I'll -アイル-

Act.14 そらにとける


 青い。
 青い空に向かって、幼子はいつだって手を伸ばしていた。
 そこにある何かを、つかむように。

 +++

 ――自分の隊に属していた、言わば部下のような存在が、死んだ。

 誰かが呟いていたのが耳に入って、ヒュライは首を傾げた。
 死ぬ。
 死ぬ、というのはどういうことなのだろうか。彼にはもう、よくわからなかった。

 ――そういえば、と思い出す。
 いつだったかオッドアイの彼が、両親が死んだと言って泣きじゃくり、部屋から出てこなくなったことがあった。
 死ぬ、というのは悲しいコト。
 今までソコにいた誰かが、いなくなる、というコト。

(じゃあ、キリクはもういないんだ)

 自分と似たような境遇だった青い髪の少年を思い出して、少しだけ胸が痛んだことに……ヒュライはそっと、笑んだ。

 二つの短剣を握りしめ、相手の懐に入り込む。
 驚愕したような表情を浮かべるその相手……つまり、敵の顔面に、片方の得物を突き立てる。
 途端、降りかかる、赤。
 息を止めたその相手を少し眺めて、ヒュライはまた別の敵へ走り出す。

 ――死んだ。先ほどの相手は、確かに死んだ。
 キリクと同じ。カルマの両親と、同じ。
 敵に短剣を突き刺す。消えていく、いのち。

 ふとカルマたちの方を見やると、駆け付けた仲間たちと共に灰色の天使に攻撃をしかけている途中だった。
 彼らもまた、天使を屠るのだろう。それが良いことなのか否か、ヒュライにはわからない。

(ただ、優しい彼らがこれ以上悲しまなければいいとだけ……祈っていた)

 +++

「ラファエル……お願い、もうやめよう?」


 何度か魔術の応酬を繰り広げた後、ミカエルが兄を見つめ静かにそう言った。

「……無駄だ、ミカ。やめたいのなら、お前たちが政府軍に降伏しろ。
 ……お前の命くらいは、助けてやれる」

 ミカエルに向かって手を差し伸べるラファエル。
 だが、純白の天使はゆるゆると首を振った。

「できないよ、ラファエル。ねえ、世界はね、とてもきれいなんだよ」

「……オレの、オレたちの世界は、あの政府の中だけだ」

 弟の言葉に、今度はラファエルが首を振る。

「ちがうよ、ラファ。君は知らないだけだ。
 政府の外にはこんなにも世界が広がって……そこで生きる人たちは、とても輝いていて……。
 あの薄暗い研究室とは、まるで違うんだ」

 とても大切な宝物を託すように、ミカエルはそっと微笑む。
 だが、ラファエルはそんな弟を見て声を荒げた。

「そんなのまやかしだ!! オレは、オレにはもう、何もない!!
 ――“閃光よ,彼の者たちを焼き付くせ!! 『ライトニング・ブレイズ』”!!」

 話は終わり、と言わんばかりに、ラファエルは呪文を唱える。
 瞬間、彼の周囲から目を焼くほどの光がミカエルたちを襲った。

「……っ!!」

 咄嗟に目を閉じたミカエルだったが、傍に人の気配を感じて恐る恐る瞳を開ける。

「……カルマくん?」

「……オレに、光は届かない。――“其は永久なる暗黒の調べ”」

 未だ止まない光の中、詠唱を始めたカルマの足元に浮かぶ漆黒の魔法陣。

「“其は深淵なる幻影,其は無限なる絶望……堕ちろ。『ダークネス・ディスペラーレ!』”!!」

 放たれた夜闇の魔法が、ラファエルの光ごと飲み込んでいく。

「ぐっ……あああああああああッ!!」

 その魔法が直撃したらしい灰色の天使の悲鳴が、戦場に響いた。

「……っラファ!!」

 他の政府軍に混ざって、“I'llアイル”の残りのメンバーの相手をしていたケイジが、思わず声を上げる。

「っ……平気、だ! このくらい!! ――“『ゾルド・アレイ』”!!」

「無駄だ! ――“『ダークネスザイン』”!!」

 攻撃を耐えたラファエルの光の魔法を、カルマの魔法がさらに塗り潰していった。

「――“虚ろなる宵闇よ,我が声に応えよ!! 『ナハト・スティマー』”!!」

「っ!!」

 夜闇の魔法を今度は避けた兄を、ミカエルはその蒼穹の瞳で真っ直ぐに見つめる。

「……ラファエル」

「…………」

 肩で息をしながら、ラファエルは黙ったままミカエルを睨んだ。

「ラファエル、僕は……」

「みっくん!!」

 言いかけたミカエルの言葉を遮って、桜散サチが声を荒げる。
 見ると、剣を構えた黒髪の少年……ケイジが、ミカエルに向かって駆けてきていた。

「ミカァァァァッ!!」

「……っ!!」

 気迫あふれるその叫びに、思わず身構えたミカエル。
 ……けれど、その眼前に二対の短剣を構えた紫色の影が躍り出る。

「ちょっと、いきなりいなくならないでよ」

 ケイジの剣を受け止めながらそう言った影……四番隊隊長・ヒュライが、どうやら先ほどまで彼の相手をしていたらしい。

「……っ」

 ケイジはミカエルを睨み、次にヒュライを睨む。
 そのまま彼は、ヒュライに攻撃をしかけた。

「『穿空撃せんくうげき』!!」

 空を裂くような剣撃が、紫色の髪のエルフを襲う。
 だがヒュライはひらりとそれを避け、ケイジの懐を目がけて走り出した。

「……壊れちゃえよ!! ほら!! ねえ!!」

「っこの……っ!!」

 頬を少し傷つけられはしたが、なんとか躱したケイジ。黒髪の彼は、躱した体勢のまま剣を薙ぎ払った。
 瞬間、掠めるエルフの身体。
 ……赤い、赤い液体が、青を描く空に映る。

「ヒュライ!!」

 誰かの悲鳴が響き渡った。
 自身の名を呼んだのが誰かもわからぬまま、痛む体を押さえヒュライはよろけながらも踏みとどまる。

(……ああ、痛い。いたい、イタイ……――)

 あの空色のエルフも、こんな痛みを抱えて死んでいったのだろうか……?

「あ……はは……。あはははははははは!!」

 唐突に笑い出したヒュライに、ケイジはもちろんほかの政府軍も“I'll”のメンバーも思わず彼の方を見やる。
 狂ったように嗤う紫暗のエルフダークエルフ。彼は周りなど気にせずケイジに短剣を突きつけた。

「痛い、痛いよ、ねえ!? あははは……君も、同じ思いをすればいいんだ!!」

 そう言って彼は再度走り出す。そして、呆然としつつも剣を体の前で構えて防御態勢を整えるケイジに斬りかかった。

「……っ!!」

「あああああああああっ!!」

 絶叫しながら、ヒュライはケイジの剣を弾き飛ばす。
 そうしてそのまま、黒髪の少年の身体に双剣を突き立てた。

「……ぐっ……!!」

「あはははっ!! ねえ、痛い!? 痛いよね!? あははははは!!」

 血しぶきを浴びながら嗤うヒュライを、かろうじて息を続けているケイジが忌々しそうな目で睨む。
 ……と、不意に光の魔法が紫のエルフを貫いた。

「――“『ゾルド・アレイ』”ッ!!」

「……っ!!」

 息を詰めながら倒れていくヒュライ。その視線の先には、憎悪を宿した灰色の天使。

「っヒュライ!!」

「お前……ッ!! よくもケイジを!!」

 カルマの悲鳴じみた呼び声に、天使の叫び声が被さって戦場に響く。
 ヒュライの元へ駆け寄るカルマに、ラファエルが追撃の魔法を放とうと詠唱を始めた。

「行かせるか!! ――“蒼穹を駈ける光の……”」

「させるかよ!! ――“輝きを放つ咆吼を上げよ!! 『ハウリングリヒト』”!!」

 だが、それをハリアの光の魔法が遮り、カルマは無事にケイジと共に倒れているヒュライの元へたどり着いた。

「ヒュライ……!」

「……カ、ルマ……」

 直撃したラファエルの魔法が相当強かったのか、ヒュライは光を失くした瞳でカルマの方へ顔を向ける。

「……視え、ないんだ。もう。でも、これでよかったのかもしれない」

「な、に」

 ゆるく笑うヒュライの言葉に、オッドアイの魔術師は必死に耳を傾ける。

「おれ、ほんとうはずっと……こわかったんだ。両親が死んで、カナデさんとアゼリアさんが、死んでから……ずっと、ずっと」

 ヒュライの両親もまた、軍との戦闘で命を落としたという。
 その時に巻き込まれ両親の死をその目で見たヒュライは、心を病み……普通のエルフから、闇へと反転した。

 通常、エルフは金や白などの明るい髪色を持った者しかいない。
 人間や半獣人ビーストクォーターより魔術に長けている代わりに精神を汚染されやすい彼らエルフは、闇に堕ちると……いわゆる“ダークエルフ”と呼ばれるモノへと変貌し、その凶暴性から人々から忌み嫌われてしまう。

 けれど、“I'll”のメンバーはダークエルフと化したヒュライを見捨てず、『家族だから』とそばに居続けた。
 カルマの両親も死に、ヒュライが大切なモノを忘れていくほど壊れていっても……それでも。

(……オレたちにとって、ヒュライは大切な……大切な、家族だから)

「っヒュライさん!」

 ミカエルも遅れて駆けつけてきて、涙を溢れさせながら回復魔法を唱えようと詠唱を始める。

「やだ、しんじゃ嫌です、ヒュライさんっ!!」

「いいんだ、もう……。おれはもう、これで解放されるんだ」

 やっと、と。
 そう言って笑う彼に、ミカエルは何も言えなくて。

「本当は、カルマ……君に、裁いてほしかったけど……これ以上、君に背負わせたくはないから」

「……っ」

 だから、ひとりで逝くのだと。
 そっと瞳を閉じる彼に、オッドアイの魔術師は拳を握って耐えるしか出来なかった。


「ああ……そうか」


 ふと、ヒュライの脳裏に鮮明に映し出される光景。
 幼いカルマと、自分と、仲間たち。……自分の両親と、カルマの両親。

『そらには、みんながいるんだって』

 そう言って穏やかに笑ったカルマが……■■■■が見上げていた、蒼穹の先。
 そこには死んでいった仲間たちがいるのだと、彼は語っていた。
 ……そして。ヒュライは自分も同じ場所に逝くのだと。
 『死』とは……そういうことなのだと。

 最期になって、やっと理解したおもいだした……――


「ごめんね、■■■■……――」


 呟いた謝罪は、大切な家族への。


 Act.14:終