この夜を越えて、静寂。

落下するイデア


 もういいかい、ときみが呟いた。

 

 もういいよ、と自分は答えた。

 

 

 秋雨が降る。 さむいね、と彼女は笑う。

 秋雨が降る。 そうだな、と自分も笑う。

 

 

 いつか。

 もう忘れてしまった、あの日々さえも。

 いつか。

 あの空へと昇華できるのだろうか。

 

 

 遮断機から鳴り響く音が、けたたましくオレの心を駆り立てる。

 その向こうで、きみは手を振っている。 忘れた過去と共に、彼女と共に。

 

「いかないで」

 

 それは、誰の言葉だったのだろうか?

 

 

 落下する感覚に、目を開ける。

 空は遠く、声は出ない。

 

 誰も救えなかった。 自分の心に残ったのは、そんな言葉だけだった。

 

 誰も救えなかった。 誰も救えなかった。 誰も救えなかった。 誰も、誰も、何も、何も何も何も何も……――

 

 

 この手のひらから零れていく、いのちの重さに絶望する。

 思い出さなければ、それは幸せなのだろう。

 自らの過ちを、忘れたままでいられたのなら。

 

 だけど。

 だけど、そんなことは赦されない。

 他の誰でもなく、ただ、自分が自分であるために。

 

 過去から逃げず立ち向かった仲間がいた。

 過去から立ち上がった仲間がいた。

 過去を受け止めた仲間がいた。

 

 ああ、自分も彼らのようになりたい。 なりたいのだ。

 だから。 だからこそ、オレは……――

 

 

+++

 

「という夢を見たんだけどさ」

 

「支離滅裂すぎない?」

 

「夢なんてそんなもんだろ」

 

 草原を歩きながら、話し声ふたつ。

 彼は首を傾げて、そうだね、と呟いた。

 

「……過去を思い出してるんじゃないのかな?」

 

 それに伴う、自分と『自分』の記憶や感情が入り混じった夢なのではないのか、と。

 なるほど、それは一理ありそうだ。

 

「……誰かがさ、「いかないで」って言ってたんだ」

 

 泣きそうな声で、切実なほどの願いを込めて。

 そう言えば、彼はぴたりと足を止めた。

 

「……そう」

 

「……ソカル?」

 

「……なんでもない。 なんでもないよ」

 

 泣き出しそうな顔で下手くそに笑う相棒に、ああ、あのコトバを吐いたのはもしかして。

 

「……ごめんな」

 

 わからないけれど、思わず口からこぼれたのは謝罪だった。

 彼は目を見開いて、それから、君は悪くないよ、もちろん『彼』も。 と、そう言った。

 

 

 夕焼けの光が眩しい。

 いつかどこかで見たことのある色だった。

 

 

「……記憶を取り戻したら、その時オレは……どうなるのかな?」

 

 答えは、返ってこなかった。