《彼》の深層心理の海の中。そこが『ぼくたち』の対話の空間だった。
――……どうして……――
きらきらと光る水面を見上げ、《彼》が呟く。ぼくは静かに寄り添って、言葉の続きを待った。
――ルト。……どうして、ヒアは……あんなに真っ直ぐに、オレを信じるって言ったのかな……?――
《彼》がここ最近、自分の身の振り方について悩んでいることは知っていた。ぼくは《彼》と精神を共有しているから。
ヒアくんを傷付けたくない、と願うのも《彼》。だけど、ヒアくんが自分と同じ深さへ堕ちることを望んでいるのも、また《彼》だった。
(……それでも、きっとヒアくんは、《君》のことをゆるしてくれるよ)
かつて命を喪ったとき、【魔王】に魂を狙われかけたところを《君》に救ってもらったぼくのように。
そう言えば、《彼》はそうかな、と困ったように微笑んだ。
目覚めることはない、冷たくて寂しい深海のゆめ。
ぼくたちはそれでも、傷付くことが怖くて……世界を拒絶していた。
+++
曇り空だった。
カスファニーを出たオレたちは、次の街を目指して歩いている。
数日前まで少し暑いくらいだった気候は、次第にひやりとした初冬のような冷たさに変化していた。
「四季がハッキリしてるわけじゃないんスね」
自国の気候を思い出しながら問えば、深雪先輩が返事をしてくれた。
「そうですネ。特にこの先の街は年中雪が降り続いているという場所ですから……ヒアくんやナヅキさんのその格好では、風邪をひいてしまうかもしれませんネー」
「って、そういうのは早く言ってよね!?」
オレと同じく薄着なナヅキが寒そうにしながら深雪先輩にツッコミをいれる。
平和だな、と思いながら空を仰げば、なるほど、確かに雪が降りだしそうだった。
……その場に水の柱が唐突に現れるまでは。
「これは……【海神】の……!!」
【神殺し】の緊迫した声に、オレたちは一斉に武器を構える。
程なくしてその水柱から【海神】セシリアが出現した。
「“双騎士 ”っ!! この前はよくもあたしの部下を倒してくれたわね! 絶対に許さないんだからー!!」
ぷんぷんと怒る彼女が手を振りかざすと、魔物たちがどこからともなく集まってきた。
「おや、今回は“フィエラメント”は使わないのですネ」
「ふんっ。同じ手を何度も使うのは好きじゃないのー!」
歌で魔物を集める“フィエラメント”を使わなくても同じことが出来るのか。
隣にいたソカルを見やると、なるほど、と彼が呟いた。
「“フィエラメント”を使えば奇襲はかけられるが歌唄いに阻止されてしまう……。
しかしそれを使わなければ、奇襲は出来なくても阻止はされず、魔物たちを僕らにけしかけることができる……」
「あーもう、とにもかくにも倒せばいいんでしょ!! 倒せば!!」
どこか感心したようなソカルの説明を聞いていると、ナヅキが真っ先に魔物たちへ突っ込んでいった。
まあ、彼女は近接向けの格闘技なので問題はない……はず。オレはおろおろとナヅキを見送ったフィリとリブラを呼び寄せる。
「フィリ、魔法でオレたちの援護をしてくれ。
リブラはなるべく安全な場所にいて、怪我した人の回復を頼むな」
その指示に二人が頷いてくれたのを確認し、先輩方を見やる。
ソレイユ先輩はすでに銃を構えていたし、深雪先輩もサポートの準備が整ったようだった。
ディアナもさすがに相手が【神】ということで、その手に【神剣】を握り締めている。
オレたちに出来るのは、なるべく【海神】の体力を削ること。
頃合いを見計らってソカルに【死神】の力を取り戻してもらい、その間オレ自身はまた前世の夢を見るのだろうが……まあ、その後のことは先輩たちに丸投げしよう。
そこまで考えて、オレはソカルを一瞥してから【海神】セシリアへと剣を構え走り出す。
彼は鎌を握りながら緊張した面持ちで大丈夫だ、と頷いてくれた。
「【海神】っ!! 今日こそお前を倒すからな!!」
すでに魔物たちを突っ切ったナヅキの武術を軽く躱していた【海神】セシリアに、オレはわざと大声を上げてこちらへと視線を向けさせた。
その隙にソカルとフィリの魔法が彼女に対して発動する。
「――“漆黒よ,彼の者の姿を飲み込め!! 『ニーゲル・シュルッケン』”!!」
「――“我が刃となりし烈風,あらゆる事象を切り裂け! 『アネモス』”!」
闇と風の二人の魔法がセシリアを飲み込んだ。
しかしそれでは微々たるダメージしか与えられないのもわかっている。ソカルたちは更に詠唱を始める。
「――っあーー!! もう!! 痛いじゃないっ!!」
闇に飲まれたはずの【海神】は、やはりほとんど無傷で現れた。
すかさずソカルとフィリが魔法を放ち、それを邪魔しないようにオレとナヅキが剣と踵を降り下ろす。
だが、それらは軽々と躱されてしまった。
そんな緊迫した戦場に響き渡る、一発の銃声。
振り向くと、サポート魔法を唱えているらしい深雪先輩を守るように立つソレイユ先輩が、セシリアに銃を向けていた。
「…………“【星銃】タスラム”。それが、お前たちを傷つけるために我が神……【太陽神】から賜ったこの銃の名だ」
「……っアンタが“同胞殺し”のソレイユ=ソルア……!!
【堕天使】の身分でありながら本来の天使族の力が使えるなんて、【創造神】も【太陽神】も何を考えているのかしら!!」
貫かれた右腕が痛むのか、そこを庇いながら先輩を睨むセシリアにソカルが魔法を放つ。
「――“罪深き闇,我が魂に呼応し破壊せよ!! 『アマルティア・カタストロ』”!!」
「……ッ!! 無駄よ!! アンタたちじゃああたしを倒せないんだから!!」
咄嗟に水の壁を作り魔法を防いだ彼女が叫ぶ。
……だが、その背後からひどく冷めた声と……眩い光が、セシリアを襲った。
「……――“黎明の閃光,悪しき存在へと降り注げ……。『オーバーレイン』”」
「――ッ!!」
光に突き刺されたセシリアが息を詰める。
詠唱者を見やれば、そこにいたのはあの蒼い剣士……朝だった。
短く切り揃えられた水色の髪が風に揺れている。
「朝くん……っ!!」
「っ誰かと思えば……【世界樹】ね……っ!!
半分しかいない【世界樹】なんて脅威ですらないわ!!」
深雪先輩がその名を呼び、セシリアも後ろを振り向き彼をキッと睨んだ。
しかし朝はそのどれにも反応を示さず、手に持った星を象った剣を【海神】へ向けただけだった。
「……ソカル・ジェフティ」
対峙するセシリアと朝を見守っていると、不意にディアナがオレの傍にいたソカルを呼び、彼は怪訝そうに【神殺し】に向き直った。
「【海神】を倒すぞ。朝とソレイユ・ソルアがダメージを与えたあとに僕とお前が力を解放するんだ。
……ヒア、お前もそれでいいな?」
「……わかった」
オレにも確認を取りながら指示をするディアナに辛そうな表情のソカルと共に頷けば、二人はどちらからともなく詠唱を始めた。
それを横目で見ながら、オレはセシリアと戦うナヅキたちと朝に視線を移す。
だが、朝の剣撃に相当な体力を削られているらしいセシリアがふとこちらに気付いてしまった。
「……っ【神殺し】の力を発動させる気ね……っ!!
ああ、ああ、ああ、もう!! 多勢に無勢は卑怯でしょお!?」
そう叫び彼女は再度魔物を集めた。オレは剣を構えて魔物の一体を切り伏せる。
作戦変更。オレたち現“双騎士”はソカルとディアナを守りつつ魔物の相手をしよう。
近くにいたナヅキとフィリにそう伝えれば、二人はわかった、と承諾してくれた。
「――“深き水底よ! あたしの声に応えなさい!! 『ディープディープアクアズム』”!!」
突如響き渡ったのは、セシリアの水属性の魔法。深雪先輩とソレイユ先輩がそれに巻き込まれようとしていた。
「……っ先輩!!」
「――“全てを断つ光の剣……『ルクスグラディオ』”」
オレは思わず先輩たちを呼ぶが、空中から沸いて出てきたその水流から二人を守るように蒼い剣士がそれを剣で断ち切った。
「ありがとな、朝!」
「……別に……ていうかしっかりしてよね。深雪とソレイユが倒れたら収拾つかないじゃん」
嬉しそうに感謝を述べるソレイユ先輩に、朝はどこか呆れたような声音でそう返している。
……どうやら彼が先輩たちと同じ先代“双騎士”というのは事実らしい。複雑だが。
しかしその隙をついて、【海神】が再度詠唱を行う。
「――“イノチあるものよ,母なる海よ。我が意思に従い全てを飲み込め。
これは終わりの始まり。神たる声が齎す救済……”」
厳かな呪文に応じて彼女の周りを漂っていた水が集まっていく。
それが何か強力な魔法であることは理解したもののどう動くべきか思い悩んでいると、その間にセシリアの術は完成してしまった。
「――“【海神】セシリア・タラサの名の下に! 『マリス・フルクトゥス』”!!」
それは最上級魔法。
先輩たちやソカルから聞いた話によると、自身の名を詠唱に組み込むことで自分が出せる最大限の魔力を解き放つ術らしい。
当然ものすごい威力があるのだが、欠点はその後しばらく動けなくなることなのだとソレイユ先輩が教えてくれた。
水流が激しくぶつかり合い波と化し、それが小規模な海……というか湖のように広がっていく。
抵抗しようにも水に足を取られて動けない。そのままオレたちは全員波に飲み込まれてしまった。
(……っ息が……っ!!)
波に拐われ息が出来なくなる。なるほど、確かにこれは厄介な魔法だな……っ!!
「――“堕ちた光よ,天の意思を放て!! 『ゾルド・アレイ』”」
「――“光り輝く蒼穹よ,静寂を切り裂け……『レディアントレイ』”」
しかしその窮地を救ってくれたのは、同じく波に飲まれたはずのソレイユ先輩と朝の光の魔法だった。
その光はそのまま水を叩っ斬って、セシリアを貫いた。
先輩クラスともなると水中でも魔法が使えるのか……と波から解放されながら思っていたが、どうやら違うらしい。
「……っいた、いたい、いたい、いたい!! なんで水中で詠唱出来るのよおっ!?」
「……朝、今の……」
「うん……僕にも聞こえた。あの声は……《彼》だ……!!」
叫ぶセシリアから視線を外さずに二人は会話をしている。
《彼》。どうやらまたもや名前もわからない少年が助けてくれたようだ。
――少しだけ、ふたりの周りに魔法無効化魔法を発動したんだ。……ほんとはみんなに発動したかったけど、ちょっと考えごとしてて……ごめんね、ヒア――
(いや、それは謝るところじゃないだろ。むしろ助かったよ)
ふと脳裏に響いた少年の声にそう返せば、《彼》はどこか辛そうな声でありがと、と呟いた。
どうしたのかと尋ねれば、なんでもないよ、と曖昧な笑みで誤魔化されてしまった。
――……それより、きみのパートナーの魔法が完成したみたいだよ。あとのことはディアナや深雪たちがなんとかしてくれるみたいだから、きみはきみの過去を知りに行きなよ――
「ヒア」
《彼》がそう言ったのと同時に、ソカルがオレを呼ぶ。
それに大丈夫と頷けば、【死神】の魔法陣がオレたちを覆った。
「――“我がチカラと共に封じし彼の者のキオクよ,其の意志に,遺志に,呼応し再生せよ……『レゲネラツィオーン』”!!」
それは過去を知るための呪文。
気をつけて、と誰かの言葉を聞きながら、オレの意識は閉ざされていく。
砂の海の香りを思い出しながら。
(きみが知りたい真実は、きっとすぐそこにあるよ)
(ここまで堕ちてくるの? ……いいや、堕ちないで。……どれが“オレ”の想いなのか、もう、よく、わからない)
「クラアト様」
『オレ』の名を呼んだ、その少女は……――
「……アメリ」
(……藍璃……?)
Past.30 Fin.