朝日に煌めく港。忙しなく動き回る商人や店員らしき人たち。眼前に広がる大通りでは、朝市が開かれているのか活気あふれる声が響いている。
さらにその先、小高い丘の上にそびえ立つ白亜の王城が、オレたちを見下ろしていた。
……光あふれる王都・ロマネーナ。
その玄関口である港に、オレたち“双騎士”一行はついに降り立った。
「……すごい……」
ぽつりと呟いたのは、ナヅキだった。オレも同感だ、と首を縦に振る。
港町カントスアもそれなりに大きかったが、さすがは王都、と言ったところか。何倍にも広く、賑やかだ。
「それでは私は城へ戻ります。皆様のこともきちんと陛下にお伝え致しますので、ご安心を」
ビシッと綺麗な敬礼を決めたフェリーネさんに、「お願いします」と頭を下げる。
どうぞごゆっくり観光でもなさってくださいね、と言い残して、彼女は去っていった。
「さて……どうしましょう? せっかくですし、観光でもしますか?」
そう提案したのは、深雪先輩。そうしたいのは山々なんスけど、とオレは背後を振り返る。
相変わらず感情を隠した夜先輩が、朝先輩に付き添われてタラップから降りてきていた。
困ったように微笑む夜先輩を支えながら、朝先輩は一瞬苦虫を噛み潰したような顔でオレに視線を寄越す。
……恐らく、余計なことを言ったオレに怒ってはいるものの……夜先輩から怒らないように、とかそういった主旨のことをキツく言われたのだろう。
隣の夜先輩が「ごめんね」と口を動かしながら兄を肘で突いている辺り、たぶんこの推測は当たっているはずだ。余談だが。
「僕は……夜と一緒に、先に宿に行ってるよ」
しかし、朝先輩はすぐに気を取り直したのか深雪先輩にそう伝え、了承の意を確認すると、二人は街の方へと歩き出した。
ムッとした顔で朝先輩の背を睨む過保護なソカルを宥めながら、そんな彼らを見送ったオレたち。
すると、今度はタラップの上から桜爛さんに声をかけられた。
「アタシは一度、カントスアに戻るよ。騎士団がいるから大丈夫だとは思うけど……まあ、念のためってやつだね」
天使たちに襲われた港町の様子が気になる、と桜爛さんはそう言ってから、「頑張んなよ!」と激励してくれた。
出航する船に手を振って、改めてオレたちは顔を見合わせる。
「で、観光……とは言いますけど、オレたち全然わかりませんし……」
「そうですネー、このメインストリートを見て回って……せっかくですし、王立図書館にでも行ってみましょうか」
どこにどんなものがあるのかすら分からない、と訴えたオレに、深雪先輩が目の前にある大通りを指差してみせた。
特に反対する理由もないので、オレたちは先輩たちの案内で城下町の観光へと繰り出したのだった。
+++
色とりどりの花が至るところに飾られ、歩道の傍らにある用水路には澄んだ水が流れている。
道具屋、八百屋、飲食店など、様々な店では開店準備に追われているのか忙しそうに走り回る人々がいた。
中ほどまで歩いた場所にある噴水を起点に十字路になっていて、右側では朝市が開かれているようだ。
そのまま真っ直ぐ上がると王城と貴族街に行けるのだと、ソレイユ先輩が説明してくれた。
「てことは、その王立図書館とやらはこの噴水の左側なのか?」
マユカさんの言葉に、ソレイユ先輩はそうだ、と頷く。
左手の舗道の先には、薔薇をあしらった巨大な時計が目立つ建物が見える。あれが王立図書館、なのだろうか?
再び歩き出した先輩たちの後ろを付いていきながら、オレはぐるりと周りを見回した。
様々な店が並んでいた大通りや朝市があった右側とは違い、こちらはひどく静かだった。旅人や観光客と思わしき人々はいるものの、大通りほどの賑やかさはない。
やがて、視界に先ほどの時計がある建物が見えた。
白を基調に金のラインが所々に入ったその建物の天辺に、薔薇の時計がある。
高い場所にあるそれを見上げていると、深雪先輩がオレのマントを軽く引っ張った。
「あはは。ヒアくん、その建物が気になるのはわかりますが……王立図書館はこっちですヨ」
こっち、と指差された方を見ると、薔薇時計のある建物の向かいに、ちょっとした貴族の屋敷と言われても違和感がないくらいに荘厳華麗な大きな建物があった。
「こっち、なんスか?」
「ええ……そうなの? じゃあこの建物は何?」
同じく薔薇時計の建物を見上げていたナヅキとフィリもきょとんと首を傾げる。
それに答えたのは、意外にもリブラだった。
「この薔薇時計の建物は……アズライト教団の総本山、アズライト教会本部です。
私も幼い頃に一度洗礼を受けに来て以来、訪れたことはないのですが……」
懐かしいですね、と風になびく薄紫の髪を押さえながら、リブラはふわりと微笑んだ。
つまりここは、彼女が所属する教会の建物、というわけだ。寂しげに時計を見上げるリブラに、オレは声をかける。
「あ、あのさ! とりあえず、図書館に入ってみようぜ! 本来の目的はそっちだし!」
「あ、そうですね! すみません、行きましょうか」
図書館へと促せば、彼女は照れたように笑いながらナヅキやフィリと共にそちらへと歩いていった。
「……どうしたの、急に?」
「いや……リブラ、寂しそうだったからさ。
成り行きとは言え、カミサマと戦うことになって……負い目とか感じてるみたいだったし……」
隣で不思議そうに首を傾げた相棒に、オレはそう説明をする。
それは、彼女から伝わってきた感情だった。
教会内部に入りたい、だけど【神】と戦う道を選んだ自分はまだ、シスターである資格があるのか……。
そんな葛藤が、彼女の中で渦巻いていたのだ。
「だからヒアは、リブラの意識を図書館へと向けさせたんだな」
「あはは……本人にバレてたかもしれませんけど、そんな感じです」
マユカさんの言葉に恥ずかしくなって、笑って誤魔化したのと同時に、図書館の入口からナヅキたちがオレたちを呼んだ。
行こうか、と歩き出した先輩たちと共に、オレとソカル、ディアナとマユカさんも王立図書館へと足を踏み入れたのだった。
+++
そこは、まさに本の海だった。
重厚感あふれる本棚と、びっしりと、それでいて几帳面に並べられた本たち。二階にも同じように本棚が整然と並んでいるのが一階からも見える。
中央部分は吹き抜けになっていて、天井から降り注ぐ柔らかな光が唯一の光源となっているようだ。
写真や風景画の中に迷い込んだかのような錯覚を覚えるほど、ここは非日常じみていた。
(いやまあ、この世界全体的に非日常じみているんだけど……慣れって怖いなあ)
……と、内心独りごちてから、もう一度辺りを見回してみる。
オレの両隣では、ソカルとナヅキ、マユカさんが同じように内装に見惚れていた。
深雪先輩は中央部分に置かれたベンチに座ってオレたちの様子をニコニコと見ている。目が合うと手を振られたので、苦笑しながら頭を下げておいた。
ソレイユ先輩は興味深そうに、深雪先輩の近くにある本棚を眺めている。
ディアナは本には興味がないのか、入口近くの柱にもたれかかって天井からの光をぼんやりと見ていた。
そして、フィリとリブラはというと、入った瞬間に小さな歓声を上げて、各々気になる本棚へと早歩きで向かってしまった。
「なあ、フィリとリブラ探してみようぜ。ずっとここに突っ立ってるのもアレだし」
何も来館者はオレたちだけではないのだ。
所々に学者と思わしき人や学生、旅人など、様々な職種の人たちが思い思いに本を読んでいる。
館内がとても広いとは言え、入口付近に突っ立ったままでは邪魔だろう、と思い提案すると、ナヅキはハッとした顔で「そ、それもそうね」と頷いてくれた。
マユカさんには「オレは適当に散策してるよ」と断られたが、ソカルが同意してくれたので、オレたちは三人でフィリとリブラを探すことにした。
ふかふかの絨毯が足音を吸い込み、館内には本を捲る音しか響かない。
少し歩いたところで、オレたちは見慣れた緑頭を見つけることが出来た。
真剣な表情で手に持った本をぱらぱらと捲っては本棚に戻す、という作業を繰り返している。
「……なんか、話しかけづらいわね……」
「……だな。何か探してんのかな?」
ひそひそと話すナヅキとオレに、相棒がちらりと見えた表紙に書かれたタイトルを読み上げた。
「“ロゼル・グリモワール全集Ⅲ”……ああ、魔導書だね。
この世界に魔法を広めたとかいう魔術師、ロゼル・グリモワールが使ったとされる魔法を記述した書物みたいだ」
その説明に、オレとナヅキは顔を見合わせる。
「ソカル……お前、詳しいな?」
「てかなんであの子はそんな本読んでるの……?」
オレのツッコミに、ソカルは「一応、ローズラインの出身だからね」と答え、不安そうなナヅキの疑問には「わからないけど」と返した。
「……多分、フィリはフィリなりに【神】と戦うことに思うところがあるんじゃないかな?
ここには見た感じ危険そうな禁書類もないし……心配しなくても大丈夫だと思うよ」
「そっか。なら、そっとしておこうか。邪魔しちゃ悪いしな」
危険そうな禁書類、というのが気にはなったが、それよりもフィリを思いやる相棒の言葉が何だか嬉しくて、オレは頷いた。
そのままオレたち三人はまた歩き出し、今度はリブラを探すことにしたわけだが。
「……一階にはいないみたいね」
「だな。てことは、二階か」
一階をくまなく、それでいて他の人には迷惑をかけないようにそっと探し回ってみたが、リブラは見つからなかった。
残るは二階。オレは目の前にある広めの階段を見上げた。
+++
薔薇の刺繍が施された絨毯。一階と同じように並んだ本棚。
その奥、入口の真上に当たるエリアの窓には、絨毯と同じ薔薇をモチーフとしたステンドグラスが飾られている。
そして彼女は、その窓辺に設置された一人がけ用のソファに腰掛け、膝に本を置いたまま、祈るように瞳を閉じていた。
まるで宗教画か何かのような光景に、オレたちは思わず息を止める。
ステンドグラスから降る優しい光が、彼女にとても良く似合っていた。
……しばらくその様子を眺めていると、唐突に彼女がぱちり、と目を開ける。
そうして少し離れた場所に立っていたオレたちに気づき、真っ赤な顔をして慌てて立ち上がった。
「あわわ! ひ、ヒアさんにソカルさん、ナヅキさんまで……! い、いらっしゃったのならお声をかけていただければ……っ!」
「あー……ごめん。なんか話しかけづらくてさ……」
見惚れていました、とは流石に恥ずかしくて言えないので、笑って誤魔化しておく。
そうですか、と先ほど膝に置いていた本で顔を隠しながら、リブラは謝罪を口にした。
「すみません、気づけなくて……。ええと、私に何か……?」
「いやいや、邪魔したのはアタシたちだし、謝らないでよ。
用は特にないわ。アンタやフィリと違って、アタシたち本には興味ないから……アンタたちがどんな本読んでるのか、ちょっと気になって」
頭を下げるリブラに、慌ててナヅキが顔を上げさせる。
そしてリブラが頭を上げたタイミングで、オレは彼女に問いかけた。
「で、リブラは何してたんだ?」
「たいしたことではないんです。ただ……これからのことを考えていたら、その……アズール様に祈りを、と思いまして……」
皆さんにアズール様のご加護がありますように、と両の手でかかえた分厚い本をぎゅっと抱きしめ、笑うリブラ。
その笑みに含まれた複雑そうな感情に眉をひそめていたら、オレの隣にいたソカルが彼女へと首を傾げた。
「……やっぱり、【神】と戦うのは辛い?」
「……ふふ。 あ、すみません。同じことを昨日ディアナさんからも尋ねられまして」
「ディアナから?」
可笑しそうに笑う彼女に、怪訝そうな顔をしたソカルの代わりに聞き返す。ディアナと彼女が仲が良さげなのは知っていたけれど。
「はい、“辛くはないのか”、と。でも私は……アズール様を、何よりヒアさんたちを信じようと決めましたから。
だから、大丈夫ですよ」
ステンドグラスからの光を浴びて微笑む彼女は、神々しくて。
感極まったように、ナヅキがリブラに抱きついた。
「っリブラー! 辛かったらちゃんと言いなさいよね! アタシに何ができるかはわかんないけど……アンタのこと、ちゃんと守るから!」
「あはは、苦しいですよナヅキさん。でも……ありがとうございます。頼りにしていますね」
そんな女の子二人の微笑ましいやり取りを見ながら、オレはふと呟いた。
「ディアナの奴、ちゃんとリブラのこと気にかけてくれてたんだな。なんか安心したよ」
「よね。最近は二人で行動することも多いし、ちょっと心配してたけど……大丈夫みたいね?」
ぶっきらぼうだが真面目な彼らしい、と笑えば、その呟きを拾ったナヅキが同意して、最後はリブラにそう尋ねる。
「はい。ディアナさんには仲良くしていただいています。
とてもお優しい方ですよ?」
「それはまあ、そうなんでしょうけど」
あまりディアナと話さないからねえ、と困ったような表情を浮かべるナヅキ。
……けれど。
「……僕がどうかしたか」
「っひゃあ!? あ、アンタ! いいいつのまに!?」
そんなオレたちの背後から突然聞こえてきた声に、彼女は大げさなまでに驚いた。
「ディアナじゃん。どうした?」
「いや……そろそろ一度宿へ向かおうか、と深雪たちが。それで、お前たちを探していた」
振り向いた先にいたのは、話題の中心人物であるディアナだった。
相変わらずの無表情ぎみな顔の中に、困惑の色が見て取れる。
「なるほど、わざわざありがとな」
「……いや……礼を言われるほどではないが」
心底困った様子のディアナに、オレたちはつい笑みが溢れた。
訝しげに眉をひそめた彼へ、何でもない、と首を振るオレ。
「……アンタのこと、ちょっと誤解してたわ。何ていうか、案外フツーなのね」
「ふふ、ディアナさんが皆さんと仲良くなれて嬉しいです!」
……なんて、女の子たちは軽やかに笑いながら階段へと向かったわけだが。
ジト目でオレを見てくるディアナの背を押して、オレたちも階下へと歩き出したのだった。
+++
一階へ戻ると、深雪先輩とソレイユ先輩、そしてフィリとマユカさんが揃っていた。
彼らの傍らには、見慣れぬ初老の男性もいる。
「……では、よろしくお願いしますね。……おや?」
男性が何かを深雪先輩に託し、ふと階段の下にいたオレたちに気づいて声を上げた。
それに釣られて、先輩たちもオレたちに視線を向ける。
「お、ヒアたちじゃん。ディアナ、ちゃんと探してきてくれたんだな」
ありがとな、と言って朗らかに笑うソレイユ先輩。それに照れたように視線をそらしたディアナの肩を軽く叩いてから、オレは彼らに問いかけた。
「それで……ええっと……その人は?」
「申し遅れました。私はこのロザリア王立図書館の管理人を務めております、キュリロス・ゾルと申します」
そう名乗って丁寧にお辞儀をした彼に、オレとナヅキ、リブラも慌てて頭を下げる。
「女王陛下にとある本をお渡ししてほしい、と頼まれまして」
その後、深雪先輩へ渡された荷物をじっと見ていたら、先輩はきちんと説明してくれた。
本。女王陛下へ渡す本とは、どんなものなのだろうか?
「ふふ、たいしたものではないのですが。ただ、陛下が興味を持たれた小説でして。
古いものですから、なかなか手に入らず……見つけたら持ってきてほしい、と以前より頼まれていたのです」
「そ、そうなんですね。ありがとうございます」
どうやら、中身が気になると顔に出ていたらしい。
しかし、小説を嗜む女王陛下とは……ますます想像がつかない。
もう一度キュリロスさんに頭を下げて、オレたちは図書館から出た。
すっかり上まで昇った陽射しが眩しい。
もう一度噴水広場まで戻ると、十字路の角……王城への道と図書館や教会があった道の角にある店が宿屋だと説明された。
宿屋の中に入り、朝先輩たちが取ってくれた部屋に入ると、夜先輩がベッドで眠っていた。
「あれ、夜寝ちゃったのか」
ソレイユ先輩が起こさないように、と小声で話しかけると、椅子に座って夜先輩の寝顔を見ていた朝先輩がこくり、と頷いた。
「うん。君たちと別れてから、ちょっとだけ散歩をしたんだけど……部屋に着くなり、“少し心を整理したいから寝るね”なんて言って……」
そう言って、弟の色白な手をぎゅっと握る朝先輩。
心を整理したい、とは……もしかして、昨夜のあれこれが原因なのだろうか。
だとすると、それはオレのせいなわけで。オレは拳を強く握りしめる。
「……そんな顔、しないでよ」
ふと、朝先輩の声がオレに向けられた。
え、と顔を上げれば、彼は相変わらず弟を見つめたまま、淡々と言葉を紡いだ。
「別に、夜だって君のせいなんて思わないし、言ってなかった。
“ヒアの正論は、心に刺さるね”なんて、笑ってはいたけどね」
「……先輩」
「だから、君に謝られても困るし、君が夜のことで心を痛める必要なんかない。
……君は、僕と夜の被害者なわけだし」
放たれたその発言に、オレは思わず固まってしまう。
朝先輩が、オレを気遣ってくれている……と捉えていいのだろうか?
「……悪かったね。君のことを殺そうとして。
夜が、君に迷惑をかけたりして」
「……えっ! あ、ああ……そ、そんなこともあったッスね……?」
突然の謝罪にオレは驚いてしまい、言動がしどろもどろになる。
それから深呼吸を一つ。……うん、確かに色々あったけれど。
「えーっと、ええと……。
あ、朝先輩の件に関しては、オレは気にしてませんし。
夜先輩のことも……本人にも言いましたけど、助けてもらったりもしたわけですし、気にしてませんから」
頭がパニックになりながらも、何とかそう本心を返すことができた。
隣や背後から仲間たちのため息が聞こえ、ついでに呆れたような感情も伝わってくるが、さっくり無視をする。
「……でも、朝先輩からそうやって謝ってもらえて……良かったです。ありがとうございます」
「……バカじゃないの、君。普通はもっと怒るでしょ?
……まあ、いいけど。……ありがと」
ちらり、と一度こちらに視線を寄越して、すぐにそっぽを向いた朝先輩。その空色の髪から覗く尖った耳の先は、少しだけ赤くて。
照れているのか、と何だか珍しいものを見たような、くすぐったいような気持ちになったのも束の間、朝先輩は照れ隠しなのか夜先輩の頬をつっつき始めた。
「っていうか、夜。起きてるんでしょ?」
拗ねたような朝先輩の下から、くすくすと笑い声が聞こえる。それから一拍置いたあと、彼……夜先輩はベッドから起き上がった。
「ふふ。お兄ちゃん、ちゃんとヒアに謝ってくれたね」
穏やかに微笑んで、えらいえらい、と夜先輩は朝先輩の頭を撫でる。
……まあ、そうだろうなあとは思ってはいたが、先ほどの謝罪はやはり夜先輩の差し金だったのか。
苦笑いを浮かべたオレとは対照的に、夜先輩はふと真面目な顔つきになった。
「……マユカ」
「……」
名を呼ばれたマユカさんは、一歩前へと歩み出る。
出逢ってまだ一日ほどの彼の感情は、わからない。オレはその白銀色のマントに包まれた背をじっと見た。
「……ほんとに、ごめんね」
震える声で、けれど真っ直ぐにマユカさんを見つめて告げられた謝罪。
けれどマユカさんはしばらく黙ったあと……盛大に、ため息を吐いた。
「はあー……」
「ま、マユカ……?」
困惑する夜先輩に大股で近づき、マユカさんはその両頬をそっと包む。
「もう、いいよ」
「え……」
「そりゃあアユカ……弟の件は怒ってるけどさ、でもそれはオレにも責任があるわけだし……夜だけを責めるのは違うなって」
そう言って、マユカさんは笑ったようだった。
夜先輩がひゅっと息を呑んだ音が聞こえる。
「……そもそも、マユカが“特異体質”となったのは……僕が、【夢神】をきちんと倒さなかったせいだ。
責任なら、僕にもある」
昨夜は大声をあげてすまなかった、とディアナまでもが頭を下げた。
そんな二人に、夜先輩はおろおろと視線を彷徨わせている。
「え? えっと……でも、その、オレ……ひどいこと、したし……怒られても、しかたないって……」
「バカだなあ、夜は」
呆れたような、それでいて安心させるような声音で、マユカさんは告げた。
「オレがいい、って言ってるんだからいいんだよ。
……それに、アユカも無事なんだろ? だったら、オレはこの世界で、自分にできることをやるだけだ」
ちゃんと謝ってくれて、ありがとうな。
そう締めて、マユカさんは夜先輩から離れる。ディアナもありがとうな、と笑いながら。
ベッドの上に残された夜先輩は、ただ呆然としていた。
「なんで……? どうして、だって、よるは……――」
ぽつり、と呟いた先輩に声をかけようとして……不意に、マントを引っ張られる。
「後は、朝くんにお任せしましょう」
そう言いながら、深雪先輩はオレのマントを持ったままドアへと向かった。
その様子に気づいた他の仲間たちも、静かに部屋を出る。
ドアが閉まる前、最後に見た夜先輩は……泣きながら、朝先輩に抱き締められていた。
+++
今のうちに、と近くのカフェで昼食を取り、宿の部屋に戻ってくると、数時間前に別れたばかりの女性がいた。
「皆さま、お待たせいたしました」
相変わらずの背筋をピンと伸ばした姿勢で、ロザリア騎士団の女性騎士……フェリーネさんは話し出す。
「皆さまの事を陛下にお伝えしましたところ、すぐにでも謁見を、とのことでしたので、お迎えに参りました」
その言葉に、オレたちは顔を見合わせた。
フィリやリブラはさっと顔が青くなり、「こ、心の準備が……!」と慌て始め、深雪先輩は別室にいる夜先輩たちを呼んでくる、と部屋を出ていった。
「……女王陛下、か……」
未だに実感のわかないオレは、ぽつりと呟く。
謁見して、何を話せばいいのかもわからない。まあ、その辺は先輩たちに任せればいいか……と他力本願なことを考えるくらいには、現実味がいまいちなかった。
しばらくして部屋に戻ってきた深雪先輩と夜先輩、朝先輩を交えて、オレたちは外へ出る。
普段通りの表情の夜先輩に安堵しつつ、噴水広場を上に進んだその先、きらびやかで広大な貴族の屋敷が立ち並ぶ貴族街を抜け、城門へと辿り着いた。
「……大きいッスね……」
「そりゃあ、王城だからな」
荘厳な雰囲気に、思わず呑まれてしまう。同じく実感がなさそうだったナヅキも、顔が強張っていた。
ソレイユ先輩のゆるい返しに苦笑いを浮かべながら、城内に入る。
ふわふわな深紅の絨毯に、足音が吸い込まれていく。
規則的に並んだ警備のための兵士と、忙しなく歩き回る貴族や使用人と思わしき人たち。
そんな彼らを横目に、フェリーネさんの案内で、オレたちは豪華な扉の前にやって来た。
扉の両脇に立つ甲冑姿の兵士に、フェリーネさんが陛下への謁見希望だと伝えると、彼らはその重々しい扉を開けてくれた。
いよいよだ、とオレは思わず手を強く握り締める。
緊張する仲間たちの感情に、感化されているのかもしれない。
フェリーネさんと先輩たちに続いて、その空間へと足を踏み入れると、優しげな声が降り注いだ。
「ようこそ、“双騎士”の皆さま」
その声に、無意識の内に俯いていた顔を上げる。
玉座の後ろから届く陽の光が、その人の藍色の髪を柔らかに照らしていた。
「……あい……り……?」
思わずそう呟いたオレの隣に立つソカルも、驚いたように息を呑む。
ふわりとした微笑みを湛えたその女性は……オレの幼なじみの少女・篠波 藍璃に瓜二つだった……――
Past.46 Fin.
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