この夜を越えて、静寂。

六花、別離の時。


 ――わたしは今日、ひとりになる。

 

 

 深く吐いた息は白い。 駅のホームから見える街並みを包む雪と同じ。

 列車の予告放送が聞こえる。 このアナウンスを聞くのも、きっと今日が最後。

 俯いていた顔を上げて、わたしは故郷の景色をじっと見つめた。 高い位置にあるこのホームからは、駅前の大通りも、歴史的なお城もよく見える。

 涙は出なかった。 悲しくないわけじゃないけれど。 この寒い冬を越え、春に進むために、決めたことだから。

 

 ……故郷を離れ、遠い場所で、ひとりで生きていくことを。

 

 友だちにも別れを告げなかった。 寂しくて泣いてしまうと思った。 スーツケースの中に入った卒業アルバムが、少しだけ重たかった。

 

 雪が降る。 平野に位置し、比較的暖かなこの街には珍しいほど、降り積もる。 駅前の広場では、子どもが楽しげにはしゃいでいたし、観光客は寒そうにお城を眺めていた。

 わたしの心も真っ白になればいい。 雪に染まってしまえばいい。 悲しみなんて、消えてしまえば。

 

《まもなく、2番のりばに列車がまいります――》

 

 響くアナウンス。 この場所と別れるための言葉。

 わたしはひとり。 来る電車に揺られて……どこへ? どこかへ。 新しい春に向かって。

 

 

「……っ理紗(りさ)ッ!!」

 

 

 不意に聞こえた大声に、思わず振り返ってしまった。

 ああ、艶やかな黒髪と息を乱して、そんなに慌ててどうしたの。

 

「……結渚(ゆうな)」

 

「っなんで、なんで……!!」

 

 涙を流す彼女は、わたしの一番の親友だった。 そう、親友だったのだ。

 泣きたいのは、わたしの方なのに。

 

「なんで? あなたなら、それが分かると思うよ」

 

 わたしはあなたが好きだった。 だから旅立つの。

 あなたとあなたの恋人の幸せを、心の底から願っているから。 わたしも好きだった、あなたの恋人との幸せを。

 

 なんてありふれた恋愛事情。 好きな男と大切な親友が恋仲になり、わたしは身を引いた、それだけのこと。

 

「……伊尾くんと、幸せにね」

 

「理紗!!」

 

 手を伸ばす彼女を振り払い、わたしは訪れた電車に乗り込む。 ごめんね、わたしはわたしのために、行かなくちゃいけないの。

 仲睦まじく歩く二人の未来を、わたしは見ていられなかった。 嬉しいはずなのに、痛くて痛くて仕方なかった。

 酷い親友だ。

 

 ……でも、それでも。

 

 

「……またね、結渚」

 

 

 スマートフォンは機種変更をした。 電話番号も、メールアドレスも変えた。 メッセージアプリも消した。 どこに行くかも誰にも伝えていない。 肉親はいない。

 だから、彼女がもうわたしに会うことはない。 彼女のメールアドレスも消したから、わたしから連絡をすることもない。

 

 ドアが閉まる。 絶望したような結渚の表情が、胸に突き刺さる。 どうしてそんな顔をするの。 あなたには、あなたの傍には、彼がいるのに。

 わたしが手に入れられなかった、彼がいるのに。

 

 ……酷い親友だ。

 

「……さよなら、結渚」

 

 電車が走り出す。 俯く彼女を置き去りにして。

 わたしは遠くへ旅立つ。 重たい荷物を持って、彼女を置き去りにして。

 涙が一筋落ちてしまった。 泣かないと決めていたのに。

 

 ……ほんと、酷い女。 だけど、大好きな女の子。

 

 

 

 ……そう言えば、結渚はどうしてわたしが故郷を去ることを、この時間の電車に乗ることを知っていたのだろう?

 

 わたしのその疑問に答えてくれる人は、誰もいない。

 

 誰にも教えていない新しいアドレスに、一通のメールが届いた。 見覚えのある、その送り主のアドレスは……――

 

 

『またね、理紗』