I'll -アイル-

Act.12 触れた温もりは遠く


 ――それが永遠に近い絶望だと、オレは知っていた。

 “I'llアイル”四番隊に所属する空色の髪の少年、キリクは半獣人ビーストクォーターだった。
 片親がクレアリーフの外にある獣人の国の出身だったらしい。
 らしい、というのはキリク自身よく覚えていないからだ。
 その片親に捨てられ、残った方の親に殺されかけたキリクは、感情や言葉を無くしてしまった。
 カルマの両親で、“I'll”の前リーダーだったカナデとアゼリアに拾われ、言葉を取り戻しはしたが……心の傷までは、治らなかった。

(生まれて来ては、いけなかったのか)

 そう自問する中、同じ四番隊のヒュライを始めとする似たような境遇のメンバーたちと交流して、自分は自分でいいのだと……今のままでいいのだと、キリクは自身を納得させた。

 ――死を、望みながら。

 +++

 ――大通り。

 待機していたカルマたちの前に、ハリアとミカエルの読み通り、ラファエルたち政府軍が現れた。

「やあミカエル。そして……目障りなレジスタンスたち」

「ラファエル……」

 睨み合う双子の天使の間に、ヒサメが割り込んだ。

「私たちに宣戦布告だなんて、良い度胸ですね」

 赤い髪を揺らしながら、彼女はラファエルを睨む。
 それに便乗するように、ラズカも声を上げた。

「だいたい、私たちがみっくんを攫ったなんてどういうこと!?」

「はははっ。それに関しては悪かった。
 軍を動かすには、何らかの大義名分が必要だったからさ」

 彼女たちの言葉に、ラファエルは嘲笑う。

「……雑談はそこまでだ。お前ら政府軍はここで倒す!」

 そんな灰色の天使を見上げて、ハリアが高らかに宣言すると、カルマたち魔術師が詠唱態勢に入った。

「ふっ。やれるもんならやってみろってんだ。……いくぞ!!」

 ラファエルの声に、政府軍が雄叫びを上げ、レジスタンスたちに向かって走り出す。

「――“漆黒よ,其の存在を破壊せよ!! 『ダークネスザイン』”!!」

「行きます! 『花焔斬かえんざん』!!」

 カルマの闇属性の魔法が放たれ、それと同時に桜散サチが炎を宿した刀で政府軍へ切りかかった。
 前衛にいた何人かの政府軍は彼らの攻撃を食らって倒れ込む。
 だがそれにも怯まず、彼らは各々の武器を掲げてなおも向かって来た。

「――“黒き旋律よ,我が力と化し彼の者達に終焉を齎せ! 『ヴァイゼ・アプシュルス』!!”」

「――“奏されし韻律よ,暗き闇を薙ぎ払え!! 『リトム・ジュエ』”!!」

 ゼノンとヒサメが、慌てず同時に音属性の魔法を放つ。
 激しい二重奏を奏でる虹色の魔法は政府軍の聴覚を刺激し、魔法耐性の低い者たちが続々と力尽きていった。
 
「甘い! ――“天堕つる光の声よ,爆ぜよ! 『ライジングレイン』”!!」

 だが、ラファエルの魔法がゼノンたちを襲う。
 それに気づいたミカエルが、とっさに防御魔法を唱えた。

「――“光よ!! 彼の者たちを護れ!! 『レイス』”!!」

「っ!!」

 光の攻防が収まり、双子の天使は互いを睨み合った。
 ゼノンとヒサメはミカエルに礼を言い、他の政府軍の相手を始めた。

「やってくれるね、ミカ」

「……ラファエル、僕は……」

 兄を睨んだまま呟くミカエルの言葉を、桜散の声が遮った。

「みっくん、危ないッ!!」

「!?」

 顔を上げたその時、政府軍の魔術師が、ミカエルを標的に魔法を放った。
 今からじゃ、避けきれない。固まるミカエルに、ラファエルが嘲笑う。
 そして……次の瞬間、幼い天使の視界は空を映した色でいっぱいになり――


「……っキリク――――ッ!!」


 戦場と化した大通りに、ラズカの絶叫が響き渡る。
 それと同時に、四番隊隊長のヒュライが狙撃手であった魔術師を屠った。
 ミカエルは自身を庇った空色の少年の腕に抱き締められたまま、動けずに、いた。

「……ミカ! キリク!!」

 ラズカの悲鳴を聞き、彼らの元へ駆けつけたカルマとハリアに、ミカエルは泣き出しそうな瞳を向ける。

「カルマ、くん……ハリアさん……っ」

「ミカ、怪我は?」

「ぼくは、だいじょう、ぶ、だけ、ど……っ!」

 安否を問うカルマに、しゃくりあげるように途切れ途切れで言葉を紡いだミカエルは、視線を空色の少年……キリクに向けたままで。
 魔法に貫かれた彼は、血を流したまま瞳を閉じている。
 同じく駆けつけたラズカが、必死にキリクの名を叫んでいた。

「キリクっ! キリクっ!! 返事して、返事しなさいよぉッ!!」

「ラズカ、落ち着け。とりあえず回復だ」

 泣きじゃくる少女を諭すハリア。
 簡易的な治癒魔法を唱えるリーダーを横目に、ミカエルは黙ったまま、ただ嘲笑う兄を睨みつけた。

「……らず、か?」

 不意に微かに聞こえた、少女を呼ぶ声。ラズカは目を見張る。

「キリクっ!!」

「……何だ……オレはまだ、いきて、」

 呟いたキリクは、泣き出しそうなミカエルとラズカを見、次いで無表情で佇むオッドアイの魔術師と眉を寄せたハリアを見やった。

「ハリアさんが回復してくれたの……っ」

「……ど、して……オレ、なんか……」

 ラズカの説明に、荒い息のまま呟いたキリク。
 ハリアは苦々しげに顔を歪める。

「“オレなんか”とか言うな。お前は仲間だ、家族だ。
 助けるのは当たり前だろうが」

「なかま……かぞく……。……こんなオレ、でも……――」

 彼の身の上は、ハリアもよく知っていた。だからこそ、彼や似た境遇の仲間たちがお互いを“家族”と思えるよう世話を焼いてきた。
 ……それでもなお、ぽっかりと空いた彼らの心の穴が埋まらないことも、理解しながら。

「……カルマ……オレを、殺して」

「……キリク、なに、言って」

 彼の言葉に、呆然とするラズカ。けれどキリクは淡々と言葉を紡ぐ。

「どうせ、もうすぐ、しぬ。きっと……助からない。それくらい、わかる。
 ……だったら、せめて……裁かれて、赦されたい」

 その、存在を。生きてきた、カルマを。
 静かに語るキリクを、その名を持つ少年はただ見つめた。

「……良いのか」

 その場だけ時間が止まったような、そんな錯覚をミカエルは覚えた。
 実際ラファエルをはじめとする政府軍たちは、桜散やジョーカーたち三番隊とヒュライが抑えている。
 天使はそっと、自身を庇った少年に触れた。

「し、ぬなんて……死ぬなんて、だめです、だめ、ですそんなの……っ!!
 す、すぐに回復します! ――“光よ……”!」

 溢れ出した涙を拭うこともせず、ミカエルはただただキリクにすがりつき、回復魔法を唱え始めた。
 だが、それを止めたのは、他の誰でもない……ラズカだった。

「……みっくん、いいの……もう、いいの」

「いいって、何が!」

 泣きはらした瞳で首を振る少女に、ミカエルは怒鳴るように問いかけた。
 仲間が死を望んでいるのに……死んでほしくないと願っていたのに、止めないなんて!
 慌ててハリアを見やれば、彼は苦悩した表情で拳をかたく握り締めていた。

「……キリクが死にたがっていたことは、私やヒメキ、隊長が一番知ってる。
 ……それを私たちのエゴで、止めて。今まで苦しめてしまった」

「らず、か……」

 静かに静かに語るラズカに、キリクが少しだけ目を見開く。
 そんな彼にそっと笑んで、ラズカは佇む魔術師を見た。
 他のレジスタンスグループから【制裁者】と呼ばれる彼。
 ある日両親を失い、変わってしまった彼。付いたその二つ名あだなのように、敵に裁きを与えるかの如く立ち向かい、振る舞う彼。
 ……そしてその心根は、誰よりも優しく、弱く、儚いそんな彼に……たったひとつ、自分が愛したヒトの最期の願いを叶えるために。
 ラズカは残酷なコトバを口にした。

「カルマ……こんなこと、頼みたくないけれど……。
 お願い、キリクのわがまま、聞いてあげて……?」

 そして、彼を、救って。


 少女の祈りに、リーダーの苦悩に、魔術師の裁きに……天使の涙にその存在を赦された空色の半獣人ビーストクォーターは、そっと笑んで、そして。


「ありがとう、ラズカ、ハリアさん、カルマ……ミカエル」

 ――きらきらと輝く世界で、空色の少年は少しだけ、生まれてきて良かったと、微笑んだ。

(生きることは果てしない絶望だと、思っていた)

(きみが赦してくれた、貴方が受け入れてくれた。
 ……彼女がわかってくれた、天使が泣いてくれた。それだけで、もう……――)

 +++

 ――動かなくなった少年をぼんやりと見つめる少女と、泣きじゃくる幼い天使の頭を撫でて、魔術師とリーダーは戦場へと戻っていった。

(どうして、さっきまであんなにあたたかくて、ぼくをまもってくれたのに)

 何を恨むべきか、天使にはもう、わからなかった。

 +++

(……殺したくなんて、なかった)

 戦場に戻る最中、カルマはそっと瞳を伏せる。
 自身が他のレジスタンスグループから【制裁者】などと呼ばれていることは知っていた。
 ……誰かを裁く権利なんて、自分にはないのに。

(……どうして……オレは……)

 殺したくなかった。キリクの願いなんて、拒むつもりだった。……彼に、生きていてほしかったから。
 だけど……ラズカの言葉を聞いた瞬間。自分が遠のく感覚に襲われて……遠巻きに、“自分”が魔法で編んだ剣でキリクを貫いたのを見ていた。
 この手に残ったのは、仲間の命を奪った感覚。

(……【魔王】はオレのココロを狙っている、か)

 あのときカルマの身体を動かしたのは、自身の魂に巣食う【魔王】で間違いないだろう。
 けれど、彼はそれを口にしなかった。キリクを殺したのは、自分の心の弱さであり……結局、自分自身であるからだ。
 泣くことも、叫ぶこともしなかった。……できなかった。
 ただこの身を包む絶望と哀しみだけを胸に……オッドアイの魔術師は、灰色の天使をすっと見据えたのだった。


 Act.12:終