この夜を越えて、静寂。

きみの心音


「夜先輩、ちゃんと寝てるんスか?」

 発端は、そんな後輩の一言だった。
 唐突な彼のその発言に、オレは瞳を何度かぱちぱちと動かした。

「えっ……と?」

「目の下、薄っすらですけどクマ出来てますし。
 夜中とか何回か起きてますよね?」

 意外と、というと失礼かもしれないが、人をよく見ている後輩ことヒアに、曖昧な笑みを返す。
 隣を歩く兄を横目で見やれば、苦い顔をしていた。
 ああ、これは恐らく兄も……他の仲間たちも気づいていたな、とこっそりため息を吐く。

「……うまく、寝れなくて」

 真実ではないが嘘でもない言い訳を、苦笑いと共に返した。
 そう、眠れないのだ。眠くないわけではないのだが。

「寝れない……って、何で?」

 不安そうに会話に参加してきたのは、イビアだった。隣の黒翼も真剣な表情をしている。
 辺りを見回せば、いつの間にか仲間たちは足を止めてオレをじっと見ていた。
 そんな彼らにたじろぎながら、それでも怯んだ自分を悟られないように再び笑顔を作ってみせる。

「うーん……なんでだろうね?」

 ……なんて、まあ原因はわかっているのだが。
 兄はともかく仲間たちにはあまり知られたくないし、心配をかけたくもない。
 緩やかな拒絶に、彼らは困ったように顔を見合わせ、その場は解散となった。


 ――その日の夜中。
 焚火を囲んで眠る仲間たちの中で、やはりオレは目を覚ましていた。
 嫌な汗が背中を流れる。あれは夢だ、と何度も何度も心の中で呟いてみる。
 ……眠れない原因。それは単純明快、悪夢を視るからだ。
 元の世界での、過去。両親からの罵倒と、暴力。それらが何度も夢に現れ、恐怖で飛び起きてしまう。
 夢の中が現実で、異世界ローズラインでの出来事が夢なのでは、と何度も考えてしまうこともあった。
 それくらい、オレの中から過去は消えない。傷は未だ、癒えない。
 膝を抱えて、幻痛に耐える。叫び出しそうな自分に、耐える。
 ふと、視線が自身に向けられていることに気づいた。今日の火の番はイビアだったっけ。
 ゆるゆると顔を上げると、案の定心配そうな顔の彼と目が合ってしまった。
 何か言いたげに、口を開いては閉じる動作を繰り返すイビアに、オレはいつもの笑みを浮かべてみせる。

「……夜、あのさ……」

 そんなオレに何を思ったのか、彼は意を決したように声を発した。
 眠っている仲間たち……まあ、何人かは起きているのだろうけれど……を起こさないための小さめなそれは、けれど不意に遮られた。
 兄が、体を起こしてオレを見下ろすように立ったからだ。
 なんだろう、と首を傾げたオレの傍に片膝をついて、兄はオレの手を取って言い放つ。

「夜、一緒に寝よう」

 そう、真剣な表情で。

「……えっ」

 一緒に、とは言うが、それはつまり添い寝というわけで。
 さすがにそんな年ではないし、いや確かに時々出てしまう素の一人称が自身の名前な時点でもしかしたらオレよるの精神年齢は幼いのかもしれないけれど、だからといって後輩たちもいる手前大の男二人が添い寝とか絵面的にもよろしくないのでは!?
 脳内で大混乱を起こして固まるオレの隣に自身の寝袋をずるずると引きずりながら持ってきた兄は、それをオレのものに隙間なくぴったりとくっつけてごろんと横になりオレに両手を差し伸べた。

「ほら、おいで」

 いやほら、じゃないんだけど!?
 恥ずかしさ半分、戸惑い半分で思わずイビアの方を見ると、彼は面白そうに笑っている。
 しかもあろうことか黒翼やソレイユ、ディアナまでもがオレたちのことを面白そうに……そして呆れたように見ていた。

(い、いたたまれない……)

 兄の気持ちは素直に嬉しい。多分、兄はオレが眠れない理由くらいお見通しだろうし、そもそも五年前も一緒の布団で眠ることはよくあったのだ。
 未だパニックを起こすオレに痺れを切らしたのか、兄がぐい、とオレの腕を引く。
 突然のことにバランスを崩したオレは、見事に兄の腕の中に収まってしまった。
 そのまま彼の左腕を枕にして寝袋の上に寝かされ、右手で背中をトントン、と優しく叩かれてしまう。
 そんな経験は全くないけれど、わかる。これは……小さい子ども扱いをされている、と。
 ちょっとお兄ちゃん、と文句を言おうと思ったけれど、見上げた兄の顔があまりにも甘く優しくて。

「おやすみ、夜」

 なんて囁くように言われてしまったものだから、抵抗する意思など消え失せてしまった。
 諦めて彼の体にしがみついてみると、その胸から心音が聞こえてきた。
 とくん、とくん、と規則的に繰り返す音に、オレは無性に泣きたくなってしまう。

(いきて、いるんだ)

 生まれることができなかった兄は、女神の奇跡によって今ここに生きているのだ。
 安心と、悲しみと、嬉しさがごちゃまぜになったまま、そっと瞳を閉じる。
 あたたかな居場所。切なくなるほどに甘い腕の中。
 もっと甘えてもいいんだよ。
 遠のく意識の中、そんな兄の柔らかな声が、聞こえた気がした。


 +++


 ――翌朝。目を覚ましたヒアが見たものは、兄の腕の中で眠る夜の姿だった。
 安心した表情を浮かべて眠る彼に、満場一致でもう少し寝かせてあげよう、と決まる。

(夜先輩、ちゃんと寝れたみたいでよかった)

 ほっと息を吐いたヒアは、夜に腕枕をしているせいで身動きの取れない朝が、他の先輩陣とこの後の予定をひそひそと話しているのを見て、面白そうに小さく笑った。


 しばらくして起きた夜が現状を把握して真っ赤な顔でパニックを起こすのと、それ以降双子が一緒の布団で眠るようになったのは、また別のお話。



 おしまい。