「……アタシが生まれ育ったのは……“ナイトファンタジア”という世界。
そこにある、小さな都市国家……“クレアリーフ”という国よ」
緋色の瞳を伏せて、彼女は話し出した。頭の上の猫耳も、今はぺたんと横になってる。
「アタシは……アタシの、父親は……ユウナギという名前で……。
“クレアリーフ”の最高指導者だった男なの」
ぽつりぽつりと語られる、彼女の過去。
……それは、痛みと悲しみの先にある、孤独。
+++
都市国家クレアリーフ。
そこは、ナイトファンタジア大陸を治めるロマネスク王朝から独立した、小さな国だった。
小さいながらも活気溢れるその都市国家の雲行きが怪しくなったのは、四代目の最高指導者としてユウナギ・ロストが君臨した頃からだったという。
ユウナギは自身こそがナイトファンタジアを統治すべき存在だと豪語し、ロマネスク王家を潰すために商業都市であったクレアリーフを軍事国家として作り替えようとした。
政府軍と呼ばれる軍隊を作り、一般市民からは税を搾り取り、身寄りのない子どもたちを引き取り戦い方を教え兵士とし、更にはその中で魔力の強い子どもを『人工天使』として人体実験、及び肉体改造を施した。
当然、市民たちはそんな政府のやり方に反発した。
彼らはいくつかのグループに分かれ、それぞれレジスタンスグループを結成。
そうして、政府軍とレジスタンスたちの戦いが幕を開けた。
……そして、ナヅキは。
クレアリーフ最高指導者ユウナギの一人娘として産まれ、父の暴挙を間近で見て育った。
それが当たり前だと、正しいのだと信じていた父の言動がすべて誤りだったと、彼女は自身の目で街を、子どもたちの扱いを見て察したという。
「……ショックだったわ。アタシと年の変わらない子どもたちが、ひどい実験を受けてて。
父の目を盗んで街を見に行ったら、みんな父のことを憎んでいた。
アタシは何を信じたらわからなくなって、母に相談したの。……まあ、無意味だったけどね」
ナヅキの母親は、獣人たちの国の貴族だった。
最初こそ夫の暴走を止めようと手を尽くしていたが、その都度暴力を振るわれ、心を病んでしまったそうだ。
結局、ナヅキの味方は誰もいなかった。
周りの大人たちは父を盲信しており、街の大人たちはナヅキがユウナギの娘だと知ると、暴言や時には暴力を振るったりもした。
「アタシは無力だった。こんなの間違ってるって叫んでも、誰も聞いてくれない。
独りで父に立ち向かう勇気なんて、どこにもなくて……っ」
彼女は、孤独だった。
「……でも、ある時……戦いが終わったの」
レジスタンスたちと政府軍の戦いは、双方が多大な犠牲を払いながらもレジスタンス側の勝利で終わったという。
唯一の成功体だった『人工天使』も死に、更には最高指導者のユウナギまで帰らぬ人となり、烏合の衆と化した政府軍は投降せざるを得なかったそうだ。
「でも……父と母を殺したのは、アタシが知る限りレジスタンスの人じゃなかった。
怖くて隠れていたからよくわからなかったけど……長い黒髪の男だったとは思う」
彼女の言葉に、オレの中にいる《夜》がぴくりと反応を示す。
(……知ってるのか?)
――……まあ、少しだけね――
オレたちの会話をよそに、ナヅキの話は続く。
両親を亡くした彼女を見つけたのは、政府の拠点であった塔を制圧に来たレジスタンスたちだった。
他のレジスタンスや街の人間の前に連れ出された彼女を見る視線は、非難や怒りに満ちていたらしい。
「……でも、その中にいたレジスタンスの男性が……アタシのことを助けてくれた。見逃してくれた、とも言うけど……」
『……やめとけ。コイツはまだガキだろうが。
コイツがオレたちに何かしたか? 無害なコイツにまで手を出せば……それこそオレたちは政府の連中と同じになるぞ』
『けど、ハリア……!』
目つきの悪い金髪の男がナヅキを庇うと、他のレジスタンスのリーダーたちが反発した。
けれど、彼はそれらを物ともせず、真っ直ぐにナヅキを見つめたという。
『お前はもう自由だ。どこにでも、好きなところに行けゃあいい』
そうしてレジスタンスの男性……ナヅキが言うには年若いメンバーで構成されたグループのリーダーであるらしい彼に見逃され、彼女は逃げるように街を出た。
これから先のことも分からず、着の身着のまま故郷を追われたナヅキだったが、幸いにもそのすぐ後にこのローズラインに召喚された。
誰も自分のことを知らない、蔑んだ目で見ない世界は、孤独だった彼女にとって、希望に満ち溢れていた。
「でも……ダメだね、アタシ。
やっぱり、あの目が怖い……。責めるヒトの目が……。
あのときのことを思い出して……ごめん……」
そう言って膝を抱える彼女は、弱々しくて。
ああ、だからこの街の住人たちに囲まれてから、ずっと黙ったままだったのか。
……抱え込んだ恐怖を、絶望を、吐き出してしまわないように。
「……ナッちゃん」
震えるナヅキの手を、フィリがそっと握る。
「怖くてもいいですよ。誰にでも怖いことはあるです。
僕たちが……僕が、ナッちゃんを守りますから」
「フィリ……」
「ナヅキさん」
いつもと変わらない優しげな瞳に決意を込めた彼を呆然と見やるナヅキに、リブラも声をかけた。
「お話してくれて、ありがとうございます。
……よく、がんばりましたね。もう大丈夫ですよ」
優しく自身を抱きしめて、その橙色の髪を撫でるリブラに、ナヅキは耐えきれなくなったかのように大粒の涙を溢した。
「……っアタシ……!! 怖かった、辛かった!!
でも、でも……ユウナギの娘であるアタシが、そんなこと言っちゃいけないって……言う資格なんてないんだって……思って……っ!!」
「……ここにいるのは、ユウナギさんの娘のナヅキじゃなくてさ……ただの女の子である、ナヅキだろ?
みんな、ナヅキが優しくて正義感に溢れてるって知ってるからさ。……大丈夫だよ」
堪らずオレもナヅキに声をかける。
それは間違いなく、オレの本心からの言葉だった。
ナヅキは言動こそキツかったりもするが、それでも正義感が強く仲間思いであることを、オレたちは知ってる。
そんなナヅキのことをみんな大切な仲間だと、そう思っていると改めて伝えれば、彼女は涙を拭って何度も何度も頷いてくれた。
「……フィリやリブラはともかく、ヒアに慰められるとか意外だわ……」
「どういう意味だよっ」
なんて軽口を叩く彼女は、いつも通りに戻ろうとしていて。
それに応戦すれば、ナヅキは涙で濡れてよりいっそう赤くなった瞳で、オレを見つめた。
「……アンタ、他人に興味ないのかと思ってたから」
「っ……そう、かな? そんなことないんだけどなー?」
その真っ直ぐな視線に、オレは思わず目を反らす。
彼女はそんなオレをしばらくじっと見ていたようだが、やがて大きくため息を吐いた。
「……まあ、いいわ。……心配かけたことには変わりないし……。
ごめんね。ありがと……」
ぺこりと頭を下げたナヅキに、オレとフィリ、リブラは顔を見合わせて……それから、誰からともなく笑みを浮かべた。
「いいんですよ、ナヅキさん。……私たち、仲間じゃないですか!」
「そうですよ! ナッちゃんはいつも通り、笑っててくださいです」
リブラとフィリ、二人にそう言われ、ナヅキは涙を滲ませながら「仕方ないわね……」と笑んでくれた。
きっと、ナヅキはもう大丈夫だろう。
過去に怯えることはあっても、きっと……オレたちが、側にいるから。
――……ヒアは、話さないの……?――
(……オレにはまだ、そんな勇気なんてないから)
脳裏に響く《彼》の声に、オレはそっと目を閉じる。
……みんなのことを信頼してないわけじゃない。ただオレに……少しだけ、勇気が足りてないだけなんだ。
+++
「……そう。そんなことがあったんだね……」
あのあとオレはナヅキから許可をもらい、しばらくしてから目を覚ましたソカルに彼女の過去を話した。
痛ましそうに瞳を伏せる彼もまた、なんだかんだでナヅキのことを大事な仲間だと認識しているのだろう。
……まあ、それはそれとして。
「……ソカル、ナヅキの心配するのはわかるけどさ。
ほんとに大丈夫なのか? なんか……様子もおかしかったし……」
目が覚めてすぐ、彼は「心配かけてごめんね」と謝ってくれたが、正直オレは気が気でなかった。
あの時……【権天使】を倒したとき。ソカルはいつもとは比べ物にならないほど激怒していて、そして嫌な感じのする魔法を使おうとしていた。
その魔法に関してクラアトは、『戻れなくなる』と言っていた。
何が戻れなくなるのか。どこに戻れなくなるのか。
……その魔法が何なのか、クラアトは知っているのか。
「だから、大丈夫だってば。何ともないよ」
「けど……。あの、最後に使おうとした魔法……なんか嫌な感じだったしさ……」
尻すぼみになりながらも伝えれば、ソカルは困ったように笑った。
「……たいしたことじゃないよ。だから、気にしないで」
あくまでも詳細を話そうとしない彼に、オレはため息を吐く。
知りたい。知らないままでいるのは、もういやだ。
だけど、無理に聞き出すのも良くないだろう。
(……オレは、クラアトより信用ないのかな……)
オレはソカルのことを大切な相棒だと思っている。それはきっと、ソカルも同じ。
……でも、本当にそれだけなのだろうか?
ソカルにとってオレは……クラアトの代わり、なのでは……?
「……ヒア?」
俯いて黙ってしまったオレに、ソカルの不安げな呼び声が降り注ぐ。
「……何でもない。そうだよな、誰だって……言いたくないことのひとつやふたつ、あるよな」
「え? い、いや、そういうわけじゃないんだけど……いや、そうなのかな……?
というかヒア、なんか怒ってる……?」
投げやりな言い方になってしまったオレに、ソカルが狼狽える。
怒ってなんかいない。ただ、少しだけ……悲しいんだ。
(ああ、オレはこんなやり取りが……相手を信用しきれない自分が嫌だから、ずっと他人に興味がないフリをしてたんだ)
傷つくのが嫌だから。自分を嫌いになるのが嫌だから。
向き合おうと決心した瞬間に、それを認めざるを得なくなる。
「……別に。ただ、オレはナヅキみたいに強くないんだなって改めて思い知っただけだよ」
逃げたくはない。もう、逃げるのはいやだ。
信用しきれないなら信用できるよう、信用されるよう、これから変えていけばいい。ソカルのことも、みんなのことも。
そのためにはやはり、勇気を出して……過去を、話さないと。
乗り越えて、信用して信頼してもらえるほどに、強くならないと……!
戸惑うソカルの顔を見ながら、そう強い決意を抱いたオレの脳裏に、不意に過去の情景が過る。
『緋灯、貴方のご両親は……もう……』
――白い病室。泣きじゃくりながら残酷な現実を突き付ける少女。倒れる点滴。散らばる薬。何かを叫ぶ自分。白衣の大人たち。窓から覗く、哀しいくらいに青い空……――
「……オレは、大丈夫だよ」
その全部を呑み込んで、オレは笑った。
+++
「皆さんに、折り入ってお願いがあります」
――翌朝。
ソカルも揃った朝食の席で、グラウミール領主のジークヴァルトさんはそう口を開いた。
各々食事を楽しんでいたオレたちは、彼の声に姿勢を正す。
「……王都ロマネーナにいらっしゃるアリーシャ陛下に、この親書をお渡しいただきたいのです」
そう言って差し出されたのは、赤い封蝋で閉じられた白い封筒だった。
彼に一番近い席に座っていた深雪先輩が、それを受け取りながら訊ねる。
「それは構わないのですが……そのような大任、私たちでよろしいのですか?」
その言葉に、ジークヴァルトさんは「ええ」と頷く。
「うちの使用人や騎士たちには、この街の復興や領民の皆さんの治療や支援をさせております。
それに私は、このあと近隣の街へ赴き【神】や【天使】に警戒するよう警告をして回るつもりです。
……つまり、お恥ずかしい話ですが、人手不足なのです。
【創造神】に選ばれし“双騎士”の皆様を使いとするのは、大変心苦しいのですが……」
困った顔でオレたちを見回した彼は、深く頭を下げた。
「どうか、お願いできないでしょうか」
「……頭をあげてください。……そうですね……。
我々も王都を目指していましたし……ちょうどいいと言えばいいのですが」
真剣な表情で思案する深雪先輩。
そんな先輩を見兼ねてか、不意にソレイユ先輩が声をあげる。
「というか、その手紙って何が書いてあるんだ?」
……どこまでもマイペースなソレイユ先輩に脱力しかけたが、そういえばこの人は一応【天使】さまなんだった。
不躾なソレイユ先輩の質問にも嫌な顔ひとつせず、ジークヴァルトさんは封筒の中身を教えてくれた。
「またこの街や領地、他の街などに【神】や【天使】が現れるかもしれません。
今回は皆さんが来てくださったので被害は最小限で済みましたが、次もそうだとは限らない。
ですので、各地に派遣されているロザリア騎士団へ増員をお願い致します、と」
ジークヴァルトさんが言うには、この地にも他の街にも、もちろん王都にも、ロザリア騎士団と呼ばれる軍隊が配置され、要人を警護したり治安を維持したり犯罪を取り締まったり、あるいは魔物を討伐したりしているそうだ。
“双騎士”ではないとはいえ、彼らは戦闘のプロ。
その数は多いに越したことはないだろう、と彼は締めくくった。
「……けど、ここから王都へ行くには海を渡らないといけないし。
何日かかるかわからないけど……それでも?」
「ええ。使用人を使いに出したり配達人に依頼しても、日数はあまり変わらないでしょう。
……何卒、お願いいたします」
「……だそうですけど、どうします?」
ソレイユ先輩の言葉に頷いてから、再度頭を下げたジークヴァルトさんを見て、深雪先輩がオレたちに視線を移す。
「そう……ッスね。オレたちなんかでいいんなら、行きます」
「い、今から緊張してきたです……」
「が、がんばります……っ!」
確か、契約したばかりの頃にソカルから王都を目指すと言われたな、と思い出す。
つまり、どのみちそこへ行くわけだし、手紙を渡すくらい別にいいのではないのか?
そんなお使い感覚でオレが承諾すると、フィリが左胸を押さえて項垂れ、リブラが戦闘中のように緊張した面持ちで頷いた。
……そうだよな、相手は国王陛下だもんな……。
いまいち実感が沸かないので、どうも他人事のように感じてしまう。
「……いいけど、アタシたちみたいな子どもが国王に会えるもんなの?」
「問題ありませんよ。アリーシャ陛下は謁見の申込みさえきちんとすれば、老若男女問わず謁見を許してくださいますから」
とてもお優しい方ですから、と笑うジークヴァルトさんに、内心その申込みの時点で拒否されたらどうするんだろうと思いつつ、なるようになる、と黙っておいた。
すっかりいつも通りに戻ったナヅキは、まあそこまで言うなら、と首を縦に振る。
心底どうでもよさげなソカルや朝先輩、それからディアナは置いておくとして、こうしてオレたち全員がアリーシャ陛下とやらに会いに行くことに同意した。
なら行動は早い方がいいだろう、と言うことで、朝食を終えたオレたちは急いで準備を済ませた。
そうして、オレたちの進路とは別方向にある街へ向かうというジークヴァルトさんに、この街の出入り口まで馬車で送っていただいた。
「……本当は、あなた方にも馬車を手配できればよかったのですが」
「大丈夫ですよ、歩くのにも慣れましたから」
申し訳なさそうなジークヴァルトさんに、オレは苦笑いを浮かべた。
元の世界……日本にいた頃に比べて、ずいぶんと足腰が強くなった気がする。
「そうですか……。すみません、皆さんに迷惑をおかけしてしまって。
ですがどうか……よろしくお願いいたします」
「はい、任せてください」
むしろ、ある意味オレたちのせいでこんな状況になっているんだ。
だからこそ、これくらいのお使いは果たさなければ。
お気を付けて、と見送ってくれたジークヴァルトさんと別れて、オレたちは目の前に広がる街道を見る。
「さて、目指すは国王陛下のおわす王都ロマネーナ。
また【天使】や【神】と出会すでしょうが……諦めず、辿り着きましょうね」
「はい」
青空の下に続く道のずっと先を指差す深雪先輩に、オレたち現“双騎士”組は頷いた。
風が吹く。気持ちを新たに歩き出したオレたちの背中を押すように――
――オレも、もう……――
それは、深海に訪れる夜明けのとき。
Past.39 Fin.