I'll -アイル-

Act.17 メモリア


 ……町外れの丘の上。
 お気に入りの場所に、知らない女の子が佇んでいた。

『……あの』

 恐る恐る声をかけると、女の子はビックリしたように顔を上げ、こちらを向く。
 黒い髪。異国の服。
 迷子かな? と思って、はいつも通り、笑顔を浮かべた。

『怖がらないで、大丈夫。
 キミはだれ? どこから来たの? この街は初めて?』

『あ……わた、し……私、は……桜散サチ……』

 怯えたような瞳に、一層庇護欲が増す。

『さち、さんだね。オレはメモリア。
 良かったら、街を案内してあげるよ』

 父さんや母さん、“I'llアイル”のメンバーにも会わせてあげよう。きっと、みんな歓迎してくれるはずだ。
 そう思って、メモリアは桜散の手を握った。

 ――……体温を感じない、冷たい手だった。

『……いや……っ。触らないでっ!!』

 拒絶。
 振り払われた手に、呆然とする少年。

『あ……ごめん、なさい……。でも、私……ヒトじゃ、ないから……っ』

 ヒトじゃないから、こんな所に独りでいるのか。
 ヒトじゃないから、何だと言うのだろうか?

『……だって、桜散さんは、自分の意志があって、自分の声があって、自分の体を自分で動かして……今ここで、生きているじゃない。
 ヒトだって、それぞれ違うところがあるよ。
 それと、どう『違う』の?』

 笑顔で諭せば、女の子は泣きそうな顔になった。
 差し伸べた手は、今度は振り払われることなく。
 少年と少女は、緩やかな丘を降りて行った。

 ……その後に待ち受ける、現実悲劇すら知らずに。


 +++


「……ミカエル!」

 壊れた兄の亡骸を抱きかかえて座り込みながら、どこかぼんやりとその顔を見つめているミカエル。
 そんな純白の天使の元に、カルマが駆け寄った。

「……かるま、くん……」

 俯いていた顔を上げ、ミカエルはふわりと微笑む。
 その姿があまりにも痛々しくて、カルマはそっと天使を抱きしめた。

「泣いて、いいんだ。泣いて、いいから……」

「……大丈夫、です。僕は……へいき、です……」

 でも、と、ミカエルは兄の亡骸を抱きかかえたまま、立ち上がった。

「兄さんとケイジくんを……埋葬してあげたい、です……」

「……そうだな」

 この戦いで死んだ、たくさんのヒト。
 せめてそれを弔い悼むことは、赦されることだろう。

「少し、待っていろ」

 そう言って、カルマは未だ倒れている桜散の元へと向かった。

 +++

《……残党の政府軍に告ぎます……。『政府の天使』コード:〇二四『ラファエル』、及び特攻隊長・ケイジ・クロツバキの死亡を確認……。
 また、政府塔内部も侵入者・・・により崩壊……最高指導者、ユウナギ・ロスト様の死亡を確認……。
 残党政府軍は直ちに解散してください……。繰り返します……――》

 ――ユウナギ・ロスト。
 都市国家クレアリーフの最高指導者であった男。
 ユウナギは自身こそがナイトファンタジア大陸を統治すべき存在だと豪語し、大陸の統治者であるロマネスク王家を潰すために商業都市であったクレアリーフを軍事国家として作り替えようとした。
 政府軍と呼ばれる軍隊を作り、一般市民からは税を搾り取り、身寄りのない子どもたちを引き取り戦い方を教え兵士とし、更にはその中で魔力の強い子どもを『人工天使』として人体実験、及び肉体改造を施した。

 当然、市民たちはそんな政府のやり方に反発した。
 それが、“I'll”を始めとするレジスタンスたちだった。

 ――生き残っている政府軍へ向けたメッセージが、戦場に響き渡る。
 その生き残りの一人である青年は、告げられた内容が信じられず、同じく生き残った仲間と共に政府塔へ駆けていった。

 政府の最高指導者、ユウナギ様が死んだ……?
 信じられるか、そんなこと……!

 嘘だ、嘘だ、そう思いながら、彼は政府塔内部へと駆けこんだ。


 青年が政府軍に志願したのは、単純に暴れたかったからだ。
 単調な日々に、嫌気が差していたから。何より……街で暮らすより、ずっとずっといい生活を送れるから。

 政府が街の住民たちから税を搾り取り、懐を肥やし、魔力の強い子供たちを浚い非道な実験をしていたことも、青年は知っていた。
 かつては搾取される側だったのだ。けれど、レジスタンスには加わらず……『自分だけでもいい生活をしたい』、『街の人間など知ったことか』……そんな思いから、軍に志願した。
 泥水をすする生活になど、二度と戻りたくはない。そうして同胞を見捨てた彼のような存在は、軍にはたくさんいた。

 政府による支配が終われば、暴れられなくなる。ユウナギ様がいなくなれば、暴れられなくなる。……こんな暮らしが、できなくなってしまう。
 そんなのは……ごめんだ。

 だが、そんな青年たちが目にした光景は、荒らされ血の海と化した政府塔ロビーと、積み上げられた内部で働いていた仲間たちの死体……そして、その中心で佇み笑う、『侵入者』。

「黒い、髪の……エル」

 『侵入者』が動いた、かと思えば、青年の声を遮った。

「この都市国家がどうなるか見物だったが……。エンドロールは必要、だろう?」

 『侵入者』はにやり、と笑い、青年もその仲間たちも、そこですべての意識が、消えた。

「ほんの少しの希望と、その先にある絶望。
 ……少年よ、お前は“我”足り得るか?」

 黒い長髪を靡かせた『侵入者』は、その深紅の双眸でどこか遠くを見つめていた……――

 +++

「……桜散」

 冷たい頬に手を当て、そっと名を呼べば、“人形”の少女はゆっくりと目を開けた。
 その見えた灰色の瞳に、無意識にほっと息を吐けば、桜散は照れたように笑んだ。

「……すみません、ドジっちゃいました」

「いや……大丈夫だ。全て、終わったから」

 カルマの言葉に、桜散は安堵したように笑んでから、体を起こしきょろきょろと周囲を見回した。

「……ミカなら、あっちだ」

 その意図を察したカルマは、先ほどまで自分と共にいたミカエルを指差す。
 今はその傍に、生き残った“I'll”のメンバーとハリアが寄り添っていた。

「……みっくんは、大丈夫そう、ですね……」

「……表面上はな」

 立ち上がり、ミカエルの元へ戻ろうとするカルマに、桜散は思わず声をかけた。

「……リア」

「……なんだ」

 自身の中に封じた本当の名を呼ばれ、カルマは嫌々ながら振り返る。

「……いえ、気を失ってる間に、夢を見たんです。
 ……あなたと初めて会った日の夢を」

 本来眠ることのない、不老不死者である“人形”の彼女。
 それ故に夢など見ないはずなのだが……彼女が穏やかに笑むものだから。
 カルマは嫌そうな表情をそのままに、桜散と出会った日を思い出していた。

 +++

(メモリア、どうか、しあわせに……――)


 その言葉は、父の最期の言葉だったと兄さんハリアから伝えられた。
 町外れの丘で出逢った桜散を連れて街へ帰ってくると、そこは異様にざわついていて、胸騒ぎを覚えて。
 駆け付けた広場で見た、血に塗れた父と母の亡骸。
 泣き叫んで駆け寄ろうとしたオレを止めたのは、兄のような存在……ハリアだった。

(リア、落ち着いて聞いてほしい)

(お前の両親は、カナデさんとアザレアさんは、政府軍に……――)

 そのあとのことは、よく覚えていない。
 ただただ泣き叫んで、どうしてだと、兄さんやフィーネたちに詰め寄って、それからずっと、自室に閉じこもっていたような気がする。

 そんな時だった。『そいつ』の幻影が、オレの前に姿を現したのは。

(――チカラが欲しいか?)

(全てを覆い尽くす、『闇』のチカラ。全てを屠る、このチカラが……――)

 赦せなかった。両親を殺した政府軍も、両親を守れなかった自分の弱さも。
 だから、オレは『そいつ』の……【魔王】ヘルのチカラの欠片を、受け取った。
 例えそれが、大切なヒトたちの心を傷つけることになったとしても……オレは。

(メモリア……? 違う、『メモリア』は死んだ。オレは今日から、『カルマ』だ……)

 全ての『カルマ』を、背負うことになっても。
 黒髪赤目・・・・の【魔王】の笑い声が、脳裏に木霊して……――


(本当に、君はそれでよかったの?)


 キオクの中になかった声が、不意に聞こえる。
 振り返ると、悲しそうな表情をした、あの蒼い髪と深海を湛えた瞳の少年……ナイトメアが、いた。

(ごめんね、君の記憶の中に入り込んで。
 だけど、そうしないと君はいつか、【魔王】にココロを蝕まれてしまうから……)

 少年ナイトメアは、オレに手を差し伸べる。

(メモリア、忘れないで。君にはたくさんの仲間がいる)

(だから、ココロに負けないで。君は一人じゃないから……――)

 +++

「……リア?」


 桜散の声に、はっとする。
 どうやらキオクを辿るうちに、白昼夢を見ていたらしい。
 気が付けばカルマは桜散と共に、ミカエルたち仲間の元へ戻ってきていたようだ。
 心配そうな仲間たちに、なんでもない、と呟いた。

(あの蒼い髪の少年……ナイトメア。あいつは、一体……?)

「……お前ら、よく生き残ってくれた」

 ハリアの声に、カルマは仲間たちを見回す。
 ハリアたち一番隊は、傷は負っているものの全員無事。
 ミライの二番隊、ジョーカーの三番隊はフィリアとヒサメが深手を負ったようだが、こちらも全員生きている。
 五番隊はラズカとヒメキを残して死亡。
 ……泣きはらしたラズカから、カルマは無意識に視線を逸らした。
 自分が桜散を連れてきている間に、どうやらミカエルは兄とケイジを埋葬してきたらしい。
 じっと見つめていると、ミカエルは泣きそうな顔で、笑った。

「帰ろう。……リアくん」

 その言葉に、仲間たちの笑顔に、カルマは……メモリアは、そっと頷いた。

 ――たったひとり、悲痛な表情で彼を見ていた仲間がいたことに、気付かずに。


(忘れないで、メモリア。痛みも苦しみも全て、君の『記憶』なのだと……)


 蒼い髪の少年……そのカケラは、悲しげに微笑んで。
 その世界をただ、見守っていた。


 Act:17 終