この夜を越えて、静寂。

君と僕の幸福論。


「おはよう、お兄ちゃん」

 

 そう言って双子の弟は、長く伸びた青い髪を揺らして、穏やかに笑った。

 

 弟、と言っても肉体的な血の繋がりはないのだけれど、彼は5年前にちょっとした理由で長い長い眠りについていた。

 何度声をかけても、何度名前を呼んでも、この5年間一度たりとも目を開けなかった。

 

「よる」

 

「なあに、お兄ちゃん」

 

 でも、今は。

 そう、今はもう、声が届く。

 笑って、言葉を返してくれるんだ……――

 

 

 

 5年前のあの日。 弟が長い眠りについた日。

 僕は彼の目覚めを、ずっと待つと決めた。

 でも本当は……こわかった。

 

「もし起きなかったら? もう僕を必要としていなかったら?」

 

 一緒に生まれることが出来なかった。 いわゆる幽霊状態で、僕はずっと弟を見守ってきた。

 ……けれど彼は、“僕”を亡くしたことで病んだ両親から愛してもらえなくて。

 だからこそ僕は、一人生まれ落ちた弟を守りたくて、助けたくて、そうして異世界の神様に身体を創ってもらった。

 

 それから異世界で、たくさん冒険をした。

 一緒に泣いて、笑って、仲間もできた。

 ……でも弟は、深い眠りに囚われてしまった。

 

 

「僕の存在意義は、夜、君なんだ。

 依存でも何でもいい。 君に必要とされない僕なんて、きっと僕ではないのだから……」

 

 

 

 5年経って目を覚ました弟は、何もかもを諦めたような、或いは悟ったような凪いだ瞳で微笑んでいた。

 

「……こわかった」

 

「うん」

 

「起きないんじゃないかとか……色々、考えて……考えて……」

 

「うん。 ……ごめんね、待たせすぎたね」

 

 呟いた僕に律儀に言葉を返してくれる弟は、困ったような顔をしている。

 ああ、そんな顔をさせたいわけじゃないのに。

 

「僕はもう、必要ないの?」

 

 もう僕なしでも、ひとりでも歩いていけそうな弟に、寂寥感が募る。

 ぽつりと漏らした言葉に、弟は目を丸くした。

 背後に広がる海原と同じ色をした瞳が、僕の泣きそうな顔を映している。

 

「お兄ちゃん」

 

 そっとその白い手が、僕の頬に触れた。

 冷たい手。 ああ、けれど温かい、て。

 

(生きてるんだ。 ここにいて、目を覚まして、僕の目の前で、生きてるんだ)

 

「そんなことないよ」

 

 たいせつな宝物を託すような、弟の声。

 

「オレは……まだうまく、みんなやお兄ちゃんを頼ることができなくて……こうして迷惑をかけてばかりだけど。

 でも、それでも」

 

 潮風が吹く。 僕たちの服を靡かせて、弟の青い髪を揺らめかせて。

 

「オレに……よるにとって、お兄ちゃんは世界で一番たいせつな存在なんだよ」

 

 そう言った弟の顔は、僕がずっと見たかったあたたかな笑顔で。

 ああ、ああ、本当に……――

 

「……夜は……ずるいね。 ずるいよ……」

 

 ぽろりぽろりと落ちる涙。 でも、ありがとう。 僕はそう、ことばを零した。

 

 

 手を繋ぐ。 温もりが伝わる。

 もう、ひとり目覚めを待ち続けなくてもいい。

 目を覚まさないのかも、と怯えなくてもいい。

 

 夜はここにいて、僕の目の前で笑ってくれている。

 声が届いて、言葉を返してくれる。

 それだけで、十分だった。

 

 依存でも何でもいい。 夜と僕が一緒に生きていけるなら。

 それだけで、幸福なんだ。