この夜を越えて、静寂。

秋宵の日に、学舎は温もりを携えて。


 秋の夕暮れは好きじゃない。

 なんだかひどく切なくて、焦燥感に駆られるからだ。

 

 

 僕は教室の片隅で、ひとり空を見上げていた。 窓ガラス越しに見えるそれは、オレンジと紫に染まっている。 星が瞬きはじめて、そっと目を閉じた。

 放課後の教室はどこか寒くて、賑やかだった昼間とは違い静寂に包まれて……寂しかった。

 

 ――ガラッ。

 

 不意に扉が開く音が聞こえ、僕はそちらを振り向く。 ふわふわの綿菓子みたいな金髪の女の子が、僕を見ていた。

 

「メルちゃん」

 

「リオン、まだ残っていたんですか?」

 

 リオン、と呼ばれた僕は、彼女……メリィ=メルにこくりと頷く。 メルちゃんは確か、羊と人間のクォーターで、ふわふわな見た目通りとても優しい子だ。 現に今だって、ひとり黄昏れていた僕に声をかけてくれた。

 

「そろそろ帰ろうと思っていたよ。 そういうメルちゃんこそ、ずいぶんと遅いんだね?」

 

「図書室で本を読んでいたら、こんな時間になってしまって……」

 

 立ち上がる僕を見ながら、メルちゃんはえへへと照れたように笑う。 なるほど、彼女にとっては『読書の秋』、ということか。

 僕らは連れ添って教室を出る。 僕が知る普通の学校とは違う、どこまでも真っ白で潔白そうな廊下。 教室も同様だ。

 

 僕は、ある日いきなりこの見知らぬ異世界に飛ばされて、あれよあれよと言う間にこの『学園』に入学させられてしまった。

 授業内容は割愛させていただくとして、そんなことより問題なのは、巨大な校内に反して生徒総数が僕とメルちゃんを合わせて四人しかいないことだろう。 ついでに教師の人数は、生徒よりも圧倒的に多い。

 ……一体なんなんだ、この学校は。 そう考えるのも、一度や二度ではなかった。

 どこまでも続きそうな廊下。 そう、例えるならば、かつていた世界でプレイしたゲームに出てきそうな『神殿』のような……。

 

「おー、リオンにメリィだー!」

 

 僕の至極真面目な思考をぶち壊したのは、間延びした少年の声だった。

 

「あら、ミカゼ。 何をしているんですか?」

 

「晩飯なにかなーって食堂を覗きに行く途中なんだー! お前らも来るか?」

 

 底抜けに明るい彼は、カミカゼ。 僕らのクラスメイトで、ついでに僕のパートナーでもある。 欠点は、非常に食欲旺盛なところだろうか。

 

「や、僕らはいいよ。 今から部屋に戻るところだしさ」

 

「なんだー、残念。 じゃあまたあとでな!」

 

 首を振って彼の誘いを断れば、ミカゼくんはにこにこと笑ってそのまま去ってしまった。 ……なるほど、ミカゼくんは『食欲の秋』か。

 

「……普段はあんなんなのに、戦うとめちゃつよとか詐欺だよね……」

 

「ミカゼはやるときはやる方ですからねぇ」

 

 ミカゼくんが去った廊下の先を見つめながら、僕とメルちゃんはしみじみと会話する。

 彼は「勇者になるんだー!」と豪語する通り、剣術ではクラス一の強さを誇る。 単純な戦闘力なら二番目に強いだろう、とは担任教師の言葉だけれども。

 

 

 階段を降りてしばらく歩くと、中庭に面する渡り廊下に出た。 この先に、僕ら生徒が住まういわゆる学生寮がある。 相変わらずの白い建物の傍ら、噴水が煌めく中庭で、クラスメイト最後の一人に遭遇した。

 

「リアくんだ」

 

 銀髪が夕焼けを反射して幻想的な色を作り出している彼は、リア。 本名はわからないが、そもそも僕もみんなに『リオン』としか名乗っていないのでどっこいどっこいだ。

 無口な彼は僕らを無視してじっと空を見上げている。 思わず釣られて視線を上げれば、ふと先ほど自分も同じように夕空を眺めていたことを思い出した。

 

「リアは空を見るのが好きですからね」

 

 小声で教えてくれたのは、リアくんのパートナーでもあるメルちゃんだ。 そう言われれば、彼はよく空を眺めている。 ……まるでそこに、大切なものがあるかのように。 亡くしてしまった何かを、悼むように。

 眼帯で覆われた瞳と、そうでない青の瞳には、どんな風景が映っているのだろう?

 リアくんと僕にとっては……『哀愁の秋』と言ったところか。

 夕日はいつの間にか姿を消していて、空の色が紺色へと変化していた。 冷たい風が僕らを襲う。 帰ろうか、そうリアくんにも声をかけようとして……僕とメルちゃんは固まってしまった。

 

 リアくんは、静かに涙を流していた。

 

 普段は無口で無表情で、カッコ良く言うとクールな彼が泣いている姿は、非常に衝撃的で。 僕らは何と言えばいいかわからず、困惑してしまった。

 

 

 ……これは後にわかったことだが、彼は元いた世界で相当精神的に疲労していたようだ。 ぐちゃぐちゃに抱え込んだものの一部が、つい涙として漏れてしまったということらしい。

 閑話休題。

 

 

 夜空を見上げたまま涙を流すリアくんに、メルちゃんが名前を呼ぶ。 そのおっとりとした声音に彼も落ち着いたようで、心配そうなメルちゃんに「なんでもない」とだけ返していた。

 

「おー、お前らこんなとこにいたのかー!」

 

 唐突に聞こえたのは、ミカゼくんの朗らかな声だった。 曰く、いつまで経っても食堂に来ない僕らを探しに来たらしい。

 

「先に食べててよかったのに」

 

「そんなんつまんないだろー。 ご飯はみんなで食べるのが一番美味しいんだからな!」

 

 日だまりのような温かな笑みで、ミカゼくんが僕の手を取って歩き出す。 今日の夕食のメニューを律儀に教えてくれながら。

 後ろを振り向けば、メルちゃんとリアくんも着いてきていた。 ミカゼくんとメルちゃんが楽しげに会話をして、僕もそれに相づちを打ち、リアくんは静かに聞いている。

 ……それが僕らの日常だった。

 

「……『幸福の秋』……いや」

 

 幸せなのは、どの季節でも同じだ。 ……この愉快なクラスメイトたちと一緒なら。

 

「……リオン? なんか言ったか?」

 

「何にも言ってないよ」

 

 隣を歩く相棒ににっこりと笑って……僕はまた、空を仰いだ。 澄みきった夜の空気と星の輝き。 吹き付ける風は冷たいけれど……だけどもう、寂しくはなかった。

 

(ここは、ひどく温かい場所だ)

 

 独りになることはない、やさしい世界。 歪な学園だけれど、切なくなるほどに温かくて……安心する、そんな学舎。

 

(ここにいれば、秋も好きになれるかも)

 

 

 秋の夕暮れは好きじゃない。

 なんだかひどく切なくて、焦燥感に駆られるからだ。

 ……だけど、クラスメイトたちといれば……毎日が楽しくて、きっとそんなこともなくなるのだろう。

 君と、僕と、異世界で。

 それはひどくしあわせな、学園生活。