前のイレギュラー以外の異端は見つからない。

 だが、イレギュラーがどこからともなく取り出した、月を象った変わった形の剣を真正面へ向けると、その場の空気がざわめいた。

 その先をじっと見つめていると、風が揺らぎ、そこに一人の青年……【魔王】が現れた。

 闇のような黒髪に血のように赤い瞳。 エルフを思わせる尖った耳が特徴的なその男は、イレギュラーへと笑みを向けた。

 

「我を屠るのか、【神殺し】よ」

 

「当然だ。 いくらカケラとは言え、お前が存在する限りこいつが次代の【魔王】になる。 ……それは、阻止すべき未来だ。 あいつのためにも」

 

 風が止む。 イレギュラーの足元に、光輝く魔法陣が出現した。

 

「……メモリア。 貴様はどうする? このまま最後には幼なじみが死んでしまうとは言え、それまでは幸せな日常を繰り返すことができるこの場に残るか、それとも……」

 

「……お、れは……」

 

 【魔王】の問いかけに、少年は逡巡する。 幼なじみは死ぬ。 しかしそれまでの日々は、確かに暖かいものであった。

 何度家族や幼なじみが死んでも、繰り返すことによってまた生き返る。 そして再度会話を交わすことができるのだ。 幼なじみの彼の優しい声を聞いていられるのだ。

 ……例え、その先の未来を見ることが出来なくても。 自身の心が完全にすり減り消え去るそのときまで。

 

 

(……ああ、そうか、オレは、こわいんだ。 忘れてしまうのが、こわいんだ……)

 

 

 唐突に理解したそれは、幼なじみや死んだ家族を忘れるという“恐怖”だった。 声を忘れ、顔を忘れ、やがて想い出すら忘れてしまうのが、少年は酷く恐ろしかった。

 ……それならばいっそのこと、このままこの繰り返しの中にいた方がいいのではないか? そんな考えが過った少年を、静かでいて力強い声が叱咤する。

 

「生きろ、メモリア。 死んだ者の命を背負って。 ……それが、遺されたお前の使命だ」

 

 青空を湛えたような意思の強い瞳で、イレギュラーが少年を見つめていた。

 

「いき……る……」

 

 繰り返しの果てに全てを諦めた少年には、それはとてつもなく重く感じられた。 しかし同時に、その重さから逃げてはいけないこともわかってはいた。

 

 

(……メモリア、きみは、いきて)

 

 

 不意に脳裏に幼なじみの声が響く。 大丈夫だよ、と笑う彼の日だまりのような笑顔に、少年はいつだって救われてきた。

 今までも……そう、これからも、きっと、ずっと。

 

 

「……答えは決まったようだな」

 

 イレギュラーの言葉に、少年はこくりと頷く。 それを見たイレギュラーは安心したような表情で、変わった形の剣……【神剣】デイブレイクを構えた。

 厳かな光が世界を包む中、【魔王】は残念そうな顔で少年を見やる。

 

「生を選ぶか、メモリア。 貴様もなかなか【魔王】にふさわしかったのだが……仕方あるまい」

 

「……——“夕凪に終焉を,やがて来たるべき未来へ。 全てを屠る光よ,宿れ! 《神殺し》の名の下に!

 ……『ディオ・マタル』”!!」

 

 イレギュラー……【神殺し】の力が、【魔王】へ向かって発動する。 その光輝く剣は【魔王】を貫き、世界は眩い白に包まれた。

 

 

 

 冷たい雨が体を打つ感覚に、少年の意識は浮上する。

 足元に目をやれば、動かなくなった幼なじみが倒れていた。 その身に纏っていたはずの赤はすでに雨に流されていて、幸せそうな寝顔も相まって、今にも目を覚ましそうだった。

 

 

(僕を殺して、メモリア)

 

 

 幼なじみは自身の死を望んだ。 少年に殺されることを、望んだのだ。

 繰り返しの中で何度も見た光景。 それから脱出するという先ほどまでの出来事は全て夢で、今この瞬間ですら繰り返しの中なのではないのか……?

 そんな諦めに似た絶望が、少年をじわりじわりと襲った。

 

「……メモリア!」

 

 ふと雨音に紛れて、最年長の家族の声が少年の耳に届く。

 繰り返したこの場面にはいなかった彼は、少年と幼なじみに駆け寄り、一瞬で状況を理解したようだった。

 ばかやろう、そう辛そうな顔をして呟いてから幼なじみを埋めに行った家族を見送って、少年は雨を降らす空を見上げた。

 

(……殺したくなんて、なかった)

 

 少年たちは街を悪意から救うために戦ってきた。 そして多くを犠牲にしてきた。 幼なじみは、平和になったこの街に自分は必要ないと笑っていた。 ……多くを殺してきた自分は、必要ないのだと。

 

 

『平和になったこの街に、僕は必要ないんだ、メモリア。

 だから君の手で殺して、お願い、死にたいんだ、もう……!』

 

 縋るように、泣き叫ぶように、幼なじみは少年の手を握った。

 

 

『僕を殺して、お願い、メモリア』

 

 

 壊れていくのは、なんだったのだろう。

 

 

 

「大丈夫か、メモリア」

 

 家族の青年が戻ってきて、心配そうに少年の顔を覗き込む。

 帰ろう、と差し出された手に触れる。 雨に濡れて冷えてはいるが、人のぬくもりが当たり前だがきちんとあった。

 

「……大丈夫。 オレは……生きるよ」

 

 戦いの中で、目の前で命を落としていった家族と……幼なじみの親友のために。

 すべての命を、背負って。

 

「もう、逃げないから」

 

 繰り返しの果てに辿り着いた答えに、少年は気丈な笑みを浮かべる。

 強い意志を宿した赤と青のオッドアイの瞳で、彼は……メモリアは、世界を見つめた。

 

 

 

 

 これは、繰り返した痛みと悲しみの先にある、未来へ続くものがたり。

 

 

 

 

 終。