ヒアたちが去った大部屋の中は、しん、と静まり返っていた。
「えーっと」
その重苦しい空気に耐えきれず声をあげたのは、イビア。
困ったような表情で、彼は仲間たちを睨むカイゼルに視線を向けた。
「ごめん、カイゼル。ちょっと……なんというか……さすがに衝撃的すぎたというか……」
「……だろうな。オレもさっきルーから聞いて驚いた。
つか、謝る相手がちげーだろ。……あのヒアとか言うガキ、ルーと同じ能力持ってんだろ? それも、制御のできていないやつだ」
長い間ルーの“契約者”として……そして保護者として側にいたカイゼルには、彼らの持つ“感情伝染”がどういったものかをよく知っている。
だからこそ、先ほど彼の仲間とルーに連れられて部屋を出た、真っ青な顔色をした彼が気がかりだった。
相当酷い“感情”を受け止め続けたのだろう、【神】であるルーならともかく、普通の人間である彼には負担が大きかったはずだ。
「……そう……ですね。感情的になりすぎてしまいましたね……」
ヒアくんには申し訳ないことをしました。俯く深雪に、夜と朝以外の他の先代“双騎士”たちも気まずそうに視線をそらす。
「……頭、冷やしてくる」
乱暴に涙を拭って、朝は立ち上がり部屋を出ていった。
彼が去ったことで空いた、未だ泣きじゃくる夜の傍らには、ちゃっかり黒翼が陣取っている。
そんな彼らを見て、カイゼルは再度ため息をついた。
「はあ……。おい、夜」
そうして彼は、手で涙を拭っている夜に声をかける。
……余談だが、その様子を見た黒翼がそっとその手を取りハンカチを渡していた。
「お前、朝の反応も深雪たちの反応も覚悟の上で【魔王】とやらのチカラを継いだんじゃねえのか?
コイツらを傷つけることになっても……オレたちが生きるこの世界を守るんじゃなかったのか?」
「……っ」
「覚悟もねえなら最初から【魔王】のチカラなんざ継ぐな」
キツいカイゼルの言葉に、深雪が「そこまで言わなくても」と口を開く。
……けれど、夜はゆるゆると首を振って……顔を上げた。
「……カイゼルの、言うとおりだ。
……よるは……みんなに嫌われても、憎まれても……それでも」
深い深い、蒼海を湛えた瞳。ヒトに疎まれ、傷つき、それでも世界を見つめ続け、世界を愛し、兄や仲間たちを大切に想い続けた、夜空。
「みんなを……この世界を護るって、決めたんだ。
【魔王】として……世界の要、【世界樹】として」
覚悟が宿る、彼の眼差し。
その強い青に、仲間たちはハッと息を飲んだのだった。
+++
真っ白な柱の隙間から覗く雲海。そんな特徴的な廊下で、朝はしゃがみこんでいた。
酷いことを言ってしまった。酷い態度を取ってしまった。 傷つけて……しまった。
(もう二度と傷つけないって……決めたのに)
部屋を出る前に見た、弟の傷ついた瞳と泣き顔が頭に浮かんで離れない。
元の世界でのトラウマを、思い出しているかもしれない。
だけど、彼の元に戻る勇気はなかった。感情に任せて酷いことを言ってしまいそうだから。
(……これじゃあ、あの人たちと同じじゃないか)
感情のままに夜を傷つけ、壊した人たち。
自分がソレらと同じだと気づいて……朝の胸を絶望が掠める。
「僕は……夜を傷つけたいわけじゃ、ないのに」
「――知ってるよ」
ふと降り注いだ、聞き慣れた声。それと共に背中に感じるぬくもり。
「お兄ちゃんはいつだって……よるのことを考えてくれてるって、知ってるよ」
淡々と紡がれるコトバに、朝は振り向けずにいた。
ただ黙したまま、弟の話に耳を傾ける。
「ごめんね。お兄ちゃんがよるのことを大切に想ってくれているみたいに、よるもお兄ちゃんのこと、大切に想っていたんだけど……。
よるは、いつもお兄ちゃんを苦しめて、傷つけてばっかりだね。
……いっそ、お兄ちゃんから離れてしまったほうが……いいのかな……」
「っそんなこと……!!」
告げられた想いに、朝は勢いよく振り返り……背中合わせだったその肩を掴み、自分の方に向けた。
潤んだ深海の瞳が、揺らめいている。
「そんなこと、言わないで……!! 僕は、僕は……!!」
「……お兄ちゃん」
けれど、お構いなしに言い募る彼に、夜は呼びかけた。
ぶつかる青と赤の瞳。混じって溶ける、ふたつの視線。
「……ごめんね。それでもよるは……お兄ちゃんのそばにいたい。
お兄ちゃんと、ずっと一緒にいたい。離れたくない。
そのために、よるは……“いきること”を選んだんだよ……?」
兄の裾を掴んで、そう訴える夜。そんな弟に、朝はハッと息を呑んだ。
(何よりも、誰よりも……この子の生を願っていたのは、僕なのに)
生を破棄することなく、ただ自分と生きるために生命を掴み取った弟。
例えそれが、【魔王】になることだったとしても……それでも。
(もう二度と、誰も、この子の生を否定してはいけない。……誰にも、否定させてはいけない)
朝はそっと、夜の手を握る。冷たくて、温かなてのひら。
……血の通った、生者のてのひら。
「……そう、だね。……そうだよね」
もう片方の手で、不安げな夜の、そのクセのある頭髪を撫でる。
夏の夜空のように明るい青髪は、見た目に反して柔らかい。
「……さっきは、ごめんね。びっくりした……というか、悲しかったし、悔しかったんだ。
五年前、僕たちが君を【魔王】の闇から助けたことは、無駄だったんじゃないのかって……」
「そ、れは」
「でも」
悲しげに瞳を伏せる弟。しかし朝は首を振り、握った手に力を込めた。
「そんなこと、どうでも……よくはないけど、些細なことだ。
夜が、僕のそばで生きていてくれるなら」
ふわり、と微笑めば、彼は驚いたように目を見開く。
「……お兄ちゃん」
「ありがとう、夜。生きていてくれて……生きることを、選んでくれて」
優しくその頭を抱き寄せれば、夜はしゃくりあげた。
生まれてきたことで、心身にたくさんの傷を負ってしまった弟。
けれど、そばで見守るしかできなかったあの頃とは違い……今は手を伸ばせば触れられるし、想いを届けることができる。
「君が僕を守りたいと言ってくれたみたいに……僕も守るよ、夜のことを」
(君を傷つけるモノはすべて……僕がこの手で排除するから)
兄の仄暗い決意も知らず、夜は涙を拭いながら頷いて、彼にしがみついた。
「お兄ちゃん……ありがとう」
お兄ちゃんがいるから、よるは生きていけるんだ。
そう言ってはにかむように笑う夜と、釣られて笑みを浮かべる朝。
ぐちゃぐちゃに絡まっていた二人の感情は、解れて一つに繋がった。
部屋を出た夜を追って、離れた場所で彼らのやり取りを静かに見ていた深雪たちは、双子を取り巻くあたたかな空気に心の底から安堵したのだった。
Silbe5. Fin.