目を開けば、満天の星空が見えた。
それから、安堵した表情の相棒とナヅキ、フィリ、リブラ。
地面に寝転んでいたせいか痛む体を起き上がらせて、視線を巡らせる。
その先にいたのは、深雪先輩たちと、青い髪の《彼》……もとい夜、そして彼にくっついている朝先輩だった。
「……どういう状況なんだ、あれ……」
「おはよう、ヒア。……あれは……まあ、多分気にしない方がいいと思うな……」
遠い目をしながら手を差し伸べてくれた相棒ことソカルに、苦笑いをひとつ。
その手を握って立ち上がれば、夜がこちらに気づいたようで声をかけてきた。
「……ヒア。目が覚めたんだね。……大丈夫?」
「あー……うん、まあ。……なんか変な感じだな、こうして現実世界で話してるの」
背中に朝先輩を張り付けたまま微笑む彼に、オレはなんとか頷いた。
しかし、彼の肩に顔を埋める先輩にどうしても視線が向かってしまう。
「そうだね。……ああ、後ろのお兄ちゃんは気にしないで。……ずいぶん不安にさせちゃったみたいだから」
「あ、ハイ……ってお兄ちゃん?」
そう言えば、彼は先ほども朝先輩のことをそう呼んでいた。
それに首を傾げれば、夜はふわりと笑んでから、長くなるし座って話そうか、とオレたちを促した。
+++
「まずは……何から話そうかな」
夜は困ったように笑いながらそう切り出した。
焚き火を囲んで座ったオレたち。とは言えオレは炎から少し離れた場所にいるし、その横にはソカルが座っている。
オレから見て真正面に夜、と彼に引っ付いたままの朝先輩が陣取っていた。
「とりあえず……朝先輩との関係性っていうか。あと、そういや“双騎士”とか言っていたけど……?」
「そもそも今まで何してたの? 眠っていた、の?」
ひとまず気になっていたことをオレとナヅキが尋ねると、夜はひとつずつ答えていくね、と口を開いた。
「お兄ちゃん……朝は、オレの双子の兄だよ。
そこら辺、ちょっと複雑奇怪だから、とりあえずそうなんだ、くらいに捉えててもらうと嬉しいな」
……うん、全くわからない。
とにかく双子の兄弟、と言われると、確かにそっくりだしそれで納得することにする。
「それから、そう。さっきも言ったけど、オレもみんなと同じ“双騎士”だよ。
色々肩書きは増えたけど……最初はただの“双騎士”だった」
「……もしかしなくても、深雪先輩たちと同年代の……」
「うん、そう。五年前、深雪たちと一緒に戦ってたよ」
つまり、オレと同年代に見える彼は実は先輩だった、というわけだ。
薄々そうかなー、と思いつつも驚きが全くないわけではなく、固まるオレを横目に夜、改め夜先輩は返答を続けた。
「……それから、えっと。きみは……ナヅキ、だったね。
きみの言うとおり、オレは今までずっと眠っていた。……五年間、ずっとね」
悲しげに瞳を揺らして彼がそう言えば、背後に引っ付いていた朝先輩が彼を抱きしめる力を強くした。
それを痛いよ、と優しくたしなめながらも、夜先輩は兄であるというその人を引き離そうとはしなかった。
「どうして……そんなに眠っていたのですか?」
成り行きを黙ってみていたリブラが、恐る恐るという風に問いかける。
夜先輩は気にせず、それでいて言葉を選ぶように、少し間を空けてから答えた。
「……ちょっと、ね。五年前、力を使いすぎたんだ。……まあ、他にも理由はあったんだけど……。
でもずっと、この世界のことは視ていたよ。風に、空に、植物に……そしてヒアに、魂のカケラを宿して」
その発言に、それぞれが思い思いの反応をする。
ソカルは敵意をむき出しにして夜先輩を睨み、深雪先輩とソレイユ先輩は悲しげに笑い……朝先輩は変わらず、夜先輩に抱きついたまま。
ナヅキとフィリ、リブラの三人は思わず、というようにオレの方を見て、ディアナは静かに夜先輩を見つめていた。
「……まあ、それに関してはオレは……夜……先輩に助けてもらったわけだし。気にしてないッス」
「……なんで急に敬語なの? ……でも、ありがとう」
態度を改めたオレにくすくすと笑う夜先輩に、深雪先輩とソレイユ先輩は驚いたような表情をする。
「……変わりましたネェ、夜くん」
「うんうん。でも、今の夜のがずっといいな。見てて安心する」
ふたりにそう言われ、夜先輩は困ったように頬を掻いた。
「……何だか恥ずかしいな。……って、お兄ちゃん大丈夫? 起きてる?」
不意に彼が背後の朝先輩にそう声をかける。どうやら反応がなくなった先輩の様子が気になったようだ。
隣に座っていた深雪先輩が、朝先輩の顔をそっと覗き込んだ。
「……眠ってますネ」
「だな。コイツ、この五年間あんまり寝てなかったからさ。 安心して眠っちまったんだろうな」
ソレイユ先輩が朝先輩をそっと夜先輩から引き離しながら、困ったような……それでいてどこか安心したような顔で微笑む。
朝先輩は少し身じろぎしたものの、既に深い眠りについているのか起きることなく地面に横たえられた。
「お兄ちゃん……ごめんね。ずっと待っててくれたんだよね。 ごめん、ごめんね……」
その手を握りしめ、夜先輩は謝罪を繰り返す。
ふたりの間にどれほどの出来事があって、そして眠りについたのか。オレにはわからないけれど、なぜかその姿が『オレ』とソカルに重なって見えてしまった。
(ずっと待っててくれた。……ソカルも、そうなんだろうな。 ずっと……ずっと、『オレ』を、クラアトを……)
ちらりと隣のソカルを盗み見れば、彼もまた思い詰めたような表情でふたりを見ていた。
きっとクラアトのことを思い出しているのだろう。
その生まれ変わりであるオレは、彼の瞳にどう映っているのだろうか……?
+++
ひとまず今日は休みましょう、と提案した深雪先輩に頷いて、オレたちは思い思いの場所で眠ることにした。
女の子二人と深雪先輩、それから朝先輩は焚き火のそばで、そのすぐ近くで彼女たちを守るようにフィリとソレイユ先輩、そしてディアナが横になったり座ったままの体勢で目を閉じている。
オレは相変わらずソカルと一緒に炎から離れた場所にいた。ソカルはすでに眠ったようで、丸まった状態から動かない。
ダンゴムシみたいだなあ、と彼を見て失礼な感想を抱いたオレに、夜先輩がそっと近づいた。
「……となり、いい?」
特に断る理由もなかったので、オレはそれに頷く。
先輩は静かにオレの隣に腰掛けて、じっと夜空を見上げた。
「……朝先輩のとこ、いなくていいんスか?」
「お兄ちゃんは、ソレイユたちが傍にいるから大丈夫。……それより、ヒアと話がしたくてさ」
彼の無造作に伸ばされた青い髪が、夜風を浴びてさらさらと流れる。
……その話とやらは、みんなが起きてたら出来ないものなのだろうか。
「……まだ数人、起きてると思いますけど」
「知ってるよ。でもきっと、聞かないふりをしてくれるんじゃないかな?」
そう思って告げた言葉を、先輩は的確に理解してくれた。
ついでに起きているであろうソレイユ先輩やディアナに釘を刺すことも忘れない辺り、なかなか強かである。
「……まずは、ごめんね。勝手にヒアの精神に入り込んで」
何かと思えば、彼の口から出たのはそんな謝罪だった。
「それは……まあ、今更ですし。
それにさっきも言ったけど、たくさん助けてもらったわけですから、気にしてないッスよ」
苦笑いで答えれば、先輩は「ありがと」と微笑んでくれた。
「……あの、ね、ヒア」
言いにくそうに、先輩が声を絞り出す。震えているそれから感じるのは、恐怖……あるいは不安か。
「……本当に、ごめんね」
「……心に入り込んだことなら、ほんとに気にしてないですって。
なんなら何度か無断で身体乗っ取ったことだって……――」
「そうじゃない。……そうじゃ、ないんだよ」
再び謝罪を繰り返した先輩にオレは首を横に振るが、それを遮られてしまう。
どういうことだ? と目線で続きを促せば、彼は膝を抱えて丸まった。
「……ヒアに何度か、ひどいこと言った。ううん、オレは……お兄ちゃんたちにもひどいこと言ったこともあった。
ヒアもお兄ちゃんたちも、みんな気にせずこうして受け入れてくれる。……オレは、こんなにひどくて最低で……どうしようもない奴なのに」
泣きそうな声音で、彼は呟く。
ひどいこと。……心当たりがあるような、ないような。
「オレは……オレはね。眠ってる間にあちこちに魂のカケラを飛ばした。この世界だけじゃなくて、地球とか、別の世界にも。
ひどいこともした。誰かを救ったりもした。 世界を壊そうともした。
……バラバラに散ったカケラは、それぞれがそれぞれの思うままに動いて……そして本体のオレに記憶される。
そのどれもがオレの心だった。オレ自身だった。
そうしてオレは、自分の心がわからなくなった」
「……つまり、オレが初めて先輩の精神世界へ行ったときの言葉は……」
(オレもよく、わからないんだ。ここがどこなのか、今がいつなのか。これはどの《ゆめ》なのか……)
あの時、彼は確かにそう言っていた。
それはつまり、その時点で彼の心はバラバラになっていたと言うこと。
「……そう。だからオレは、ヒアを助けることもしたし……傷つけるような、突き放すようなこともした。
自分の心がわからなかったから、なんて言い訳にもならない。結局それらはオレの意思だったわけだから」
先輩はそこで一度言葉を区切り、オレの瞳をじっと見る。
不安げだったはずのそれは、いつしかしっかりとした光を宿していた。
「……だから、ごめんなさい、ヒア。オレが謝らなきゃいけない人はたくさんいるけど……まずはきみに、謝らせてほしい。
……傷つけて、怖い目に合わせて……オレと同じ場所へ堕ちることを願ってしまって、ごめんなさい」
「同じ場所へ堕ちる……?」
聞き返せば、彼は言いづらそうに下を向く。
そうして「怒られても仕方のないことだけど」、と口を開いた。
「オレ、は……もう、人間じゃなくて。五年前、色々あって……自棄になって、魂を真っ暗な闇に堕としたんだ。
自分も、世界も、みんなも……消えてしまえばいいと願って」
「……っ」
静かに語られたその告白に、オレは息を飲む。
……それは、オレが聞いてもいい話なのだろうか……?
「結局みんなが助けてくれたんだけど、ね。闇はずっとオレの中にいた。
そしてオレは……その闇そのものに、なった」
彼がそう言った瞬間、誰かが身動きする音が聞こえた。
音の方を見やると、ソレイユ先輩が強張った表情で夜先輩を凝視していた。
「……な」
そんな、だろうか。彼は思わず、というような小さな声で呟いた。
よくわからないけれど……さすがに今の発言は、聞こえないフリをできなかったようだ。
同じく起きているはずのディアナが動かないということは、あちらはすでに知っていた事実か。
「……ごめんね。だからオレは……ひどくて最低な奴なんだ。
でもね、ヒア。これだけ……ううん、きみにこれを伝えたかった。最後に精神世界で会ったとき……きみがオレの心の最奥に来たときから」
ソレイユ先輩に向けて悲しげな笑顔で謝ったあと、彼はまたオレを見つめた。
真剣なその青の瞳に、オレは今度は何を言われるのか、と構えてしまう。
……だが。
「……オレは、きみのことを守りたい。助けたい。チカラに、なりたい。
それは紛れもない、オレの本心。本当の願い。
……オレを信じると言ってくれたきみに」
告げられたのは、そんな儚い本心だった。
彼は「でも、今の話で幻滅したでしょう?」と泣きそうな顔で笑うが……そんなことは、ない。
「……先輩がオレのこと思ってくれてたのは、ちゃんとわかってます。
たくさん守ってくれましたし、助けてくれましたから。
信じてますよ、ずっと。夜先輩のこと、信じてますから」
だから、泣かないでください。
それだけ返して、オレはその青白い頬に手を伸ばす。あたたかな涙が、指を濡らした。
「……っどうして? どうしてきみは……そんなに迷いなく、こんなオレなんかを信じてくれるの?
いつも、いつも……どうして……っ」
ボロボロと本格的に泣き出した先輩に、苦笑いを向ける。
……ああ、きっとこの人は自分を信じ切れないんだ。それなのに、誰かを信じたくて、そうして誰かを救おうと手を伸ばす。
……自分のことでいっぱいいっぱいなくせに、そうすることで、傷ついた自分の心を癒そうとしているのだろう。
それはともすれば依存とも言えるだろう。誰かを救うことで自分も癒されるという錯覚に、依存していると。
だからこそ、言いたい言の葉がある。
「オレが信じたいからですよ。先輩のことも……自分のことも。
だから、夜先輩」
両の手でその頬を包んで、しっかりと視線を合わせる。
涙で揺らめく深海の瞳を、きれいだと思った。
「夜先輩も、自分のことを信じて……自分のことを、大切に……愛してあげてください」
オレは信じたい、自分自身のことを。 ……それがどれだけ困難で、苦痛に満ちたものであったとしても。
夜先輩は、ひゅっと息を飲み込む。 何か思うところがあったのか、ひどく動揺させてしまったようだ。
なのでオレは、わざとらしいくらい明るく笑ってみせた。
「てか、オレよりも先輩がごめんなさいしなきゃいけない相手がいるじゃないですか!
オレに謝る前に、そっちに謝ってあげてくださいよ」
上には上がいる、というか、オレが先輩から受けた扱いはむしろ全然マシだろう。
聞けば実害を食らった人もいるらしいし……何より今この場にも、精神的ダメージを食らったらしいソレイユ先輩もいるわけだし。
そう言うと、夜先輩は「……敵わないな」と涙ながらにゆるく笑んでくれた。
「……ソレイユ。 お兄ちゃんや……みんなには、オレからちゃんと……話すから。
だから、それまで……黙っててくれないかな?」
ごめんね、と零す夜先輩に、ソレイユ先輩は困ったような顔で夜先輩の傍に来て、膝をつく。
「お前は、本当に……。 なんで、オレたちに相談しないんだ。 なんで……オレたちは、なんのために……っ!」
くしゃり、と自身の前髪を握りしめる彼に、夜先輩はまたごめんね、と繰り返した。
「……ひとつだけ、聞かせてくれ。 ……いつから、お前は……【魔王】になったんだ」
「……ま、魔王?」
思いがけない単語に、オレは驚いて夜先輩を見る。 彼は傷ついたような、それでいて困ったような表情で、ソレイユ先輩とオレに視線を向けた。
「……眠っている間に……ちょっと、ね。
ヒア、説明は……また今度でいいかな。 ……今はその……気持ちの整理が追いつかなくて」
そう言われてしまえば、オレもソレイユ先輩も引き下がるしかなくなるわけで。
渋々ながらもわかった、と返したソレイユ先輩からは、痛みを堪えたような感情が強く伝わってきた。
(……?)
それに内心首を傾げながらも、オレは涙を拭う夜先輩にハンカチを差し出したのだった。
+++
「……自分を愛して、か」
ヒアたちも寝静まったあと、オレは誰に聞かせるでもなくぽつりと呟いた。
(……愛せるのだろうか。 オレは、こんな自分を)
自分が嫌いだった。 許せなかった。 幾度も死を願った。 何もかもが消えてしまえばいいと……思っていた。
存在を否定されて生きてきたから。 ずっと……この世界にいるよりも長い十七年間、ずっと。
お兄ちゃんたちに救われて、少しはマシになった。
お兄ちゃんたちと生きていたい、お兄ちゃんたちを守りたい。 そう思えるようになれた。 ……けれど。
「……やっぱり嫌いだな、自分なんて」
みんなにひどいことをした。 みんなの気持ちを裏切った。
理由なんて言い訳にならないだろう。 オレはいつだって自分本位で、そしてそんな自分に自己嫌悪を繰り返しながら変われずにいるのだから。
(……ただ、お兄ちゃんを……みんなを守りたかっただけなのになあ……)
その思いに気づいたときは、もう手遅れで。 オレに残された選択肢は、たったひとつしかなかった。
……結果的にそれが、あの時救ってくれたみんなへの裏切りになるのだとしても。
(……まあ、今は考えても仕方がないか)
今すぐどうにかできる問題ではない。 そう決めつけて、オレは自分の痛みに蓋をする。
ヒアからもたらされたコトバは、オレの心にひどく絡みついていた。
……まるで、この身体に巡る暴力の痕のように。 自分を傷つけた痕のように。
(オレは……どうしたらよかったのかな?)
答えはない。 誰もいない、静寂ばかりがこの心を過ぎる。
魂の同居人には、予め奥に行ってもらうよう頼んでいたし、普段の話し相手たちも今頃それぞれの生活をおくっているのだろう。
寂しいのかもしれない。 不安なのかもしれない。
五年振りに触れた世界の空気は、ひどく冷たかった。
夜空にひとつ、流れ星。 それはまるで、涙のように……――
Past.42 Fin.
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